非常事態を告げる艦内警報は、数秒間だけ鳴り響いて停止したが、ダーンはすぐに執務机のインターフォンを操作して、発令所を呼び出していた。
「はい、こちら発令所です」
映像付きのインターフォンのため、小さな画面に発令所にてオペレーターを務める少女の顔が映る。ダーンやステフと同い年の少女で、ケイトリン・ファム・リーガル伍長だ。
「戦隊長室だ。今の警報は何か?」
数秒前の甘い声は一変し、ダーンは鋭い声でオペレーターに状況確認をする。隣で見ていて、ステフは少し感心していた。オン、オフの切り替えが早いのが、ダーンの長所と言えるだろう。
「敵襲です……え? 違うの、パパ……? あっ! ごめんなさい」
年相応の茶目っ気がまだ抜けきらないケイトリンの声に、後ろから中年男性の怒号が混じる。発令所には、艦長のジョセフ・レオ・リーガル中佐がいるが、姓名のとおり、艦長はこのオペレーターの父親なのだ。
「……それで、実際何があったんだ?」
ダーンは溜め息交じりに問いかける。
「えーと……自動索敵装置が、こちらに接近してくる影を捉えたようです。だだ、接近と言っても、右舷の方向約千メライで、速度もそれほど速くはありません。未だに正体は不明ですが、その全長が百メライ(メートル)を超えているようで、おそらくは……」
流石はオペレーターとしてこの特務隊に配属されただけはある。ケイトリンは、手元の端末を操作しながら、状況把握しつつ応じていた。
「潜水艦か海棲型の魔竜ね……。でも、どうして警報を鳴らしたの? 攻撃されているわけでもないのに、わざわざ鳴らすなんて」
ケイトリンの通信に、ステフが割り込むように言う。なんとなく乱れた息を整えつつ、少しだけ火照った表情だったが。
「あ、はい。確かにそうなんですけど……どうもシステムのエラーのようです。自動的に警報が鳴ってしまい、慌ててこちらで止めた次第なんです」
「システムエラー?」
ケイトリンの言葉に眉根を潜めるステフ。そして、胸を抱くように腕を組み少し考えてから――
「あっ……、ちょっとごめんなさい」
慌ててインターフォンカメラの前から席を外し、ハンガーに架かっていた軍服の上着を着始めた。ダーンの前では油断していたが、今日の肌着だと、ブラウスに少し透けてしまうため、上着は人前では脱がないのだ。
「……戦隊長、なんかエロい」
モニターの向こうで小さくつぶやくケイトリンだが、オペレーターはインカムをつけているため、小声でもそのマイクが声を拾ってしまう。
彼女のつぶやきが聞こえてしまったダーンが、若干バツが悪そうに咳払いする。
「そ、それでシステムエラーのことなんだけど……」
ステフにもケイトリンのつぶやきは聞こえていたようで、少し声を上擦らせながら、なんとなく襟元を整えて話す。
「詳しいことはわかりません。技術班が対応を開始したばかりです。また、接近してくる影についても、測量班が詳細を確認しています」
ケイトリンは、何食わぬ顔で事務的な報告に移行しているが、こういう切り替えの良さは、オペレーター向きの性格だなと、ステフは感じていた。
「いずれにしても、あたしも発令所に行くから、なるべく情報を集約しておくように艦長へ伝えてね」
ケイトリンが頷くのを確認して、ステフは交信を切った。
「……ってことで、この場合は仕方がないわよね?」
インターフォンを切ってから、ステフは背後に立つダーンを仰ぎ見ては、苦笑いする。
「もう少しほぐしてやりたかったんだがなぁ」
ダーンもデスクの方に戻って、簡単に片づけて発令所に向かう準備をし始める。
「あのさ……もう少しやらせてたら、あたし脱がされたりとかしてない?」
ジトッとした目でダーンを見据えるステフ。少し顔が赤いのは、羞恥と僅かな悔しさのせいだ。
「ん? 何のことだかわからないな。まあ、マッサージを効果的にやるには、服は邪魔になることがあるから、結果的にそうなるかもしれない」
「んもうっ! ちょっと前までは、朴念仁だったくせにさ……なんか、だんだん……」
『残念な変態剣士になりつつありますね。流石はアルドナーグ家の男です』
ステフとソルブライトの辛辣な言葉に、やや身に覚えがあるダーンはバツの悪い苦笑いをかみ殺し、聞こえていないふりをするのだった。
☆
潜水艦アルゼティルス号の発令所は、窓というものがない。海底の凄まじい水圧と、万が一の被弾に耐えるために、何層もの特殊な装甲板に包まれた場所にあるからだ。
そもそも、この艦が潜行する海底には、太陽の光もほとんど届かないため、有視界航行などまずあり得ないのだから、当然窓など必要ないのだ。
