普段とは全く異なる寝心地に、少女は怪訝というよりもむしろ甘い感覚になって、思わず左の頬に触れている暖かい感触を堪能しようと頬擦りしていた。
そして何となく覚えのある固い筋肉質な感触と、日向の匂い。
未だ寝ぼけ眼で、ちょっと甘えた声を鼻から鳴らして、さらに鼻先を擦りつけるように胸板に顔を埋めてみると、戸惑った声が直接顔を通じて響いてくる。
「その……ちょっとくすぐったいんだが……」
控えめに訴えてくるその声を聞き、やはり側に彼がいると安堵してもう一度このまま眠りにつこうかと自堕落な考えをし始める少女――――その胸元から、凜とした女性の声が直接脳裏に響く。
『甘えてますね……まるで子猫みたいですが……』
「私、何かで読んだことがあるのですが、巷ではこういった状況を『お姫様抱っこ』と言うそうです。何でも彼女くらいの年齢層の女性には憧れなんだとか……」
別の女性のやたらと母性を感じさせる声が、少し弾んだ感じで聞こえてきた。
『なるほど……まさに正真正銘そういうシチュエーションのようですが、それでご満悦なのでしょうか? ……いつもこのような感じだったら、可愛いのに……などと思っていませんか、ダーン・エリン?』
「お……思っていないッ」
少し動揺しつつ言い返す声が、少女の眠りを妨げる。
「それはそうですよ……いつも可愛いと思っていらっしゃるのですから」
さらに、やたらと母性を感じる声が耳に入り、その言葉の意味を醒め始めた脳が認識して、耳のあたりが熱くなるのを感じた。
『ああ、確か……可憐だ……とか、言ってましたね』
「おいおい、一体君は何時どこから俺たちを見ていたんだ?」
さて何時、『目を覚ました』というアクションを起こそうかと悩み始める少女は、ダーンと同じ思いを抱いていた。
まるで覗かれていた気分だが……。
『最初から、貴方達に最も寄り添うように……。《神器》などと呼ばれるのはあまり好みませんが、私をそう呼んでいた人々がいるということは、それなりの理由があるのです』
なにか胸を反らして言われているような気がして、少女はふとおもしろくなってしまう。
単に会話や感情があるだけではなく、ソルブライトは本当に人間くさいところがあるように感じられた。
まあ、それはともかく、そろそろ起きなくてはならない。
このまま抱かれたままというのも、正直な気持ちとしては嬉しいのだが……。
同行する女性陣にこの後も何を言われるか分かったものではないし、それに――
抱き支えてくれているダーンの左手の感触が、剥き出しの太ももあたりに感じていて、ちょっと恥ずかしい。
少女は、わざとらしくならないよう細心の注意を払いながら、鼻から甘い声を出しつつ身をよじって、そろそろ『目を覚ましそうだぞー』という感じを醸し出してみた。
「お……どうやら、起こしちゃったみたいなんだが」
『いいえ、もうとっくに目を覚ましてますよ。ねえ、ステフ』
ここで、ソルブライトが全てを暴露し、少女の苦労は全て水泡に帰す。
「なーんで、そういうこと平気で言うかな」
耳まで紅潮した顔を気まずそうにダーンに向けつつ、ステフはソルブライトの発言に抗議する。
「お……おう、大丈夫なのか?」
何となく自分が責められているような気がして、声を詰まらせるダーン。
「ええ、大丈夫よ。その……ありがとう。……だからもう下ろして」
言われて、ダーンはステフをゆっくりと地面に立たせようとする。ステフはその動きに合わせて、上半身を支えるために彼の首に両腕を回して、ほんの少し胸の奥に生まれてしまった欲求に負けて、一瞬だけ抱きしめてみた。
その瞬間、やはり胸の奥で高鳴るものを感じる。
嬉しいような悔しいような気分のまま、ステフはダーンから離れた。
「ここは……」
周囲を見渡したステフは、既に日が落ちて空に星々が光り始めていることと、周りは森林で、目の前にはアリオスの街の明かりが見えていることに少し驚く。
「私の転移の法術で移動しました。それと、先程息子から連絡がありまして、食材の方はご用意できたのですが、時間が押しているので簡単な下ごしらえは済ませてしまうとのことですので、ご承知願いますわ」
ミランダの説明に納得し、軽く頷いた後、ステフは改めて思い出してダーンに視線を送る。
ダーン自身も少し気まずそうにこちらを見ていた。
「あ……そうね、約束通りあたしが作るけど……その、下ごしらえは他の人がやってるし、賭けは無効かしら」
今更、戦闘前のくだらない口喧嘩を混ぜっ返したくない思いで、ステフは言うと、ダーンも同じ気持ちなのか、肩を竦めて同意する。
が、しかし――
『そのような甘いお考えが通るとでもお思いですか、二人とも』
「そうですよ。もう胸焼けがするほどそういうシーンばかりですから、折角の対決イベントくらい真面目にやって下さいませ」
重く鋭い念話と辛辣な声が、若い二人を追い込んでいた。
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