アテネ傭兵隊の選抜メンバーによる、ステフ大佐の捜索任務と、人狼戦士ディンとの死闘、それは前半の飛空艇襲撃から最初の戦闘まで、ルナフィスも承知している内容だった。
ただ、敵側の視点から語られた状況ともなれば、やはり新鮮味がある。その上で、敵であったナスカ達が語ったのは、ディンの戦士としての優秀さと潔さを強調したモノだったのだから、ルナフィスにとっては感慨深い。
「ホント、アイツらしいね……」
ルナフィスは目頭が熱くなるのを耐えて、短く感想を吐露した。
そのルナフィスに、一緒に話を聞いていたステファニーが寄り添って、白いチーフをそっと手渡している。
「今度、アテネに行く機会があったら、そのディンって戦士さんの墓標、ちゃんとしたものにしてあげよう。あたしも手伝うから……」
ステファニーの言葉に頷き、受け取ったチーフで目元を抑えるルナフィス。
その二人の姿を少し離れた位置から眺めて、ダーンは安堵と寂しさ、そして死者への悼みを滲ませ、一人溜め息を漏らすのだった。
☆
人狼戦士の話をした後、一同は改めて簡単に挨拶を交わすこととなった。
アテネからの来訪者二人は、再度リドルに一礼し、ナスカが恋人のホーチィニをリドルに紹介するような形で語り合っている。
「スレームに散々聞かされているからな、よく知っているぞ」
あっけらかんと答えて、リドルはホーチィニを一瞥しニヤリとと笑う。
「恐縮です。陛下」
ホーチィニは柔らかい笑顔で応じ、そのまま視線を王女ステファニーへと向ける。視線に気が付いた王女は、少し前に歩み出て、ホーチィニに右手を差し出した。
「初めまして、ホーチィニ。アテネの聖女の名声はここアーク王宮にも届いているわ」
ステファニーはホーチィニに和やかに話しかけると、ホーチィニも握手に応じて笑顔を見せる。
「ありがとうございます、姫。私も祖母から……」
初対面の王族、しかも同性から見ても圧倒的な魅力を誇るステファニーを前に、さしもの聖女もどことなく堅いあいさつになりかけたが、その口上も途中で途切れてしまう。
なにせ、握手したステファニーの表情が明らかに不機嫌だったからだ。
「あ、あの……」
ホーチィニは握手したまま固まる。
「その、ごめんなさい。あたしと貴女、一応戸籍上は従姉妹だから……出来れば『姫』じゃなくて名前で呼んで欲しいかな。親しい人はステフって、呼んでくれるの」
ステファニーはそう言いつつ、チラリと視線を蒼髪の男へ流す。彼はナスカと話し始めていて、ちょうど背中を向いていた。
と、ナスカの方は、ステファニーの視線に気付いたようで何やら含み笑いしたが。
「あ……そ、そうですよね。レイナー様が私の祖母の養子縁組みしていたんでしたっけ。実は私、その話つい先日聞いたことなので実感なくて。……ステフ、そのよろしくお願いします。私のことも『ホーチ』って呼んでください」
なんとなく照れつつ、ホーチィニは言葉を返した。
そんな二人のやりとりを眺めていたナスカは、目の前の弟分に視線を戻す。やはりというかなんというか、ダーンは背後の会話が気になっているようだ。
「どうしたんだよ? なーんか雰囲気おかしいが、先日の無線連絡の状況と違うじゃねーか」
「無線って……ああ、あれはその……」
アテネ王国にて、ステファニーと合流した後に送った通信のことを思い出し、いたたまれない気分になるダーン。
「んだよ? 暗号に、『いい女に蹴られた脛が痛い』とか、気の利いたもの使ってたのによ」
そのナスカの言葉に、実は聞き耳を立てていたステファニーが即座に反応する。
「いい女に蹴られたって……」
「へぇ……」
ステファニーの隣にいたルナフィスも耳聡い。蒼髪の少女が少し動揺する中、興味津々である。
「あ、いや、だから……暗号だよ、暗号。ステフ……いや、姫のことはできる限り情報を伏せる必要があったし、ナスカになら通じると……」
ダーンは釈明するが、それはすなわち、暗号の『いい女』とは、ステファニーであると自分で認めたわけである。ダーン本人はそれに気付いていないが、ステファニーの顔がどんどん紅潮していく。
「なんで、オレなら伝わると思ったんだ、それ?」
「え?」
ナスカの問いに、ダーンは予期していなかった反応であっけにとられる。
「んーまあいいや、ダーン。そういえば、お前達が泊まったアリオスの宿、あそこの女将と息子がオレたちと一緒にレイナー号でこっち来てるぜ」
苦笑いを噛みしめて、ナスカが言う。
「ミランダさんが?」
ダーンはガーランド親子のことを思い浮かべる。アテネ北方の国境付近にある街、アリオスにて宿屋を経営する母子家庭だが。その正体は、母親が大地母神ガイア、息子は大地の精霊ノームの化身である。
「おう。それとな、色んな話が聞けてよ、すんげー新鮮だったぜ。なあ、騎士様よ?」
ナスカの意地の悪い声と共に、ダーンの表情が変わる。羞恥と後悔、その他、彼にとっては未だ経験したことのない複雑で乱雑な感情。
ナスカの言葉に『騎士様』とは、つまりはあの時の話をミランダから聞いたのだろう。
「子供の頃に教えてやったことが、どーやら役に立ったみたいじゃないか? お前、やたらとこだわっていたもんな。アーク王国の騎士の儀礼とかよ。あの日の後さ……」
ナスカはさらに意味深に話を続ける。心なしか、その声に険がこもっているようにも感じる。
「な、何を言って……」
ダーンは背中に冷ややかな汗がつたわるのを感じていた。
