アーク国王リドルとの『稽古』を前に、ダーン達は一度、身支度を調えるために解散していた。
借り与えられていた居室にて、自分の装備を身につけるダーンは、ふと室内を見渡す。客人用としては、かなりの好待遇なのだろうか、室内はとても広く、ベッドルームとリビングルームの二部屋に、かなり広めの浴室まで完備されていた。
ベッドルームの奥が浴室につながる扉となっているが、実はもう一つ、浴室とは別の扉がある。こちらは、金属製の一本引きで、窓も無ければ引き戸にあるような取っ手も無い。
脇の壁に、テンキーと開閉を示すボタンがあることから、おそらくは理力自動扉なのだろうけれど、操作してもまったく反応しないため、開くことは出来なかった。
王宮の施設であることから、もしかしたら、非常用の脱出路にでもつながっているのかもしれない。
そんなことを考えつつ、ダーンは、着込んだ防護服の動きやすさをチェックする。それは、スレームから先程渡されたもので、最先端の技術を結集した新素材で作られていた。
着心地は、生地が少し厚いと感じる程度で普通の服だが、スレームの説明によると、衝撃を受けた部分は、表面を硬化させて受けた衝撃を理力エネルギーに変換、繊維内部にそれを伝播して強度を上げ、その損壊を防ぐのだそうだ。
熱にも強く、衝撃銃の直撃にも耐えるらしい。
それでも、気休め程度ですがと勧めてきたスレームの言葉に、これからの稽古とやらがどれほど苛烈さなのか想像したくもない。
それでも――
「さて、行くか」
自分以外誰もいない、一人では少し広すぎるその部屋に、別れを告げるかのように言葉を吐き、ダーンは部屋を後にした。
☆
ダーンが部屋を出ると、廊下には金髪優男たるケーニッヒが待っていた。
「やあ、ダーン。準備万端かな?」
「ケーニッヒ……もしかして、陛下からの?」
「うん、そういうことになるのかな。一応、スレーム会長からの依頼もあって、君を王家の所有する訓練場まで案内するよ」
ケーニッヒは、あいかわらずの優男ぶりで言う。
「王家の訓練場か……。リドル陛下は、やる前からとんでもない強さとわかるけど、訓練場があるということは、歴代の王達も、かなりの武闘派なんだろうか?」
ケーニッヒの案内に従うように、彼とならんで歩き始めるダーン。そのダーンに、ケーニッヒは薄く笑いかける。
「さあ、そのへんは微妙だね。初代国王のアルカードは、元々剣士だったようだし、その名残かもしれないね」
「なるほどな」
「ところで、ダーン。彼女に、記憶のことバレたんだって? 僕との秘密って話だったのに」
「妙な言い回しするなよ」
わざとらしく顔を寄せて話してくるケーニッヒに、ジトッとした目線で応えるダーン。
それは六日前、エルモの王立科学研究所にて、まだ敵だったルナフィスに対抗すべく、剣の稽古をしていたときのことだ。
ダーンは、この金髪優男に、ステファニーとの因縁について話しているのだった。何故、強さを貪欲に求めるのかという理由として。
「前に聞いたときは、まだ思い出せないことが多いとか言っていたけど、その後はどうなんだい?」
ケーニッヒは、図々しいまでに踏み込んでくるが、不思議とダーンは、不快には思わなかった。
「そうだな……リドル陛下と会ってからは、ソルブライトが過去に関係していることも思い出したよ」
『私のことも、やはり思い出されていましたか。ですが、どうやら全ての記憶を回復とはならないようですね』
ダーンとケーニッヒの会話に、ソルブライトが念話で割り込んできた。
「そうなのかい?」
どうやらソルブライトの念話が聞こえるケーニッヒも、ダーンに言葉を促した。
「ああ。ほとんど思い出しているんだが、肝心のあの夜にあった事件が思い出せない」
ダーンは、軽く頭を押さえつつ話す。未だに、思い出せない部分の記憶を手繰ろうとすると、頭痛が走るのだ。
『無理に思い出すのは得策ではないですよ。もう言ってしまいますが、その記憶は失われたのではなく封じられているのです。時期が来れば必ず戻ります』
