優しく、微かに甘酸っぱい桜の芳香を孕んで、薫る風が火照った頬を撫でる。
繋いだ手の温もりは、ちょっと熱いくらいだったが、二人は離さなかった。いや、離したくなかった。
意識共有は手を繋いでいるから起こっていることは、二人とも認識していて、相手のことが声にして話さなくても伝わってくる。
もっと知りたかった。
この男のことが――
この女のことが――
そして、もっと知って欲しかった。
ダーンは、ステファニーについて、彼女の想いの一つにある種の共感を抱く。
彼女の母親が女神であり、自身は単なる人間ではないこと。
同じく、一卵性双生児として生を受けた妹は、黒髪で父親の髪と同じであり、自分とは違うと感じてしまうこと。
そんな彼女にとって最も重くのしかかるのは、アーク王家という、生まれながらにして特殊な人生を義務づけられた憤り。
彼女は、集められた様々な知識を学んでいく過程で、『王宮の外』に強い好奇心と憧れを持つようになっていた。彼女は、殆ど王宮から出してもらえない幼少期を過ごしているからだ。
それも、世界最大の権力を持つアーク王家の長女で、王子となる男児がいないということから、国の重鎮達に特段の警戒心を持たせたことが由来する。また、父のリドルが、半民主化政策を進める上で、多くの政敵を作ったが、リドル自身が強大な存在であったことから、本人よりも娘の方が狙われやすかったのもある。
さらに、蒼い髪が目立つせいで、余計に身の危険が増大し、彼女は望みもしない手厚い庇護を受けることとなった。
だからこそ、彼女は憧れた。
彼女の母が懐かしく話していた、父との冒険譚――魔竜戦争の折に、世界中を回って、戦い抜いたことと、その隣に愛する人がいて、世界の全てが美しく感じたという、母の青春時代を。
故に、彼女は強く想っている。
――あたしは、自分の人生を自分の意志で生きるんだ!
その想いは、どこかダーンの『剣への想い』に通ずるところがあったのである。
☆
しばらく会話もなく、されど話す以上に相手のことを知ったダーンとステファニーは、そのまま歩き続けて、そこにたどり着いた。
空中に桜の花びらがまるで玉のように吹き集まっている、奇妙な場所に。
周囲からは、舞い散る桜がその場に集まってきていて、ちょうどステファニー達の頭上位の高さに、花びらの塊が渦巻いて滞留している。
その中には、緋色に光る宝玉が見え隠れしていた。
「どうやら、ここが目的地か」
ダーンの呟きに、ステファニーも頷いて息を呑む。
『よく来てくれました、二人とも』
突如、二人の頭の中に女性の凜とした声が聞こえる。
「誰?」
ステファニーの問いかけに、女性の思念は微かに笑った。
そして、目の前で桜の花びらがさらに集まり――
「そうね、名前か……。では、セフィリアと名乗らせてもらいます」
桜の花びらが人の姿に型取り、やがて、若い女性の姿へと変わっていた。さらに、その女性は……。
「蒼い髪!」
女性が姿を現した瞬間、ダーンが声を上げたように、その女性は銀をまぶした蒼い髪を桜吹雪の風に弄ばせていた。ステファニーの髪の色と同じく、また彼女よりも長めの髪。
ただ違うのは、ステファニーのように滑らかなストレートではなく、その髪は豪奢に波打っていることだった。
「お母様……? ううん、違うわ。……あなた、何者なの?」
ステファニーの呟くような問いを隣で聞いて、ダーンも思い当たる節はあった。目の前の女性は、確かにステファニーの記憶にあった彼女の母親によく似ていたのだ。
しかし、ダーンでも目の前の女性がステファニーの母親とは別人とわかっていた。顔は似ているが、雰囲気や声の感じが違う。
何よりも――
女性は金色に輝く瞳を少年と少女交互に向けてから、柔らかく微笑んで見せた。
そう、瞳の色が違うのだ。
ステファニーも母親のレイナーも、瞳はこのようにあからさまに輝く金色ではない。神秘的ではあれど、もっと柔らかみのある輝きをもつ琥珀色なのだ。
「……今は、私がどのような存在か、はっきりと申し上げるわけにはまいりません。セフィリアというのも、便宜上お教えした名前と思ってください、姫」
セフィリアと名乗った女性は、右手を胸に当てながら、優しくステファニーに語りかける。
一方、ステファニーは、途端に不機嫌を表面に押し出して見せた。
「あたし、その『姫』って呼ばれかた、嫌いなんだけど」
その言葉に、セフィリアは少々吹き出すように笑ってしまう。
「あ……ごめんなさい、その、つい……おかしいと言うよりも楽しくて。ふふ……このような感情、まだ私にもあったのですね」
「どういう意味よ?」
「妙な言い方だな」
軽く謝罪しつつ話すセフィリアの物言いに、ステファニーとダーンが同時に怪訝な表情になる。
「あ、いえ。つまらない話ですし、すぐに本題に移らないといけませんので、失言と思って流してください」
「……なんか、そこはかとなく馬鹿にされてる気分だわ」
「うーん……というか、セフィリアさんでしたっけ? 貴女がその手に持っているのは、もしかして月影石か」
このままではらちがあかないと思い、ダーンはセフィリアの左手にある緋色の石を指さしつつ問いかける。
「はい。なかなか鋭いですわね。その通りですよ、ダーン。あなた達がここに来た目的、精製された月影石です」
そう言って、セフィリアは手のひらを、二人の眼前に開いて見せた。手のひらには、緋色に光る石がある。ステファニーが持っていた原石と大きさも形も同一と思われたが、原石は真っ黒であったのに、同じ種の石とは思えない。
