宿に着いたダーンを驚愕させたのは、食堂のテーブルに並んだ料理ではなかった。
ガーランド親子がお客のようにテーブルに座っているのに、予想もしなかった人物が給仕係のエプロンドレスを身につけ、テーブルにサラダボールなどを並べていたのだ。
少し小柄で、線の細い彼女には、正直そのエプロンドレスはものの見事に似合っていた。
その姿に違和感が仕事をしてくれず、ダーンも数秒は気にとめなかったほどだ。
しかし、その見た目の姿が似合っているとはいえ、彼女がここにいることはおかしい。
――というか、何故にメイド服?
そんなダーンの視線に居たたまれない気分になって、少女は若干涙声になりつつ応じる。
「もう……何も言わないでくれる……何て言うか、バカみたいだとは自覚してるから」
少し赤面して、ダーンとは目を合わさずに黙々と夕食の配膳準備をこなすルナフィス。
「その……そうだ、うん……再戦の約束をしっかりしてなかったな……そういうことだろ?」
少々、おっかなびっくり諭すように尋ねるダーン。
それが余計にルナフィスを惨めな気持ちにさせたのだが、その状況に見かねた宿のオーナーであるミランダが軽く手を上げて言う。
「本当は、私が強引に引き留めてお泊めしたのです。ノムの命の恩人ですから……。そうしたら、ルナフィスさんは宿の仕事を少し手伝うとおっしゃって。私もあなた方のお相手をしなければいけませんでしたし、ノムもすごく懐いていたので、私の留守中だけのつもりで、宿の仕事をお任せしたのですけど……」
ミランダは言葉の途中で、厨房から食堂に鍋がのったワゴンを押して入ってくる蒼い髪の少女を認め、そちらにも言葉を促すように視線を送った。
「ホントは、あたし達が帰ってくる前に宿を離れる手はずだったらしいけど……そこの悪戯好きがおもしろがって、小細工をしたために厨房で鉢合わせしたのよ」
ステフがミランダの後を補足しつつ、テーブルで白々しくしているノムの方を睨む。
ノムは、ルナフィスとステフを戦場以外の場所、しかも敵味方だったら絶対に遭遇しないであろう場所――厨房で、さらにお互いエプロン姿という形で引き合わせて、その時の二人の驚く顔を見たかったらしい。
余談だが、ルナフィスの着ているエプロンドレスは、魔竜戦争の頃に、アルバイトでこの宿に働いていた女性が使っていたものらしいが……。
当然、その頃ノムは生まれてもいなかったが、倉庫で発見し、是非とも着せてみたかったと熱く語る思春期の少年。
間もなく宿に帰るというミランダからの念話による連絡があった際、ルナフィスには、まだ二時間は宿には到着しないと思うと伝え、ミランダには、既にルナフィスは宿を離れたと伝えていたのだった。
「その……なんというか、いずれにしても今はやり合う気はないようだし、その話は色々と後回しにして、とにかく飯にしよう。カレーなんだろ君たちが作ったのは?」
ダーンの鼻腔を多数の香辛料を調合して生まれる香りが擽る。
この《カレー》という料理、実はこの世界では世界中で作られているのだが、そのルーツは少々特殊だった。
この料理は、発掘されたアルゼティルス古代文明の文書に記載されていた、古代の料理なのだ。
ただ、この料理に必要な香辛料は、既に世界中で流通されていたし、実際には、似たような料理が世界各地で作られていて、料理の専門家などに言わせれば、言語と同じく、古代アルゼティルス文明が世界中にその影響力を持っていた名残でもあるらしい。
それは、多彩な香辛料を組み合わせて複数の食材を煮込むことで、豊かな風味と多彩な味覚の共演を演出する料理で、それを調理する者によって千差万別の個性を持つ。
さらに、香辛料の風味が、夏バテなどの食欲がない場合でも、その食欲をそそり、あるいはストレスによる拒食症などにも効果があるとか。
また、使用される香辛料のなかには、肝機能などを強化したりするものもあり、健康食としても知られているが……。
「ええ、そうよ。正直言って、ルナフィスの下準備のおかげで改心の一食が出来たわ。……特に貴方用に作った方は最高よ」
ステフは言葉の最後の方に含みを持たせて言い、その言葉を聞いたダーンの視界に、ルナフィスが急に後ろを向いて肩を揺らす姿が映る。
「……一体、何をした?」
言い得ぬ不安を覚えて訝るダーン。
「失礼ね……ちゃんと調理したし、毒ではないわ。……本当においしいわよ。ええ、おいしさは最高ね」
そう言って、ステフは配膳を開始する。
食堂に運び込まれたワゴンに、二つの鍋があり、その隣に理力炊飯器があるが、慣れた手つきでカレー皿によそっていくステフ。
あきらかに、ダーンに用意された皿のカレーは他のものと色合いが違っていた。
☆
ステフのカレーを前に、《闘神剣》を身につけ異形の魔物を屠る実力を手にした屈強の剣士が、スプーンを持ったまま怖じ気づいていた。
――このカレーにはきっと何かある!
