不意な鋭い頭痛は僅かな瞬間だけで、ダーンは少し残る痛みを忘れて、ナスカ達の方へ歩んでいく。
「ナスカ、アークに何故?」
ダーンの問いに、茶髪の義兄はニヤリと笑う。そのままダーン達の前まで歩いて、まずはリドルの方にホーチィニと並んで一礼。頭を上げた直後に……
「あー。端的に言うと、まずオレは傭兵隊長をクビになった」
いきなりの爆弾発言。
「は?」
ダーンは、久しぶりの再会に喜ぶのも束の間、ナスカの言葉の意味を考えあぐねて途方に暮れた。
「だから、クビ。オレはもう傭兵隊じゃなくてだな、無職のフリーな剣士ってわけだ。んで、どこか稼ぎどころはと考えて、とりあえずアークに来てみたのさ」
あっけらかんと話すナスカのすぐ後ろ、ホーチィニが苦笑いしている。
「な、何があった? いや、お前何したんだ?」
ダーンは、ワナワナと震えて問い詰めるが。
「何もしてねーぞオレは。ただ、いきなりウチの変態中年国王に、解雇されたんだぜ。コッチにはなーんも相談なくな」
「ふっ……ふはは!」
ダーンから見てナスカとは反対側に立つリドルが、いきなり笑い出す。それを見て、ナスカの表情が少し険しくなった。
「ケッ……まあ、その話は後だ、ダーン。ちと巫山戯たが、一応理由があってな、オレも納得してここにいる。それよりも……」
ナスカは、ダーンにさらに近づいて、拳を彼の胸板に軽く当てた。
その瞬間、二人の間に目に見えない力の対流が起きる。攻撃の意思はないが、二人の闘気がぶつかり合ったのだ。
「やっぱりな。強くなったじゃねーか、コノヤロォ」
ナスカの挑発に、ダーンもニヤリと笑うが、同時に気がつく。ナスカの潜在的な戦闘ポテンシャルについてだ。
「お前もな。病院のベッドでオネンネしてたんじゃなかったのか?」
ダーンが知る限り、一週間前の戦闘で龍闘気を開放し過ぎたナスカは、全身のズタボロの状態で、教会病院に入院していたはずだ。初期的な治療は、ホーチィニが絶大な治癒のサイキックで施し、かろうじて瀕死の状態から脱していたが。
それが、こうして対峙するだけでわかるくらい、ナスカは、完全に復調している……どころか、間違いなく、魔人ディンと闘った時よりも強くなっている。
それこそ、ここまで圧倒的に強くなったダーンと同程度に。
「コレがそもそものオレ様の実力だ。龍闘気は躰を蝕むがな、使いこなすようになると、躰の方が耐性を持っていくんだよ」
「死と紙一重だけどね、この駄目男」
間髪入れず、ナスカの後頭部をひっぱたき、ホーチィニが補足する。
「あいかわらずだな……」
ダーンは呟きつつ、軽い小競り合いを始めたナスカ達から視線を外し、リドルの方へ向き直る。すると、その視界に――。
「あ……」
桜色のパーティードレスを身につけた、王女ステファニーが、純白のドレスを身につけたルナフィスと一緒に、ナスカ達と反対側の入り口から歩いてきていた。
☆
ドレス姿のステファニーとルナフィスは、リドルとダーン達を視界に入れ、思わず立ち止まった。
そして、ステファニーが気まずそうに下唇を噛んで、踵を返そうとする……が。
「どこに行くのよ?」
隣にいたルナフィスが、ステファニーの手をつかみ、その場に留まらせた。
「だ、だって……」
少し気弱に潤んだ琥珀が、ルナフィスの紅い瞳を恨めしそうに睨める。先程まで、過去の思い出を話していただけに、今ここでダーンと会うのは心情的に辛かった。
「今逃げたら、それまでよ。少しは気張りなさいよ」
ステファニーにだけ聞こえるように、ルナフィスは耳打ちし、そのままステファニーの手を引っ張って、ダーン達の方へ歩んでいく。
「あ……ちょっ……」
少し蹴躓きそうになりつつ、ステファニーはなすがままダーンの前まで連れていかれた。
「ルナフィス、その……姫が転びそうになってるから、その……」
見かねて、ダーンが声をかけるが。
「じゃあアンタが支えなさいよ。この娘に剣まで捧げているクセに、そんなことも出来ないの?」
辛辣に言い返すルナフィスに、ダーンは次の句が出なかった。それを端から見ていたナスカが、少し驚いている。
「……噂には聞いていたが……よ、七年成長するとここまで見違えるのかよ……って、ルナフィスだって?」
「リリスが敵対心持つわけね……あれ? ルナフィスって、確か」
ナスカとホーチィニの反応に、ダーンへと何かをまくし立てようとしたルナフィスの出鼻が挫かれる。
「あ、あー。それは……」
