タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

せせらぎのほとりにて

公開日時: 2021年6月1日(火) 01:17
文字数:3,499

 太めに削り出した竹串に鮎を刺しながら、琥珀の瞳はチラチラと双子の妹を見ていた。その妹カレリアは、川辺に座って、素足を水面にさらしながら火照った身体を冷ましているように見える。生まれ落ちて十七年余、未だかつて、こんな余裕のない妹の姿を見るのは初めてだ。



――あのカレリアがねぇ……



 子供の頃から、カレリアは冷静沈着だった。双子の姉のように天才と持て囃されたわけではないが、頭脳明晰であらゆる科学論文を幼少の頃から読み漁ってそれを理解し、十を超える前から王立科学研究所のメンバーとしていくつかの成果を上げていた。


 姉と少し違うのは、あらゆる事象を俯瞰していることだろう。


 本来は自分自身に関わることも、どことなく他人事のように捉えているようなのだ。だから常に余裕がある振る舞いができるのだった。


 その彼女が、先程から酷く動揺している。焔の一族頭領・不知火カイが、胸の谷間に顔を埋めてしまう事故があったせいだが、ステファニーはカレリアの本気の悲鳴を初めて聞いた。


 以前、彼女が精霊王・水神の姫君サラスであることを隠して、その神殿に一緒に行った時も、水着姿でその胸の谷間にダーンの腕を挟んでみせ、姉を挑発したくらいなのに。



――これは、もしかしてもしかするかも?



 妹の身に起こった異国の地でのまさかのロマンスに、姉としては盛大に期待してしまうわけだが……。


 ふと、ステファニーは視線を移して、隣で串に刺した鮎に塩をつけている小さな少女を見下ろす。桃色の髪がふわふわと揺れているのがとても可愛らしい。この可愛らしさで、あの猛毒を言葉に込めなければなぁと、ステファニーは残念に感じるが、この娘はあの忍者少年の幼なじみだという。


「ったく、あの忍法・公然わいせつ野郎は、よその国のお姫様にまで毒牙にかけるやがりましたね。もう、ここでイチモツを削ぎ落として、それをエサに罠作って猪でも狩りますかね。今夜の夕餉は猪鍋です」


 不機嫌を僅かに滲ませ、鈴のような美しい声音が毒を綴る。その妙なギャップが、ルナフィスやエル達には可愛くてたまらないようだが。


「ねえ、カスミちゃん」


「なんですか? アークの国宝級乳姫様」


「ぅぐ……あ、あのね、カイくんのこと気にかけてるなら、もう少し素直になった方がいいかなぁって」


 辛辣な応答にめげずに、ステファニーは優しく言葉を紡ぐ。心の片隅で、妹のロマンスにとって最大の障壁になると感ずにはいられないが、この素直になれない少女の事情には、なんとなくステファニー自身にも通ずるものがあった。


「気にかけるってよりも、監視しているとか躾けているとかそういうやつですがね、わっちの場合」


「それは、焔の巫女として刻印を持つ頭領を見ているからなの?」


「そのとおりです。ご理解が早くて助かりますね」


「じゃあ、幼なじみの男の子として見たらどうなのかなぁ? 小さい頃からずっと見てきたんでしょ?」


「……」


「ん?」


「……に……を……馬鹿げた……を」


「え? 声小さくてよくわからないわ」


「何を馬鹿なこと言ってるのって、言ったんだもんッ」


 カスミのその反応に、ステファニーは一瞬あっけにとられた。先程毒を吐いたその唇から奏でられたのは、なんとも初々しい恥じらいを混ぜた、せめてもの反抗であった。なるほど、言葉の猛毒を吐きまくるのは、やはり仄かな想いの裏返しとこの少女の負けず嫌いなところが、拗らせているからなのだろう。


「あ……うん、確かに馬鹿なことだったかも……変なこと言ってごめんね」


 あまり追い込むとよくないと察して、ステファニーはお茶を濁した。


「ご……ご理解が早くて助かります……うー」


 少し恨めしそうにステファニーを見上げるカスミ。


『そういえば……とある国の姫君が、意中の朴念仁男を完膚なきまでに屈させた話がありますが……興味おありでしょうか?』


「ソルブライトッ」


 ステファニーの胸元に光る紅い宝玉が念話を飛ばし、その発言にステファニーが狼狽する。それを目にして、カスミはにんまりと笑い瞳を輝かせた。


「ほほう……それはとても興味がありやがりますね。しかし、まさか溢れんばかりの巨乳で窒息させたとかそーゆーオチじゃあないですかね?」


『巨乳で窒息寸前は別の機会にお話しするとして、今回は異性のハートを射止めるにはまず胃袋からというお話です』


「あ、あるんだ、巨乳で窒息案件……冗談だったんですけどねぇ……」


 白い目でステファニーの胸を見るカスミ。身長差のせいで、視線の近くに大きな膨らみがあるため、なお恨めしいようだ。


「そ、そんな案件なんかないわよ」


 視線が泳ぐステファニー。その隙を狙うかのように、ソルブライトが滔々と語り出した。





     ☆





 熾した炭火を見守りながら、ダーンはそわそわと落ち着かない自分自身を誤魔化していた。少し離れた位置には、ステファニー達が女子同士の話で盛り上がっているが、少女達の言葉そのものはよく聞こえない――というよりも聞かないようにしていた。


