蒼き鳳凰が翼を大きく開いた後、その頭部を象る部分へ全てのエネルギーが収束し、突き抜ける。そのエネルギーの迸りに弾かれて、緋色の訓練着を着たリドルが宙を舞い、力なく落下していった。
あたりの空間が僅かに揺れて、展開されていた具象結界 《覇王の虚無》が消失する。それと同じくして、これまで二人のエネルギーを質量変換し、星々の輝きにしていた小宇宙は、その抱え込んだ質量とともに、別次元へと転移してしまったかのように忽然と消失した。
現実世界のフィールド、その芝の上にリドルの体が背中から落ちる。その隣に、緋色の神槍が大地に突き刺さった。
「勝った……あのリドル陛下に、ダーンが勝った!」
防護結界を維持していたケーニッヒが、震える声で言う。その隣にいたスレームも、ワナワナと震えていた。
「ダーンお兄ちゃん、ホントに凄い」
リリスも少し涙声になって呟くのを、神狼は無言で肯いて応じた。
「とんでもねーな、ホントによ。あーあ、立つ瀬無いなぁ、オレはよ」
ぼやきつつも、ナスカもどこか誇らしげだった。
そんな中で、ただ一人カレリアは、顔を青ざめさせて、震えている。
「お父様は?」
フィールドの芝の上に仰向けになって、動く気配がないリドル、その安否が気になって仕方がない実の娘は、ケーニッヒの方をすがるように見る。
「内部のエネルギーは……うん、今ので収束しているから大丈夫だ。結界を解除する」
ケーニッヒが結界を解くと、カレリアとスレームがリドルの方へと駆けだしていく。その後ろを司祭のホーチィニが追っていった。
「勝った……のか?」
未だに空中に浮遊していたダーンが勝利の実感も曖昧のまま嘆息するが、その右手にさっきまで握っていたはずの長剣が、跡形もなく消失していた。
『ええ! 勝負あったようですね』
ソルブライトの念話も、心なしか声が弾んでいた。
「……ソルブライト」
胸元のソルブライトに声をかけつつ、ダーンはゆっくりと降下する。
『はい、なんでしょう?』
「ありがとう。あのままだったら、俺はステフに合わせる顔がなかった」
着地し、そのまま倒れたリドルの方に視線を移すダーン。彼の脳内に、言葉はなくともソルブライトが微笑むイメージが伝わってきた。
「……フハハ。まさか、ソルブライトに助けられるとはな」
仰向けに倒れた男から、自嘲気味に声が上がる。
「お父様! 無事なんですか?」
リドルの元に駆けつけたカレリアが、父親の体を抱き起こそうとする。だがそれを、リドルはやんわりと手で制した。
「このままでいい。ハハッ……新鮮な感覚だよ。これが敗北というやつか」
どこか清々しい表情のリドルに、カレリアの隣でスレームが苦笑いして声をかける。
「陛下が大地に倒れることがあるとは、私も予想だにしてませんでしたね。さて、陛下。お見事に完膚なきまでに敗北したわけですが、約束どおりでいいのでしょうか?」
「ふん……かまわんぞ。ダーン、全てお前の好きにしろ。国が欲しいなら、いっそ戴冠式でもやるか?」
国でもなんでも自分に勝ったらくれてやると言ったリドル、その言葉を履行しようと過激なことを言い出すが、対するダーンは慌てるしかない。
「いやいや! 本当に国はいらないから! その、ス……ステフを自由にしてやって欲しいん――」
「あー、俺からステフやお前の関係をとやかく言うことはないから、お前達の自由にしていいぞ」
ダーンのどもりがちな言葉を制するように、リドルが先回りした言い方をする。
「あっ……いや……俺との関係とかじゃなくって……その……」
「なんだなんだ……今さら怖じ気ついたのかよ。さっきまで散々、俺から奪う気満々だったのになぁ」
『まあ、基本的にヘタレですからね、ダーンは』
リドルの言葉に応じるように、ソルブライトが溜め息混じりに念話で伝えてきた。
「なんなら、私からお姉様に今回のやりとりを、全てありのままにお伝えしましょうか?」
若干顔を赤らめて、カレリアが提案してくるのを、ダーンは全力で待ったをかける。
「それだけは勘弁してくれ」
「ヤレヤレ、情けない」
大地に仰向けのまま、リドルは肩をすくめる。そのリドルの脇に腰を落として、ホーチィニが信仰術により彼の治癒を始めていた。
「そんなことよりも! 早くステフを助けに行かないと! 攫われちゃったのよッ!!!」