ルナフィスとステファニー、ドレス姿の少女達が所在なさげにするなか、ダーンから一連の出来事と、ルナフィスの素性について説明を受けるアテネからの来訪者二人。
国王リドルは、少し退屈そうにするなか、ふと彼らをアテネから連れてきた旧友の姿がないことに訝っていた。
☆
ダーンの説明を受け、ナスカとホーチィニは少し寂しそうに笑うしかなかった。彼らは、ルナフィスが魔竜人の敵で、さらに彼女に忠義厚かった人狼戦士ディンとの死闘を繰り広げたのだ。
「そうか。あの生真面目な狼野郎も、いい主君に恵まれていたようだな。こんなに別嬪さんとは」
ナスカはおどけて話す。それを、ルナフィスも少し笑みをこぼして受けとった。
「ディンがまるで自慢するように言っていたわ。傭兵隊長ナスカは、本気で闘うべき戦士だって」
ルナフィスは、少し寂しそうな笑顔で、人狼戦士のことを思い浮かべる。
愚直なまでに、自分を護ってくれた合成生物。《魔》に翻弄されて、最期は魔神リンザー・グレモリーの魔法で異形の魔物とされてしまった。
そんな彼も、ナスカとの戦闘は胸躍るモノだったと言っていたが。なるほど、こうして目の前にし、先程感じたダーンとの闘気のやり取りを考えると、ディンが熱くなるのもわかる気がした。
「……アイツは、本物の戦士だったぜ。オレもヤツと闘ったからこそ、今のオレがあるんだからな」
ナスカの言葉に、妙な熱さがこもる。その彼の傍らで立つアテネの聖女と称された少女も、無言のまま頷くことで、彼と同じ思いを共有していた。
「……教えて」
ルナフィスが小さく言う。ナスカ達には、微かにしか聞こえなかったため、少し戸惑うが。さらに、彼女は正直に吐露する。
「教えて! ディンがどんな風にアンタ達と闘ったのか、私は知りたいの」
それは、ルナフィスがリンザーの依頼を受けて、ステファニーを拉致目標として追い始めた頃の話だった。
ナスカ達アテネ王国傭兵隊の精鋭メンバーが乗る飛行艇を、人狼戦士ディンがその圧倒的な膂力をもって、迎撃した後の出来事。
ルナフィスと別行動をとったディンが、ナスカ達と初めて戦闘した、アテネの森林地帯での遭遇戦に遡る。
「……いいぜ。少し長くなるけどな」
ナスカは、リドルやステファニーが興味を示す中、ディンとの死闘について語り出した。
☆
【アテネ標準時:6月9日午前9時過ぎ アテネ王国領内、アリオス湖北側森林地帯上空にて】
軽快な空の旅だった。
操縦桿を操りながら、ついつい鼻歌を奏でてしまいそうになるくらい、今日の空は静かで空気も澄んでいる。
アテネ王国傭兵隊が唯一保有する航空移動手段――飛空挺|《ファルコン》
その乗員定数は、操縦者を含めて八名だったが、今回は四名が乗っていた。
アテネ国王から特務を受け、アーク王国の要人を捜索する傭兵隊の精鋭。
ナスカ・レト・アルドナーグとダーン・フォン・アルドナーグの二人、捜索対象との関係や、場合によっては高度な救命活動も視野に入れて、宮廷司祭のホーチィニ・アン・フィーチが同行している。
そして、もう一人……飛空挺の操縦を担当するのは、傭兵隊一の弓兵エル・ビナシスだ。
エルの出身はアテネではない。
彼女は、アテネのあるレアン大陸の北西、北ユーロ海に浮かぶ島国のブリティア王国で生まれ育った。
ブリティア王国は、国土の周囲を海で囲まれていることから、海上交易も盛んである。
さらにもう一つ。
飛空挺技術が進んでおり、商人達が交易に飛空挺を活用し、飛空挺操縦士の資格免許制度や、その免許を取得するための教習所なども国が経営しているのだ。
今回、特務を請け負うこととなった傭兵の選抜にエルが加わっているのは、もちろん優秀な弓兵としての実力を買われた事もあるが、この飛空挺操縦技術がある事が大きい。
余談だが、エルが傭兵隊に入隊する前は、機甲師団に所属する操縦士を雇い、この飛行艇を作戦行動に使用していた。
首都を朝八時に飛び立った彼らは、アテネ王国領土を北上し、アーク王国の旅客船《レイナー号》が着水したアリオス湖方面に向かっている。
本来の任務は、《レイナー号》から行方不明になっている要人、マクベイン大佐の捜索だったが、取り敢えずの情報収集のため、彼女が乗船していた船の乗員から事情聴取する予定だった。
離陸してから一時間程度経過しているが、そろそろ目的地付近で、陽光を反射する湖が前方に視認できる。
煌めく光の照り返しを受けながら、エルはふと今朝のアテネ王との謁見を思い返していた。
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