タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

厨房にて

公開日時: 2020年10月25日(日) 23:04
文字数:3,058

 ガーランド親子が経営する宿の一階、小さな宿屋にしては充分な調理施設を備えた少し広めの厨房にて、二人の少女と年の割に小柄な少年が、共同で五人分の夕食を調理している。


 少女の一人は蒼い髪をリボンでポニーテールに結い上げ、宿の女将、ミランダ・ガーランドの愛用するエプロンを借りて着用したステフだ。


 彼女は、理力バーナーに掛けられた寸胴鍋の中身をおたまじやくですくい、少量を小皿にとって口に含んだ。


「凄いわ……完璧じゃない」


 仔牛や鳥のの旨みと香味野菜の甘みと香りなどが、口腔内にふわりと広がり、それでいて嫌みのない爽やかな喉こしにステフは感嘆する。


 その姿を見ながら、それまで厨房に少し気まずそうにちよりつしていたもう一人の少女は、若干安堵しつつも鼻を鳴らしてみせた。


「ね、言ったとおりだろ。凄いよねー、このブイヨンはボクじゃとても出来ないよ」


 ステフのとなりに立つ割烹着を着た少年が無邪気に言う。


 その少年、ノム・ガーランドの方を見て、ステフは少し戸惑った表情を返すしかなかった。


 ノムは大地母神ガイアの化身、ミランダ・ガーランドの実の息子にして、大地の精霊ノームの化身だ。


 見た目や肉体そのものは人間だが、精霊としての力は十分持ち合わせているようだし、元々悪戯いたずら好きの精霊のため、見た目よりもはるかに子供っぽくて無邪気な上に、とにかく悪戯好きである。


 昨夜、このノムがなかなか宿に帰ってこなくて、彼を探しに街の近くの森を探索したのだが。


 ノムもその母親のミランダも精霊の力として地続きの場所ならば念話をすることが出来るため、ステフ達が彼の探索をする意味はあまりなかったかもしれない。


 ただし、昨夜ノムは崖を落下した際に気を失っており、念話自体も音信不通で、ミランダを心配させたことは事実のようだ。


 そんなノムの正体を知ってしまったから、ステフが戸惑った表情をしているのかと言えば、そうではない。


 ステフの戸惑いは、この厨房にいるもう一人の少女の存在についてだ。


 まあ、その状況を作りだしたのは、他でもない、隣で無邪気に笑っているノムの悪戯が原因なのだが……。


 軽く溜め息をついて、ステフは後ろを振り返る。


 その視界に、理力バーナーとは反対側に設置された調理台の上、食材用のパレットに乗った一口大に綺麗に切り分けられた牛肉や、野菜、さらに、ガラス製のサラダボウルに収まった刻まれた生野菜がある。


 ステフは、さらにその調理台を挟んで向こう側に立つ、給仕係用エプロンドレス姿の少女に視線を向けた。


「レイピアだけじゃなく、包丁の扱いまで達人クラスなのね……」


 意地悪くジト目の視線を送りつけて言ってやると、流石に我慢が出来なかったのか、赤みのかかった銀髪を掻き上げて、少女は言い返してきた。


「嫌みのつもり? 言っておくけど、私だって料理くらいするのよ。島で仲間と暮らしてたときには私が担当だったんだからッ」


 言い放って、余分なことを話してしまったと思い、さらに自己嫌悪に陥る銀髪の少女、ルナフィス。


「あ……そうね、今のはあたしが悪かったわ……えっと、その……ごめんなさい。

 というか、何故貴女あなたがこの場にいるかっていうのはともかく、料理の腕に感心したのは本当よ。それに……なんか、クセがウチの流派に似ているわね」


 素直に謝罪し、ステフは理力バーナーの方に向き直って、空いている火口に大小二つの鍋を用意する。


「流派って何よ?」


 用意した鍋二つに、ルナフィスが作ったブイヨンを満たしていくステフの耳に、未だ不機嫌そうなルナフィスの声が届く。


「まあ、ウチの色気ババアがやってる趣味の一つね。《マクベイン流》っていう調理技術を研究する流派よ。あたしも一応そこの修士資格を持っているわ。……これでも、料理大会なんかじゃ優勝候補なんだからね」


