ひんやりとした風が奥の暗闇から吹いて、足下を抜けていく。
右手に持つ理力ライトの強力な光は、太陽光に近い色温度で、鍾乳洞の暗がりを煌々と照らし彼らの不安を軽減してくれていた。
「中は真っ暗か……」
少女のすぐ後ろを歩いていた少年剣士ダーンはぼやく。
彼の胸中は穏やかではなかった。
他国の……しかも世界最大の理力国家の第一王女が、自分以外の護衛を用意せずに、このような場所に、こんな夜遅くにやってきて遊んでいるのだから――。
万が一にも、ステファニーに何らかの危害が加わった場合、自分たちはレビンやアテネ王国王家に何を言われるかわかったものではない。
さらに、当然のことながら、アーク王国を怒らせることにもなるだろうし、最悪アテネとアークの戦争になりかねないのだ。
今さらながら、背筋が凍る気分だが、視線を当のステファニーに向けてみれば、夜の鍾乳洞という不気味さに、若干の強ばりがあるものの、琥珀の瞳は好奇心に輝いている。
「あ! 見て見て、コウモリの小屋だって」
鍾乳洞の入り口部分から少し入ると、かなり広めの空間があり、ステファニーが何やら見つけたらしく、声を弾ませてダーンの手を握り引っ張った。
ステファニーの指し示す方向、入り口から入って左側に、洞窟内に作った小屋があり、大きなガラスの向こうには小屋の中で飼育されている空飛ぶ哺乳類の姿が何十匹といた。
ステファニーが当てた理力ライトの光源に驚いたのか、黒い小さな影が、小屋の中を飛び回る。
ダーンは、絹のような肌触りがしっとりと自分の手を握ってきた感触に、顔が火照るような気分になったが──。
──なんだ? なんか、調子狂うな……。
初めて味わう感覚に筆舌しがたい気分のまま、ステファニーに連れて行かれるダーン。その姿に、リリスは少しだけ口をとがらせたが、すぐに肩をすくませて、二人に近づいていった。
「……そのコウモリは、ここの鍾乳洞が観光地として掘り起こされる前から、洞窟内に住み着いていたモノを飼っているの」
ステファニーに並んだリリスは説明しつつ、ダーンの手を握っていた反対側の手を取ると、ガラス張りの小屋、その壁の端にある軽金属製の扉の前に彼女を連れて行く。
すると──
「わあっ! 集まってきた!」
ステファニーが歓喜の声を上げる。
少女達が小屋の入り口と思われる扉に近づくと、ガラスの向こう側にいるコウモリ達は、扉のすぐそばにたくさん飛来して、コウモリの部屋と扉の間に張られた金網に、逆さに留まって集まっていった。
「ここのコウモリ達は飼われてるからね。この扉近くに人が来ると、餌をくれるんじゃないかと期待して集まってくるの」
リリスの説明通り、集まってきたコウモリ達は、くりくりの黒目をこちらに向けて、なにやら期待したまなざしだ。それに──
「なんか可愛いっ」
コウモリのイメージが、夜の闇に舞う怖いものだったステファニーには、その姿はあまりに意外だった。
子豚のような鼻をひくつかせて、くりくりの黒目が見つめてくるし、羽は黒くてが体毛は茶色くモモンガのような毛皮で、身体も小さくなんとなく愛嬌もある。
逆さにぶら下がるところも、奇妙で独特な可愛さがあった。
「はあ……やれやれだ……」
ダーンは、「コレ、ペット用にお土産で売ってないのかな?」とはしゃいでいる黒髪の少女を横目に見つつ、諦めの溜め息を漏らすしかなかった。
☆
鍾乳洞の入り口付近から、なだらかに登る形の洞内は、観光用に整備され、足下の滑りやすいところは、金属製の道板が敷かれていた。
さらに、しばらく進むと理力ライトでライトアップされた区域に差し掛かった。
入り口付近は真っ暗だったのに、鍾乳洞の奥の方は灯りが点いている。
「なんでライト点いてるの?」
ステファニーの漏らした疑問に、またもリリスが我が物顔に答える。
「奥の方は、暗くしておくと野生のコウモリが住みついちゃうからよ。明るくしておけば、夜行性のコウモリ達は入ってこないからね。入り口付近は飼っていたコウモリが眩しがるから灯りを落としてるんだと思う」
その説明に真偽のほどはわからないが、その先の洞内は、理力ライトを持ち込まなくても十分な明るさであった。また、観光用の整備されたライトアップであるから、鍾乳洞の状態もよく見て取れる。
「初めて見るけど……幻想的でいいわ……」
周囲の黄色みを帯びた乳白色の岩肌を眺めつつ、ステファニーが興味深そうに魅入っていた。
「……こういう自然的なものには興味なさそうだったが、意外だな」
ステファニーがあまりに無邪気に周囲を眺めるからなのか、ダーンもその姿に感慨を洩らす。
「んーん、あたしこういうの大好きよ。図鑑とか読みまくったし、その、なかなか外には出させてもらえないから……って、何言わせるのッ」
王宮での生活の一端、しかもネガティブなところをつい話してしまって、ステファニーは赤面しつつそっぽを向いた。
「あ……いや……なんかスマン」
ステファニーのその仕草につい心拍数が上昇したダーンが、その理由もわからぬままに曖昧な謝罪を返すが――端から見ていたリリスとしては少々面白くない。
「……随分と仲が良くなってない? ステフとダーンお兄ちゃん」
憂さ晴らしにリリスが追及すると、途端に当事者の二人が赤面しつつ、リリスの方に向き直り同じ台詞をハモらせる。
「だれがこんなのとッ!」
そして、お互いつい口走った言葉を反芻し、我に返って後悔するしかなかった。
リリスは、そういう二人を見て少し胸の痛む思いもあったが、同時に察してしまう。自分ではない神代の時代に生きた魂の残滓が遺した切ない想い。《雷神王》という太古の闘神が闘い以外に向けた唯一の興味。
「悪態吐いてても息ぴったりね……なんか、いやらしいな~」
幼い胸中に芽生えた神代の記憶を押し込めるように、歳の割に口達者な少女としての意地悪さと、ほんの少しの友情を含ませて、リリスは二人をからかうように言ってやった。
「い、いやらしくないもんッ。ダーンがスケベなのは知ってるけど、あたしは違うし!」
「おいッ。なんで俺がスケベなんだよ?」
「だって! ダーンはあたしのスカートめくってパンツ見たじゃん」
「な! あ、あれは事故だ! 俺は剣の稽古で、必死になってて……というか、もう少しでナスカに勝てるかもと思っていたのに、あの時パンツが…………あ、いや、それは俺が未熟なせいなんだが。その……あー、クソ。何が言いたいかわかんなくなってきた」
ダーンがなにやら一人頭を振って、自分の言葉に自問し始めるが。それを見ていたステファニーは、ふと柔らかく笑みを浮かべて、ダーンに近づくと再び彼の手を握りしめた。
「あたしが勝手に道場に立ち入ったのが悪かったのよね、冷静に考えると。だから……ごめんなさい、ダーン。大切な稽古の邪魔しちゃって」
ステファニーのまさかの謝罪に、言われたダーンよりも端で見ていたリリスが面を喰らっていた。
――そこで謝罪って、これ天然よね? 破壊力抜群なんだけど。
リリスの思うとおり、ダーンはそれこそ端から見ていればとてもわかりやすい顔をして、しどろもどろに謝罪を返すのだった。
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