タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

蒼穹の絶界

公開日時: 2020年12月2日(水) 12:44
文字数:5,613

 焦点の合わない琥珀の瞳が、必死になってその姿を確認しようとしていた。精神を穢す魔力を大量に受けてしまったその肉体は、魔湯を抜け出てもその影響から立ち直ることはできない。自由に動かない四肢は、少女にもどかしさしか与えてこなかった。


 手足が自由に動くのなら――


 抱きかかえられたこの状況を利用して、腕を彼の首に回して、思いっきり抱き締めるのに。


 ずっと心が満たされなかった苦しさから、開放されるはずなのに。


「ステフ! 大丈夫か?」


 ダーンが心配そうに声をかけてくる。全身が小刻みに痙攣を繰り返して、意識が朦朧としているのだから、当然心配なのだろう。


『ダーン、私をステフの方に移してください』


 ダーンの胸にある赤い宝玉から、ソルブライトの念話が伝わってくる。


 一方――


 赤い髪の魔神は、半ば呆然としていた。


 城外から、城壁を吹き飛ばして突入してきたのは、昨日の戦闘でも見た剣士ダーンで間違いない。蒼穹のごとき蒼い髪、整った鼻筋に、蒼穹の瞳は、見紛うことがなかった。


 これまでも重要な局面で、ことごとくリンザーの邪魔をしてきた剣士だ。当然苛つくことも多かったが、所詮は格下の存在でしかなく、いつでも抹殺できると考えていたのだが。


 そのダーンが、まるで別人のように見えてしまう。


 圧倒的な存在感と、魔神の魂すら震い上がらせるほどの強烈な闘志を宿す神眼は、明らかにリンザーを超える格の持ち主と知らしめていた。


 呆然としながらも、リンザーはすぐに対処を考え始める。だが、あまりのことに思考が追いつかない。


 そのため、リンザーを前にして、ダーン達はステフの容態を確認する僅かな時間を得ることができていた。



「も、もう! 一人で行かないでよ」


 ダーンが開けた城壁の穴から、虚空を飛翔して、ルナフィスが立ち入る。その視線に、ステファニーの姿をとらえて、まずは最大の目的を遂げることができたと安堵する。


 そのルナフィスは、この島に到着してすぐに、島内を警備する魔物達の多さに戦慄し、いかにしてこれら魔物に気づかれないように城内に侵入するかを考え始めていた。

 

 むしろ、あまりにも多勢に無勢であったために、一度アークに帰還して、対策を練り直さなければとも考えた程である。


 それが、その考えがまとまらないうちに、ダーンが隠密行動など一切考えずに、いきなり強大な闘気を放ち、真っ正面から切り込んでいったのだ。


 慌てて止めようと声をかけかけた矢先、ダーンは、崩魔蒼閃衝ほうまそうせんしょうを連続で繰り出す秘剣・凄烈蒼千陣せいれつそうせんじんを放った。それにより、敵が布陣していた陣地に魔を崩す蒼い閃光が蹂躙する。


 そして、三万もの軍勢を一瞬で跡形もなく殲滅し、ダーンはステファニーへと大声で呼びかけ、城内へ一直線に突っ込んでいったのであった。


「ホント、滅茶苦茶だわ」


 ステファニーを抱き上げているダーンを見つめながら、ルナフィスは苦笑した。その視線を、少し横へスライドすれば、嫌悪する対象の魔神が佇立している。


 途端に、警戒心を露わにするルナフィスだったが、リンザー・グレモリーの様子がいつもと違うため、怪訝に首を傾げた。


『ふむ……何やら熟考しているようだな。ルナフィス、そちらは後回しだ。まずは姫君の安全確保を優先しよう』


 ルナフィスの左耳で揺れる紅いクリスタルから、サジヴァルドの念話が伝わってくる。リンケージした際に、彼女の耳に付けられたものだが、どうやら、サジヴァルドの意識と繋がっているらしい。


「わかったわ!」


 一応、リンザーへの警戒心は保ちつつ、ルナフィスはダーン達に近付いていく。


 ダーンの腕の中、微かな痙攣を続けるステファニーは、混み上がってくる淫靡な誘惑に耐え続けていた。


 彼女は今、自我の最も深いところで、自分の精神や脳に迫る危機を認識している。たとえ、魔湯が全て蒸発し吹き飛ばされていても、身体のアチコチから侵入し、血流にも溶け込んでしまった魔力を除去することはできない。


 未だに続く、魔力の浸食と甘い誘惑。


 この誘惑に負ければ、魔力により情報の伝導ラインが繋がっているリンザーに、自分が深層心理の奥に封じ込めていた『秘匿情報』がつまびらかになるだろう。


 そう、彼女や魔神達が最も欲している、超弦加速器タキオニック・アクセラレーターの完成された理論がだ。


 そうなれば、リンザーは最強の戦力を手に入れる。これほど魔導に精通している魔神だ。超弦加速器タキオニック・アクセラレーターの理論を手に入れれば、即座にこれを活用した兵器なり魔導具を完成させるに違いない。


