芳ばしい香りと、どっしりとした苦みが少女の口腔内に広がっていく。
ステファニーは、手にした陶磁器製の白いカップ、その中身黒い液体に視線をおとし、苦い表情を浮かべた。
小一時間ほど前、アルドナーグ邸に到着し、持ってきた荷物の荷ほどきをしてからの昼食であったためかなり遅くなってしまったが、ミリュウが作ったという魚介をふんだんに使ったパスタは、とても美味しかった。
今は、その口直しとして喫茶中というわけだが――
カップの中には、彼女が初めて口にするコーヒーという飲み物。
この飲み物も、世界中で愛飲されているが、コレもまた古代アルゼティルス文明を発祥とするモノだ。
アークでは、このコーヒーよりも紅茶や緑茶の方が親しまれているので、ステファニーにとっては初めて経験する。
ステファニーとしては、正直言ってその良さはわかりかねるが、このアテネなどでは定番の飲み物らしい。
「ああ、やっぱりステフちゃんのお口に合わないようね……。そういうトコもレイナーそっくりだわ……可愛いッ」
ステファニーの思わず出てしまったしかめっ面に気がついてか、ミリュウが嘆息して言う。
彼女は白い陶器製の皿に焼きたてのクッキーを載せて、台所からこのリビングにやってきたところだ。
ミリュウは、持ってきた皿をステファニー達の前にあるテーブルに置き、そのまま小走りに台所に戻っていく。
そしてすぐにリビングに戻ってきて、ステファニーのカップの脇にミルクと角砂糖の入った小瓶をおいた。
「ブラックコーヒーも飲めないなんて、随分ガキっぽいな」
唐突に差し込まれた中傷に、ステファニーは視線だけその失礼な男の方向に向ける。
視界に、晴れわたる空のような蒼い髪が映えた。
自分と同じ年の頃の、まだ少年のあどけなさを残した顔、蒼穹を思わせる瞳がこちらを見ているが、その瞳の鋭さと、鍛え上げられた肉体はおよそ同い年とは思えない。
結果として、言葉以上にひどく子供扱いされているようで、ステファニーの自尊心を刺激していた。
まあ、子供であることは、彼女自身自覚があるのだが、同い年の少年からそういう扱いを受ければ、当然反感が芽生えるだろう。
まして――
――あたしのパンツ見たしッ! っていうか、変なモノとか言うしッ、謝罪するとこでしょ、ああいうの!
かくして、同じ十歳の少年少女の出会いは最悪なものであったが、さらに追い打ちをかける事態が彼らにのしかかる。
それは――
「こらぁ、ダーン。女の子に対してそういう口をきいては駄目よ。それに、アテネ滞在中のステフちゃんは、貴方が護衛することになったでしょう」
憤る二人に対し、ミリュウの柔らかに諫める声が届く。
そして同時に溜め息を吐く二人。
そう――
アテネ王国に滞在中のステファニーには、ダーンが護衛という形で常に一緒にいることとなった。
新造旅客船レイナー号の就航式典までと、その後の王族間での協議、簡単なアテネ観光を予定しているステファニー達は、このアテネ王国に六日間滞在することとなっている。
その期間、ずっとこの失礼な男にまとわりつかれなければならないのだ。
――最悪! こんなことなら、お父様の方に付いていけば良かった。
ステファニーの父、リドルは今頃アテネ王宮で旧知の友人でもあるアテネ国王と会っている頃だろう。
ステファニーは、アーク王国の王家の仕来りである『未成年で王位の継承前である王族は一切その存在を公表されない』という規則に則り、今回はアテネ王宮に行くことをやめている。
しかしながら、アテネ国王ラバートは父とは若い頃からの友人でもあり、当然ラバート王は自分のことを知っているはずだ。
ならばちゃっかりとアテネ王宮に泊まり込んでしまえば良かったのだが……今回はそうしなかった。
一つは父・リドルの意向もあり、どうせ海外に来たのなら、王宮ではなく街に近いアルドナーグ家に宿泊し、普段見てこられなかった市井の暮らしを学んでこいというモノ。
もう一つ、宿泊先がアルドナーグ家と知り、ステファニーにも興味があったのだ。
――お母様の戦友って、どんな人なんだろう?
その興味は、実際に会って話をした今でも、心の奥底に残っている。
幼い自分に若干だらしなく骨抜き状態になっているミリュウだったが、ステファニーは気になっていた。
見た目の外面では覆い隠せていない、ミリュウから漂う圧倒的な存在感と完成された大人の雰囲気にだ。
さすがは、先の魔竜戦争の英雄である。
そして、気になっているのはもう一人――
――この娘はもっとわかんないわ……
訝るステフの視線の先に、目の前のテーブル上に置かれた小箱、その中に綺麗に整列した茶色い小粒を凝視している、金髪ツインテールの少女があった。
金髪ツインテールことリリスの目の前にある小箱は、ステファニーがアークの土産に持参した茶菓子だ。
中に入っているのは『チョコレート』という名称のお菓子で、芳ばしい香りとほろ苦さ、そして蕩けるような甘さが融和した、アーク女性を虜にしてやまない逸品である。
コレを差し出されるまで、リリスは終始ステファニーのやることなすことに目くじらを立てていたが、チョコレートに随分興味があるらしく、先ほどから黙ってチョコレートを凝視していた。
興味があるなら、さっさと食べてみればいいものだが、何やらブツブツと独り言を口の中で言い、なかなか手を出さないでいる。
ステファニーには知る由もないことだったが、このときリリスは、激しく葛藤していた。
目の前のチョコレートの誘惑と、気に入らない相手からの貢ぎ物に屈服したくないという、実にくだらないがこの少女らしい自尊心に。
そして数分の後――
ステファニーは、異郷の地で同年代の友人を得ることとなった。
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