手をつないだまま、蒼穹の瞳と琥珀の瞳が交錯する。
「ステフ……髪が……蒼かったのか」
驚くダーンの言葉に、ステファニーはハッとなって、胸の前に流れている自らの髪を見ると、銀をまぶした蒼がそこにあった。
アテネに来る際、悪目立ちしないようにと特殊な方法で黒髪に染めたはずだったが、今この場では、何故か元の蒼い髪に戻っている。本来、そう簡単に色落ちしないはずなのだが、その髪は染めていた痕跡すらないほど見事な蒼だった。
「……戻っちゃった。あ……」
ステファニーはダーンの顔を恐る恐る見る。
ダーンも、色合いは少し違うが蒼い髪だった。その彼にしてみれば、今回、ステファニーが蒼い髪であることを隠していたことに対して、いい思いはしないだろう。
蒼い髪というだけで、奇異の目を向けられる経験を、王宮暮らしで人と接する機会が少ないステファニーですらしているのだから……。
「その……ごめんなさい。外国で目立ち過ぎちゃうと困るからって、周りが……ううん、違うね。――ホントの髪の色ね、あたし、怖かったの」
「怖い?」
「うん。あたしね、双子の妹がいるの。一卵性双生児で顔はそっくりなんだけどね……。髪は違うんだ。妹のカレリアは黒い髪なの」
「一卵性双生児……って、確か……」
一卵性双生児は、双子の中でも全く同じ遺伝子を持つものだ。当然、その肉体は瓜二つのように同一の姿となる。それが、ステファニー達の場合髪の色が違うという。
遺伝情報の欠落か、はたまた別のイレギュラーかは不明だが、ステファニーはずっと思い悩んでいた。
「瞳の色も、少しだけ違うの。変でしょ? それでね、実はお母さまも……」
「ああ、さっきステフの手を引いていた人か。確かに君の髪と同じ……」
「ちょっと待って……。何でそれ、知ってるの?」
琥珀の瞳が困惑と驚きを混ぜた色を孕んでダーンを見つめる。
「え? だってさっき……その……」
ダーンの途切れがちな言葉に、ステファニーはつい先ほどまでの光景を思い出す。つまり――
「うそ……つまりダーンは私の夢というか……記憶の中を覗いていたの?」
「あー。すまん、覗いていたというか、その、体験していたというか。君そのものになっていた気がする」
頭をポリポリと掻いて、うつむき加減に言うダーン。心なしか、気恥ずかしそうに、顔を紅潮させている。
ステファニーも、自分の記憶を他人に……しかも同年代の男の子に見られたことに、強い羞恥心を覚えたが、頭の中でどこか冷静に今回の特異な体験を分析し始めてもいた。
それは、彼女のその歳に似合わない、悪癖とも言える特異性――
アーク王宮の一部高官と『身内』だけが知る、《アーク王国の至宝》と称された『天才王女』としての頭脳。
それは、彼女持ち前の好奇心と、王宮という限られた領域でしか行動できない彼女にある孤独な時間、それらを満たす、世界中から集められた膨大な知的財産、情報の集積。結果、その頭脳は凄まじい進化をしてきた。
「……記憶の共有? 何かで見たことがあるわ。脳波の波長が合うと念じたことが伝わったりとか、同じ夢を見たりとか」
ステファニーの中に、やはり今回の事象に近い情報があった。
「そうなのか? というか、今もなんとなく現実味がないんだが」
ダーンは自分の姿を見て言う。腰に提げていたはずの長剣がなく、服装も全く違うのだ。ステファニーも、絹服だが、先程とは異なる服だ。
「あたしもよ。どうやら、二人で同じ夢を見ているというか……意識を共有させられているのかな、誰かによって」
ステファニーは、自分たちの意識が何者かによって共有されている状態でないかと推察する。思い当たることとすれば、先ほどの月影石の祭壇だ。
祭壇に石を置いた後、何も起きなかったと思った瞬間、自分の意識が失われていったのを認識しているからだ。
思えば、あの古文書にある情報は、何故アークの自分のところに届いていなかったのだろうか?
確かに、アークといえども世界の全てを掌握しているわけではない。
未だに国交のない国が、アテネ王国南側のオリン海を挟んだギプト大陸に存在しているし、たとえ国交があっても、古典情報などは届くはずもないだろう。だが、今回のはアーク王家に直接関わる内容だ。
――意図的に、秘匿されていた? なら、どうしてこのタイミングで私の目に入ったの?
