魔神アガレスにリリスが提案したことについては、主に次の二点だった。
一つは、神狼ナイトハルトが属する四島王国とアガレス領との軍事同盟締結。
一つは、ステファニーの調弦加速理論はまがい物であったという情報の拡散。
アガレス領の東側国境地帯で対峙しているソロモン王国は、既に大陸北側一帯を併呑していた。
もしも、大陸から海を隔てて北側に位置する四島王国がアガレスと同盟関係となれば、ソロモン王国は北と西から敵対勢力に挟撃される形となる。
ソロモン王国の戦力は絶大であり、大陸の中央からあらゆる方面に戦力を振り分けつつ、戦線を維持してきた。しかし、それは同じく《魔》に属する魔神たちとの戦線だけだ。
仮に、《魔》と対極の位置にある《聖》の活力をもつ勢力が敵対したとなれば、彼らはこれまでとは全く違う対応を余儀なくされる。そうなれば、いかに強大な軍事力を誇ろうとも、思うように戦線を維持できなくなるだろう。
実は近年になって四島王国側も、勢力を増していくソロモンに対して、何らかの策を講じなければならないと判断していた。それは、ソロモンが他の世界に干渉し始めていることを危惧してのことでる。
ソロモンは、竜の世界を足がかりに人間界まで干渉し始めているが、いずれは《聖》の活力を御する術を見いだすかも知れない。そうなれば、同じ世界に存在する自分たちに攻め込まない理由はなくなるのだ。
いずれ攻め込んでくるだろうソロモンに対抗するために、四島王国は戦力の充実を図らねばならなかったが、神狼はそのために人間界へとやってきていた。
その神狼の本来の目的は、絶大なる戦闘能力を誇る雷神王・リリスとの折衝ではあったが――。
それが今回、魔界の穏健派と接触できて、その上同盟を結べるとなれば、渡りに船である。
そして、ステファニーの調弦加速理論については、アガレスが確認して、そのような理論ではなかった、ということにしてしまえばいい。
アガレスほどの博識な大魔神が、わざわざ直に確認して、『そのような理論はなかった』と公に言えば、効果は絶大だろう。その情報の真偽をさらに疑って魔界から人間界に来るには、手間と労力がかかる分、割に合わないのだ。
また、非公式ではあるが、雷神王とその眷属がアガレスの客将として赴くことも約束された。
「どのみち、ナイトに誘われて、異界には行く予定だったから丁度いいわ。まあ、あんまり頻繁には行けないけどね」
リリスはあっけらかんとした態度で言う。リリスがアガレスに力を貸すのは、あくまでも東方魔界の防衛のためにだが、これは、アガレスにステファニーに関わる情報操作をしてもらうお返しでもあった。
「お主が味方してくれれば百人力じゃが……。良いのかの? 儂らの戦に巻き込むことになるが? 儂が今更言うのもなんじゃが、闘いの道に引き込むことにもなれば、お主の親御を悲しませることにも……」
老魔神は目を伏せつつ、声をおとして言うが、当のリリスは特に気にした様子もなく、
「あー。それは今更かも……。とっくに、母さんと父さんは、私の生きる道を理解してくれてるから」
と、神狼ナイトハルトとのリンケージを解きつつ応じる。
『それについては、我の方でもお二方に話をしておるが……。元々、雷神王を子として授かる覚悟があったようだからな。英雄と称される器ということであろうな』
コトの重大さに反し、頓着ないリリスの言動に半ば困惑顔のアガレスを見かね、神狼ナイトハルトが補足して語った。
「ふぅむ。まあ……いずれ同盟締結の委細を決めるためにこちらに再来するのでな。その際に儂も親御に挨拶させてもらおうかの」
なんとなく心配な声でそういう老魔神に、やはりどこか憎めない魔神なのだなとリリスは苦笑して、ふと母親のことに思いあたる。
「そういえば……。どうやら、洞窟の外で母さんが闘っているみたいだったけど……」
