タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

灼界3

公開日時: 2020年10月22日(木) 09:04
文字数:6,938

天使長カリアス・エリンによるダーンの鍛錬は、開始から七日が過ぎていた。


 瞑想による修練が終了した後、始めと同じく真剣による稽古が始まったが、ダーン自身が驚くほど、稽古の手応えに違いが生じる。


 無論『剣聖』とうたわれた男には及ばないものの、無様に自滅したり派手に吹き飛ばされたりするようなことはなく、互いの激しいけんげきが延々と重なり合う形となった。


 恐らくカリアスは、ダーンの実力よりもほんの少し上手をいくような力のさじ加減で、この稽古を続けているのだろう。


 ダーン自身、カリアスがそのような力の調整をしていることは判っていたが、逆にカリアスの思惑を超える一撃を目指し、結果、恐ろしい速度で蒼髪の剣士は成長していく。


 瞑想の修練により得た戦いの知識を、この稽古において実践していくダーンは、《灼界しやくかい》の過酷な環境において、すでに何の苦も感じないようになっていた。


 それは、自らの闘気の繊細なコントロールにより、自己の肉体の周囲に防護幕を形成し、肺、心臓、そして血液中の赤血球に至るまで、闘気により強化して少ない酸素を効率よく活用し、息切れを防止しているからだった。


