タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

魔の気配に挑む者~剣士ダーン・エリン~

公開日時: 2020年10月15日(木) 21:16
文字数:3,336

 【アテネ標準時:6月9日午後9時過ぎ アテネ王国領内、アリオス湖北側森林地帯にて】



 十六夜いざよいの月が東の空に昇り、夜道を明るく照らしている。


 彼は、短い草を踏みしめただけのあぜ道を、月明かりを頼りに、筆舌し難い不快感があふれている場所へ向かっていた。


 蹴り足がつゆで滑りやすいことにいらちを覚え、端正な面持ちが歪むが、決して速度を落とさない。


 彼の出で立ちは、麻や綿をいくえにも織り込んだ厚手の上着、両腕の肘か手首にかけては手甲、すねにはきやはんと剣士にしては実に軽装だった。


 そう、彼は剣士だ。


 背丈にして一九〇セグ・メライ(センチメートル)はあるその背には、僅かに湾曲した赤鞘に収まる長剣があり、肉体は鋼のように鍛え上げられている。


 ただ彼の場合、その背の剣や出で立ちよりも、この月明かりの中、特に目立つものがあった。


 蒼い髪――――


 月明かりの中でさえそれとわかる、蒼穹を風に揺らしているのだ。


 剣士の名はダーン・エリン・フォン・アルドナーグ。


 理力文明の先進国、アテネ王国。

 その傭兵隊に所属するダーンは、とある任務を遂行中だった。


 強まっていく不快感、《魔》の波動を感じながら、彼は日が暮れる前のことを思い返す。


 ほんの二時間ほど前まで、彼は同じ任務を受けていた仲間達と共に、驚異的な戦闘能力を誇る魔人と戦っていた。


 その魔人との戦闘の結果、彼の他にいた三人の仲間は負傷その他の理由で離脱、今や一人で任務を継続している。



 思えば、傭兵隊に入隊した頃から、単独で作戦行動をした経験は多い。


 もともと、傭兵隊は個々の戦闘スタイルがバラバラで集団行動に向かないのだ。

 特に隠密性の要求される作戦では単独行動の方が都合がいい。


 今回の任務についても、未明に大陸間旅客船のレイナー号がハイジャックされた事件で、同船に搭乗していたアーク王国の要人、王国軍特務隊大佐が行方不明となっているのを、捜索・発見保護し、無事にアークへ送り届けるというものだ。


 先の戦闘の後に紆余曲折を経て、その『彼女』が敵に狙われているとの情報を得た。ならばこれは隠密性が要求されるとみていい。


 しかも今日の昼間、思いもしなかった収穫があった。


 《闘神剣》――――

 何の偶然か必然か、いきなりやってきた《灼髪の天使長》から授かった神代の剣と謳われる剣術だ。


 その《闘神剣》を身につけた今、よほどの強敵とそうぐうしない限り一人で切り抜けられる自負がある。


 多人数で行動するよりは敵に補足される危険も少ないので、一人になったのは好都合かも知れなかった。


 ただ、気の許せる仲間達と離ればなれになったことが、若干寂しい気もするが……。


 と、感慨に浸りかけるのを、ダーンはかぶりを振って自制する。


 今は、任務中であり、さらに当初向かっていた『アリオスの街』の東側、ここからだと南南東の方角から、《魔》の波動を感知しているのだ。


 この禍々しい波動には覚えがあった。


 先の人狼が魔法のアイテムで用意した魔物と同じ《魔》の波動だ。


 この波動が、それら魔物達と同じような魔物の放つものだとするならば、その標的となる者の存在も近くにいるはずである。


 その標的として最も有力なのは、こちらが捜索対象としている要人――――


 ステフ・ティファ・マクベイン。


 この任務につく前、依頼人のアテネ国王から仕入れた情報……単独で《魔竜人》を撃退したという彼女の力に期待し、無事であると信じたいが……。


 あの手の魔法が厄介なのは先刻身にしみている。


 近付くにつれて、《魔》の波動が強くなっていき、胸の不快感も増していくと、言い得ぬ不安も強くなり出した。


 ダーンはさらに走る速度を上げようとしたが――


 その進む先に一人佇立する人影を認め、やむを得ずダーンは立ち止まった。


「誰?」


 ダーンが走って近付いてきた気配を察知したのか、人影はこちらにすいし身構えている。


 その人影は女性だった。


 若葉色の裾が長いワンピースに白いエプロンをしている。


 少し灰色の混じった黒髪を三つ編みにし、おさげの先端が背中あたりにまで伸びていた。


「旅の剣士だ……アリオスで宿を取りたくて急いでいたんだが、驚かせてすまない」


 隠密性を保つため傭兵隊であることや、当然要人を捜索中などとは言わずに、ダーンは柔らかな口調を意識しながらも一応の警戒は保つこととし、それとなく女性の全身を確認する。


