タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

逆転の秘策

公開日時: 2021年4月20日(火) 06:02
文字数:3,225

胸の奥に無限の熱を感じ、ダーンはゆっくりとステフの唇を離した。名残惜しむように、とろりと透明な粘液が二人の唇に橋を渡す。


三位一体状態トリニティー・モード、発動しました』


「ああ。これならいけるはずだ」


 ソルブライトの念話に応えるダーン、その視界の中、

長く深い口づけで呼吸もままならなかったのか、ステフは少し荒い息をして、彼の腕にしなだれかかる。その汗だくになっている身体を一度抱きかかえると、炉心内の壁の一角へ座らせてやった。


「うー……だぁんのばかぁ……」


 若干呂律が回っていない感じで、ステフが弱々しく悪態をつく。その姿に苦笑いして、ダーンはもう一度だけ、ステフの唇に軽くキスをした。


 しっかりとそのキスは受けるステフだったが、すぐにダーンを上目遣いに睨めつけて、まるで機嫌の悪い猫のように、「フーフー」と息巻いている。


「あとが恐いな」


『ひっかかれるか、噛み付かれるか……ああ、すねを蹴られるかもですねぇ』


「どれも痛そうだ」


 軽口で応じて、ダーンは炉心内の主機関側の壁面から飛び出ている装置へと歩み寄る。


 その見た目は、鈍色の金属で出来た巨大な杭の先端部分が、壁からせり出しており、丁度その先端部分の中心がダーンの腰の高さくらいにある。


「これだな、霊力吸収端子は」


『はい。これに触れて、貴方の闘気エネルギーを注ぎ込んでやるようにイメージしてください』


「わかった」


 ダーンは、ソルブライトに言われた通り、両手で端子の先端をつかみ、胸の奥から湧き上がる熱いエネルギーを注ぎ込むようにイメージをはじめた。





     ☆





 アルゼティルスの発令所では、リーガル艦長の指揮の下、高度な操艦が行われていた。


 この艦自体が、先進理力科学の塊であり、従来の潜水艦とは比較にならない運動性能を誇っていることもあるが……。敵対する者が攻撃の的を絞れなくなる程の動きを可能にしているのは、艦長の的確な指揮と、それを確実に実行する操舵士の技術、そしてそれらを支える、水中測的員や機関士の技能とそれの融合だった。


 海棲魔獣タイプの敵性潜水艦は、アルゼティルスに翻弄されているのが目に見えてわかった。


「報告! 機関出力が急上昇! 霊力炉の稼働を確認しました」


 機関士の報告に、リーガルは口の端に笑みを浮かべた。


「どうやら、上手くいったようですな」


 サジヴァルドも胸をなで下ろすように言う。そこへ、機関士の更なる報告が飛んできた。


「出力が……ッ! 霊力炉出力、主機関通常時の六百倍! こ、このままだと主機関が」


 緊迫した声に、発令所要員は皆表情を硬くする。


「ユタ、心配は要らない。霊力炉自体は、この程度までなら想定して造られていた。今は余剰エネルギーを位相領域の量子コンデンサーにまわしている。それよりも……」


 サジヴァルトは、ブロンドヘアの女性機関士に優しく声をかけつつ、彼女の前にある出力計などを見て思案する。


「副長?」


 身を乗り出したサジヴァルトの整った横顔に、ユタは仄かに心音を早めたが、当のサジヴァルトは、その24歳女性下士官の機微には気がつかず、ただ、冷静な判断を下そうとしていた。

 

 そして、サジヴァルドは小さく「よし」と言ってから背後の艦長席を振り返り、姿勢を正して――


「副長、意見具申」


「何か?」


 リーガルが言葉短く問いかける。


「この出力ならば、特殊潜航の使用が可能と思われます。急遽ではありますが、安全海域までの虚数潜航を具申します」


「……虚数海域への潜航か」


 虚数海域とは、アーク王立研究所の所長、スレーム・リー・マクベインが提唱した異空間の海だ。あらゆるエネルギーがマイナスとなる性質があり、この世界とは隔絶されているが、王立研究所が開発した虚弦制御装置により、通常海域からの《潜航》という概念で航行を可能とした……らしい。