 さらに攻撃の動き自体が、筋肉だけに頼らず、洗練された闘気によるアシストが行われていた。


 そして、これらの闘気の洗練されたコントロールは、意志の力、すなわちサイキックにより行われている。



――これほどとはな……。


 一撃を捌くごとに強さと鋭さを増していくダーンの剣戟に、《灼髪の天使長》は息をのむ思いだった。


 彼に《闘神剣》の鍛錬を施す前から、目の前の蒼髪の剣士が剣の天才であること、神界にとっても重要な意味を持つ剣士であることは承知している。


 主神デウス・ラーにすらはっきりとしたことは判らないらしいが、太古の女神 《森羅万象の理》が遺した予言のとおりならば、確かに《闘神剣》を取得し得る存在だろう。


 そんな前知識があったカリアスだったが、ダーンの成長速度は驚嘆すべきものだった。


「フフ……《闘神王》か……」


 剣を斬り合いながら、口の端をつり上げる笑みと共に洩らしたカリアスの言葉。


 その言葉が聞こえたのか、一瞬だけダーンの表情が怪訝なものとなるが、その一瞬に隙が生じたとみて、カリアスが強めに打ち込んでくる。


 次の瞬間、不意打ちを受けたのは、ダーンに生じた一瞬の隙を突きにいこうと、軸足に重心を移動させたカリアスの方だった。


 強めの刺突を打ち込もうと、ほんの僅かに、軸足たる左足に体重移動させる瞬間。


 その動きを読んでいたダーンが素早く身を沈め、カリアスの軸足に対して地を這うような回し蹴りを放ったのだ。


 体重が移動している最中だったために、カリアスはまともに足払いを食らった。


 それでもなんとか後方に転げるようにして、間合いをとるが。


 その刹那、後方へ下がるカリアスに、身を沈めていたダーンが一気に地を蹴り、右手に持つ長剣が音速以上の刺突となって迫った。




「見事だ」


 自分の右肩に深々と突き刺さった長剣を見つめ、カリアスは呟いた。


「……教えていただいた成果です……でも、まだまだ未熟だ」


 ダーンは答えて、長剣をカリアスの肩から引き抜いた……が、その剣には血糊は一切なく、カリアス自身も出血はない。


 瞑想の修練で知識として知っていたが、この《灼界しやくかい》ではカリアス自身半分実体がない存在となり、剣で突き刺した程度では傷つきもしないのだ。


 もしも、この《灼界しやくかい》の作り手にダメージを与えたいのなら、まずはこの具象結界自体を破壊しなければならない。


「自らの未熟を知るのも、また成長ということだ。しかし、正直言って驚いたぞ。まさかこうも早く私に一撃を入れられるようになるとはな……」


「貴方が本気だったら、一撃を入れるどころの話ではないと思いますが。今のも苦し紛れの不意打ちですし……」


「うむ……だが、やはり大した成長速度だ……私の予測を完全に凌駕している。その部分は誇っていい。故に、予定より早いが修了試験といこうか」


「試験」


「そうだ。内容は簡単だ、この私の《灼界しやくかい》を破壊してみせることだ。方法は解るな?」


「《闘神剣》による強力な一撃……」


 そう呟いて、ダーンは長剣を握る右手に力が入る。


 稽古の終盤から、闘気の扱い方はカリアスがくれた知識の通りに、剣のみならず全身の動きをアシストできるようになっている。


 颯刹そうさつ流剣法にも、剣に闘気を伝わらせ、剣自体の強度や切れ味を強化する技はあった。


 しかし、それは剣のみにただ闘気を流し込むだけであって、無駄も多ければ肉体に寄与するものがない。


 カリアスから授かった《闘神剣》はこの点が似ているようでまるで違うのだ。


 《闘神剣》は、剣の強化はもちろん、肉体の全てに至るまで闘気の強化制御を精密に行う――端的に言えば、一つの斬撃にかかる全てを闘気で強化補正する。


 この複雑で精密さを要する闘気のコントロールを、『意志の力』により行うのだ。


 今は、《闘神剣》の基本的な技であるこの闘気のコントロールは出来るようになったが、《灼界しやくかい》を破壊する為の一撃は、基本的な技の先にある剣技だ。


 それは、単に威力があればいいのではなく、切るべき対象を意識で捉え、斬撃の全てに斬るべき意思が闘気として伝わったものである。


「もうわかるとは思うが……具象結界は現実の空間に特殊な事象を持った空間を強引に膨らませたものだ。それは風船を膨らませた状況に似ている。結界と現実空間との境界面に亀裂を生じさせれば、風船が割れるように簡単に破壊できる」


 そう説明し、カリアスは納刀しさらに続ける。


「私が築いた《灼界しやくかい》は、見ての通り地平線の向こうまで広がっているように見えるが、実際にはそれほど広くはない。まずは結界の境界面を感知すること。そしてこの境界を引き裂くことの出来うる一撃……対象を切り裂く意志を具現化した一刀を放てるかが成否の分かれ目だ」


「つまり、必要なのは……サイキックを伴った一太刀」


 ダーンの言葉にカリアスは首肯する。


「お前は既に、これまでの稽古で闘気のコントロールを自らの意志、強化された精神波で行っている。《闘神剣》の基本技については完璧だな。あとは、決め技に相当する一撃だけだ。そのためには、お前の剣に足りなかったものの本質を導き出さねばならないだろう」


「ナスカにあって俺になかったもの……」


 ダーンは握った長剣に視線を落とし呟くと、激しい稽古にも耐え抜き刃こぼれ一つないその刀身に、自分の顔が映り込むのを見た。


 ナスカが持つ長剣とは刀身の形が違えど、同じ東方の刀匠が鍛えた剣だ。


 刀身に映る自分の瞳を見て、ダーンは少しだけ自嘲を含む笑いを漏らした。




 本当はとっくに答えを知っている。




 ただそれが、ナスカとは違って実感のない対象……だから、あまり認めることができなかった。


 それでも、自分の剣に力を与えてくれるなら、信じてみよう。



 曖昧な記憶……実在したか確証のない夜。


 白い吐息と朧気な言葉。


 虚実的に感じる長く艶やかな黒髪。


 そして――確固たる存在感を示す琥珀の瞳。


 ふと朧気に、かつて月の清廉な光が注ぐ夜のとばりで、言葉と共に吐息を熱くした問答の記憶が浮かび上がる。



 剣は殺傷するための凶器か。



 剣士はただ殺すことを目的とする凶人か。



 否、目指したものは修羅ではない。



 大切な何かを守り切るための力を持つこと。



 剣はそのための武器。



 だからこそ、強くあって戦う相手の本質を見切り、守るべきを護り断つべきを斬る。




「いきます……」


 剣を正中に構え直し、ダーンは瞳を閉じ感覚を澄ました。


 自らの五感を自己の肉体から周囲に拡散させていくと、カリアスの後方数メライ(メートル)のところで、押し込めばなめらかに変形する柔軟でいてゴムのように伸縮性のある物体。

 その不思議な材質でできた壁のようなものを捉えた。


――これを斬ればいい! 


