熱い吐息が夜風に白い尾を引いて淡く消える。
しかし、その熱さは確実に少女の胸を焦がしていた。
「ありがとう、ダーン。そうね、そうよ、あたしはあたし。ダーンと一緒に鍾乳洞行ったときのあたしがホンモノだと思うの」
気恥ずかしさをこらえて、ステファニーも彼の言葉に一生懸命に応えるが。
熱々と言葉を吐き出した方のダーンは、今さらながらに恥ずかしくなって、その反動で茶化そうとする。
「さすがにお転婆が過ぎたけどな……」
ダーンの言葉で、ステファニーも、鍾乳洞の冒険の後、三人でレビン達に叱られたことを思い出す。
もちろん、茶化されたことも気付いたが、彼女は胸を張って言い返そうとした。
「お転婆上等よ。あたし、大人になったら絶対に王宮飛び出して、世界中を旅したいの。そうよ、お母様達みたいに、頼りになる騎士を見つけて、一緒にたくさんの冒険をしてやるわ! その道中で、もののついでに世界すら救っちゃうかもよ?」
そう息巻いて、ステファニーはゆっくりとバルコニーの縁へと歩いていく。
そこは迎賓室から離れていて、その灯りも届きにくい場所だ。大理石製の柵の前で、彼女は両手を後ろで組みながら、そのままダーンの方へと振り返る。
南中した満月、その清廉な銀が夜の闇から少女の姿を浮かび上がらせていた。
「あ……」
言葉にならない、まさに漏れ出してしまったダーンの声。
月光の下で、濡れたような漆黒の髪も、着こなしている絹のドレスも、夜の闇に溶けかけていた。
しかし、彼女の琥珀の瞳だけが、ハッキリと闇にも月の銀にも溶けることなく、その輝きを湛えている。
胸元の緋色の宝玉も、月光を浴びて美しく光っていたが、ダーンには、彼女の『琥珀』がなによりも美しく、気高く、そして神秘的に感じられた。
完全に、言葉を失ってしまうくらいに、魅入られてしまったのだ。
押し黙ってしまったダーンに、ステファニーは少し怪訝な顔をする。さらに、自分のことばかり話していて気恥ずかしくもあったのだろう、今度は半ば不満そうな色を声に滲ませて問いかける。
「それで、ダーンは将来どうしたいのよ? 剣を習ってるなら、王宮騎士かな?」
両手を腰のあたりにあてて、睨め上げるように問いかけてきたステファニー。言葉を失っていたダーンとしては、及び腰になりつつもなんとか言葉を紡ぎ出そうとした。
「あー、そのーだな。騎士ってのはイマイチ、そのぅイメージがわかなくて」
「イメージ……ね。アテネも騎士団あるんでしょ?」
「まあ、確かに。でも、アテネの騎士団は集団戦法を主とした戦闘法で、俺みたいな剣士は向かないかな」
頬を指先で掻きながら、なんとか会話を合わせるダーン。騎士に関してはそれほど詳しくないが、剣に関係する話だったため、救われた気分だ。
「あ、そうか。ダーンはどちらかというと単独で戦闘するタイプね。そうなると……ウチの騎士には向いてるのかな」
少しだけ、声のトーンが軽やかなものになるステファニー。
「ん?」
アークの騎士という、これまで考えたこともなかった選択肢を示したステファニーの言葉に、ダーンも興味をそそられる。
「アークの騎士は特殊なの。騎士団はなくてね、騎士は王族を護るための身分というか、王家の者が一人あたり二人まで指名出来るの」
「へぇー、専属のボディーガードみたいな感じか」
「そうね。実はあたしのお母様もお父様の騎士として王宮に入ったって言ってた。女神を騎士にするお父様も凄いけど、女の人で騎士って、格好いいでしょ?」
「そりゃ凄いが。なんか、尻に敷かれっぱなしになりそうだな」
「あら? お父様はお母様よりもはるかに強いわよ。お母様の実力は騎士として申し分ないけど、お父様は破格だから」
そういえば、ステファニーの両親も《四英雄》だったと、ダーンは彼女に言われて思い出す。
「な、なんか凄い両親だな」
「フフッ……そうよ、凄いの。あたしもね、お母様達のような関係とまでいかなくても、信頼できるパートナーのような騎士に出会えたらなって思うわ」
顔を赤らめつつ、ステファニーは吐息を熱くして語った。それに対して、ダーンの吐息は少し寂しいくらいに熱を出せなかった。
「……それよりも、ダーンのことよ。あたしのことばっかじゃなくて、あなたのことも聞きたいな」
「お、俺は……」
ダーンは口籠もった。考えてみれば、将来の自分なんか思い描いていなかったからだ。ただ、剣の道を進むものと決めていただけだったのだ。
だから、彼女の吐息の熱さに対して、自分の吐息は寂しく感じるのだろう。だが――!
「……俺は、剣の道を究めたいとは思っている」
ダーンの苦し紛れの言葉に、ステファニーは一度月を見上げて思いをまとめ上げてから言葉を返した。
「剣士なんて人殺しの野蛮なお仕事でしょ。……でも、なんでだろう。あなたが話しているのを聞いていると、なんか尊いものがあるように感じられるの」
「ステフ……。そうだな、ありがとう。確かに剣は人殺しの道具なんだ。でも、だからこそ、それを振るう者には戒めと覚悟、そして心が必要なんだ。……と、まあ、これは以前、レビンから教えられたことなんだ」
なんとなく、彼女と同じように将来の理想が語れているようで、ダーンは気分が高揚していく。
「レビンさん……《竜殺修士》として、お父様の戦友……。やっぱり、凄い人なのね」
「ああ。俺に血の繫がった父親はいないけど、レビンは俺の自慢の父親さ。だから――」
ダーンは一度言葉を切って、天空の月を仰ぎ見た。
遙か高みにあるその銀は、手を伸ばしても摑むことは出来ないが、確かにそこに見えている。
遙か高みの存在――
しかし、唯一闇色のようななにも無い心を、強く惹きつける理想の輝き。
その理想が、いつも教えてくれているように。
「俺は、俺の剣は……大切な何かを守るために強くありたい!」
ダーンは、正面で聞き入っていたステファニーが、ビクリと肩を強ばせる位に、強い語気で言い放った。
未だに未熟な二人の夜は、まだ眠りを知らず更けていく。
そして――
あの爆轟の刻を迎えようとしていた。
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