「んや、いいんだ。お前は無意識にそれをやりたくてこだわっていたらしいからな。あの頃も、騎士の儀礼を女の子の前でやらされる夢を見て、なんか無性に腹がたったとか言っていたからな」
「そ、それは……」
子供の頃の記憶と、今の記憶が重なってくる。ダーンにとって、ナスカは実質的な兄貴分だ。今も昔も、この男こそ最大の理解者にして、男として常に前にいる存在だ。
だからこそ、彼は一瞬で見抜いている。
ダーンとステファニーの間に、本当はどんな問題があるのかを。
「……どういうことなの?」
子供の頃のダーンがこだわっていたという『アークの騎士』の儀礼作法。それは、ステファニーにとっては看過できない事柄だ。
なにせ、その儀礼を受けるのは、王家の者なのだから。
ステファニーの脳裏に、一週間前の夜にガーランド親子の宿、その食堂での光景が浮かび上がる。
「ま、昔話はいいさ。ただ、『いい女にうまい飯』食わされて、それをやったというのが気になってよ?」
ナスカの問いかけにダーンは無言になるが、ルナフィスがその言葉に思い当たることがあった。食後にダーンと二人、屋根の上で語らったときのことだが……あの時自分も少し引っかかったのだ。何故、アテネの傭兵である彼が、わざわざアーク王国騎士の儀礼をやって見せたのかを――。
「そういえば、ダーンはあの後言っていたわ。『約束には色々ある』って。もしかして……」
ステファニーから彼女たちの幼い頃の話を聞かされている今なら、ダーンの行動にも思い当たることがあるではないか。つまりは――
「ダーン……覚えているの? あたしとの……昔のこと……」
ステファニーの震える声に、ダーンは目を閉じて俯く。そして、肩を震わせ答えた。
「違う! 忘れていたんだ……ずっと……。最近になってようやく思い出したんだ……全部じゃないだろうけど、少しずついろんなことを……だけど……」
『……ステフ、あのですね……その……』
何故か、胸元のソルブライトが念話で語りかけるが、この神器をして珍しく言葉を濁している。
「いつから……なんで……どうして……」
ダーンには、幼い頃に自分と会った記憶はない。父と『彼女』が、彼を救うために心を鬼にして少年の記憶と『力』を封じた。それを知っているからこそ、諦めていたし、記憶はないことを前提で、これまで接してきたし、だからこそ今の今まで自分は苦しんできた。
ステファニーのその大前提が崩れようとしている。
『もう……私から話すしかありませんね。ダーンの記憶は、貴女と再会した後、徐々に戻っていきました。ズルイ言い方で恐縮ですが――ステフ、貴女も思い当たることがあるのでは?』
胸元のソルブライトの言葉に、ステファニーは一週間前の夜を思い出す。
ルナフィスが襲ってきた後、彼の傷を癒やしながら、『剣は凶器ではない』とステファニーは言った――そのときの彼の反応。
その夜、寝落ちした時に彼の手を握っていたが、今思えば、共に眠ってそのまま夢を見てしまえば、それは共有されることがある。幼いときに、それを体験しているではないか。
大地の精霊王との契約前、洞窟で意識を失った時も夢を見たが、手を握っていた。
そして、そのときに見ていた自分の夢は、ダーンとの過去の記憶だった。
それなら、あるいは彼の記憶の封印を解くことにつながるかも知れない。
ソルブライトをこの宝玉のペンダントに宿らせる際、ホントは彼が昔くれたものでもあったから、本当に神器にしてもいいのかと彼に聞いてしまったが、何も不審に思わなかった。それも今にして思えば、不自然である。
だが、もし彼に昔の記憶が戻っているのなら、辻褄が合うのだ。
「でも……ひどいよダーン。それならどうして……昔のこと思い出してるなら、どうしてあたしに言ってくれなかったの? 王女だって、知っていたなら、なんであの時あんなこと言ったの! あたしばっか苦しんで……王女だって言い出せなかったの、ずっとずっとツラくて、苦しかったのにッ、最初から知っていたなんてッ!」
涙を溢れさせ、父親を始め何人も見ている中で、彼女は感情むき出しの金切り声で彼を責め立てる。
「それは…………俺たちはもうあの頃の……子供じゃないんだ。お互いの立場がわかっているんだ。仕方ないじゃな――」
「知らないわよッ! そんなことッ!」
叫ぶように言い放って、ステファニーはダーンの頬を思いっきり叩いた。
「意気地なし! ひどいわ! あたしは、いっぱい努力して、必死になっていろんなコト覚えて! あの子……リリスには勝てなくても、いい勝負できるくらいになったのに。ダーンは、あたしのこと一番に思ってくれてない! あたしが、ホントは捨てたいものに、王家の価値観を優先するなんてッ! 信じらんない! ソルブライトもよ。なんで教えてくれなかったの? ひどい――」
ステファニーは、両手を首の後ろに回し、ネックレスの留め具を外すと、ソルブライトが宿る神器たるペンダントを、ダーンに投げつけた。
『ステフ!』
ソウルブライトの念話も空しく、緋色の宝玉は乾いた音を立てて床に落ちる。
「――――ッ」
投げつけられたペンダントヘッドを額に受けていたダーンは、その額に滲む赤と痛みを無言のまま受け入れることしかできなかった。
そんな彼を置き去りに、蒼い髪の少女は踵を返し、その場から走り去って行った。
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