そんな危機感を覚えるダーンだったが、今日は遺跡の調査や、自分と同じ姿の土人形を相手に激しい剣戟戦を繰り広げ、魔物を相手に散々戦ってきたのだ。
空腹感は限界に近く、その上、眼前の皿からは暖かな湯気に混じって豊潤な香りとスパイシーな風味が立ち上っている。
口の中にはもの凄い量の唾液が溢れ、今すぐにもがっつきたい衝動に駆られていた。
――ええい……ままよ!
覚悟を決めてスプーンにライスとカレーを一緒に乗せて、目を閉じ口の中に放り込むダーン。
次の瞬間、スプーンを口に含んだまま彼の動きが一瞬止まった。
その目は大きく見開かれ、信じられないという表情をして咀嚼をする蒼髪の剣士。
その姿を恐る恐る見ていたステフが、少し口元を緩めた。
「ダーンお兄ちゃん、どう?」
ノムの尋ねる声、その質問に答えることなく、ダーンは黙々とカレーを口に運んだ――というより、一心不乱に食べ続け始めた。
「よしッ!」
そのダーンの姿を見て、ステフが歓喜の声をあげ小さくガッツポーズ。
少しだけ潤んだ琥珀の瞳が、汗だくになりながら必死に食をすすめる蒼髪の剣士を映す。
『それにしても、もの凄い汗をかいていますが……』
ソルブライトが言うとおり、ガツガツとカレーを食べるダーンの額には大量の汗が滲み始めていた。
それを聞いていたからなのか、ダーンが一度スプーンを皿の上に置き、そばにあった炭酸水を一気に煽って、口を開く。
「……辛い……もの凄く辛い……でも、旨くて止まらん」
それだけ言って、またカレーを食べ始めた。
「そんなに辛いのですか?」
自分のものはそれほどではないという感じで、ミランダが作ったステフに問いかける。
「まあ……みんなのものと比べると、多分十倍以上かな……」
「容赦なかったわ……ガラムマサラとか鬼のように投入してるし……」
補足するように言うルナフィスも、一番端の席についてスプーンを手にした。
そのルナフィスが食べ始めたカレーやダーン以外の者が食べているカレーもステフが作ったもので、豊かな味わいと爽やかな辛さがマッチした見事な一食だったが――
それ以上にダーンに盛りつけられたものは、まさに特別製だとルナフィスは知っている。
その特別さは単に辛さの話だけではない。
元々、ブイヨンはルナフィスが作ったものだったが、これを元に各種香辛料を調合しルーを作る際、ステフはわざわざ鍋を二つ用意し、それぞれ別の行程で調理していた。
その手際は、かつて大勢の《魔竜人》の食事を作っていたルナフィスから見ても、感嘆を禁じ得ないものだった。
おそらく料理のプロフェッショナル、それも『一流』と呼ばれる料理人の手際と同じではないかとルナフィスは思っていた。
ステフ自身が「料理大会では優勝候補だった」と言っていたが、その言葉を疑いようもない。
特に、ダーン用に作られたカレーは、単に香辛料を大量に放り込んだのではなかった。
香辛料のいくつかは、より風味が増すように、直火であぶった後に粉砕したり、あるいはフライパンで煎ってみたりしていたし、牛肉なども炒める際は香辛料やブランデーを巧みに使って、香ばしさや豊潤な風味を与えていた。
そう……ダーンの分は、ほかのみんなの分と比べて明らかに手間がかかっている。
それもそのはず、ただ激辛というだけでは、一口食べて「こんな辛いものが食えるか」と突き返されるだけである。
辛いのにそれを我慢してまで食べ続けたいと思う『旨み』を出さなければ、ステフの敗北でしかないのだから。
ステフの調理行程を見ていたルナフィスには、ステフの香辛料を含めた調味料の扱いの巧みさはとてつもない高次元の技術ではないかと感じられたが、そうなると――
――というか、この娘に勝つ『金髪ツインテール』って、一体何者よ?
そんな風に考えながらも、実は、ルナフィスはステフが料理大会で優勝を逃す原因について思い当たるところもあった。
恐らく、ステフは今のままでは絶対に料理大会や、大勢の者が食する料理では一番にはなれないだろう。
逆に、今一心不乱に大盛りのカレーを食べ、そろそろ完食しそうな蒼髪の剣士が、たった一人で料理の味を判定するのならば、ステフは優勝するのではないだろうか……。
そう考えて、ルナフィスは何となく理不尽ないらつきを覚えるのだった
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