「……封じた当の本人が言うんだから間違いないんだろうな」
少し皮肉を込めてダーンが呟くと、ケーニッヒも微かに笑みを鼻から洩らした。
『それに関しては、後ほど釈明しますよ。それよりも、このあとの稽古……いえ、戦闘です』
ソルブライトの話の切り替えに応じ、ケーニッヒの顔色が険しくなった。
「ダーン、ハッキリ言うとこれは無謀だよ。君はまだ、リドル陛下の本当の強さをわかってない」
ケーニッヒの言葉に、ダーンは少しの苛立ちを覚えた。確かに、リドルの戦闘能力は未知数だ。さらに、明らかに自分よりも上であると察している。だからといって――
「自分よりも強い相手に挑むことが、それほど悪いことなのか? 一応、稽古……訓練戦闘ということなんだぜ」
「うーん。ダーン、リドル陛下はかなりの親バカなんだよ。目の前で最愛の娘が泣かされたし、相当おかんむりのようだからね。殺されることはないと思うけど、腕の一本や二本は覚悟した方がいいかもだよ」
「……そんなに脅すなよ」
『……腕や足の骨折程度なら、アークの技術ですぐに治るでしょう』
「ぉい……」
「いやー。ボクもね、ダーン、あの閃光の王とは、絶対にやり合いたくないんだよね」
ソルブライトとケーニッヒが二人してリドルとの訓練に不安要素を投げ掛ける。流石に当事者のダーンは怯みかけるが、そろそろ目的の場所に着くようだ。
ケーニッヒを先頭に、王家の訓練場につながる巨大な鉄扉の前に至った。
「この向こうが、王家の訓練場だよ。稽古にはボクも立ち会うけど、始まってしまえば、ボクは君に助言もできない。だから、今言っておくけど……」
「散々脅しておいてかよ」
「まあ、事実、リドル陛下に立ち向かうなんて、無謀の極みだから仕方がない。だから、妙な意地を張らないで、さっさと負けてくればいいよ」
「……妙な意地をか。しかし、二人してやっぱり俺が負けてくることが前提なんだな」
苦笑いがどうしても滲み出るダーンだが、彼自身も勝ち目がないことは知ってはいた。若い頃のリドルと実際に戦ったカリアスの戦闘記憶を継承しているからだ。
あの強さは人智を超えている。
「でもね……」
ケーニッヒは、少しだけ逡巡して、次を言う。
「妙な意地じゃなくて、男としての本物の意地なら、貫き通して奇跡を起こしてくれないかな。ボクは君にそういうところを期待しちゃうんだよなぁ」
☆
訓練場の中に入ると、そこは巨大なボールを半分に切ってふせたような、ドーム型の空間だった。
アーク王宮内地下に設営されたそれは、直径百メライ(メートル)の円形のフィールド、天蓋は球状のドーム型で、最高部分の高さは五十メライある。フィールドは短い芝で、天蓋は特殊合金で形成されていた。
「これは、またとんでもない施設だな」
予想していたものとは明らかに規模が違うその訓練場に、ダーンは驚き声をもらす。
「ここは、軍の演習にも使われるそうだよ。そして、地下深くに作られているから、天蓋部分は、極めて頑丈だ。なにせ、ここ自体が緊急時のシェルターでもあるんだからね」
ケーニッヒはそう説明し、フィールドの外縁に設けられた観覧席の方へ視線を向ける。そこには、見覚えのある人影が数人あった。
「ケーニッヒ? って、あれは」
ダーンも、ケーニッヒの視線につられて観覧席を見ると、ステファニーの双子の妹、カレリア・ルーク・オン・アークの姿と、アーク王立科学研究所の長、スレーム・リー・マクベイン、そしてこの場にいるとは思えなかった人物を見つける。
「何故、ミランダさんがここに?」
アテネ王国アリオスの街で宿屋を経営していたミランダ・ガーランドが、軽く手を振っていた。
「君の義兄・ナスカ・レト・アルドナーグと一緒にアテネからレイナー号でここに来たそうだよ。王宮の招待客なんだそうだ」
ケーニッヒの説明に、ダーンは少し思考を巡らせる。ミランダは、ただの宿屋の女主人ではない。大地母神ガイアの化身である。そんなミランダと、アテネの傭兵隊長にして達人の域を超える戦士のナスカを同時にこの国に招致したのは何故か?
