濡れた髪をタオルで拭きながら、溜め息をゆっくりと吐きだしてステフはベッドの脇に座る。
ダーンやガーランド親子と軽い食事を済ませ、早々に自分の部屋に帰ってきたのは、十五分ほど前。
今は、部屋のシャワー室で汗を流し終えたところだった。
着替えたのは寝間着代わりにこの街で購入した、白い綿製の薄いTシャツと水色の綿ズボン。
ラフな格好で就寝前に一息吐こうかと考え、ティーポットに紅茶を用意している。
「デレデレしちゃってさ……ホント、無神経というか鈍感というか……あの朴念仁」
自分以外に誰もいない部屋で、一人本音を呟く。
シャワーを浴びてしまえば、こんなもやもやした気分はすっきりと忘れてしまうだろうと思っていたが――やっぱりそう簡単ではない。
食堂で一緒に食事をしていた時、この宿の女将ミランダが、やたらと媚びを売るような仕草でダーンに接近していた。
ダーンも、何だか随分とそわそわし、彼女と親しげにしているし……。
一緒にいた自分のことなど完全に放置である。
本当は、明日以降探索に向かう遺跡のことや、アークについてのことを話したかったのに。
いや、何よりも彼自身のことを色々と聞いてみたかったのに。
腹立たしさやむなしさ、その他説明できない思いや認めたくない思いで、頭の中が飽和状態。
結局、居たたまれなくなって先に食事を済ませ、一人でこの部屋に引き上げたのだが。
「あーあ……」
溜め息を声に出して、ステフはベッドに腰掛けたまま両手を後ろに突いて軽く仰け反った。
見上げる形となった彼女の視界に、合掌型の天井の部分にある天窓が映り込む。
丁度ベッドの真上にあるその天窓。
十六夜の月が雲一つない夜空の南中付近に昇りつつあるのが見えていた。
銀色の月は空高く昇り、こちらの気持ちとは正反対に澄ました光を放っている。
その澄ました月をぼんやりと見つめながら、ステフは昨日からの出来事を軽く振り返ってみた。
そもそもこのアテネに来た目的は、この街のすぐ近くに遺跡として残る神殿の探索だ。
アークを出発したときには、首都アテネのラバート国王と謁見するつもりだったし、その際に国王に事情を説明し協力を要請する算段であった。
それが、昨夜の襲撃――
アーク王国からこのアテネまで渡航する大型飛行旅客船『レイナー号』が吸血鬼の《魔竜人》に襲撃を受けて……。
吸血鬼は、所持していた火器類で撃退したものの、船は不時着し航行不能。
予定は大幅に狂ってしまった。
ここから首都まで、何らかの交通手段を用いて移動することも考えたが、この町にはすぐに運用できうる交通手段がなかった。
唯一の交通手段は馬によるものだったが、こちらは乗馬の経験がない。
せめて御者付きの馬車でもあればと思ったのだが……そんなものはなかった。
街と首都とは三日に一度、定期飛空挺が運行しているだけで、それも町にたどり着く前日に運行があったばかりだという。
昨夜アリオス湖に不時着したレイナー号へ戻れば、首都に行くことはできる。
不時着現場には駆けつけたアテネ王国の騎士や兵士達もいることだし、船の修理を待って本来の行動に戻ることも出来そうだったが。
目的地が直近にあるし、わざわざ船の修理を待って遠回りすることもない。
それに、襲撃された際に派手に戦闘してしまった手前、この上国王に協力の申し出をするのも気が引けた。
それで結局、慣れない土地であるのに単独行動をとることにしたのである。
ただし今日一日は、未明に襲われたばかりだったため一応追撃を警戒し、町中での情報収集や衣服などの調達をしていた。
そして、買い物と情報収集の両面である程度の収穫を得た後、宿に戻ってみると……。
困窮したミランダからノムが時間になっても戻ってこないという話を聞く。
自分も気になって森の捜索を買って出たが……。
思い返せば、この二日間の間に色々とあった。
その中でも、森の捜索でノムの狩猟用ライフルを発見した後の出来事が、一番の衝撃だったかもしれない。