アガレスと具象結界の中で戦闘していた頃から、リリスは外の状況をしっかりと把握していた。もちろん、結界の外にステフを残してきていることから、その状況を常に把握しておきたいために、結界の外を気にかけていたこともあるが……元々、今回の夜の『冒険』については、ミリュウにこっそりと言い含めてあったのだ。
ただし――
リリスには、その母の対戦相手に興味が芽生えていた。
四英雄の一人である母が、今の今まで戦闘中であるということは、つまり相手も同等以上の手練れということだからだ。
「うむ。あの男も儂と同じく、超弦加速のことについて、その娘に用があるようじゃったが……」
アガレスの話しぶりから、リリスは外で母が戦闘している相手が、魔神の類いではないと推察する。
「その口ぶりから察すると、外のお仲間さんは魔界の関係者じゃないんだね」
「左様じゃ。儂も詳しくは知らなんだが、この世界の人間…………ふむ、いや。……少しだけ異質な気配も感じたが、人間ではあると思うのじゃ」
歯切れ悪く言う老魔神は、顎髭を撫でつけつつ、しばし黙考する。
『その者、あの稲妻の姫君とまともに闘って……いや、むしろ押しておるようだぞ。リリスよ、援護に向かうか?』
気配の探知により長けている神狼が口を挟むが、リリスは軽く考える仕草をしたが……。
「うーん……多分、母さんなら大丈夫かな。むしろ、ソイツがこっちに来てステフを狙うといけないから」
「ふむ。しかしあの男、一体何を考えているかは儂も読み切れなんだ。魔界からこちらに渡った直後に、いきなり彼奴からコンタクトをとられてな、さすがに儂の思惑までは話さなかったが、何やら察してもいたようじゃ」
隠密性も考慮し、単身でこちらに来たアガレスだったが――その来訪にいち早く察知して、その男は転移直後の魔神を訪れてきたようだ。
まるで、魔神の来訪を予測して、異界間渡航者の監視していたかのように。
☆
一度は剣を納めるかと見えたジーンだったが、再びその切っ先をミリュウに向ける。
「どういうことかしら? このまま続けても……」
「勝負はすぐにはつかず、私にとっては不利でしかないか……? 果たしてそうかな」
ジーンは、闘気を急速に膨れ上がらせて前のめりに構えると――
彼の足元の岩床が、その蹴り足の力に耐えきれず爆ぜた。
――速い!
初速から音速の数倍を超える加速で漆黒の甲冑がミリュウに迫る。突き出された異様な気配を放つ大剣の切っ先、その勢いはこれまでとは格段に上の威力を備えていた。
ミリュウは、飛翔していた金鱗の刃を迫るジーンにたたき込もうとする。最速に、かつ最大の威力を誇る神代の雷を纏わせて。
「重力子爆轟衝!」
漆黒の弾丸と化したジーンが、その周囲の空間を歪ませる。
それは、重力を操るサイキックによって生み出された超重力だ。それをさらに圧縮し、衝撃波として放射状に放った。
超加速した時間の中、ミリュウの表情が凍り付く。
ジーンに向かっていたはずの雷撃を伴う金鱗の弾丸は、全て彼の放つ重力波によって弾き飛ばされたのだ。
彼女の攻撃を無力化したジーンは、そのまま一気にミリュウの肉体を串刺しに――。
瞬間、漆黒と黄金の姿が交錯する。
周囲の大気を揺らす轟音と、夜の闇を昼のように眩しく照らす一瞬の大閃光。
「ホント……とんで……もない……男ね」
息を切らし、かすれがちの弱々しい声で、ミリュウが悪態をつく。
「それは、こちらのセリフだ稲妻の姫君」
ジーンは言葉を返して、軽く口元に笑みを浮かべると……その場にガクリと膝をついた。
漆黒の甲冑、その左脇に穴が穿っている。
「……とっておきの、奥の手だったん……だけど決め手に……ならないなんて」
「フッ……考えてみれば、龍の最大の攻撃と言えば『息』だったな。しかし、まさか陽電子を圧縮して放つとは……」
