魔竜に辛くも勝利し、その場で膝をついてしまった少女の姿を、モニター越しに見つめている人影がある。
その影は二つ、飛行客船レイナー号のブリッジにあった。
一人は船長のリーガルだったが、もう一人は黒髪の女性だ。
背丈は一般的なアーク女性のもので、清潔感とそこはかとない艶やかさを兼ね備えた、客室乗務員の制服を着用している。
肌は白くきめ細やかで、体つきも清楚な白い制服から滲み出る程に色香を放つものだった。
妖艶な雰囲気を自然と纏っているような女性。
その見た目は、二十代後半といったところだろうか。
「お見事! 強力な兵器がいくつかあったとはいえ、まさか、魔竜相手にたった一人で戦って勝つとはね。……うんうん、師である私も鼻が高いというものです」
妖艶な客室乗務員は、腕を組みながら嘆息する。
その隣で、半ばあきれ顔のリーガル船長は、サイドテーブルに置かれたカップの紅茶を啜ると、
「色々と、貴女には伺いたいことがありますが……その前に、今回の密航についての弁解を拝聴しましょう」
「ないですよ、そんなもの」
即答する女性の言葉に、リーガル船長の眉根がピクリと反応。
そんな船長の顔色を楽しむかのように、女性は流し目で観察しつつ言葉をつなげていく。
「この船は、私が開発して、建造費も半分以上負担した上に、運営会社も私の財閥傘下です。しかも、養子とはいえ、娘の名前まで与えた船ですよ。この船にとって、この私は母のようなものですから、自由に乗ってもいいでしょう」
「めちゃくちゃですな、相変わらず」
溜め息交じりに応じて、船長は隣の女性を半目で一瞥する。
客室乗務員の制服など着込んで、いつの間にかこの船に乗り込んでいたその人物は、乗務員名簿にも、乗客名簿にも記載されていない名前の人物だ。
その名は、スレーム・リー・マクベイン。
アーク王国王立科学研究所長にして、マクベイン財閥の総帥。
さらに、アーク王室とも繋がりの深い人物で、王国軍中将の階級にもある者だ。
船長自身、二十年以上前から懇意にしている人物だが、その頃から、この女性の容姿は全く変わらない。
年齢不詳。――一説には、百歳以上ともいわれているが……。
さしずめ、《大佐殿》に万が一のことがあった場合のために、密かに乗船していたということだろうが、その制服、一体どこで調達したのだ?
スレームは、初老の域に入り、口ひげやあごひげを生やしつつも、それを端正に切りそろえている、かつての戦友を覗き込む。
「貴方は、その、何というか……昔に比べて随分紳士的になったものですね、リーガル中佐」
「中佐はやめていただきたいものです。もう退役して、ずいぶんになりますので」
「ああ、忘れていました」
スレームは、組んでいた腕を解き、足下に置いていたショルダーバッグを開くと、
「はい、これ辞令」
船長に厚手の上質紙を一枚手渡す。
怪訝な顔でそれを受け取り、記載された内容を一瞥した船長は、額に青筋を立てた。
「何の冗談だ? おい……」
「あら、素に戻っていますよ、リーガル」
スレームは涼しい顔して、口の端に笑みを浮かべている。
「うるさい、色気ババア。このタイミングで軍に戻れとか、ふざけてんのかよ」
渡された上質紙には、アーク国王陛下の署名があり、王国軍が正規に発行したことを証明する透かしが入っていた。
「姫を任せられる人材を、私なりに厳選した結果です。よろしくお願いしますね、艦長殿」
「娘と同じ年頃の彼女が、このオレの上官になるってかい?」
「その点に不満はないでしょう。あの子をこの船に乗せて正解でしたね。上官としての才覚は十分持ち合わせていること、貴方の目の前で証明できたのですから」
「はあぁ。やれやれ……」
リーガルは手にした辞令書を適当に丸めながら深い溜め息を吐いた。
そのまま一度思案顔になって、一呼吸置き言葉をつなげる。
「今回の相手、サジヴァルド・デルマイーユか……。まさか奴がこんなことをするとは思わなかったが……実力的には、かなり上の魔竜だったよな……ふむ? 奴が本気ならこんなモンですむわけ無いんだが、まあ、なんだ……アレを手玉に取る才覚には、確かに驚いた。しかしスレームよ、あんたよく手出ししなかったな」
「準備はしていましたが、恐らく大丈夫ではないかと感じていました。フフフ……あの子は、私の教え子達の中でも、一番の秘蔵っ子ですからねえ。私以上に頭の切れるところがありますし、射撃の腕はとっくに抜かれてしまいました。……全く、恋する乙女は強いこと」
「なんだそりゃ?」
「いえ、こちらの話です。そうそう、アテネのラバート陛下には先ほど連絡してありますから、程なくして救援が駆けつけるはずです。ここでのドンパチについても、相手が魔竜だったことをオフレコで伝えてありますし、問題にはならないようにしてありますよ」
片目を瞑って見せて、にっこりと笑うスレームだったが、リーガルは憮然とした表情をしている。
まるで、お前に妖しさはあっても、愛嬌などはない、と言わんばかりに鼻を鳴らした船長は、そのままスレームに追及する。
「理力通信、この船のヤツはみんなダウンしてたんだが?」
「こんなこともあろうかと、軍用の強化型理力無線機を持ってきたので」
「ホントに相変わらずだな、おい」
「褒め言葉として承りますよ。……おや……どうやら、あの子も決めたようですね」
船長席のモニターは、船外のカメラで湖南岸を映している。
その砂浜に街のある方向へ歩き出す《大佐殿》の姿があった。
こちらから彼女を迎えに行こうにも、このレイナー号のボートは、みんな爆破してしまったので一艘もない。
また、彼女の方も、潜水艇の動力を失い、こちらに戻ってこられる手立てがない。
そこで、彼女の取り得る選択肢は二つ。
その場に残って、アテネ王国側の救助隊が駆けつけるのを待つか、今回の目的を遂行するため、予定を切り上げ、一人目的地に向かうか。
結局、彼女は、より積極的な後者を選択したようだ。
「さてと、ホーチに連絡しておきましょうかね。ああ、リーガル、その辞令……別に破って捨ててもかまいませんよ。半分は冗談です」
「前戦争の時から、お前の冗談は笑えねぇし、今更後戻りは出来ねえよ」
毒づいた後、リーガルはモニターに向かい、姿勢を正して挙手の敬礼をする。
「やっぱり、ノリノリじゃないですか……」
モニター越しに、若すぎる大佐に対して、律儀に敬礼するリーガルの姿を横目に見ながら、スレームは両肩を竦めて口元を緩めた。
再びモニターを見れば、林道を歩いて行く蒼い髪の少女が、カメラの有効範囲から離れ始め、その背に揺れていた銀をまぶした蒼が、ゆっくりと夜の闇に消えていくのだった。
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