 この虚数海域を進めば、通常海域を進むよりも何百倍も速く航行できるとのことだった。


 未だにテストはしていないが、スレームだけでなく、サジヴァルドや神器ソルブライトも、虚数海域潜航は可能であると明言していた。


 ただし、この潜航には途方もないエネルギーか必要となってくる。現行の理力機関では、必要とされるエネルギーを得られなかったのだが――


「はい。現在の霊力炉の出力ならば、可能と思われます。あれならば、確実に敵を振り切るでしょう」


「ふむ。テストなしで人類初の虚数海域に潜航する跳躍航行か。危険はあるが……よかろう、これより本艦は虚数海域潜航に移行する。副長は虚数海域潜航の指揮をとれ」


「了解」


 リーガルの命令に短く答えて、サジヴァルトは再び発令所要員達の方へ向きなおり、所定の指示を始めた。


 艦内放送で、虚数海域潜航に備えるよう、副長からの司令が下り、発令所の若いクルー達は、既にその準備にとりかかっている。


「虚数海域の測的、潜航及び目標海域の設定を開始」


 航海班のクルーが手元の機器を操作しながら、手順を声に出して報告していく。サジヴァルドは、副長座席に座りながら、その報告を聞き、自分も手元の機器を操作しはじめた。


「諸元入力完了。目標海域――」


 サジヴァルドが目の前のディスプレーに表示された座標を読み上げる。その海域は、アスカ皇国の領海外二十カリメライ(キロメートル)程度東の海だった。


「虚数潜航準備完了。カウントダウンを……」


『待ってくれ!』


 発令所のスピーカーに、突如ダーンの声が響いき、サジヴァルドのカウントダウンを遮った。


「ダーン大尉、待てとは何か?」


 リーガル艦長の詰問に、未だ機関室にいると思われるダーンが、応じる。


『失礼、艦長。意見具申してもよろしいでしょうか?』


「許可する。ただし手短にな」


『了解。このままこの海域を脱しても、敵の魔竜もどきかこの海域の《星沁》とかいうものをなんとかしなければ、アスカ皇国に到達出来ません。そこで、これから敵を撹乱してきますので、自分を射出していただきたい』


「射出? どういうことだ」


『先日試作した、有人飛行魚雷を使えばと……』


「何を言ってるんだ、貴様は。アレはスレーム……いや、マクベイン中将の冗談だろう」


『しかし、モノは制作済みで使えます。自分がこれで上空から敵の魔竜もどきが行動不能に陥るよう一撃を加えてきます。その際には、おそらく海中は大荒れになりますので、実働部隊の飛行艇を緊急展開方式にて射出し、この艦は速やかに現海域から離脱してください』


「それ、無茶苦茶じゃない?」


 聞いていたオペレーターのケイトリンがつい本音を漏らす。ダーンが言っているのは、艦の上甲板に設置された、垂直魚雷射出装置から、彼を入れた飛行魚雷を撃ち出し、海上まで一気に運んで、さらに上空に打ち出すというモノだ。


 それは、人を爆弾代わりに打ち出すことである。


「ダーン、確認するが、現在の貴様は例の三位一体トリニティー状態でいいんだな?」


 サジヴァルドが通話に割り込む形で詰問する。


『その通りです、少佐。霊力炉での消耗は僅かですから、このままなら任務の遂行に何ら支障ありません。確実に敵を撹乱できます』


 ダーンの自信に満ちた言葉に、サジヴァルドは一度頷くと、艦長席を振り返る。


「今のダーンならば、私も可能であると考えます。今回、霊力炉を起動したのは彼です。そこから推し量っていただければ、今の彼がどれほどなのかは理解できるかと……」


「ふん。なるほどな……。実戦部隊の現状は?」


「作戦行動中ですので、飛行艇ファルコンⅡはすぐに使えるよう準備してあります。部隊員は、ナスカ大尉以下既に出撃可能状態です」


「よし。緊急展開方式にてファルコンⅡを射出準備。ナスカ大尉以下は、ファルコンⅡに至急搭乗させろ。ダーン大尉、大佐殿はファルコンⅡに搭乗可能か?」


『あたしは……ぅん……大丈夫よ』


 なんとなく息の上がったようなステフ大佐の声に、少しだけ怪訝な顔をするリーガルと、何故かため息をつくサジヴァルド。


「大佐殿……またなんか声がエロい……」


 ケイトリンがぽそりとつぶやくのを、今回はマイクがその声を拾わずにいて、誰も聞いてはいなかった。

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