応接間の空気が重く、誰もが息を潜めていた。
その視線と声に重圧感を覚えるリドル国王からの言葉、それをルナフィスははっきりと聞き取っていたが、その言葉が意図するものが理解できない。
自分に言葉を投げかけた相手、世界最大の権力を手中に収めている男が、黒曜石のような瞳でまっすぐにこちらを見つめ回答を待っている。
心なしか、少し前にのめり込むような姿勢になり、視線もなんだか熱っぽい気もするが……。
先ほどまで感じていた重圧とは異なる、これまでルナフィスが感じたことのない妙な精神的負荷に、言葉の意図以上に彼女は混乱しかけた。
この国王陛下は一体何を求めて、先ほどの言葉を自分に投げかけたのか?
あるいは、あの言葉には複雑な暗号めいたアナグラムでも仕掛けられていたのだろうか?
様々な憶測がぐるぐると頭の中を駆け巡り、もはや飽和状態となったルナフィス。
そんな彼女は、次の瞬間さらに驚くべき光景を目撃する。
スパーンッ!
軽いが随分と派手な音が応接間に響き渡り、前のめり気味だったリドルが、盛大に背後に仰け反った。
「陛下、お言葉ではございますが……お客様が混乱されております。あと、キモい」
先ほど紅茶を用意してくれた給仕係の女性カルディアが、柔らかな口調そのままに、主君に進言 (?)しているが……今し方彼女がやったことは、見間違いだったかと自分の目を疑うルナフィス。
いや、カルディアが手にしている白い厚紙を何層にも折り重ねて作った、棒状のモノ――――あれがあの手の中にあるということは、今し方見た光景は真実だ。
カルディアは、こともあろうにその白い棒状のモノを使い、他国の来賓の前で主君たるリドルの顔面を盛大に叩いたのだ。
ダーンとルナフィスの凍り付いた視線を感じたカルディアは、少し肩をすくめてそのまま微笑を崩さずに手にしていた白い棒状のモノを両手で掲げてみせる。
「失礼しました。これは我がメイド部隊の《チェリー・キャッツ》が保有する備品で『ハリセン』と申します。このように、不埒なことをする変態野郎を粛正するのに効果を発揮しますの」
「くぅぅぅ……鼻ッ、鼻の下って、おまっ……容赦ないな」
涙目になって苦言を漏らすリドル……、さらにそこへ『ガスッ!』という音が机の下から響き、リドルの身体がビクリと硬直する。
――ああ、なるほど。ああやって鍛えられたのか……。
自分の父親を無言で睨み付けるステファニーを眺めつつ、ダーンは自分の脛を蹴られた時の痛みを思い出していた。
妙に納得しつつもどこかさみしさを感じるのはなぜだろうか……。
「……ステフ、俺は緊張しているこの場を和ませようとだな……」
椅子の上で腰をかがめて娘に蹴られた右脛を手でさすりつつ、リドルが弁解するように言うが、ステファニーの方は怒りと羞恥をかき混ぜたような表情のままだ。
「なにが『和ませよう』よッ。みんなどん引きしてるわ! お父様、バカ国王に耐性のない客人に我が国の恥をさらさないでください」
「いやいや、アテネから来たのなら、その少年はバカ国王に耐性があるだろう? アテネ国王ラバートはさらにストレートな変態だぞ。なあ?」
突然、答えにくい内容に同意を求められて、ダーンは少々狼狽する。
「いや。その……私の口からはなんとも……」
「あー、ずるいぞ貴様。――さては、このままこのノリで盛り上がったあげく我が娘に脛を蹴られるのを恐れているな? アテネの王族に連なる貴族アルドナーグ家の男が、そんなに殊勝なモノかよ。もっと本性を現して貴様も蹴られろ! 自慢じゃないがめっちゃ痛いぞ」
「いえ、その。お言葉ですが、自分もだいぶ蹴られていまして……正直おなかいっぱいです」
「ちょおッーと! なんだって、今そんなこと報告してんのよッ」
ガタリと椅子をならして、ステフが立ち上がりダーンに抗議する。
「いや……実際にけっこう蹴られて……」
「それは、ダーンがいやらしい変態行動をするからよッ」
「いやいや……変態行動ってなんだよ? つーか、そういうのをここで言うかよ?」
ダーンも立ち上がって、ステフと面を向かって抗議し始めた。
「ちょっと……二人とも落ち着いて……」
唯一、冷静だったルナフィスが止めに入ろうとするが……。
視線を交錯させたダーンとステファニーは、肩を怒らせてそのままお互いに詰め寄ったが……。