 いやむしろ、完成間近の魔導具があるからこそ、最後のパーツたる超弦加速器タキオニック・アクセラレーター理論を欲したのかもしれない。


「ステフ、しっかりしてくれ。もう、大丈夫だからな! ちゃんと連れ帰るから」 


 ダーンが琥珀の瞳を覗き込みながら、声をかけ励ましてくる。


『生命活動には支障ないですが、やはり魔力による精神への浸食が激しいです。ここでの完全な浄化はできませんが、なんとか食い止めましょう。デルマイーユ侯、手伝っていただけますか?』


 ソルブライトの要請に、聞き覚えのない念話が応じる形でステファニーにも響いてくる。


『了解した。破邪の波長をあてよう。ルナフィス、姫の方に移動して、手をかざしてやってくれ』


 男の念話を受けて、ルナフィスが歩いてくる。


 ソルブライト達が、なんとか魔力の影響を抑えようとしてくれているが、当のステファニーは、もうどうしようもない気分になっていた。



――だめ! 耐えられない!



 身体の奥から疼く感覚に、理性が限界を迎えていた。身体が火照り、意識は朦朧とし、そして何よりも、一番抱き締められたい男が自分を抱き上げている。


 こんな甘い誘惑に、抗えるわけがない。


「も、もう……ダメ……で、でも、ここで負けたら……気を許したら……みんな流れ出ちゃう……」


 唇を強く噛んで、最後の抵抗をするステファニー。その様子がただ事ではないと感じ、ダーンが問いかける。


「ステフ、どうしたんだ? どこか苦しいのか?」


『これは……。ステフの知識を探ろうとする探索術式がかけられています。必死に意識の防壁を張っていますが、このままでは、疲弊してしまいます。ステフ、もう大丈夫ですから、我慢しなくていいですよ』

 

「駄目よ! ソルブライトも分かるでしょ? ここで……ッ……あたしが屈したら……ふぐっ……グレモリーが、みんな手に入れちゃう……超弦加速の秘密も、それによって得る絶大な力も」


「……心配はいらないぞ、ステフ。そんなもの手に入れようと、俺があの悪魔を成敗するからな」

 

「違うの! あの力だけは、駄目なの! お父様と同じ光も時間も何もかも超えちゃう力なの……なんで、あたし……ッ……あんなもの……」


「リドル陛下と同じ……か。大丈夫だ、ステフ。あとは俺にまかせてくれ」


「でも、でも……」


「大丈夫だ」


 ダーンの力強い言葉に、ステファニーの最後の抵抗が脆くも崩れてしまう。


「う……うう……じゃあ……ね……だ……しめ……て」


「なんだ? どうすれば」


「もうダメなの! あたしを思いっきり抱き締めて!」


 欲求のままに、ステファニーは望みを吐き出す。それに応えて、ダーンが抱き上げたままのステファニーを、胸板に押しつけるように抱き締めた。


「くぅ……っあ……いいっ……の……んっあぁあああああ――ッ!」


 一際甲高い嬌声を上げて、激しく全身を脈打たせるステファニー。そしてしばらくその動きを繰り返して、そのまま意識を失ってしまった。


「ステフ……くっ……どうなっているんだ?」


 痙攣して力を失い、そのまま腕の中でぐったりとしてしまった少女の身体を抱き、その胸にあるソルブライトへと問いかけるダーン。


『致し方ありません。既に精神がかなり衰弱していましたので、これ以上抵抗をしていたら、発狂していたかもしれません。今は気を失って小康状態ですから、あとは私とデルマイーユ侯で、魔力の浸食を食い止めておきます』


 ソルブライトの言葉に、ルナフィスのかざす手を介して、月の神気を放ち続けるサジヴァルドも了承の意を伝えてきた。


「アハッ……ハハハハハハッ……やった……やったわッ!」


 少し離れた位置で佇立していた魔神、リンザー・グレモリーが、おもむろに歓喜し始めた。ステファニーの身体をルナフィスに預け、ダーンはその魔神と向き合う。


「クククッ……感謝しているわ、ダーン・エリン。貴方がステフちゃんにトドメを刺したおかげで、遂にあの娘は堕ちた」


 ダーンの視線を受けつつ、リンザーは身体を右にひねり、ゆっくりと歩き出す。ダーンの目の前を横切る形で、部屋の奥の方へ向かっていた。そのまま、さらに彼女は口角を吊り上げながら話し続ける。


「やっぱり浅ましいわねぇ、人間の小娘は。男の腕の中でなら、あっさりと快楽に身を任せちゃうんだから。どうだったぁ、その娘は? もの凄い反応だったでしょう? ダーン君もぉ、アレをおっ立てて、ムラムラしちゃうでしょ? なんなら、少し時間あげるから、ここでヤッちゃえばぁ?」


