タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

襲撃者と宿の女将

公開日時: 2020年10月19日(月) 16:24
文字数:1,888

 二階建ての宿屋、その暗い階段を月明かりだけ頼りに降りていく。


 ブーツのヒールが固い木の床へコツコツと叩く。


 襲撃者――ルナフィスは、結局目的を果たさずに帰途についていた。


 ここへ襲撃に来たときと同様、《固有時間加速》を発動。


 戦闘時と違って時間加速のみに集中し、周囲との時間流動が全く違う状態にまで加速しているため、今の自分に外部から干渉することはできないだろう。


 時間の流れがここまで違うと、同じ空間に存在しても干渉はおろか知覚することさえ困難なのだ。


 これで、一階の奥の部屋にいる親子には気づかれない。


 ヒールの音がしようが構うことはないのだ。


 堂々と宿の玄関口へと進もうとする。


 先ほどのことだが――


 襲撃した二階の部屋を出る前に、ダーンの方に一言二言、短い言葉を交わした。

 

 その内容は雑談程度のもの。


 こちらから勝負を挑むにあたり、特に日時場所は言い渡さなかった。


 何故なら、こちらもすぐに戦いをしようという気にならないからだ。


 先ほどの戦闘で、少し気になったことがある。


 それは、あのダーンという剣士が使っていた剣術についてだ。


 彼の剣は、その刀身が微かに蒼白く輝いていた。


 あれは自分が使う剣術によく似ている。


 闘気を闘志をもって洗練し、その洗練した闘気を的確に操ってけんげきとする技。


 ダーンも、こちらの剣と彼の剣は似ていると言っていた。


 また、彼の言ではあのディンもそう言っていたという。


 ダーンの剣術は、確か《闘神剣》と言っていた気がするが。


 ルナフィス自身はそのような名前の剣術を知らない。


 いや、むしろ自分が使う剣術の名前どころか、誰に習ったかすら知らないのだ。


 記憶を失う前から、この剣術は自分の中にあったようだ。


 そのため、レイピアを持てば自然と放ててしまう。


 これまでは、兄か他の《魔竜人》が教えてくれたものだろうと思っていた。


 でも、よくよく考えれば、自分の失った記憶を蘇らせる端緒となるのではないか。


 ダーンと決着をつける前に、この辺のことを一度整理しておくつもりだった。


 あの二人には時間的余裕を与えてしまうし、依頼人が急かしてくることも気になる。

 だけれど、そう焦ることはない。


 どうせあの二人はアークに向かうはず。


 アテネの飛空挺の発着場で待ち伏せるなり、アークに着いた直後を狙うなりすればいいい。


 アーク王国には、転移の魔法で行けるようになっている。


 『門の刻印』とよばれる魔法の刻印。


 それをアークの何ヶ所か設置してあるのだ。


 あるいは、対象がアークに着いた直後を襲えなかったとしても……。


 仮に、対象の入り込んだのが首都の軍施設だろうと、自分なら忍び込む自信がある。




――取り敢えず、湯浴み……は無理でも水浴びでいいから、なんかさっぱりしたい……。


 そんなことを考えて、宿の玄関にたどり着いたルナフィス。


 おもむろに、玄関の扉のドアノブにあるシリンダー錠に左手をかざす。


 先ほどステフの部屋に入った時も使った解錠法。


 重力を制御して錠前のシリンダーそのものを回転させる。


 これは魔法ではなく、意識の集中により起こす奇跡。


 人間どもがサイキックと呼ぶ力の一端だ。


 その力をもってして、まさに今シリンダーが回りかけた……その瞬間。


「あら……お帰りですの? こんな時間ですし一階でよろしければ、お部屋をご用意しましてよ」


 突然、背後から柔らかな女性の声。


 ルナフィスは思わず悲鳴が出そうになった。







「うそでしょ……私、今加速中よね?」


 自分で自分に問いかけつつ、意識を時の流れに向けるが。


 確実に自分以外の外の時間は途方もなく緩やかだ。


 今は、戦闘時よりも加速に意識が集中できる。


 したがって、加速状態は、先ほどダーンと剣を交えたときよりも速いはず。


 この状態の自分に、このように声を掛けるには――


 その人物も同じ加速状態にならなければならないはずだ。


「様々な事情をお抱えのお客様にも、しんに対応するのが宿を営む者の務めですから。この程度のたしなみは、お食事をご用意するよりも簡単なことですわ」


「んなわけないでしょッ。……どうやらただ者ではないようね」


 凄むルナフィス。


 その刺すような視線の先には、若葉色の裾が長いワンピースに白いエプロン姿の女性。


 彼女はその胸元に両手を当ててはにかむ微笑を浮かべて、


「あら、あまり褒めないでくれます? 確かに一般的な女性と比べれば、かなり大きいと思いますけど……」


「胸のことじゃないわよッ」


「まあ、冗談はこのくらいで……一人の母親としてのお礼も兼ねて、今夜はこちらにお泊まりになって下さいな。もちろん、上のお二人には内緒にしますから」


 宿屋の女将ミランダ・ガーランドは、圧倒的な包容力を感じさせる優しい笑顔で語りかけていた。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート