タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

琥珀の追憶27

公開日時: 2020年11月22日(日) 01:40
文字数:4,216

 清廉な月明かりの下、寄り添う黒い影が大地に揺れていた。


 夏の夜、深夜にもなればそれなりに気温後下がってくるが、夏服の薄い布地二枚越しに、暖かな体温が伝わってきて、心地よく感じてしまう。


「その……なんだかごめんね」


 蒼髪の少年、その背におぶさった少女が、もう何度目かの同じセリフを口にする。


「あ、いや……このくらい平気だから気にするなよ」


 耳の裏に少女の吐息がかかる甘い感覚……僅かにも動揺しているのを押し隠し、ダーンは同じく何度目かの言葉を返した。


 リリスが金髪のツインテールを振りつつ先頭を歩き、彼らは既に鍾乳洞を出て、アルドナーグ邸に向かう林道を進んでいた。森林を揺らす風は柔らかく、涼やかに木の香りを孕んでステフの肌を擽る。


 未だに、挫いた左足首の痛みはジンジンと伝わっているはずだが、ステファニーはほとんどその痛みを認識していなかった。

 

 抱きつくように身体をその背に預ける、その筆舌し難い安心感に、半ば酔っているかのように。


 はじめは気恥ずかしいだけで、その背中に胸を押し当てるのを避けて、妙に背を起こして不自然なおぶさり方をしていたステファニーだったが。それだとダーンの腕に負担が増す上に、狭い鍾乳洞内の階段などでバランスを崩しかけたため、今はしっかりと胸をダーンの背中に預けていた。


 薄い夏服のためか、じんわりと彼の背中の熱が少女の胸を焦がし始めている。


 胸の鼓動はずっと高まりっぱなしで、伝わってくる熱以上に、彼女の胸の奥では妙な『熱』が生まれているのだった。無論それに、少女自身が気がついている。


 先ほどの意識共有状態でのやりとりで知った、彼の『剣に抱く想い』のことも、それでさらに強くなった彼への好奇心も、全てがその『熱』を確かなものにしていくようだ。



――これって、やっぱりアレなのかな? あ……いやいや、そんなわけないよね、このあたしが……はつこ……っ……んなわけないッ。



 脳裏に浮かんだその言葉を、最後まで認識しないように頭を振って、ステファニーは強引に否定する。それを簡単に認めてしまえば、アーク王国に帰った後、ふとしたことで《専属の教育係スレーム》に見透かされて、散々からかわれるに決まっている。


「ステフ? どうしたんだ、もしかして足、痛むのか?」


 不意にダーンからの声。どうやら、ステファニーが自問自答して妙な動きをしていたことを怪訝に感じたらしいが。


「な……なんでもないよ、うん。足もそんなに痛くないし、大丈夫だから。……というか、そろそろ下ろしてくれても……」


 取り繕ったように言い返して、最後はやはり気恥ずかしさからこの状況をなんとかすべく、遠慮がちにおんぶの状態から下ろしてくれてもいい旨を訴えるが――


「いや、このままいこう。母屋までもうすぐだが、ウチの庭園は夜だと少し歩きにくい。けがを悪くしてもいけないからな」


「う、うー。わかったけど……その、重くない?」


「ん? ステフ、思っていたよりも軽いんだな。俺は普段、足腰の訓練で五〇カリグリム(キログラム)の砂袋とか担いで歩き回っているんだから、このくらい余裕だよ」


 ダーンは言葉を返しつつ、ステファニーを背負い込む腕に力を込め直し、背中を軽く揺すって背負い直しをする。


「ひゃっ……って、いきなり変なとこに力を入れないでってば……」


 ダーンからの逞しい発言とともに背中の筋肉が脈動し、少女のからだがほんの少し浮き上がっては、少しずれかかった所をしっかりと背負い直される感覚、思わず素っ頓狂な声が漏れたステファニーは悪態を吐いて恥ずかしさを紛らわした。


「へ、変って……別に単に背負い直しただけだぞ」


「…………手とか、その、けっこう恥ずかしい所を触ってるんだけど」


 淡々と応じてくるダーンに、少しムッとしつつも、ステファニーは意地悪な思いつきをもって言葉を向けてみる。すると、思った以上に反応が返ってきた。


「へ? あ! いや、そういうつもりじゃ……」


「あー、吃るんだ、そこで。やっぱりわざと触ってたの?」


「いやいや。ふとももだけ抱えると後ろにずれて背負いにくいから、仕方がなくだな……」


「そういう言い訳で、お尻のほうに手がいくのね? 男の子って」


 呆れた風に声を乾かせて言い切るステファニー。だが、あえて体重を彼の腕に預けて、その手がそこ・・から逃れられないように意地悪もしていた。


「あ、違っ……っていうか、そもそもそこ・・は尻なのか? ギリギリ脚だろ?」


「ううん。お尻よ、あたしにとっては。まだ他の男の人に触られたことないし、そこ触られたら、多分痴漢されているって、感じると思うんだ」


 実際、背負うために背後に回されて組まれたダーンの手は、脚と言うには少し無理がある部分にも触れてはいた。


「ち、痴漢って……そ、そんなんじゃないぞ! 断じてない」


「ムキになって否定するところが怪しいなあ」


「この~。……って、なるほどな。ステフ、そんな風に煽っても、ここで下ろさないからな」


 気恥ずかしい状況を煽ってやれば、さすがに背中から下ろしてくれるのではと考えていたステファニーだったが、どうやらわざとらしかったか、ダーンに看破されてしまった。


「う……。や、やっぱりダーンってこの状況を喜ん……」


 言いよどみつつも最後の一手とばかりに、言い返そうとしたが――


「ああそうだ。喜んでるから、おとなしくしててくれ。役得だとも思っているからな。背中もあったかいし、上着持ってこなくて丁度良かったよ」


 すっかり少女の意図を読み切ったダーンが、さらに意地悪に言い返して、ステファニーは絶句する。


 こういうやりとりは、《専属の教育係スレーム》にそれとなく教わってきたせいでそこそこできるつもりだったが、はかない経験では、これ以上のやりとりはかえって不利な状況にしかねない。そう悟ってステファニーは、せめてもの抵抗と感謝を込めて、後ろから思いっきり抱きついてやった。


