掌に真空の刃を発生させていたエルは、折角作りだしたその刃を放つことが出来ないでいた。
爆発的な闘気を放ち、大気を振るわす轟音と共に、ナスカが魔人の戦斧を弾き、剛毛に覆われた巨体を長剣で切り刻んでいる。
その動きは捉えきれない程に速く、あり得ない程複雑に動くので、こちらから攻撃を放ちにくいのもあったが、鬼神のごとき傭兵隊長の剣戟に目を奪われていたのもあった。
そのエルの耳に、息を詰まらせる微かな嗚咽が聞こえてくる。
「司祭……様?」
エルがホーチィニの方を覗い、その姿を捉えて驚きのあまりに目を見開いた。
気丈な宮廷司祭が、取り繕うこともなく呆然としたまま泣き出していたのだ。
「ど……どうしたんですか? その、どこかまだ痛むんですか?」
エルの問いかけに、ホーチィニは首を横に振るだけだった。
心配してホーチィニにさらに声をかけようとしたエルの耳に、つんざくような爆音が飛び込む。
突然の轟音に、思わず短い悲鳴を挙げて、エルは両手で耳を塞ぎつつ爆音の発生源に視線を向けた。
☆
半妖精の少女が爆音に耳を塞ぐ僅か前――
ナスカの超人的な剣戟に、魔人の赤黒い巨体が、剛毛の赤さとは別の赤色に染まっていく。
だが、切り刻まれた肉体は、瞬時に再生し致命傷どころか、有効なダメージにすらなっていなかった。
その戦況を間近で見ていたダーンも、自分の時と同じ状況であることに歯がみする。
あの赤い髪の女が打ち込んだ魔力の源、複雑で禍々し魔法を幾重にも編み込んだであろう《魔核》を破壊しなければ、魔人の再生能力は止めることが出来ない。
しかし、その《魔核》も魔人の強固な肉体の奥に隠されてしまっている。
あの異形の肉体を徹底的に破壊し、その《魔核》を露出させなければ勝機はないのだ。
せめてもの助太刀をするべきと判断し、再び魔人に切り込もうとしたところで、ダーンは目の当たりにする。
ナスカの長剣が凄まじい龍闘気を圧縮して纏っていることを。
なにか、大技を繰り出すのかと思った瞬間だった。
ナスカは、その全身から猛々しくも濃密な闘気を吹き上げる。
その迸る闘気はダーンですら近寄りがたい勢いである。
ナスカの動きがさらに加速し、素早い動きで戦斧の死角に入り込んだ。
そして、溜めていた力が解放される。
魔人の胸部に向かって突き出された長剣が、莫大な闘気を放ち、白金色の爆光が太刀筋に連続で発生、その爆発の威力が指向性を持って魔人の胴体を破壊した。
耳をつんざく轟音と、網膜を焼き付けんばかりの閃光の乱舞。
その威力で魔人の肉体は吹き飛び、胸部の辺りをめちゃくちゃに破壊していく。
「これが奥義、崩爆龍顎衝だ」
呟くナスカの視界に、宙に舞う魔人の肉体が映る。
その巨体の胸部には、胸の部分すべてを穿った大穴が空いていた。
完全に致命傷のはずだが、その大穴の向こう側に赤い小さな光が見えると、その光から禍々しい《魔》の波動があふれ出す。
そして、その赤く小さな光を中心に、再び魔人の身体が再生し始めている。
「今だ!」
ナスカの怒声に、ダーンが素早く反応していた。
研ぎ澄ました精神波を長剣から放ち、眼前の《魔》、その本質を見抜いていく。
そこにあるのは、幾重にも編まれた魔法の集合体だ。
それを、洗練された闘気の刃で絶つ。
カリアスの具象結界を破った《闘神剣》の剣技――空破閃裂斬。
蒼白く輝く刀身が逆袈裟に振り抜かれ、発生した蒼閃の衝撃波が、魔人の《魔核》を切り裂いた。
ガラスがいくつも割れる耳障りな音が響く。
その場に漂っていた禍々しい《魔》の気配が消え去り、大穴の空いた上半身と下半身を分断された魔人の身体が、力なく大地に落下した。
☆
ダーンの強烈な一撃が魔人の身体と《魔核》を斬った直後、ナスカの身体にも異変が起きていた。
「グッ……があああああッ!」
奇声を上げて、長剣を投げ出し苦しみ出すナスカ。
その身を両腕で押さえて苦痛にのたうち回るナスカに、慌てて駆け寄ってきたホーチィニが飛びつくようにして抱きつく。
「ナスカ、ナスカぁ……」
泣き出しながら、宮廷司祭は傭兵隊長の身体をきつく抱きしめた。
ホーチィニに抱きつかれたナスカは、苦悶の表情のまま意識を失い、彼女と共に仰向けに大地へと倒れ――
その肉体からは不気味な音が鳴り出し始める。
その音を聞く者達は、我が耳を疑った。
人の身体の内から響いていい音ではない。
パキッ!