もしかしたら……運がよければ……などとは考えていた。
それがまさか、今夜ここで彼に出会うとは予想していなかった――
仰け反った身体を起こし、ステフは小さな丸形のテーブルにのっているティーポットから、その隣にあるカップに紅茶を注ぐ。
カップに口をつけると、ラベンダーや柑橘系の果実の皮を乾燥させて茶葉に混ぜたフレーバーティー独特の香りが、気持ちを落ち着かせてくれる。
さらに暖かな紅茶が喉を通っていく感触に、少しだけ心も溶かされていく――
正直に思い返せば、少し期待はしていた。
アテネ傭兵隊に所属する蒼髪の剣士のことは、彼本人に告げたように、王国軍の大佐たる彼女にとっては簡単に仕入れられる情報である。
その情報を手に入れたとき、どうしても会ってみたくなった。
成長した彼に。
そして見せつけてやろうと思っていた。
あたしだってあの頃とは違うんだぞ……っと――
「覚えているわけないけどね……」
一人呟いて、胸元に掛けていたペンダントに視線を落とす。
そのペンダントは、いつも服の中にしまい込んでいるものだった。
こうして一人考え事をしたりするときは、服の外に出して見つめたりしている。
白金製の枠にはまったペンダントヘッドの宝石は、母親の残していった特別な石だ。
見た目はルビーのような緋色をしているが、実際は特殊な条件で緋色に染まったダイヤモンドである。
形は少し縦の長い楕円で、大きさもダイヤにしてはかなり大きく、ウズラの玉よりも少し大きいくらいだ。
そのペンダントを見ていて、その下の双丘に注意がいく。
「とんでもない出会い方ね……ホント」
彼に鷲掴みにされた右胸を軽く左手でさすりながら呟いた。
就寝前でブラを外しているせいか少し気楽なものの、胸が大きいというのは良いことばかりではない。
あまり人前に出ないから、男性の視線が気になるとかいう経験は乏しいが……。
少し派手に動くと服の中で大きく動くし、自分のように身体の線が細いと既製品で合う下着が少ない。
微妙にあわないものを着用すれば、中でカップがずれて嫌な思いをすることとなるので、いつも選任のオーダーメイドだ。
この歳で肩が凝るとかいうのもどうかと思う。
ふと、先日ちょっとしたイベントで対決した、あの少女の姿が脳裏に浮かんだ。
余分で不安定な重量物がなく、非常にアグレッシブな運動性能をアピールするボディフォルム。
一四〇セグ・メライ(センチメートル)を下回る背丈。
その頭髪は金色のツインテール。
こんな些細な悩みを口外すれば、そのツインテールあたりが血相を変えて怒り狂うだろうけれど。
――ま……子供の頃、大きくならないかなぁ……とか思ってはいたけど。それに――
不本意ながら、インパクトのある出会い方だったのかもしれない。
彼の義兄たる傭兵隊長の不名誉な噂――『アテネ一の巨乳崇拝者』に絡んでか……。
ふと、やっぱり兄弟は血が繋がらなくても趣味が似るものなのだろうかと疑問する。
先ほどのガーランド親子と一緒に食事をした際も、ミランダの胸元にちらちらと視線を向けては、ほのかに顔を朱に染めていたようだったし。
――なーにが硬派なんだか……。
男の興味は、なんだかんだと高尚な理想を口で語っても、結局最終的に女性の胸元にいくものだなどと、色気ババアが言っていたが……。
――やっぱアイツも男ってこと?
と、そこまで一人考えにふけって、ハッとなる。
――馬鹿馬鹿しい。なんであたしがこんなこと考えなきゃならないのよッ。…………これじゃあまるで、あたしがアイツのこと……。
もやもやした思考が飽和状態になりつつあって、ステフは再度紅茶に口を付けた。
そして、喉を通る暖かな感触に浸りながら、もう一度昨夜の事件を振り返ることとした。
アテネ王国へ渡航したその日、彼女に襲いかかってきたあの事件を――。
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