紫の雷光が少女を包み込む。
その輝きに、さしもの魔神も眼を片手で覆うが、霞む視界に捉えたのは、虚空に形成された膨大な量のプラズマ、その塊に少女の体が包まれるところだった。
周囲の大気をプラズマ崩壊させ、轟音を奏でるが、それにもまして響くのは神狼の咆哮。
プラズマで形成された雷球の前で、それを守護するかのように雄々しく立つ。
「何をする気じゃ?」
アガレスの詰問に答えるわけではないが、まばゆい光を放つ雷球から少女の澄ました声が聞こえる。
「雷光で見えなくなるのはいいけどさ……てっきり、裸にされて晒されるかと……」
『お主のその裸体では、見せびらかしても単なる犯罪でしかないだろう? せめてもう少し育たないとな』
「……よし! まずはナイトを毛刈りしてやろう」
リリスの無邪気かつ怒気を含んだ言葉に、さしもの銀狼も僅かに怯んだのか、耳を伏せて咆哮のトーンが弱々しくなるが……。
やがて、雷球が形を崩し、光がおさまっていくき、少女の姿が顕わになって、最後のプラズマが虚空に散る。
リリスは――!
「――って! ちょっとぉ……なによ、これぇッ!」
銀の狼がごとき、とがった耳とふさふさの尻尾を生やした少女が、己が姿を認めて絶叫した。
☆
リリスの姿は身長や顔などに変化はない。その見てくれは確かに人なのだが。
ツインテールの間、頭部に狼の耳が起立し、銀の尻尾がお尻から生えて、しかも動いていた。
着ていた衣服も、黒を基調とした皮のような素材で新たに構成されており、白銀の毛皮マントが背中に翻る。
尾てい骨付近のスカートに穴が設けられているようで、尻尾が振れてもめくれるようなことはなかったが……。
『ま、一応獣化してるからな。変化は最小限ではあるが……』
「こ、これ……耳とかも自分で認識できるし動く……ホンモノ?」
『ま、耳は音と言うよりは、あらゆる波動を捉えるセンサーのようなものだ。本来のお主の耳がちゃんと残っておろう?』
「むー。……とりあえずあとでじっくり聞かせて貰う。……さ、お爺ちゃんお待たせ、始めようか」
緋色の目を銀狼から、こちらを物珍しそうに眺める老人に向けるリリス。
「ヒャッヒャッ……なかなか面白い手品じゃな。つい仕掛けずに見入っておったわ」
アガレスはリリスを一瞥し小馬鹿にしたような口調で応じて、杖を構え直した。
「手品ね……。それじゃあ、こういうのは、どう?」
両手を腰にあて、肩をそびやかすリリスは、意識を周囲の空間にもっていき……。
空間の構造を把握したあと、瞬時にその情報を書き換えていく。
「ぬ……、させぬわ!」
アガレスが何かに気がつき、杖から膨大な魔力を大地へと打ち込んだ。
すると鍾乳洞、いや、このあたり付近一帯が鳴動し、大地が振動を始める。
「遅いね……」
リリスは口元を僅かに綻ばすと、右足の踵で大地を踏みならす。次の瞬間、大地の鳴動は収まり――
現実が彼女の思念に浸食され変化しはじめた。
地底湖や鍾乳石だらけの岩肌は姿を消し、何もない、平坦な岩肌の大地がリリスの足元から瞬時に広がっていく。薄暗い洞窟の景色は一変して、岩壁も境界すらもわからない無限とも思われる荒野が広がった。
一瞬にして、周囲の世界が豹変したのを視界に収めつつ、魔神アガレスは忌々しく舌打ちをする。
「《具象結界》……しかもダイレクトに干渉するとはの。サイキックというやつか」
アガレスはさらに警戒心を強める。
先ほど魔神は、《具象結界》をリリスが張ろうとしたことに気がついた。
さらに、阻止できるタイミングと感じていたはずなのだが……。結果は間に合わなかった。阻止の手立てを先に講じ発動させたにもかかわらずだ。
結界などは、魔法や法術で形成するよりも、サイキックで形成する方が、精霊などの仲介がない分、瞬時にその結果を構成できる。
アガレスは、初めて対戦し目の前にしたサイキックの超常現象、その発動の早さに驚いていた。一方、魔神達は、この世界では構成元素に縁がない分、魔法により活力を変質させて、超常を引き起こしたりするため、僅かにタイムラグが発生する。
このリリス相手では、そのあたりの速さの差が勝敗を決めることもあると警戒したのだ。
だが、リリスは、警戒を強めてきたアガレスの様子に肩をすくめて……、
「あ、お爺ちゃんはそんなに警戒しなくていいよ。この結界は中にいる人には影響ないから。あくまでも、戦闘を行うための舞台を作っただけ」
と、あっけらかんとして、応じる。