 夜の闇に月光で浮かび上がるその女性の姿を見る限り、白人系の肌をしており恐らくはアテネ国民のようだ。


 身長は女性としては高い方で、百七十セグ・メライといったところだろうか。


 一通り見た感じでは武装していないとは思うが、丈の長いスカートの中に何か隠している可能性も否定できなかった。


 さらに、さっと見た程度でも、目の前の女性は豊満なバストと解るくらいグラマラスな肢体をしていた。


――ナスカだったら、あの胸に何か隠しているとか考えるのだろうか……。


 と、そこまで考えて、ダーンは自己嫌悪に陥った。


 ナスカとは、ダーンの義理の兄で、アテネ王国傭兵隊の隊長を務める男だ。つい先程まで行動を共にしていた仲間でもあったが、強大な敵との戦闘で深く傷つき、戦線を離脱している。


 二十歳そこそこで、国の要職に抜擢される優秀な剣士であり、二十三年前に起こった《魔竜戦争》の英雄の息子で、さらにはアテネ王家直系の貴族と、超上流階級なはずだが……。


 そんなことが霞む程度に、ナスカは巨乳好きのスケベ男で、周囲からは《駄目男》と謳われる程の残念なところがある。


 あの《駄目男ばか》が考えそうなことが思考に浮かぶ時点で、自分はすでに毒されているのではないか……。


「あの……どうされました?」


 急に俯いて苦悩するダーンに、女性が怪訝に尋ねてくる。


「あ……いえ、何でもありません」


 取り繕って軽く咳払いをするダーン。


 一刻も早く《魔》の波動が放たれている地点に向かいたかったが、一応不審点は取り除く必要があると思い直し、女性に話しかける。


「失礼ですが、この時間にこんなところで何を? この辺りは野犬や最悪魔物も出没しますし、早めに町の方へ行かれた方が……」


「その、息子が……帰ってこないのです。昼にこの森へ狩りにでたきりで……それで私は……」


 青ざめた顔のまま、女性はダーンにせきを切ったように話し始めた。


 彼女の名はミランダ・ガーランド――――


 話によれば、彼女はアリオスの街で小さな宿屋を経営しているらしい。


 夫が病で他界し、現在は十四歳になる一人息子と二人で生活しているとのこと。


 最近、理力銃による狩りを覚えた息子が近くの森で鹿などを捕らえ、宿の料理の食材にしているとのことだったが。


 その息子が狩りから帰ってこないのだという。


「息子のノムは、私よりも頭半分くらい背が低くて、男の子にしては身の細い子なんですが……剣士殿、この辺りで息子を見かけなかったでしょうか?」


 涙目になって必死に尋ねてくるミランダに、なんとか彼女の助けになってやりたいダーンだったが、こちらも任務中だ。


 ダーンは短く「すまないが、湖からここまでで誰も見かけなかった」と答えると、ミランダはダーンのこれから向かおうとしている方角に向き直り、


「湖で魚を捕っているのかとも思ったのですが……やっぱりこの先の森の方かしら」


 と言って、その方向に歩き出そうとする。


 それを、慌ててダーンが彼女の前に回り込んで制止した。


 この先には、人間を無差別に襲う魔物がはいかいしている可能性が高いのだ――いや、もしかすると、この女性の息子とやらが襲われているのかも知れない。


「すみませんが、この先は行かない方がいい……どうしてもというなら、自分が行きますので、息子さんの特徴をもう少し……その、着ていった服装なんかを」


「え……あ……あの、あの子が出て行った時私は厨房にいたので詳しいことまでは……ただ、あの子は狩りの時には、草陰に隠れやすいようにと、草色のフード付き外套を着ていきますので……多分」


「わかりました。貴女あなたは町の方に……もしかすると、すれ違いで息子さんも帰ってきているかもしれませんし」


「でも……会ったばかりの旅の方にお願いするわけには……ただでさえ今もお客さんに……」


 ミランダが最後まで言い切る前に、ダーンは「もし、息子さんを見つけたら宿の方に連れて行きますので」と言い残し、先へ走り出していた。

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