先程、二人が交錯した戦闘――。
重力波によってミリュウの金鱗の刃を全て弾き飛ばし、その間隙を突いて一気に彼女を突き刺そうとしたジーンだったが……。
貫かれるかという瞬間のミリュウは、手にした金鱗の刃を制御する柄を手放して、両手を手首部分で合わせて胸の前方に突き出し、その両掌を開いた構えをとっていた。その掌で象るものがまるで開いた龍の顎のようだと認識した瞬間――その顎から、轟音とともに眩い光が放たれたのだ。
それは、金龍ファースが得意とする『龍の息』であった。
もっとも『龍の息』といえば炎の息が一般的だが、炎に限らず竜の種類によってそれは様々である。
吹雪を吐く個体もあれば、稲妻を吐くものもいる。金龍ファースといえば、稲妻のイメージがあり、その力を受けるミリュウも雷を操っていたが……。
金龍ファースが誇る真の力は、雷といっても通常の『電子』のみでなく、その反対の性質を持つ『陽電子』すら操るものだった。
陽電子は、いわゆる反物質だ。加速して撃ち出せば、衝突した物質の電子と対消滅を起こし、物質を崩壊させる性質を持つ強力な破壊ビームになる。
同時に、質量消滅時のエネルギーが膨大な熱量を放ち、ビームの射線上で放射線をもまき散らすことになるのだが……。
これを亜光速まで加速圧縮し、撃ち出すのが金龍ファースの息である。
「どうやら、サイキックの制御で発生する放射線をも螺旋状に収束させて、破壊の余波を射線上に絞る特性もあるようだな」
「クッ……それをしっかり、ギリギリで躱した……完全に捉えたと思った……のに、何故?」
「奥の手を使った……とだけ言っておこうか。とは言っても、こちらもギリギリだったがな。あれで致命傷を避けられたのは、私も運が良かった」
ジーンは立ち上がり脇腹を押さえた。漆黒の甲冑に大穴が空いており、さらにその奥には赤い血で濡れていた。
「甲冑に当たったところよりも傷の位置が身体の外側に……やっぱり僅かだけど……躱してる。……亜光速の一撃を」
疲労感から遠退きそうな意識の中、ミリュウは思案を重ねる。ジーンは、こちらの攻撃を超重力の衝撃波で逸らしたかもしれないと思っていたが、少し違うようだ。
亜光速の陽電子が迫るのを、横によけて躱した結果、破壊のビームは甲冑には当たったが、その甲冑が壊され陽電子が中の肉体に達する前に、身体が横移動したらしい。
つまり、躱しきれないまでも致命傷になる肉体への直撃を避けたわけだが、くどいようだが陽電子砲は亜光速の速さで迫っていた。
これを躱した――しかも甲冑に当たっているのに、その中の身体はある程度避けている。陽電子は、甲冑に当たった時点で、対消滅反応を起こしつつ減衰しているとは言え、甲冑から身体までは数セグ・メライと言ったところだろう。ジーンは、その数倍は横移動しているのだ。
つまりは――。
「瞬間的な超光速運動……。あなたもリドル並みの……」
「さてな。さすがにあの《閃光の王》と比較されてはたまらないが、これは単なる反則技だ。それに、貴様も撃つ瞬間に躊躇ったな? 躊躇せずに撃たれていれば、私の心臓は消し飛んでいただろうに……。さて、どうやら潮時のようだ。故に……ここは私が引かせてもらうとしよう」
ジーンは、大剣を鞘に収めた。さらに、漆黒の甲冑が、アテネの街並み側を僅かに仰ぎ見る。
「……下の魔神殿も、どうやら放置して構わないようだが……私は『目的』を果たすつもりでいる。できれば、邪魔はしないで欲しいのだが……そうもいくまいか」
ジーンは街側の丘陵、その頂に現れた二つの影に一礼し、背後を振り返ると……そのまま海側に歩き出して、やがて闇に紛れるようにその姿を消した。
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