冴え渡り始めた頭脳が、初の外国滞在で浮かれていた少女らしい熱を冷やしていく。
「ステフ?」
ダーンの呼びかける声に、黙って思考の底に沈みかけた少女をハッとさせる。
「あ……ごめんね、大丈夫。ちょっと考え過ぎちゃっただけ」
改めて、ダーンの左手を握りなおし、ステファニーは軽く笑顔を浮かべた。
「お……おうっ」
何故か視線を慌てて逸らし、未だ紅潮しっぱなしのダーン、その横顔を眺めながら、ステファニーは再び少女らしい自分を取り戻していた。
「とりあえず――先に進んでみようよ、ダーン」
「え? 先って、どっちの……」
ダーンは周囲に視線を巡らせる。その視界には、舞い散る桜の花びらと、多種の桜が満開で無数に立ち並んでいて、先とはどの方向をいうのか?
「さっき……声が聞こえたの。ダーンは聞こえなかった?」
ステファニーの問いかけに、ダーンもふと思いを巡らし、思い当たる。
「そういえば、最後に女の人が……声というか、頭の中に伝わってきたというか、とにかく不思議な感じがして、そこでステファニーから意識が外に出たんだと思う」
「むー。と、ところで、ダーンは一体どこまで私のこと知ったの? なんか、いやらしいこと探ってない?」
突如話題を変えて、琥珀の瞳を睨め付ける。
「い、いやいや。そんなわけないだろ。ホントにあの花見のシーンだけだってば」
「ホントかなぁ……。もうッ! とにかく、その女の人が言っていた言葉、覚えてる?」
「たしか……『絆を結ぶ宝玉』って……つまりは、あの月影石のことか」
「うん。だからね、この奇妙な意識共有は儀式の行程だと思うの。そして、あたし達二人がここにいるということは、二人で何かする必要があるのかも……。って、そういえばリリスは、いないみたいだけど」
「んー、まあ、リリスはマイペースだからなぁ」
家族として付き合いの長いダーンは、義理の妹をぞんざいに評するが、今まさに、彼女は強大な魔神と交戦中である。彼には知るよしもないことではあるが……。
「リリスのことは少し気になるけど、どちらにしてもこのままここに突っ立ってても仕方がないわ。風が吹いてくるからなのか、あちらからなんだか不思議な気配を感じるの。行ってみましょう」
ステファニーが指し示したのは、桜吹雪を舞わす緩やかな風が吹いてくる方向だ。
確かに、風とともに微かに薫る桜の芳香が、こちらを誘っているようにも思える。
「ああ。どのみちこのままって訳にもいかないしな。付き合うぜ」
手をつないだまま、二人は並んで歩き始める。
「桜……とっても綺麗だけど、なんだか怖いくらいね」
歩きながら、ステファニーは周囲を舞う桜の花びらと様々な種の桜並木を見回し呟いた。その言葉に、ダーンも軽く頷く。
「元々、アテネには殆ど咲いてないが、ウチの庭園には一カ所植林された桜が数本あるんだ。桜が咲く頃になると、義父がお客を呼んでその下で酒盛りをやっていたなぁ」
「ふふふ……。それじゃあウチとおんなじね。あたしも、物心ついた頃から、毎年のようにお父様達が花見とか称して、散々呑みまくってたわ」
苦笑しつつ、ステファニーは言うと、ダーンも苦笑いを返した。
「どこもおんなじなんだな、大人は」
「そうね。さっきのあたしの夢も、五歳の頃の実際にあった出来事なの。妹のカレリアが突然体調を崩して、あの日はいなかったのを覚えてる」
ステファニーに言われて、ふとダーンも先ほどステファニーとして見た光景を反芻する。あの場には、ステファニーの母親らしき人物と、父親、そのほかに大人が三人いたが、ステファニー以外の子供はいなかった。
「その、ところでさ……。教えてくれないか? キミのその蒼い髪のこととか。俺は自分のこの蒼い髪が嫌だったこともある。もっと子供の頃は、自分が養子だってことも知らなくてさ。それで、俺だけ髪が蒼いから気味が悪くなっちゃって」
ふと、ダーンは自分の五歳くらいの頃を思い返してみる。
ちょうどその頃、養父のレビンから剣術を習い始めていたが、髪の色の疑問から、自分とナスカやリリスは血を分けた家族ではないと知り、躍起になって剣にいそしんだ。
ナスカ達は、血縁など気にもしないで、本当の家族として接してくれたが、外の者達は違った。ダーンの蒼い髪を奇異の目で見て、人間の家族に紛れ込んだ魔竜人ではないかとさえ言う輩もいたくらいだ。
そんな風に苦い経験を思い返していると、手をつないでいたステファニーが、さらに強く手を握りしめて、こちらを向いてきた。琥珀の瞳が微かに揺らいでいる。
「ステフ?」
怪訝に思って問いかけると、彼女は小さく「ごめん」と詫びてくる。
そして――
「これは……ステフのお母さんが――そうか。ここでこうしてると、考えていることが伝わっちゃうのか」
つないだ手のぬくもりを介して、ステファニーから彼女の想いも伝わってくる。
彼女の出生に関わる秘密についても――
「そうよ。あたしのお母様は女神……あたしはね、女神と人間のハーフなの」
少し寂しそうに、琥珀の瞳が無理に笑った。
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