「死ぬかと思った……」
ステフの抱きしめから解放されたダーンの一言目である。
「そんなに夢心地だった? 天に召されますぅとか?」
からかいつつ、ステフは枕元に畳んであったナイトガウンに手を伸ばした。
本当は、彼の瞳を覗き込みつつささやきかけなければ最大の効果が得られないのだが……。
正直そこまでする度胸はない――と言うより、今視線を合わせたら死ぬんじゃないだろうか。
「違うッ。窒息するかと思ったんだ!」
顔を未だ羞恥に赤く染めたまま、ダーンはそっぽを向いて言い捨てる。
「大げさよ! 胸の中で窒息なんかするもんですか……馬鹿なの?」
ナイトガウンを羽織りつつ、ステフは何とか作りだした澄ました顔で言い返した。
その言葉にダーンはこめかみのあたりを指で掻きながら、
「…………結構真面目に言ったんだけど」
そんなダーンにステフは、じとっ……とした視線を向けて低い声で言う。
「ふーん……どうでもいいけど、そのニヤけた顔何とかしてから文句言ってくれる」
言いつつ、ステフの視線はダーンの方を向いているのに、妙に焦点が合っていない。
それに朴念仁のダーンが気づくわけがなかった。
「に、ニヤけてなんかないぞ!」
すぐさま反論するダーンだったが、その割にどもってしまうのは何故だろうか。
「どうだか……ダーンの力なら、あたしの腕の力なんかすぐ振り解けるくせに……何時までもあたしの胸にうずくまってるんだから……ヤラシー」
「なんか理不尽だーッ」
「まあ、ご褒美は終わり……あたし着替えるから自分の部屋に戻るわね」
その『ご褒美』とやらには、今のからかわれるのも含まれているんじゃないだろうか?
そんな風に感じながら、ダーンは深いため息を吐いて、
「ったく……それにしても、もう一人で大丈夫なのか?」
そのダーンの問いかけに、表面上の冷静さを取り戻したステフは意地悪な笑みを視線に込めてくる。
「昼間に町中で襲ってくるとは思えないから大丈夫よ。なに……それともあたしの部屋来て、一緒にシャワー浴びたり着替え手伝ったりまでする気?」
当然冗談だろうが、随分と楽しそうな声のトーンで言ってくるステフ。
彼女のその声の調子と、改めてその顔を視界に捉え、ダーンは内心ほっとしていた。
どうやら、昨夜のような脆さはなくなり、彼女は調子を取り戻したようだ。
それにしても――
昨日、森の中で魔物に襲われていたところを助けた時から、美しい女性だとは感じていたが……。
こうやって、明るいところで改めて見ると、正直まともに視線を合わせるのが気恥ずかしいくらいに美しい女性だ。
あるいは、寝起きの女性とこのように接するのは初めてのことだからかもしれないが。
昨日の印象よりも、彼女の顔や肌から感じるイメージが随分と瑞々しいようにも感じる。
もちろん、自分が彼女からそんな印象を受けていることは絶対に悟られたくはない。
さらには、その豊満な胸を利用してまでからかわれた立場としては――
ここは少し突き放すような感じで言い返そうと思う。
「あー……もういい、充分大丈夫だってわかった。それじゃあ支度できたらここに来てくれ。朝食をとったら君の言う遺跡に出発しよう」
結局、ダーンの言葉はイマイチ突き放しきれないものだった。
☆
――またやってしまった……。
廊下に出て扉を閉めた直後、ステフは、今一度溜め息を吐きつつ、恥ずかしさに身もだえた。
――しょうがないじゃない……嬉しかったんだもん。あたしにしては随分と素直すぎて、むしろ人間的成長を褒め称えたいくらいよ。
自分で思い浮かんだ『素直』だの『成長』だのという単語から、ステフはふとアークでの生活環境を思い起こす。
幼少の頃から色々と面倒を見てくれているメイド長。
彼女は、いつも「素直にしろ」だの「おしとやかな振る舞いに気を配れ」だのとうるさかったが。
――今のあたしの素直さを見たら……間違いなく卒倒するわね。
もちろんその後、「はしたない」だの「自分のお立場を考えろ」だのと説教が小一時間位続くだろう。
だいたい、あのメイド長は無理なことを要求している。
そもそも、自分の教育係があのスレームという時点で、おしとやかな女に育つわけがないのだ。
話が随分と脱線したような気もするが、とにかく、やってしまったものは仕方がない。
その後の口八丁――スレーム仕込み――によって、何とか年上のお姉さんがチェリーボーイをからかったように見せかけたはず。
薄いTシャツの生地越しに、ダーンの暖かい吐息がノーブラの肌に吹き込んだときは、ビックリして思いっきり抱きしめてしまったが。
あれも当の本人は窒息しそうだったとか言ってどうもこちらの動揺に気がついていない風だ。
むしろ、ここは開き直ろう。
よし、結果オーライ。
今日一日の始まり、そのイニシアチブはこちらがいただいた。
自分の部屋の前で小さくガッツポーズし、ステフは室内に入っていく。
「忘れてたわけじゃないけど……早めにミランダさんに謝らないと」
部屋に入って、室内の状況を見渡しステフは溜め息交じりに呟いた。
ベッドの上のガラスやら、床の血痕は昨夜のままだ。
取り敢えず入り口に鍵を掛け、ソファーの上に置きっぱなしだった背負いバッグに向かう。
バッグの中から、アークから持ってきていた新しい下着類を取り出し、そのパステルカラーの色彩を捉えた瞳が、ちょっとだけ輝きを増した。
それは、アーク王国の宮廷で勤めるメイドでありながら、女性用下着をデザインし、オーダーメードを請け負う女性がやたらと勧めてきたものだ。
オーダーメイドの上下セットで、薄い桜色の生地はシルク、上も下も色調を微妙に変えた何種類かのレースが舞い散る桜のイメージを持たせる。
特に上は、お気に入りの桜の白い開襟シャツに合わせてある。
軽く下が透けても違和感がなく、むしろ咲き乱れる魅力と微かな色香を演出できるよう計算されていた。
明らかに、男性の視線を意識した作り手の思惑を、ステフ自身が知らないはずないが。
その下着を手にした彼女は「べ、別に変にアイツを意識して持ってきたわけじゃないんだけどッ」と一人口の中で言う。
さらに、宿でクリーニングしてもらっていた桜柄の刺繍が胸に入ったお気に入りのシルクシャツ。
持ってきたものの中では一番丈の短いローズレッド色のプリーツスカート。
この二つを取り出し、ステフはシャワー室に向かう。
彼女本人は気がついていなかったが……鼻歌交じりに歩くその歩みは実に軽快だった。
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