そこは、妙に冷たい空気が漂う場所だった。
ステフの言い出した『裏技』とやらがある場所に彼らは来ている。
それは、古代 《アルゼティルス文明》が遺したとされる超文明の装置。
通称 《転移の門》と呼ばれているものだという。
ステフの説明では、これらは世界中のあちこちで発見されているとのことだが、現実に稼働しているのは極々僅かだそうだ。
《転移》と言うくらいだから、当然、こことは違う場所へ移動する装置なのだが……。
「私もここに来るのは初めてですが……」
宿屋の女将にして、大地母神の化身ミランダ・ガーランド物珍しそうに周囲を見渡しながら言う。
息子のノムは宿の留守番役として置いてきたが、彼女はこの地を発つダーンたちを見送りにきていた。
「この装置はね、アルゼティルス文明の装置の中でも少し異色なものなの」
様々な色の小さな光が明滅する、装置の制御機器と思しきものをのぞき込みながらステフは言う。
その制御機器は、ステフの胸のあたりの高さにコントロール用のパネルがあり、パネル部は角の丸い箱型でそれを支える足が床に一本延びている。
「俺には、こういったものは何もかもが異色に見えるけどなぁ……」
言葉を返しながら、ダーンは周囲をきょろきょろと見回している。
彼にとって、このような場所は初めてだったし、そもそもアリオスの町のはずれにこのような場所があったなど聞いたことがない。
そう、彼らがいるその場所は、アリオスの町、それもガーランド親子が営む宿から歩いて数分の距離にあった。
その場は、町の地下五階程度の地中に、人工的に作られた地下空間で、地上からの入り口は納屋のような建物だったのだが――
納屋にはいると、古ぼけた酒樽がいくつも並んでおり、ステフがいくつかの樽をいじっていくと、小さなブザーの音がして、並んだ樽が一斉に動き出し、その並んだ樽の下に隠されていた地下への入り口が開いたのだ。
その納屋は、アーク王国王立科学研究所が、当該施設を秘匿するために作り上げたものらしいが、その前にその入り口を隠していたのは石造りの女性像だったらしい。
それが、十年ほど前の雷雨の際に、近くの林に落雷し倒れてきた巨木によってその像が壊れて、その施設が発見されたようだ。
ここの存在は、アテネ王家も当然承知しており、町の者には、一応古代文明期の遺跡だが落雷などの影響で破壊されて詳細は不明、と説明していた。
「そうね……ダーンだけじゃなく、普通、こんな古代文明の遺跡には触れる機会なんかないもんね。悪いけど、詳しい説明をしていられないから簡単に言うと、アルゼティルス文明って、あたしたちが扱っている理力科学とは全く違う科学技術で栄えていたのよ」
ステフはコンソールパネルをいじりながら、更に言葉を続ける。
「だけど、この《転移の門》だけは、半分くらい理力科学技術の基礎理論が使われているの。具体的に言うと惑星の活力の変換ね。これは推測だけど、この装置は彼ら古代人の科学が理力文明へと転換していく過渡期に作られたシステムじゃないかしら」
「よくわからないが、だとするとどうなるんだ?」
「らしくないの。システム自体が不安定で試行錯誤してる。だから、ここのように動かせるものもあれば、全く機能していないものもあるし、双方向……つまりは、行き帰りができない一方通行なものがほとんどなのよ。ここのやつなんかは、ここからいくつかの場所に跳べるみたいなんだけど、逆にこちらにたどり着くという転移は確認されていないわ」
だからこそ、ステフはここに来るのに定期飛行船を活用したのだという。
「万能便利な旅行装置って訳にはいかないのか」
「ええ。ちなみにここから跳べる先はアーク王国首都にある研究施設と、エルモ市の郊外にある山の中、そして、アメリアゴート帝国の首都――ザッシュベルよ」
ザッシュベル――
アーク王国と敵対する専制国家アメリアゴート帝国の首都だ。
国民のほとんどが元アーク王国の国民だが、彼らは、アーク国王の改革についていけないあるいはその思想に反対である者たちだった。
そして、世界中にこの種の装置があるということは、アメリアゴート帝国からアークあるいはその同盟国に移動する手段があり、彼らが極秘に工作員を送り込んでくる危険性もあるのではないか?