 料理大会において、ステフが優勝候補というのは真実だ。先日も、アーク王国首都にて行われたアマチュア料理人による大会でも、ステフは準優勝であった。


 そう、準優勝。


 実は、アテネ王国から遠征してきては、ステフの出場するあらゆる大会にエントリーし、覇を競う少女がいる。料理大会では、いつもその少女に勝つことができず、毎回二番手という辛酸をなめる結果なのだが、まあそれは言わぬが華だろう……しかし――


「優勝者とは言わないのね?」


 半目で見返し、わざとらしい疑問調で言うルナフィス。


「うぐっ……痛いトコつくわね。ええ、そうよ! 一人どうしても勝てない金髪ツインテールがいるのよ。そのかわり、歌じゃ負けないんだからッ」


 琥珀の瞳にライバル心からくる炎をたぎらせるステフ。


 その姿に、ルナフィスは表情を緩め始め、すぐに耐えられなくなって笑い出した。


「笑うことないでしょー」


 手にしたお玉杓子を向けて抗議するステフ、そのお玉杓子の先で、ルナフィスが華奢な身体をくの字に曲げて、肩を揺らしている。


「だって……お……可笑しくて、つい。…………あ、そうか……そう言えば、あの人もそんな流派っぽいことを言っていたわ」


「あの人?」


「あ……うーん、まあいいか。そうね、私は何年か前に人間の女に料理を習ったのよ。私が兄様や仲間と一緒に生活していた頃に、私達が住みついた島へ行商にきた商人の女よ。たしかミリュウっていう名前だったわ。栗色の髪とエメラルドの瞳が綺麗な優しい人だった」


 懐かしむような言い方をするルナフィスの言葉、その中に出てきた人名に、ステフは驚きを隠しつつ

「そう……」と曖昧に言葉を返した。




 たしかに、その女性はマクベイン流の古くからのメンバーだ。


 フルネームは、ミリュウ・ファース・ウル・レアン。


 だが、ルナフィスは知っているのだろうか。



 その女性は、ステフの母親、レイナー・ラムール・マクベインのかつての戦友であり、四英雄の一人 《稲妻の姫君》であることを。



 《魔竜人》のルナフィスにしてみれば、本来自分たちの侵攻を阻止した仇敵であるのに。


 四英雄のレビン・カルド・アルドナーグとその奥方が、現在は行商人として魔竜の残党と交流があり、戦争後の和平維持を担っていることは、特務隊の大佐として知っていた情報だが……。


 思えば、その相手方の魔竜達は、それをどう捉えていたのだろうか。


 そして、ルナフィスは、アメリア・ゴート帝国や今日見かけた赤い髪の女、異界の神グレモリーの依頼を請け負っているようだが、彼女は今、かつての四英雄達をどう思っているのか。


 そもそも、ステフ自身が彼女の兄の仇敵なのだ。


 よい感情など持っているはずもないが、その割には、こうして無防備に背中を見せていても襲いかかってくることはない。



――ああ、むしろ彼女は背中には襲いかからないんだっけ……。



  彼女と対戦したダーンが言っていた言葉を思い出す。


 そのダーンだが、一度王都の傭兵隊本隊と連絡を取るとかで、街の唯一の理力通信機がある飛空挺発着場の管制塔に向かったが、この場にルナフィスがいることまでは知らない。


 なにせ、ステフが調理のためにこの厨房に入ると、サラダ用のトマトを輪切りにしているルナフィスがいて、お互いに目を丸くして絶句したのだから。


 その際、二人の脇で、腹を抱えて喜んでいたノムを、ステフが蹴り飛ばし、ルナフィスがげんこつをたたき落としたという、夢の共闘があったが。


 別の理力バーナーの大型火口に大きめのフライパンを乗せて、着火しながら、ステフはこれ以上はお互いのためにも訊かない方がいいだろうと判断し、目の前の調理に集中する。


 そんなステフの気配を察したのか、ルナフィスも、調理台の上に作りかけだったドレッシングの味を調え始めていた。

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