タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

琥珀の追憶28

公開日時: 2020年11月22日(日) 07:47
文字数:3,428

 真円の月が白亜の城壁を照らし出す。


 満月の夜、アテネの王城では華やかな晩餐会が催されていた。アテネ王国とアーク王国を繋ぐ大陸間旅客飛行船の完成を祝うことと、同盟国アークの国王リドル・アーサー・テロー・アークを主賓として招いたものだ。 


 王城の最大規模を誇る迎賓室には、自国の他周辺諸国の貴族、飛行船の建造に尽力した技術者など、多数の賓客が、贅をこらした宮廷料理に舌鼓している。室内では、宮廷音楽団が柔らかなメロディーを奏でていた。


「なんか、俺がいるのは場違いな気がする」


 濃紺の騎士服を着た少年が、トーン低くぼやく。その隣、白を基調としたドレスを着こなした少女は、それを聞いて苦笑いした。


「あたしの護衛役なんだもん、仕方がないでしょ。それに、それ似合っているよ」


 ドレス姿の少女は騎士服姿の少年に顔を寄せてささやく。


「ど、どうだか知らないが」


 少女が肌が触れるくらいにまで接近したため、結い上げた艶やかな黒髪からの香りが少年の鼻腔を擽る。


「さて。さすがにあたし達がお父様のいる中央まではいけないだろうけど、このへんの料理も美味しそう。二人で食べに行こ、ダーン」


 黒髪の少女、ステファニーが騎士服姿の少年、ダーンの手を引いて宮廷料理の並ぶテーブルへと向かおうとした。彼女は、主賓リドル国王陛下の愛娘ではあるが、対外的にはその事実を秘している。よって、このような席では、出席しても、身分を偽り、また中央へはよらないようにしていた。


「あ、おい、ちょっと」


 こういう場に慣れていないダーンは、尻込みしたままステファニーに付き従うしかなかった。

 ダーンはふと、二日前の夜、鍾乳洞《神龍の寝所》でやたらとはしゃいで手を引かれ連れ回されたことを思い出す。繋がれた手から伝わる感触は温かで柔らかい。それを感じて、彼は平静さを保つのに苦労していた。


「あ。これ美味しい! ダーンもどう?」


 テーブルに着くなり、ステファニーは目の前の料理に手をつけた。そのまま、備え付けのフォークにそれを刺し、ダーンの口元に持っていく。


「う。あ。いや。今日は卵系はちょっと……」


 目の前に出された卵焼きの一切れを目にし、ダーンは視線を背けた。少し甘い感覚になっていたのだが、昨日の惨劇を思い出し、一気に苦い気分に陥る。


「まあ、あれだけ目玉焼きを食わされりゃぁ~なぁ」


 卵焼きを挟んでぎこちない二人に、声をかけてきた少年は、茶髪を掻き上げて苦笑いする。アルドナーグ家のダーンにとっては義理の兄、ナスカである。彼も、そしてその妹リリスも、王族直系の貴族として、今回の晩餐会に招待されていた。――そのリリスにあっては、先程からどこかに姿をくらましてしまっているが……。


「あ、う、あれは……その」


 卵焼きを怖ず怖ずと引っ込めながら、ステフが意気消沈、さらにその白い頬に朱がさした。


 それは、昨日の昼頃に起こった些細な事件。


 月影石の生成などで、ダーンに色々と世話になった御礼とばかりに、ステファニーがいきなり彼に料理を作って振る舞うと言い出したのだ。


 なお、お礼が何故手料理を振る舞うことになったのかは、金髪ツインテールが読ませた少女趣味な娯楽小説の内容にまで遠因するので、詳細は割愛する。


 それで、ステファニーが金髪ツインテール並みに料理の腕があれば問題はなかったのだが……。現実は甘くなかった。


 アーク王宮の奥で大事に育てられた箱入り娘である。しかも、十歳の少女。そう、まともに調理など出来るわけがなく、しかもそれを理解する認識もなかったのだから、それは事件となるわけで。


 当初はオムレツを作ると言って、具材を刻む際に指を切り落としそうになり、周囲から猛反対され断念。その後、簡単な目玉焼きを作るにも、キッチンが黒煙に燻る程に凄惨な焼き加減を連発したのだ。


「んー、まあ、最後はけっこう旨かったぞ。単に卵を食い過ぎて飽きただけだよ」


 ダーンの言葉に、ステファニーは少しだけ頬を赤らめつつ俯く。


「……おめぇもたいしたもんだよ、ダーン」


 呆れ顔を隠しもせずに、ナスカはダーンの背中を肘でつつきつつ言う。昨日ナスカは、立ち上る異臭に驚いて、キッチンに駆けつけたのだが、そこで見た光景はなかなかどうして感慨深いものがあった。


 ステファニーが調理に失敗した目玉焼きを、ダーンは焼き上がる度に試食と称して平らげていたのだ。ほぼ炭化した卵を、うまく炭の部分だけナイフで切り避けてではあったが、それでもさぞかし苦々しい味わいだったことだろう。


「うー。うー」


 俯いたステファニーが、うまく言語化できない状態で唸っている。羞恥、悔しさ、不甲斐なさ、そしてほんの少しの嬉しさがゴチャゴチャに混じった、これまで少女が経験したことのない精神状態に、言語中枢が圧迫されているのだろうか?


「いや、まああれだ。食材は大事にしないとだしな。それに卵のたんぱく質はいい筋肉を作るのにも適しているんだ。俺にも損はないぞ」


 ダーンはそう言って、俯いたステファニーの右手を掴むと、彼女が手にしたままだったフォークの先にある卵焼きを奪い取るように口にした。


「あ、ああうッ……」


 いきなり手を捕まれた上に、そのまま手を口元まで引き寄せられたステファニーは、さらに筆舌しがたい感覚に、脳神経がショート仕掛けたが。ダーンは素知らぬ顔で卵焼きを咀嚼する。……ステファニーの手を握ったままで。


「……ダーン、その、ごめ……はなし……て……手……手……」


 か細い声で訴えるステファニーに、とうのダーンは少しだけ怪訝な面持ちで、その手を離してやる。その二人を見やりつつ、年上のナスカは肩をすくめるしかなかった。




「ほほう、ステフが料理をねぇ……。これはまたどうして、愉快なこととなっているな」


 会場の中央付近、出来上がった人の輪から覗き見るように愛娘の姿を確認していた男、リドルが感慨深く言葉を漏らした。


「どうやら、昨日ウチの台所で頑張っていたらしいがなぁ。リリス曰く――」


「壊滅的な料理音痴」


 レビンの言葉を引き継ぐように、彼の背後から幼くも凜とした声がする。リドルが視線をレビンからその背後に佇立する少女に向けた。薄桃色のドレープラインが華やかなドレスが、幼い肉体を包み、金細工のようなツインテールが彼の視界に飛び込む。


「これは、手厳しいな」


 リドルは肩をすくめて苦笑いし、幼い少女に向き直ると、黒曜石を思わせる瞳を鋭く向けた。その瞳に映っていたエメラルドの優しい輝きが、緋色の鮮烈なものへと変わる。


「……おいおいリドル、いきなりウチの娘を挑発せんでくれよ?」

 

 常人には察知すらできない、高次元の気配だけが漂う中、その渦中にいたレビンがぼやく。


「なに、かつて覇を唱えた闘神の気配というものを、せっかくだから味わいたくてな。気分を害されたならば謝罪しよう、紫電の女王よ」


「いえいえ。こちらこそお会いできて光栄です。地上最強の国王陛下」


 闘気や殺気などは微塵も出ていない二人、しかし内包する存在感だけで、お互いの格と力量を測り合って、二人は共に笑う。


「やれやれ。……ところで、単純な興味だが、お前らどっちが上だ?」


「さあな」


「……今の私では、まだおよばないわ」


 はぐらかすリドルに対し、リリスは瞳をエメラルドに戻しながら言うが、それを端から見ていたレビンは誇らしげに鼻を鳴らした。


「それは、いずれこのオレを超える自信があるということか。楽しみなことだな」


 含みあるセリフを吐くリリスに、リドルも愉しげに言うが――


「そうね。でも、将来確実に貴方を超えるのは、私よりもきっとあの二人の男だと思うな」


 エメラルドの瞳が流すように、蒼髪の少年へと向けられる。それに誘われるように、リドルとレビンは再び視線を戻した。その先には、若干困惑した少年少女とそれを囃し立てる茶髪の少年の姿。


「ふん……あの三下バカ息子がか?」


 少し離れた位置にて、年下の二人をからかうナスカに対して、鼻で笑うレビンだったが……。


「お前の息子だろう? 一昨日、少し手合わせをしたが、俺はお前以上に楽しみだがね。それと……」


「リドル?」


 自分の息子が偉大な戦友に高評価であることに、レビンは誇らしい胸の高鳴りを抑えていたが、その戦友のまとう雰囲気が少し異質になったのを怪訝に感じる。


「あの少年、ウチのステフに手を出すようなら、せめてカリアスよりは強くないとなぁ!」


 まさに、父としての本音をぶちまける最強の国王は、端から見ていたリリスすら戦慄する程の凄惨な笑みを浮かべるのだった。

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