 水のように柔らかく変形し衝撃を吸収するそれを、崩壊するのを防ぐ変形を許さない神速を誇る鋭利な斬撃。


 刀身が洗練された闘気を纏い、まばゆいほど蒼白く輝き始める。


 輝く剣先を左下に一度下げ、逆袈裟に虚空を切り裂こうとするダーンの視線が、見えない結界の境界面を捉えるその刹那――




 彼の脳裏で、魅力的な琥珀の瞳を持つ幼い少女が微笑んでいた。





      ☆





 大きなガラスが派手に割れるような音がしたと思った。


 見えない壁を引き裂く一撃を逆袈裟に放ったダーンは、剣先を右上に払いあげた姿勢すで停止している。


 その彼に、夕日の暗い赤が差し込んでいた。


「見事だよダーン……合格だ」


 その声がした方向に、振り払った剣を戻しつつ視線を向ければ、右の脇腹を右手で押さえたカリアスの姿があった。


「カリアス、その怪我は?」


 長剣を鞘に収めつつダーンが赤髪の剣士に駆け寄るが、カリアスはそれを左手で制し、その場に座り込んであぐらをかいた。


「《闘神剣》の剣技は実体のないものすら斬ることも出来るからな……心配無用だ、この程度ならすぐに治る」


 そう言ってくるカリアスの右手が白銀に輝き始めている。


「治癒法術……いや、《治癒ヒール》のサイキックか」


 カリアスから受けた瞑想の修練で得た知識から、ダーンが推測するとカリアスは口元をほころばせて首肯した。


「自己の肉体に限っては、法術よりもこちらの方が早い上に効果も大きいからな。他人の場合はこうもいかんが……」


 カリアスの言葉に今度はダーンが頷く。


 治癒ヒール系統のサイキックは、その根源たる精が生命の活力に関係するもの――たとえば《水》が必要となるが、それ以上に意志の具現化である以上、対象の肉体が正常だった状態をよく知っていなければならない。


 そうでなければ治癒のイメージが上手く出来ないからだ……ただし、例外は存在するのだが。


「レモネードを用意してくれた副官殿なら、貴方の傷もあっという間に完治させるのでは?」


 ダーンの言葉に、カリアスの顔が若干赤くなったように見えたのは、夕日のせいではない。


「ぬかせッ! とまあ、今更お前に取り繕っても意味はないか……。逆に、私こそ伺いたいものだな……お前を奮い立たせた者について」


 ニヤニヤと天使長らしくない意地悪な笑みを浮かべるカリアス、その彼の言葉に、ダーンはバツの悪い苦笑いを浮かべるしかなかった。


 その蒼髪の剣士を見て、カリアスは軽い溜め息を漏らし、


「まあよいか……。お前の場合色々複雑な事情のようだからな。ただ、覚えておくことだ」


 言葉を切って、カリアスは立ち上がる。


「その剣を単なる凶器としたくなければ、その剣に明確な意義を持つことだ。……男なんざ単純な生き物だ、人間に限らずな。だが――」


 カリアスはダーンから視線を外し、東の空を見上げた――


 その方向、はるか先にはアーク王国がある。


「私を敗北させた男はな……一人の女を自らの妻としたいが為だけに、たった一人で神界に戦いを挑み、十七の階層すべてを突破して主神の元にたどり着いた。フフフッ……今でも思い出せば笑える話だが、ヤツはそれを当たり前のことだと言い切ったよ。………………ここだけの話だが、今の私も同感だ」


 カリアスの言っていることは、ダーンにとって理解が出来るつもりだったが、イマイチ実感が湧かない話だった。


 ただ、おそらく茶髪の義兄ならば、ここで互いに肩を抱き合って意気投合していたことだろう。


 そんなふうに考えているダーンに、カリアスは近づき、


「無駄話になってしまったかも知れんな……ともあれ、お前は晴れて《闘神剣》の継承者となった。まだまだ未熟ではあるが、《闘神剣》は自らが完成させる剣でもある。これからはお前自身の戦いの中で昇華していくのだ」