不意にリドルが吹き出して、高らかに笑い始める。
「ハッハッハッ……仲の良いことで何よりだな、お前達。何を遠慮しているのか知らんが、面と面を合わせりゃ、ケンカくらいはできるじゃないか」
リドルの言葉に、我に返ってお互い目をそらし、羞恥で顔を赤くする二人。
『面倒くさい年頃ですからね……』
ステファニーの胸元で、ソルブライトがため息交じりに念話を飛ばす。
「おお、久しぶりだな、ソルブライト。元気にしていたか?」
『この状態でさて、何を元気と言うかは難しいですが、それなりに……。あなたもあいかわらずですね、リドル』
リドルの言葉にソルブライトがなにやら懐かしそうに応じているのを聞いて、ダーンはふと思い当たる。
そう、ステファニーの母親、蒼の聖女と呼ばれた英雄レイナーはソルブライトの以前の契約者だ。
と、いうことは、父親である目の前のリドルも面識があっていいはずだ。
――いやまてよ。
四英雄の最後の一人は確か《閃光の王》だったはず。
リドルが持つこの存在感からして、ダーンの知る養父にして英雄のレビンに全く引けをとらないのだ。
このアーク国王リドルこそ、四英雄の一人 《閃光の王》に違いない。
ダーンが心中でそんな風に結論づけたところで、リドルが再び真面目な表情に戻って、口を開き始める。
「まあ、冗談はこのくらいにして……。ルナフィス、そなたの処遇については俺がどうこうするつもりは毛頭ない。当事者のステフが五体満足で無事な上、先の戦闘では力になってくれたと聞く。そして、ステフ自身がそなたに対してなんら遺恨を持っておらんしな」
「その、なんと言いますか……お心遣い、感謝します」
ここまでのやりとりであっけにとられていたルナフィスは、なし崩し的にリドルの言葉を受け入れる。
「うむ。それと、そこの二人……いつまで突っ立てるか。さっさと座るがよい。お前達の話はお前達で決めるといいが、今はそのへんにしてもらおうか」
「……自分からけしかけたクセに、さすがは陛下、見事な無責任っぷりです」
スレームがため息交じりに言い、リドルはとぼけて茶をすすり始めた。
「ごめんなさい」
目を背けたまま小さく謝罪を言い、ステファニーは着座する。
「いえ、こちらこそ申し訳ありません」
ダーンも小さく謝罪を述べてそのまま着座し、改めてリドルの方に向き合うと、リドルも胡乱げにこちらを眺めていた。
その瞬間――
――グッ!!
黒曜石の瞳と視線が合った途端に、ダーンの心臓が締め付けられる。
「……ふう。少年、老婆心からの忠告だ、軽く耳にするだけで良い。……たとえ不意に巡った僅かな好機も逃さないことが重要だ」
そう意味深に発言するとダーンから視線を外し、スレームの方にリドルは顔を向ける。
――なんだ? 視線を合わせただけだぞ……。養父だって、こんな感じにはならなかったのに。
視線が外れたことで、凄まじい重圧から解放されたダーンは胸をなで下ろしつつ疑問を深める。
恐らく、リドル国王は四英雄の一人 《閃光の王》に違いないだろう。
だが、妙だ。
ダーンは、同じく四英雄の一人 《龍殺修士》レビン・カルド・アルドナーグの養子であり、彼にかなり厳しい稽古もつけられたことがある。
養父レビンは確かに圧倒的な実力を誇り、闘神剣を修め相当な実力をつけた今でも、ダーンはレビンには及ばないと思っている。
しかし、そんなレビンからでさえ、このような次元の違う力の格差を感じたことはない。
あるいは、実の娘が色々と絡んでいるためか、様々に昏い感情が交ざっているせいだとも考えられるが。
それにしたって、あからさまな殺気がこもっているようなモノでもないし、ここまでの負荷を感じるのは不可思議だ。
なるべく心の動揺を顔に出さないようにしていたが、それでも怪訝な表情が滲み出てしまうダーン。
その彼を尻目に、リドルはスレームに指示を出す。
「とりあえず、貴公らとの謁見がこのような場所でなければならない事情を説明させよう。スレーム、任せて良いかな」
「ええ、仰せのままに、陛下」
スレームは少しいたずらっぽい声でわざとらしく丁寧に応じると、そのままアーク王家の内情について淡々と話し始めるのだった。
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