「あ……これ、お母様がしてたブレスレットの宝石に似てる」
ステファニーの言葉に、ダーンもレイナーが花見の席で身につけていたブレスレットを思い出す。
「はい。そして、これは正真正銘、貴女の石ですよ、ステファニー。祭壇で月の活力を吸収し、雷神王の……あ、いえ、ここであなた達がその魂で研磨したものです」
途中、何やら言いよどんでセフィリアは説明し、その説明に再びステファニーがその思考を加速させる。
「魂で研磨……あたし達……。さっきまでダーンと意識とか記憶を共有していたことと関係があるのね?」
ステファニーの言葉にセフィリアも首肯する。
「この月影石は、あなた達が訪れた鍾乳洞の祭壇で、惑星の活力を少しずつ集積して、さらに月の光からその活力を吸収したのです。そして最後に、偶然にも強力なプラズマ……おそらくは局地的な落雷があったようで、物質組成を変えるためのエネルギーを得たようです」
説明するセフィリアは、一度息を吐きながら、ダーンの方を見下ろした。金色の瞳が僅かに潤んだように光を滲ませる。
「さらに、ここ……私の《具象結界》にあなた達を招き入れて、この石を研磨していただいたのです。もちろん研磨とは物理的に研くのではありません。この石は、神魂をも取りこむ霊石です。それを研くには、強い意志を持った者が二人、その魂の力で研磨することが求められます」
「神魂を取りこむことができる?」
「はい」
ステファニーの問いかけに、セフィリアは目を伏して肯定する。
「アーク王家が代々、この石を手にする理由は存じませんが、この石は強大な神霊を宿すことができる希有な石です。おそらくは、初代国王のアルカードが強大な力を誇っていたのは、強力な神霊の加護があったからかも知れませんね」
かつて、アルゼティルスと呼ばれた古代王国とその文明が崩壊した後、世界を平定した初代アーク国王は、七人の将軍とともに、先陣を切って絶大な力を振るったとも言う。彼のその戦力が、強力な神霊の加護によるものであるならば、それも納得できる話だ。
その後、愛する妃にその加護と一緒に贈ったのだとすれば、古文書にあった内容とも合致していく。
「ところで……、その魂の力で研磨っていうのは、何らかの負担を強要しないでしょうね? はっきり言って、魂を吸い取って貴方が得してるという構造も想像できるんですけど?」
ステファニーが強い嫌疑のまなざしをセフィリアに送る。その琥珀の瞳が放ってくる強い意志の輝きに、セフィリアは目を細めた。
「まったくとは言いませんが、負担は微々たるものです。一晩で回復する疲労のようなものですよ。もちろん、寿命などには影響ありません」
「まあ、信じるわ」
「それでは、最後の仕上げです。ダーン、こちらに来ていただけますか」
セフィリアに呼ばれ、ダーンは彼女のそばまで歩み寄る。すると、セフィリアはステファニーにはどかない小声で「彼女に贈るなら、どんなアクセサリーがいいですか」とたずねてきた。
「……その、意味が分からないんだが」
ダーンの困惑する声に、セフィリアは軽く笑い、ステファニーは怪訝な顔をした。
「このままでは、落としてしまうでしょう? ですから、身に着けるアクセサリーに石をはめ込んで、ステファニーに渡すのですよ。この石は、貴方も精製した張本人ですから、これは貴方が彼女のために贈るというのが妥当だと思いまして」
セフィリアの言葉に、ダーンはさらに疑問の色を深めたが、要は、こちらが望む形にアクセサリーとして形成してくれるというのだろう。それならば……。
「ネックレスかな。成長しても、さほどサイズを変える必要もなくなる」
「了解しました」
セフィリアが了承すると、彼女の掌にあった緋色の月影石は、ゆっくりと浮遊し始めて、桜の花びらに包み込まれる。こぶし大よりわずかに大きいその桜の花びらでできた球体は、ダーンの目線より少し上に、花びらを高速で吹き荒らす。
「それでは、こちらを……」
セフィリアの言葉と同時に、浮遊していた桜の花びらは周囲にはじけ飛び、中からプラチナ製のネックレスが姿を現す。そのペンダントヘッドには、先ほどの月影石がはまっていた。
ダーンは、いまだに浮遊し続けるプラチナのネックレスを、右手を差し出してつかみ取る。
「さあ、これで絆をつなぐ霊石は完成しました。あとは、儀式的なものですが、ダーンがステファニーにそれをかけてあげてください」
「う……、その……さすがにそれは恥ずかしいというか……」
セフィリアの言葉に、赤い顔をして押し黙っていたステファニーが、声を上げる。ダーンにあっては、イマイチ要領を得ていない顔をしていて、そのことすらも、ステファニーの心を僅かにかき乱していた。
「こんなところで恥ずかしがるのもどうかと……。ああ、男の子に贈り物をもらうということ自体が、貴女にとっては初体験でしたね。しかし、何事も経験してみな……」
「余計なお世話よッ」
セフィリアの言葉を全て言わせまいと、肩を怒らせてわめき立てるステファニーだったが、セフィリアはそれすらも微笑ましいとばかりに朗らかに笑っている。
「あー。それで、俺はどうすればいいんだ?」
女性二人の間に取り残された形のダーンが、両手にネックレスのチェーン部分をつまんだまま、所在なさげに立ち尽くしていた。
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