そんな疑問を、フィールドの中央に立つ二人の男に聞いてみたい所だが。
「待っていたぞ、少年」
向かって左に立つ男、リドルはダーンを認めると凄みのある笑みを浮かべた。闘う前から、その存在感の圧力がダーンを萎縮させかけた。
「ナスカの方はまだのようだが……。ダーン・エリン、そういえば、貴様とは今日が初めての顔合わせだな。ジョセフ・レオ・リーガルだ、以後、お見知りおき願おう」
向かって右に立つ男が、リドルと同じような存在感を鼓舞して語りかけてくる。確か、アーク王国とアテネ王国を繋ぐ定期旅客飛行船、《レイナー号》の船長と、ダーンも聞いていたが。
二人の男は、戦闘用の軍服と思しき服装で、リドルは朱を基調としたもの、リーガルは黒を基調としたものを身につけている。さらに、リドルが手にしているのは、直刃の長剣だ。リーガルは、どうやら何も手にしていないようだが。
「アテネ王国傭兵隊所属のダーン・エリン・フォン・アルドナーグです。帰国出来るなら、貴方の船に乗ることになると思いますので、よろしく……」
「それは違うな」
ダーンの言葉を遮るように、リーガルは言葉を割り込む。
「俺は既にレイナー号の船長職を離れた。軍服を着ている時点で、俺は軍人だ。それに、お前自身は……」
「レオ……そこまでだ。あとは、この稽古が終わってからとしよう」
リーガルの言葉を今度はリドルが遮る。リーガルは微かに自嘲し、肩をすくめた。
「思わせぶりなことをされますね、陛下」
ダーンが、不機嫌を顕わにし、圧倒的な存在感を鼓舞するリドルを睨めつける。
「……ほう。流石にこの期におよんでは、それなりに肝を据えたか少年」
「ウチの義弟を侮ると、痛い目見るかもしれないぜ?」
ダーンの後方から、訓練場に入ってきたナスカの声。それを認めて、リーガルが口の端をつり上げた。
「これでメンツは揃ったな。では始めるとしようか」
リドルは長剣を鞘から抜き出して、右片手に提げ持つ。その刀身は、何ら特別なものではなかった。どこにでもある普通の真剣だ。
「やっぱり真剣使うのかよ……」
ナスカが眉をひそめつつ、自らの剣を抜く。その様子を、新たに観覧席に現れた黒髪の少女、ホーチィニが不安そうに見守っていた。
「遠慮はいらんぞ、本気でこい」
リーガルが軽く脚を開いて、ナスカに正対する。その両手には、獲物がないが――
「……アンタ、武道家か? 素手で戦うのかよ?」
「いや。俺の武器はな……」
リーガルが両手を少し持ち上げて、僅かに構えると、虚空にプラズマが走り、それが収束して彼の両手の中に鈍色の獲物が握られた。
両の手に一本ずつ手にしたそれを、軽く振り回して、ヒュンヒュンと空を切る。
「トンファーか」
ナスカの指摘に、リーガルは無言で応じ独特の構えをとった。それは確かにトンファーの形状だったが、通常のものよりも棍の部分が長く、肘側に物打ち側を構えれば、肘先から倍近い長さが飛び出るものだ。さらに、通常は棍の部分は丸い棒状だが、これはまるで角材のような形状である。
「零式護国双旋棍、鋼の獅子の本領をとくと見せてやろう」
「おもしれーな、オイ!」
リーガルの挑発に応えて、ナスカが前に踏み出すと、それに応じて、リーガルはリドルから離れるように左へ跳んだ。それを合図に、二人の戦闘が開始された。
「なんだ、俺よりもレオのヤツの方が熱くなってやがるのか? まあ、よい。俺たちも始めるが、その前に少し支度をさせてもらうぞ」
「支度?」
疑問調に聞き直すダーンの視点から見て、リドルは既に長剣を手にしているし、これ以上何が必要なのだろうか。
「うむ! さあ、刮目して見よ!」
リドルは、急に声を張り上げて……というよりもむしろ喜々としてダーンを指さしながら宣う。さらに、手にした長剣を目の前の芝に突き刺すと、素早く両手を動かして、膝を開いてわずかに曲げ腰を下げる。
唖然とするダーンの目の前で、体の鋭い動きに、バッ! バッ! ズバァ! と、着衣がはためく音をたてて、むさいおっさんが奇妙なポージングを始めた。
「いくぞ! 警察革命!!!」
今、声高らかに、無邪気な髭面オヤジが、紅の閃光に包まれて大変身した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!