リリスとしては、この後行われる戦闘の苛烈さを考えて、近くで寝ている二人に危害が発生しないように配慮しただけだった。
彼らは、この《具象結界》には取りこまず、外で仲良く夢を見ていることだろう。
――森羅万象の理が見せる夢を……ね。
リリスは、外の二人が今頃どのような状況にあるのか思いつつ軽く微笑むと、昏い洞窟から空間そのものが僅かに光を放って明るくなった結界内、銀狼とともに取りこんだ相手を見定める。
その彼女の意図を全て理解していたわけではなかったが、ここで、さすがに魔神の方が自尊心を刺激されていた。
「……どちらにしろ、少し図に乗る小娘じゃて」
アガレスは額に血管を浮き立たせ、その怒りを、魔力に乗せて凶悪な殺気を放つ。
手にした杖が禍禍しい瘴気を放出し、それをリリスに構えた。
そして……。
その杖からは、絶大な力の奔流が放たれた。
それは衝撃波の束だ。射線上の大気分子を崩壊させて、ドス黒いエネルギーの奔流がリリスにせまる。
「ちょっ!」
慌てて両手で防御障壁を張り衝撃波の束を受け止めるも、リリスは後方に弾き飛ばされた。銀狼が気怠そうに、空中に舞う少女の身体を見つめる。
「ぬ? 意外とたいしたことないの」
牽制のつもりで放った衝撃波が意外と効果があったと判断し、アガレスはほくそ笑む。
「は? ちょっといきなりだったから驚いただけなんだけど」
弾き返されながらも、空中で器用に一回転して、難なく着地するリリス。
「ま、うん。さすが魔神の一柱ね。でも……」
リリスは虚空に右手を差し出す。対するアガレスは、またも電撃がくるかと、杖を構えるが……。
リリスは虚空に手を差し出したまま、何もしてこない。
「なんじゃ? もう弾切れか」
「違うよ……。あ、お爺ちゃん、私は剣士なの。とっておきの剣を見せてあげるね。……さあ抜刀よ、私のタキオン・ソード《紫電の剣狼》」
リリスの声とともに虚空に強烈な紫電が対流し、エネルギーが飽和していくと、物質化してそれは少女の背丈ほどある見事な大剣になった。
「なッ? タキオン・ソードじゃとぉ!」
リリスの言葉と、突如虚空に顕れて彼女の手の中に収まった大剣を見て、アガレスは驚愕の声を上げた。大きく見開かれた目に、微かに紫電を走らせる両刃、その中心に豪奢な文様が刻まれた大剣が写っている。
「私だけじゃ、私の力は収束できないけど、ナイトがサポートしてくれれば、自在に使いこなせる」
『……お主の力は強大なだけだからな。あんなモノを最大発動させては、敵どころか大陸ごと消失しかねん』
銀狼はまるで溜め息を吐くかのように念話で応じ、再び彼女のそばに移動する。
「ぬうう……神界の伝説にある超常の剣、その模造品を神々が造ったとは聞いていたが……」
アガレスは杖を握り直し、巨大なワニの背から大地に飛び降りる。
「これはレプリカじゃないよ、お爺ちゃん」
「何?」
剣のように杖を両手で構えたアガレスは、リリスの言葉に怪訝な表情となる。
「オリジナルのタキオン・ソード、七振りある内の一振りよ……って、お爺ちゃん達はそこまでは知らなかったかな」
リリスは自分の背丈ほどある巨大な剣を、右手一本で軽く振り回し、片手で正中付近に構えた。
「痴れ言を……。かつての神王達が手にしていたというが、それこそアテのない話じゃ。…………まあよいわ。その剣、本当に超常の剣ならば、あの娘を手に入れるついでに、よい手土産になるじゃろうて……クカカカッ」
嗄れた声で再び笑い、アガレスは杖に瘴気を纏わせると、その先端を隣の巨大なワニの背に刺した。
ワニは悲痛の咆哮を上げて、その肉体が形を崩し、黒い煙となって杖の先へと吸収されていく。
「ワシも力を司る魔神じゃ。剣士が相手とあらば、その気にもなろうぞ」
ワニの肉体を全て取りこんだ杖は、さらに禍々しく変形し、いくつか枝分かれした刀身を持つ長大な剣になって、アガレスの手に収まった。
「趣味悪い剣ね……」
「ヒョッヒョッヒョッ……。否定はせんよ小娘。これは一振りであらゆる災禍を相手に刻む呪いの一刀じゃ。生意気な神霊の小娘、二度と転生できぬよう、その魂まで呪ってくれようぞ」
アガレスは言い放ち、その身に膨大な魔力をほとばしらせると、その老体からは想像しがたい速度と迫力をもって、対峙するリリスへと突進していった。
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