故に、発令所に入ると人工的な薄暗い光の中に包まれる感じで、こういった最新兵器に疎いダーンは、この場の雰囲気があまり得意ではなかった。
「大佐殿、御足労いただきありがとうございます」
艦長席に座る中年の男性、ジョセフ・レオ・リーガル中佐が、その場に起立し敬礼をする。ステフは答礼をしつつ司令官席に向かい、ダーンも敬礼をするが、こちらはリーガル中佐が敬礼をやめるまで直立不動を保つ。
「フッ……なかなか板についてきたな」
敬礼を終えて口の端を崩し、リーガルはダーンに一言かけた。
「恐縮です」
このへんのやり取りには、ダーンも入隊当初から気を遣っていた。軍に属したことがないダーンは、階級社会をより意識していないと、いわゆるボロが出てしまう。戦隊長の副官として、大尉の立場であるわけだから、あまり無様では部下達に示しがつかないのだ。
そう、大尉のダーンも、艦内のほとんどの人間が自分よりも下の階級になる。軍属になって、いきなり百人弱の部下が出来てしまった。
当然、発令所などでは、ステフのことを呼び捨てにしたりはしないし、敬語を使うように心がけている。
そのぶん、二人きりの時には容赦しないが――
「それで、ある程度情報は集まったのかしら」
司令官席に座ると、手元のコンソールを操作して、情報端末を呼び出すステフ。
「17番のファイルを御確認ください。先程の非常警報にかかるシステムのタスクレコードを抜き出してあります」
「わかったわ」
ステフとリーガルが専門的なやり取りをする中、ダーンも自分の座席に着座する。ステフの右後方にある副官席だ。
副官席にも、小さなモニターなどが設置されているが、ダーンにはその表示されていることの半分程度しか理解できなかった。先進理力科学技術のデータなのだから、そういったことに触れてこなかったダーンに理解できるはずがない――が、それでも半分程度は理解できる。この二週間、徹底的に勉強した成果だ。
ダーン本人には認識がないが、その理解の早さは常人のものではない。教えている立場のステフと、彼女の妹カレリアが舌を巻く程だった。
「これは……なんか、システム自体が困惑してる。潮流振動の感知システムが、接近する大型の影を捉えてから、理力機関にノイズが発生して……何というか、この艦が強いストレスや恐怖みたいなものを感じたようね」
ステフの言葉に、リーガルは思案顔のまま応じる。
「それで、誤って非常警報を発したのですか? しかしそれは、この艦自体が生物のように、ある種の意識や心といったものがあるということでは?」
「そんな風に設計したつもりはないけど、精霊王達の知己も取り入れて建造し整備しているからね。あり得ないことじゃないわ。特に、膨大な量の情報を処理して成長していく新型の量子演算処理装置は、人の脳と同じような働きをしてるもの。そこに心が発生しないとは断言出来ないわ」
「ふむ……。サジヴァルド少佐はどう思う?」
リーガルは、前方の発令所要員が何人か座る一角に佇立していくつかの指示をしていた男、サジヴァルド・デルマイーユ少佐に意見を求める。サジヴァルドは、艦の実戦部隊を指揮する立場にあり、さらには他の『人間』達とは異質な存在でもあった。
「そうですな……本体が月影石である私にとっては、大佐殿の仰ることに疑いの余地はありません。有機生命体だけに心や魂が宿るとは限らないでしょう。そうなると、あながち警報が誤報とは言い切れませんな」
本体が月影石とは、サジヴァルドの肉体そのものはすでに失われており、その魂が月影石と呼ばれる特殊な宝石に宿っているからだ。今の肉体は、月の女神が権能と妹の血液から模造したものである。
そのサジヴァルドからして、最新の潜水艦アルゼティルス号に、自分と同じような魂や心が宿っていると感じるわけではないが、そのようなことがないとは、絶対に否定できない。
だがそんなことよりも、サジヴァルドの言葉のなかでリーガルが気になったのは、『警報が誤報とは言い切れない』という点だ。
「どういうことだ?」
「この二週間、この艦はあらゆる戦闘訓練をこなしてきましたからな。当然、海中戦闘に特化したこの艦に心のようなものがあるならば、いわゆる『勘』というものが備わっているのではないかと」
「そうなると、もしや――」
リーガルがサジヴァルドの返答で、思い当たる節に至ったその瞬間。艦の横面を巨人が蹴飛ばしたような、真横からの強い衝撃が襲いかかった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!