タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

第二章 朴念仁と蒼い髪の少女~護衛対象は揺れるアークの至宝~

深夜の襲撃者

公開日時: 2020年10月17日(土) 20:12
文字数:2,144

【アテネ標準時:6月10日午前0時15分 アテネ王国アリオス】


 少し温くなってしまった紅茶を、ティーポットからカップに注ぎ、ステフは深い溜息をつく。昨夜のレイナー号ハイジャック事件は、思い出すほどに、奇跡的な勝利だったと思う。


 装備的に整っていただけで、不死身に近い吸血鬼と化した魔竜人を、たった一人で相手することは、知識のある戦術家なら絶対にしないだろう。

 それほどに、彼らの力は絶大だった。


「ホント、運がいいのよね……結局、アイツとも会えたんだし」


 そうな風に何気なく独り言を呟いたときだった。



コンコン……と、厚手の木製ドアをノックする音が彼女の鼓膜を叩いていた。





     ☆





 施錠してある部屋の入り口のドアをノックする音に、ステフは曇った表情を明るくしていた。


 一人食堂からとっとと引き上げてしまった自分を心配して、ダーンが様子を見に来てくれたのだと考えたからだ。


「はい……あ……ちょっと待ってて」


 着ている薄いTシャツの下がノーブラであることを思い出し、ステフは急いで入り口側の壁に掛けられた備え付けのナイトガウンに手を伸ばすが……。


「申し訳ないけど待てないわ」


 ドアの向こうから聞こえたのは、ダーンの声ではなかった。


 そのりんとした女性の声に聞き覚えのないステフは、心臓が跳ね上がる思いをする。


 この宿に、自分とダーン以外の宿泊客はない。

 となると、最悪自分を狙ってきた敵だ。


 ナイトガウンに右手を伸ばしていた彼女は、その手を引き戻し、ドア付近から数歩離れつつ自分の右大腿部に右手を持っていく。


――しまった。


 自分の迂闊さに歯がみする。


 シャワーを浴びる前、愛用の銃は、枕元に隠してしまっていた。


 慌ててベッドの方に身を翻したステフの耳に、ドアの方から金属のシリンダー錠が回転する音が聞こえてくる。


「え? うそ」


 驚いてドアを振り返ったステフの視界に、いきなり銀閃が迫った。


「動かないで……」


 細い刀身の剣先をステフの眉間に突きつけてきた銀髪の少女が、静かに告げてくる。


「……誰?」


 銀髪の少女の動きを全く捕らえられなかったステフは、言われるまでもなく硬直しながらも絞り出すように問いかけた。


 施錠されているドアのシリンダー錠をいとも簡単に解錠し、素早くドアを開いて音も無く自分に接近したその少女はただ者ではない。


「アンタをさらいに来た者よ……できるだけ穏便に、傷つけることはしないつもりよ。だけどここで騒がれたりしたらその保証はないわ」


 ステフの眉間数セグメライのところにレイピアの切っ先を突きつけつつ、銀髪の少女は低い声で警告する。


 その気配から、下手に動けば本当にそのままレイピアで眉間を貫くつもりだとステフは悟っていた。



――マズイわね……。



 隣の部屋にはダーンがいるはずだ。


 ここで、サイキックでなんとか応戦すれば、騒動に気がついて彼がここに駆けつけるだろう。だが、先ほどのこの少女の動きは、まさに目にもとまらない速さだった。


 隣の部屋のダーンが騒ぎに気づく前に、あっさりと殺されるのがオチだ。


「あの吸血鬼と同じ目的ね……ということは、貴女あなたも《魔竜人》なのかしら? あまりそんな風に見えないけど」


 相手に聞こえる程度の小さな声で、ステフは話しかける。


 それはもちろん時間稼ぎのためだった。


 この状態でこちらから助けを呼ぶことは出来ないが、運がよければ、ダーンがこの部屋を訪ねてくるかもしれない。


 そういえば、食事を終えてすぐに食堂の席を離れた時、こちらを怪訝な顔で見るダーンにおやすみの挨拶すらせずに不機嫌を露骨に視線に込めて睨み付けてやった。


 流石に朴念仁といえど、少しは気にしてなにか言いに来るかもしれない。


 ……本当に?



――あんまり、期待できないかも……。



 若干、肩を落とすステフに、銀髪の少女は怪訝な表情を浮かべるも言う。


「アンタがその吸血鬼を倒したの?」


「一応、そうなるのかしらね。でも何故そんなことを聞くの? やっぱりお仲間かしら」


「……私は、妹よ。……アンタが倒したサジヴァルド・デルマイーユは私の兄様だわ」


「え? 兄妹……」


 似ていない。


 ステフが感じた第一印象はその一言だった。


 それは見た目だけの話ではない。


 彼女がまとっている雰囲気は、あの吸血鬼の禍々しいものとはまるで正反対のものだ。


――っていうか、あの男、サジヴァルド・デルマイーユって名前だったのか……。


 その吸血鬼は、昨夜未明にステフの乗る大型旅客船 《レイナー号》を襲撃した犯人だ。


 絶大な魔力とタフさを持ち合わせた《魔竜人》だったが……。正直、見た目の不気味さと悪趣味さばかり際立っていて、名前なんか気にもしなかった。


 そんな風に話したらきっと目の前の少女も怒るだろうけれど。


「お兄さんの仇討ちのつもり?」


「お生憎そんな気はさらさらないけどね。私は兄様のバックアップなの。依頼人からも急かされているから、悪いけどこんな仕事さっさと終わらさせてもらうわ」


 そう告げて、銀髪の少女はステフに眠りの魔法をかけるため、左の手の平に魔力を練り始めた。


 室内に、銀髪の少女が放つ魔力が溢れ出した――次の瞬間、突然部屋の天窓が粉々に割れる。


 ガラスの砕ける派手な音に、素早く視線を向ける銀髪の少女。


 その少女に、蒼髪の剣士が落下するガラスの破片よりもはるかに速い速度で急降下しつつ、長剣で斬りかかってきていた。

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