 リンザーは、喜々として、ダーンに向け嘲笑うように挑発する。ステファニーを抱きかかえたルナフィスが、奥歯をギリッと軋ませたが――

 蒼髪の男は、表情を冷たくさせて、蒼穹の神眼にゆらりと闘志を湛えていた。


「よく、さえずる魔神だな……。さっきと随分態度が違うが、なにかいいことでもあったのかい?」


 長剣を鞘から抜きながら、ダーンはリンザーへと皮肉を投げかける。


「フン……。貴方は確かに強くなったわ。私の予想を遙かに上回って、恐るべき速度でね。先程の私の軍を殲滅したところから推し量るに、その戦闘能力は、我ら魔神の最高位達とタメを張れるわよ。そこでどうかしら? 貴方、私と組んでこちらに来ない?」


 リンザーは、ゆっくりと語りながら、室内の最奥へと移動していく。それを特に警戒することもなく、ダーンは見据えていただけで、彼女の動きを止める素振りは見せなかった。


「あの程度の戦闘能力で最高位とは、異界の魔神とやらも大したことないな。お前と組んでも、俺にはなんの利益もないし、そもそもお前はここで滅びる」


 ダーンの嘲笑するような言いぶりに、リンザーのこめかみがヒクヒクと反応する。


「それは、この私の本当の力を味わってから言ってもらおうかしら」


 室内の最奥に設けられた禍禍しい瘴気を放つ祭壇に、紫紺の宝玉が埋め込まれた魔導杖が安置されていた。それを手にし、リンザーは魔力を開放する。


 石造りの古い城が、いや、それが建てられた島全体が、リンザーの魔力にあてられて鳴動を始める。元々、その島は海底火山が噴火して地層が隆起し、噴き出した溶岩が固まって出来た火山島だ。リンザーの魔力が、休火山となっていた島の火山を活性化させてしまっていた。


「へー……なかなかやるな」


 ダーンはあえて素っ気なく応じ、しかし周囲の状況を正確に読み取っていく。


 このまま戦闘になれば、リンケージをしているルナフィスは問題ないが、気を失っているステファニーには危害が及ぶだろう。ソルブライトとのリンケージは、今は自分がしている状況なので、同時に複数人へのリンケージは出来ないことから、ソルブライトの加護もステファニーには充分とは言えない。


 かといって、ダーンがソルブライトのリンケージを解いてしまうと、長剣をタキオン・ソード化できなくなってしまう。ケーニッヒに貰ったその長剣は、今まで使ってきたどの剣よりも、上質で強力な業物だったが、さすがに超弦加速したダーンの剣戟には耐えられそうにない。


 さらに、目の前の魔神は、ステフが秘匿してきた科学の至宝、超弦加速器タキオニック・アクセラレーターの理論をステフから抜き取っている。あの手にした魔導杖は、おそらくその技術を魔導的技術で組み込み、たった今完成した兵器なのだろう。


 こちらも、超弦加速タキオニック・アクセルで闘わなければ敗北は必至だ。そうなると、自分が超弦加速タキオニック・アクセルで闘うための状況を作らなければならない。


『ダーン、どのように考えていますか。ここには、防護結界を生み出す術士や女神達はいません』


 ダーンの思考を読むように、ソルブライトが秘話状態で尋ねてくる。


「具象結界を張る」


 ダーンは短く答え、長剣の切っ先をリンザーへと向ける。


『ほほう。なにかイメージがわきましたか?』


「ああ。実はリドル陛下との勝負の後、気になっていたんだ。ソルブライト、君が持っているモノの特性を利用させて貰うぞ。陛下との決着の瞬間に全てのエネルギーを食い尽くし、七年間も、俺の闘気を封じていたモノの正体だ」


『ふふ……よく気が付きましたね、ダーン。さて、貴方にはコレが何だと思われますか?』


「それは……」


 ダーンは、それの本質を声に出さずに、ソルブライトに通じるだけの念話で伝える。それは、とある武器のことだ。


『ご名答です』


 ダーンへと答えるソルブライトが、管理する異空間へと格納していたその武器の存在を開放し、ダーンへと因果を繋いでいく。すると、明確なイメージが、ダーンの意識に流れ込んでいった。


「何をしている?」


 魔力を全開にしたリンザーが問いかけるが、ダーンは不敵に笑って、神眼の煌めきを増していく。


「魔神・グレモリー、今から俺の世界へ案内しよう」


 ソルブライトが所持していた武器の性質を利用し、現実を浸食して作り替えるイメージを完成させたダーンが、力強く踵を踏みならした瞬間、ダーンとリンザーを包む世界が一瞬で変容した。


「な……に……? これは、具象結界か」


「そうだ。名付けて《蒼穹の絶界》だ。ここでは、あらゆるエネルギーが消失していくぞ。だから思う存分、お前も力を振るってくれてかまわない」


 そう言い放ち、ダーンは爆轟の闘気を開放する。


「……バカな! こんなことが……この力はなんだ?」


 ダーンの放つ圧倒的な闘気の凄まじさに、リンザーは戦慄していた。


「答えてやる義理はないな、グレモリー。知りたければ、さっさとかかってこい」


 凄むダーンの挑発に、リンザーは紅い髪を怒りの魔力で逆立てると――手にした魔導杖を起動させ、空間が撓むほどの濃密な魔力を迸らせながら、超光速で蒼髪の剣士へと襲いかかるのだった。

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