そんな疑問を抱くダーンだったが……。
「この装置の全体的な中枢はアーク王国のエルモ市にあるわ。だからウチの王立科学研究所のエルモ支部が装置全体を掌握しているの」
ダーンの疑問を先読みしたかのように説明するステフ。
元々、エルモ支部は、この《転移の門》を研究管理するために設立したものだという。
さらに、中枢装置といっても、転移の行き先や装置の稼働をコントロールする事はできないらしく、せいぜいどこの装置が動いて、何人の人間がどこへ跳んだかがわかる程度らしい。
また、この中枢装置は監視用のターミナルで、転移の出入り口としての機能はない。
エルモの《転移の門》は、中枢装置のある研究所施設から離れた山中にある。
「ま、どのみちエージェントを極秘で送り込むには不向きだから、あちらでも使ってないみたいよ。それに、この装置を使うにはサイキッカーじゃないと駄目なの」
説明しながら、ステフはコンソールパネルに触れつつ目を閉じる。
「そりゃどういう意味なんだ?」
ダーンの疑問に答えることなく、ステフはしばらくコンソールパネルの前で動きを止めて――
やがて、薄暗かったその地下空間が一気に明るさを増していく。
周囲から装置の駆動音が鳴り始め、空間の中央部には、金属とも石とも区別ができない灰色の床に円を幾重にも重ねた模様が赤い光を放ち始める。
「起動したわ……。
このシステムは、使用者の精神波を利用してコントロールするの。貴方とユニゾンしたときの感覚に近いけど、装置から目的地までの移動イメージなんかが脳内にフィードバックしてくるの。簡単に言ってしまうと、あたしの頭の中で装置を動かしているのよ」
「なるほど……つまりは転移先との地脈の座標を人の脳の処理を使ってあわせているのですね。そして、そのような高度なイメージングはサイキッカーにしかできないということでしょう」
ミランダの言葉にステフは頷く。
「俺にはよくわからないが、その……大丈夫なのか? 脳に負担がかかるとか……」
ダーンの言葉にステフは少し嬉しそうな顔をして
「ありがと、心配してくれて。でも、大丈夫よ。一度試したこともあるし、その前に何度も検証実験して安全は確認されているから。さてと……ダーン、光っている円の中央に」
ステフが促すとダーンは頷くが、すぐに移動せずに脇に佇立するミランダに向き合った。
「いろいろとありがとう、ミランダさん。今度は傭兵隊の仲間たちと宿の方に遊びに行くよ」
「いえいえ、こちらこそ大したおもてなしもないまま、偽って試すようなことまでしてしまって恐縮ですわ。ダーン・エリン、貴方様に森羅万象の理が光の導きがあらんことを……」
最後に意味深なセリフを残し、首を傾げるダーンに微笑むだけで、ミランダはコンソールパネルの方にいるステフの元へと歩いていく。
ダーンは、少し釈然としないまでも、光る円の中央に向かうこととした。
「お世話になったわね、ミランダ。今度、アークにもノムと一緒に遊びに来て……もちろん、招待客としてレイナー号の特等客席をご用意しておくから」
ステフはダーンに聞こえないような声で話すと、ミランダもさらに彼女に近付きおっとりとやや潜めた声で応じる。
「光栄ですわ……でも、出来ればドレスも貸していただけますか? 流石にアーク王宮の晩餐会に出席するような物は持ち合わせておりませんの……」
ミランダの含みある言葉に、ステフは微かに笑った。
「やっぱ、知っていたのね……まあ、当たり前か。お母様を知っているんだもんね。その……そっちの方も含めて、本当にありがとう」
「フフフ……乙女には何かしら秘密があるというのも素敵だと思いまして。それでは、ソルブライト……これからのことお願いしますね」