観客席から走ってきたルナフィスが、息を切らせながらも伝えてくる。
「くっ……やっぱりか」
ダーンも、ルナフィスの気配がある時点で、なんとなくこの事態を予測していたが、リドルとの決闘に熱くなりすぎた自分を悔いるしかない。
「疲れているところすまんが、娘の救出を任せたい。俺はこのザマだしな」
リドルの依頼に、ダーンは即座に首肯する。
「ソルブライト、ステフの位置は感知できるか?」
『正直言うと、難しいですね。あの子からの思念が届けば可能なのですが……』
ソルブライトは、契約者であるステファニーを、ある程度感知できるはずだが、現時点、彼女の思念はとても微弱で、位置の特定とまではいかないようだ。おそらくは、意識を失っているのだろうと、補足説明するソルブライト。
その場に居合わせた面々が、表情を曇らせた。そこへ、ルナフィスを追うように歩いてきたサジヴァルドが言葉を差し込む。
「グレモリーの根城ならば、私が知っている。案内しよう」
「兄様……」
「誰かと思っていたんだが……そうか、ルナフィスの兄貴か……って、ステフから聞いていたのと、随分印象が違うなぁ」
精悍で落ち着きのあるサジヴァルドの風貌から、以前、ステファニーから聞かされた変態吸血鬼のイメージが全く一致しないダーン。
「それは、いわんでくれ。――サジヴァルド・デルマイーユだ、以後お見知りおき願おう。ダーン・エリン」
サジヴァルドの自己紹介と挨拶に、ダーンも応じて簡単に会話のやりとりをし始める。その中には、ステファニーを攫ったのは、赤い髪の魔神、リンザー・グレモリーであることや、その際ルナフィスが致命傷を負ったことなどが含まれていた。
そして、お互いの経緯や細かい話は、ステファニーの救出後にするという話にまとまり、いざステファニーの奪還を考えようとしたときであった――
「あのっ! わ、私もステフの救出に一緒に行きたい!」
ルナフィスがダーンとサジヴァルドを交互に見て手を上げる。敵陣へ侵入する人選をしようという段階になって、ルナフィスがその人員に入りたいと志願していた。
「ルナフィス……それは嬉しいが、君の場合魔力への抵抗力がまだ厳しくないか?」
「そ、それは……」
ダーンの指摘に言葉をつまらせるルナフィス。確かにルナフィスは、植え付けられていた魔力を失った反動で、《魔》への抵抗力が極端に低い状態だ。そんな状態で、あの濃密な悪意を孕む魔力の持ち主に対峙すれば、まともに闘えるわけがない。
「ふむ。それならば心配はいらない」
サジヴァルドが口を挟み、その後ルナフィスに顔を寄せて、彼女に耳打ちをする。
精悍な顔つきになった兄に、耳打ちされるだけで、少し顔を赤らめるルナフィスだったが、サジヴァルドからの話を聞くウチに、その言葉に少し困惑し始めた。
「そ、それ、やらないと駄目かな兄様?」
「必要だろうな。それに、より大きな戦力を得ることにもなるだろう」
「わ、わかったわ。えーと、人払いとかしたいんだけど?」
「時間が惜しい。なに、可視光線は重力フィールドで遮蔽するから、大丈夫だよ」
「うー……。なんか、ステフの気持ちがわかっちゃったわ」
ルナフィスは、少しだけ恨めしそうにダーンを見ると、その言葉を発した。
《月神連鎖》
次の瞬間、銀髪の少女を銀の閃光が包んだ。その眩さの中で、血糊で汚れた白いドレスが粒子状に分解され、ほんの一瞬、一糸纏わぬ姿となる。彼女はすぐに、無数に羽ばたく銀の蝶にとりかこまれると、その蝶が変質して新たな衣を構成していった。
☆
目の眩む閃光が、ルナフィスの姿を隠し、近くにいたダーン達はあまりの眩さに、手のひらで目を覆う。
やがて、その閃光がおさまると、月の神気を編み込んだ神衣に身を包むルナフィスが姿を現した。
「って! なによこれぇーッ!!!」
自分の姿を軽く見回して、ルナフィスは絶叫した。
純白の生地に、彼女の好きな赤い薔薇を刺繍したマントは、確かにルナフィス好みのものだったが……。問題はその中だ。
銀色の胸を包む小さな甲冑と手甲以外は、ワンピース型の水着のようなもので、太ももはほとんど剥き出しだった。膝から下は、黒革のロングブーツだったが、それが逆に鼠蹊部付近の露出を際立たせている。