 だが、念話で話すソルブライトの言葉だけは、脳内に直接明瞭に聴き取れてしまうのだ。


 ソルブライトならば、念話の聞こえる人間を個別に指定して話すこともできるだろうに――


「わざと聴かせてるな……」


 少し苦々しく言葉が漏れてしまう。


「へ? どうしたんだ」


 ダーンの言葉に怪訝な顔をするカイ。彼には今のソルブライトの念話が聞こえていないようだ。


「あ! いやいや何でもないんだ。それより、そのなんだけど……顔がだいぶニヤけてるぞ」


「へ? そ、そんなことはないぞ、うん」


 カイはお茶を濁して、きりっとした表情を無理矢理作った。だが、その顔に炭火の熱が当たり、ジワジワと肌を暖めると、徐々に表情筋が緩んでしまう。今感じている熱さとは全く違う、柔らかな温かみと涼しげなミント系香水の香りがフラッシュバックしていたのだ。


「わかりやすいなぁ……」


 残念な緩い表情を浮かべる少年忍者を横目に、ダーンは彼に聞こえない程度につぶやく。そして、視線をカイとは反対の方向へ向けた。

 そちらには、離れた位置にソルブライトの語る話に盛り上がるカスミと顔を真っ赤にして羞恥しつつ押し黙るステファニー、さらにシズメが加わって囃し立てているのが見える。その手前、素足を川の岸辺にさらしているカレリアの姿があった。


 カレリアは、足先に揺れる水面をぼんやりと眺めつつ、軽い溜め息を吐いていた。丸めた背中、太股の下に腕を回して座る姿は、なんとなく思い悩む少女の姿だ。


 付き合いの短いダーンにとっても、こんなカレリアは意外だった。今回は潜水艦アルゼティルスの艦内に残っているアーク王国客人剣士、ケーニッヒ・ミューゼルがこの姿を見たら、いったいなんて言うだろうか。


 

――ん? まてよ……



 ふとダーンは別のことに思考が巡る。


 カレリアとケーニッヒは、ダーンがアークに来る以前から、王立科学研究所のスタッフとして、そこそこ長く親交があるようだ。普段の二人を見ていると、言葉遣いは丁寧だが随分と遠慮のないやり取りをしているように思える。


 もしかすると、あの二人の間にも特別な感情が芽生えていたりするのだろうか?



――いや、ないかな、うん……



 カレリアのことはよくわからないが、ケーニッヒについては、彼の興味の向く先が見えている。ダーンは、ステファニー達の後方で、野外用のテーブルに食器やソース類を並べている銀髪の少女に視線を向けた。伸びた銀髪の襟足を一つにまとめて結い上げ、セパレートとなった緋色の水着に、長めのティーシャツを着ている彼女は、テーブル上の作業のため、前かがみでお尻をこちらに向けている姿だ。



――おっと……イカンイカン……



 つい視線がティーシャツの裾から覗く緋色の小さな布地に行ってしまって、慌てて視線を戻すダーン。


「よく考えると、ここは色々危険だよなぁ」


 自ずから漏れ出す言葉に、それを聞いていたカイが夢心地から半ば醒めて、ダーンの方を向き直る。


「まだそんな風に感じてるのか、ダーン達は……」


 少し言葉のトーンが下がるカイ。それにハッとして、ダーンは訂正しようとする。


「そうじゃなくてな……ちょっと耳を貸してくれカイ」


 ダーンはカイに近づくと、手で口元を隠して口の動きを他から見えないようにしながら、小声で囁く。


 ダーンのその言葉を確かに聞いて、カイは少しだけ表情が緩んだ。


「確かにそうなんだけどさ……やっぱりダーンでもそういう風に女子をみるんだなぁ」


 ダーンにだけ聞こえるようにカイも言葉を小声で返し、妙なところで意気投合する思春期の男達。


 しかし――


『残念ながら、私にはしっかりと聞こえておりますので悪しからず』


 ソルブライトの念話がダーンとカイの脳内に直接響き、肩をすくめ合うのだった。

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