「了解……御指南、ありがとうございました」


 姿勢を正し感謝の言葉を継げるダーンに、カリアスは再びニヤリと笑う。


「現金なことだな……それから、私から一つ贈るモノがある。モノと言っても形あるモノではないが……剣士としての称号だ」


「剣士の称号?」


「ああ。私のセカンドネーム『エリン』だ。この名はな、《闘神剣》の継承と共に受け継がれるモノだ。《闘神剣》の剣士ダーン、今この時より、ダーン・エリンを名乗れ」


「ダーン・エリン……、名前まで変わるとは思わなかったな」


 こそばゆそうな顔をするダーンに、カリアスは意地の悪い視線を向け、


「フルネームで、ダーン・エリン・フォン・アルドナーグ……長ったらしい名前になったな」


「え……そっちからダメだしですか……」


「別に……長いと言っただけだぞ」


 しれっと言って、カリアスは再びその場に座りあぐらをかいた。


 そして、真面目な顔に戻って、ダーンを見据える。


「さて、お話はこれくらいにしよう。どうやら、この近くでお前の仲間達が戦闘中のようだ。力になってやれ、ダーン・エリン」


 そう告げると、カリアスに対しダーンは怪訝な顔をし、


「確かに戦闘の気配がある……しかし、貴方はどうするおつもりですか? だいぶ疲弊しているようですが……」


 ダーンの言葉通り、《灼界》を長時間維持していたカリアスには明らかに深い疲労の色がうかがえた。


「いらん心配をするな。確かに疲れはしたが、当初の予定よりだいぶ短い期間で終わったからな……予想していたよりも消耗はしておらんよ。それに、じきに迎えが来る」


 カリアスの言う迎えは誰が来るのか、ダーンは簡単に予測ができてしまった。


 だからつい、口の端を緩めて天使長を見やると、アイスブルーの瞳が鋭い視線を送り返して、


「……言っとくが、瞑想の修練などで私の思考や記憶を知っているお前をアーディに会わせるわけにはいかん。これ以上ここに居座るならば……斬る!」


 緋色の長剣を今にも抜刀しそうな雰囲気で、目の前のダーンに言い放つカリアスに、ダーンは苦笑するしかなかった。





     ☆





【アテネ標準時:6月10日午後2時過ぎ とある遺跡】



 ダーンは、さすがにカリアスとの会話の全て――特に男が単純な生き物だといった部分は語らずに、闘神剣を継承した経緯を話した。


「なるほどね……貴方が強い訳がわかったわ。まさか神界の剣術まで身につけていたなんて」


「まあ、成り行きなところが多分にあるけどな。それより、恐らく《蒼の聖女》が神器を封じた遺跡の奥っていうのはここのことなんじゃないかな」


「そうね。ただ、半分は罠の可能性があるわ。もちろん私達の敵という可能性じゃなく、《蒼の聖女》が神器を簡単に奪われないようにするためのね……ん? あれ……」


 自分の思考をまとめながら話していたステフは、無意識に左手の人差し指で長い蒼髪を肩の前で弄んでいたのだが、その為に自分の結い上げていた髪がいつの間にか解けていることに気がついた。


「どうしたんだ?」


 ダーンはステフが周囲の地面をきょろきょろと見始める姿に、怪訝な面持ちで尋ねる。


「ダーン、あたしの髪留めのリボン、その辺に落ちてない?」


「ああ、髪が解けたのか。えっと……どうも見当たらないな」


 応えながらダーンも軽く周囲の岩場に視線を走らせる。


「そう……きっとここに跳ばされたときに解けたんだね。そのリボンが近くにないってことは、やっぱりここはあの祭壇の前とは別の空間ってことになるわ。っもう! 折角ポニーにしたのにリボンがなきゃ結えないわ」


「……そうだな」


 若干、ダーンの声のトーンが低くなって聞こえたが気のせいだろうか?


 そんな微かな疑問を抱くステフだったが、ダーンがすぐに近くの岩場を手で触りながら、周囲を確認し始めたため、彼女は特に気にしないこととする。


 改めて周囲を見渡せば、先ほどまでいた遺跡の洞窟と違い、ここは岩が剥き出しの大きな洞窟だった。


 ダーン達のいる場所からは、洞窟の出入り口が見えないし、当然太陽の光は一切届いていないはずだが、不思議と微かに薄暗い程度に洞窟内には光が満ちている。


 その光源がどこにあるのかは定かではないが、このぼんやりとした明るさを持つ世界もこの具象結界の特性の一つかもしれない。


 普通の洞窟ならば、どちらか一方、あるいは両端に外に繋がる出口があるはずだが、この具象結界によって構成された洞窟は一体どちらに進むのが正解なのだろうか。


 ダーンは瞳を閉じて、空気の流れや周囲に流れる微かな気配を辿ってみる。


 すると肌に感じる空気の流れは特にないが、魔力や法術の気配とも違う奇妙な気配が伝わってくる方向を読み取れた。


「ステフ、こっちの方から妙な気配を感じるんだが、行ってみるか? 一応参考までに、俺ならこの結界を破ることも出来るだろうけど」


 ダーンは洞窟内の一方を指し示しながらステフの尋ねると、彼女は一度軽い溜め息を吐いて、


「それやったら、ここに来た意味がないわ。それに、戻った現実空間も洞窟の中よ。貴方の《闘神剣》の威力がこの世界だけで吸収されればいいけど、向こう側でも炸裂しちゃったら、きっとあたし達生き埋めになるわよ」


「う……確かに」


 ダーンの《闘神剣》の剣技・空破閃裂斬は、具象結界の外殻を破壊できるだろうが、あれは現実と虚構の境界を破壊する特性をもった斬撃の衝撃波を放つ技であり、現実の物理的な破壊力も相当なものだ。


 今いる場所が、現実と異なる虚実の空間といっても、結界を破った先で剣技の衝撃波が現実の洞窟を破壊する可能性も多分にある。


「まあ取り敢えず、その気配がある方向に進んでみましょ」


 片目を瞑って見せてステフは告げると、ダーンの指し示した方向に歩き出すのだった。

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