ピッタリとした布地は、着心地は悪くないが、艶のない黒い素材が、より臀部のラインを扇情的に演出していた。
「基本的に、こういった防護服の意匠は、装着者の深層心理にあるイメージからフィードバックするものだが――ふむ……。お前が昔読んでた、妙に薄い漫画本に出てくるキャラクターだな」
サジヴァルドが解説するのを聞いて、ルナフィスは何かに思い当たって、羞恥で真っ赤になった。
「あ、アレは……島に来たミリュウさんが、熱烈に薦めてくるから……」
「あー。あの子は昔から、そっち方面の趣向がありましたねぇ……」
スレームがかつての自分の生徒を想い、何気に爆弾発言する。それを聞いていて、リドルが懐かしむように――
「昔見せてもらった漫画に、女同士の乳繰り合いがあってな……こういう所に混ざりたいというのが男の心理だと言ったら、『百合に男なんか挟むな!』とか、すげぇ形相で睨まれたことがあったぞ」
「って、一体どんな本なんだよ? あ、いや、やっぱいい。その話はやめておこう」
育ての母親であるミリュウに、なんかこれ以上聞いてはいけないような気がして、ダーンはそれ以上追及しないこととした。
さらに、サジヴァルドが手を叩き、浮き足だった皆を落ち着かせる。
「とにかくだ。これでルナフィスには、私が預かっている月の女神の権能を付与した。魔に対する抵抗力も格段に上がっているから、グレモリーにも対峙は可能だろう」
サジヴァルドの言葉に、ルナフィスは力強く頷く。
「月の女神か……。それにしても、貴方は何者なんですか? 見たところ、生身の肉体は失っているようですが」
「その話も、姫を救出したらだ。ルナフィスの耳にしているピアスで、私との交信が可能になっている。あとは、目的地までは私の転移術式で飛ばしてやろう」
サジヴァルドは追加の説明として、転移出来る先は、グレモリーが根城としている屋敷の敷地外側までだという。場所的には、アメリアゴート帝国との国境付近にある孤島の中心部なのだそうだ。
「一応、奇襲に気付かれないようにするのと、隠密性を考慮して、ダーンとルナフィスの二人だけで、作戦を実行するしかないだろう」
提案された人員について、ダーンは異存はない旨を短く答える。その彼に、やはり観客席から走ってきた金髪優男が、金属製の紅い鞘に収まった長剣を手渡した。
「いつか、君の使う長剣を、ボクが打ってみたいと言ったけど、これがその剣だ」
「ありがたい。恩にきるぜ、ケーニッヒ。さて、時間がない! 早速出撃しよう」
ケーニッヒから長剣を受け取り、それを背後に担ぐと、サジヴァルドの方に身体を向けるダーン。サジヴァルドはこれを承諾すると、訓練場の中央付近に転移術式を展開すべく、準備を開始した。
☆
敵のアジトへ進入すべく、転移の準備を始めたダーン達を尻目に、スレームはようやく上半身を起こしたリドルに向けて、会話を申し向ける。
「陛下……先ほど、『ソルブライトに助けられた』とおっしゃいましたね。あれはどういう意味だったのですか」
「なーに、言葉通りの意味だよ。ただ、あのダーンの奥義は、結果的に未完成で終わったのだ」
「奥義が未完成……?」
「ああ――ダーンのあの奥義は、一撃目に二撃目が追いついた瞬間に完成するのだが……あの瞬間、ダーンが手にしていた長剣が、超弦加速の負荷に耐えきれずに、崩壊してしまったのさ」
「それが、どうしてソルブライトに助けられたと?」
「気がつかなかったか? ダーンの長剣は、ソルブライトが擬似的にタキオンソード化していたが、ヤツの奥義が完成する瞬間、ソルブライトがタキオン化をやめたのさ。その瞬間、剣は超弦加速の負荷に耐えきれず、構成原子が一瞬で蒸発して消えてしまったのだ」
リドル曰く、長剣を失いつつもダーンは素手で強引に技を発動させたらしいが、それでは、リドルに致命傷を与えることは出来なかったとのことだった。
『まあ、大切な『お父様』をなくすわけにはいけませんからね。さて、準備が整ったようです。それでは――』
ソルブライトのその念話が途切れると同時に、サジヴァルドの用意した転移の術式が発動し、ダーンとルナフィスは『敵地』へと旅立っていくのだった。
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