『ご心配にはおよびません。私とその契約者はきっと貴女方の願いに応じることでしょう。六つの誓いの果たされる日まで壮健であられよ大地母神よ』
「御身が森羅万象の理に至らんことを……」
胸元のソルブライトと大地母神の会話に、ステフも首を傾げるところだが、彼女はあえてこの二人の会話に立ち入ることをしなかった。
契約者とは言え、所詮は十七歳の小娘である。
精霊王たる女神と人智の及ばない神器との会話を理解しようということが、そもそも身の程知らずではないか。
だから、ステフはあくまでもミランダ・ガーランドという一人の人間に向かっての言葉をおくる。
「またね、ミランダ……あの悪戯息子にもよろしくね」
「ええ。またお会いしましょう。それと、貴女の想いが実ることを願っていますわ……ステファニー・ティファ・メレイ・アーク」
「…………素直に、ありがとうと言っておくわ。身分もあたしの子供っぽい想いも、お母様と共にあった貴女たちには偽れないものね。そのかわり、次に会う頃には、あんな朴念仁なんか骨抜き状態になっているんだから」
羞恥心で耳まで朱に染めながら、アークの王女は毅然と宣言するのだった。
☆
ミランダとの別れの挨拶と再会の約束をしたあと、ステフはダーンの佇立する光る円の中央に向かって歩いて行く。
近付いてきた彼女が赤い顔をしていたので、ダーンは怪訝な顔をして尋ねる。
「なにを話していたんだ?」
「何でもないわよ。いちいち女の子の会話に触れてこないのッ」
琥珀の瞳で睨め上げてくるステフに、ダーンは及び腰になってしまう。
『やれやれですね……それで、このままアークの首都ジリオパレスまで跳ぶのですか?』
ソルブライトの言葉にステフは頷き、さらに歩を進めると――
「ちょっ……」
戸惑うダーンの上擦った声。
彼の胸板に柔らかな感触がぶつかり、脇から背中に回された細い両腕がしっかりと抱きしめてくる。
鼻孔には、いつもの甘酸っぱい香りが微かに流れて甘い感覚。
「こッ……これくらいのことで、いちいち動じないでくれる。転移は亜空間を跳ぶの……制御するあたしにくっついてないと、空間の狭間に取り残されたりするかもよ。それでもいいなら離れるけど?」
脅してきている……つもりのステフの声もしっかりと上擦って、さらにいつものごとく耳や僅かに覗く襟元まで朱に染まっている。
まさに湯気を上げんばかりだ。
その彼女を見て、未だに気恥ずかしさはあったが、ダーンは小さく深呼吸……そして――
「んぁっ……ちょっ……」
思わず甘い声が漏れだしてしまうステフ、その華奢な身体を鍛え上げた両腕が抱きしめていた。
「流石に……空間の狭間とかは勘弁願いたいので、必死にしがみつかせてもらうよ。それに、はっきり言って、どこぞの豪華客船の高価なソファーシートよりも快適な旅ができそうだし」
「ぼ……朴念仁のくせに生意気ね……そのキザったらしい上にどこかセクハラオヤジ的なセリフ、どういう思考回路で生み出されたのか興味が……って、抱きしめ過ぎッ……動けないでしょッ……って、こらぁッ」
「いや、正直このくらい抱きしめていないと蹴られそうなので、無事向こうに着くまでこのままでいく」
その後――
恨み言を上擦った声でまくしたてるステフの声が遠くなり――大地母神の目の前で蒼髪の二人は抱き合ったまま跳躍していく。
「あらあら……本当に、次に会うときには《闘神王》も骨抜きになっていそうですわ……」
一人残されたミランダは柔らかく微笑んでいるのだった。
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