 背後からの不意の圧迫で、妙な声を漏らして背筋の筋肉がビクッとなるダーン。その背中の感触に、今度は素直に自分を預けていくステファニー。自然と閉じていく琥珀の瞳は、慣れない夜の冒険によるものか、そのまましばらく開くことがなく――やがて、規則的な寝息が囁くように、ダーンの耳をくすぐるようになっていた。





     

     ☆





 

 月明かりが差し込む南側の窓、腰高の敷居に軽く腰を預けて、眼下に広がる庭園の先を見つめる。その男は金色の短く刈り上げた頭髪を軽く掻き上げ、手にしたグラスの中、琥珀色の液体を口に含んだ。


 アルコール度数の高い蒸留酒、ブランデーと称されるアーク王国産の上等な輸入品。その芳醇な香りが、口の中にふわりと広がって鼻に抜けていくのを愉しみ、ゆっくりと呑み込んでいくと、彼はその余韻のせいか上機嫌に細く笑む。


「ちょっとぉー、随分と嬉しそうなんですけどぉ。私が散々な目にあったっていうのに、その間リドルと王宮で呑んでたんでしょ? それなのにまだ呑んで笑っているって、あんまりなんですけどぉ」


 すぐそばにある化粧ダンスに設けられた姿見の前、濡れた髪を乾かしながら梳いていた女性――ミリュウは、普段の大人の落ち着きを放棄して、あからさまにむくれていた。


 レビンは肩をすくめて、ご機嫌斜めのミリュウに視線を向ける。


 部屋の明かりは、外から目立たないように、化粧ダンスの手元燈のみにし、アルドナーグ邸の母屋、その二階部分にあるレビンとミリュウの寝室では、かの四英雄の夫婦が子供達の帰りをこっそりと待っていた。


 ミリュウは、漆黒の騎士ジーンと激闘の後、その場に駆けつけたレビンと合流し、軽い手当を済ませた上、すぐにここに帰ってきている。そして先ほど入浴を済ませてきたばかりだ。栗色の長い髪からは、洗髪料の甘酸っぱい香りがほのかに立ち上っている。


「あー、まあ、それは済まないと思っているんだが。一応リドルは非公式とはいえ国賓だ。王宮で内輪だけでも歓迎しなきゃならんしな。それに、そういう隙を作ってやらねーとジーンの奴は姿を見せなかっただろうしよ」


 レビンの言葉に、ミリュウは渋々といった感じで頷くが、やはり機嫌はよろしくない。実は、戦闘後の方がもっと不機嫌であった。レビンの顔を見るなり、悔しそうに涙をにじませて「手加減されて負けた」と屈辱を露わにしていたのだ。


 レビンもその言葉の意味は察していた。


 漆黒の騎士ジーンは、ミリュウを本気で殺める気は全くなかったのだ。彼は、ミリュウの力量を測りながら、最低限対処できる範囲でしか戦闘力を発揮していなかった。それは最後の瞬間の動きから推し量れば推察できる。


 さらに彼は、すぐそばにまで接近していたレビンとリドルに、非礼を詫びるかのように一礼して去って行った。あれは、レビンに対し、その夫人に対し刃を向けたコトへのせめてもの謝罪であったのかも知れない。


「とりあえずは、ミリュウもリリスもよくやってくれたよ。あの子達にとって、この小さな冒険はきっと将来に大きく意味を持つだろうな」


 レビンは視線を窓の外に戻しつつ言う。その視線の先には、この母屋に歩いてくる子供達の姿がかろうじて視認できた。


「むー。まあ、レイナーからずっと前に聞いていた《儀式》だし、私も協力したけど……。でも、それって私たちがあの子達に、決められた未来とか宿命なんかを強制させたんじゃないかな? 今さらだけど、私はそれが気になるな……」


 淡い桃色のナイトガウン、その胸の前に両手を組んでミリュウは吐息する。魔竜戦争が終結して十六年、これまでも闘いとは別の様々な課題と、人の手に余るはずの事象を抱えては対処もしてきた。後悔はしていないが、全く省みないわけでもないのだ。


「いや……そう心配することもないかもしれんよ。リリスは自分で己の道を選んだし、ナスカだって自分自身のことに向き合い始めている。そして、ダーンは……アイツはさらに幸せなことかも知れないぞ」


「どういうこと?」


「フフッ……今夜の酒の席でな、リドルの奴がそれはもう自慢するんだよ。あのステファニーって娘のな。親馬鹿にも程があるってくらいにさ。で、結局ああいう感じになってるんだからさ……」


 レビンは、窓の外を顎先で指し示すと、その窓辺から離れた。興味をひかれたミリュウがかわって窓の外を覗いてみると――


「ああ。なるほどね」


 庭園の外周部分にある藤棚の脇をこちらに歩いてくる金髪ツインテール、その後ろを眠る少女をおぶって歩いてくる少年の姿を認めて、ミリュウはようやく機嫌を直し微笑むのだった。

 

 

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