パンッ!
ゴポッ!
連続して響く小さな破裂音と、骨肉の砕ける音。
龍闘気がナスカの肉体を内部から連鎖的に破壊していく。
龍闘気――ナスカが先天的に持つ超人的な力だ。彼の両親は、二十三年前に勃発した《魔竜戦争》の英雄である。その両親達が、圧倒的な戦闘力を持つ魔竜と闘うために、強力な神霊と契約し、その魂を神霊《神龍》と合一させた。
その結果、後に生まれた子供達が、生まれながらに強力無比な魂をもってしまったのだ。
宿る力を解放すれば、ナスカは人外の戦闘力を発揮する。だが、その力は人の身を内側から破壊する諸刃の剣でもあった。
「ナスカッ」
「隊長!」
その異様な状況に、血相を変えてダーンとエルが走り寄る。
泣きじゃくるホーチィニと、肉体を痙攣させつつ連続して耳障りな破壊の音を奏でるナスカ。
近づいて、ダーンは気がついた。
二人の間に、銀の光が漏れ始めている。
「これは……まさか《絶対再生治癒》?」
ダーンの呟きにホーチィニは応えないが、銀色の光がどんどん強くなって二人を包み込むと、ナスカから聞こえてくる破壊の音は少しずつ減っていき、やがて音が止んだ。
「なんか、凄い生命力の波動を感じるけど、これってサイキックなの?」
妖精の羽を消したエルがダーンに尋ねると、彼は首肯する。
「見るのは初めてだし、この《絶対再生治癒》はサイキックの中でも最高位の治癒術で。神界の天使達でも使えるのはほとんどいないはずだ」
ダーンの説明を聞いていたエルだったが、少しだけ疑問に思うこともあった。
それは、神界の天使達がサイキックを使うという点だ。
彼女が知っているサイキックの知識では、人間の中でほんの一握りのサイキッカーが扱う能力だったはず。
だからといって、神界の住人が使えないという条件が発生するわけではないが、同じような力を発揮する人間と天使。
その存在は、もしかしたら近い存在なのではないだろうか?
そんな風に思い至ったところで、エルの思考は止まる。
ナスカが目を覚ましたからだ。
「無事か?」
ダーンの問いかけに、ナスカは苦笑いし応える。
「なんとかな……しばらく動けそうにないが」
その言葉と共に、銀色の光が消え、ホーチィニの身体が力を失いナスカの上に崩れるように伏した。
「彼女は……大丈夫なのか?」
「こうなると……二日は昏睡状態になるな。無理させちまったな、畜生……」
ナスカはホーチィニの身体を力が上手く入らない両腕で、なんとか抱きしめてやる。
「……申し訳ないことを……してしまいましたな……」
不意に、ナスカ達がいる場所から少し離れた地面で、嗄れた小さな声がし、ダーンは戦慄しつつ、慌てて長剣を構え声のした方向を振り返った。
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