ステファニーが走り去ってから、その後をすぐにルナフィスが追っていった。しっかりと、蒼髪の少年に「このヘタレ!」と悪態を吐いて。
「ま、実際ヘタレだよなぁ……不詳の義弟よ」
ナスカは溜め息交じりに言って、ダーンの足元に落ちていたペンダントを拾ってやる。
「あ……ああ、すまない」
惚けたように、ダーンは手渡された神器のペンダントを左手に受け取った。ほんのりと熱を持っているのは、ステファニーの体温が移って残っているせいなのか、それともソルブライトが宿って神器となったこの緋色の宝玉が、仄かに熱を帯びているからなのか。
『ふう……。結局、こうなりましたね。ダーン、これからいかがなさるのですか?』
ダーンの手の中で、ソルブライトが重い声で問い詰めてくる。
「どう……といわれてもな。もう、俺にはこの国に残る理由もないからな。ソルブライト、君はこのまま陛下にお預けして、俺はアテネに――」
「待て、少年」
帰国すると言いかけたダーンの言葉を、アーク国王リドルが遮る。重厚な存在感と独特の迫力が、抑えられたはずの声であるのに、その場の全員を圧倒した。
「お、おいおい。まさかとは思うけどよ、これぐらいでアーク王のアンタが本気になりはしないよな? 大人気ないぜ」
誰がみても怒気を孕んでいるリドルの気配に、ナスカが殺気立つが……。
「本気とはなんだ? ナスカよ。俺は待てと言っただけだぞ。それにな、このままではその少年も後味が悪かろう。よって、俺が直々に憂さを晴らさせてやろう」
リドルは凄みのある笑みを浮かべて言い放つ。
「憂さ晴らし……ですか……一体、何を?」
むしろ、そのまま極刑にでもされそうな気分のダーンだったが、リドルの言葉に尋ね返す程度の度胸……いや、どちらかといえば自棄があった。
「なーに。お前も剣士だろう? ならば、こういうゴタゴタと面倒な時は、武術の稽古だよ。俺が直々に揉んで、その性根を鍛え直してやろう」
言葉どおりの内容ならば、特段心配はないが、リドルから漂う雰囲気はただ事ではない。即座に激昂しなかったが、目の前で愛娘を泣かされたのだから、この親バカが平静でいるわけがなかった。
その事情を察するからこそ、ナスカは自らが出来る最善の対処を探る。このままダーン一人でこの男と稽古などさせれば、最悪、棺にいやそもそも棺に納めるモノすら残らない。
「ちっ……それなら、オレも相手にしてもらえるかい、久しぶりによ?」
ナスカは、背中に冷たい汗を感じつつ虚勢を張るが……。
「それは駄目だな、ナスカ・レト・アルドナーグ。お前の相手は、この俺だ」
不意に、彼らの輪の外から、重厚な中年男性の声が上がる。ナスカ達が声のした方向に視線をふると……。
アテネからアークまでの空路を案内してくれた、レイナー号船長、ジョセフ・レオ・リーガルが、彼らの方に歩み寄ってきていた。
「リーガル船長か……。って、アンタよ、その格好……」
ナスカの言葉に、リーガルはニヤリと口角を上げる。彼は、レイナー号のキャプテンシートに座していた頃の純白の制服姿ではなかった。制服は制服なのだが、それは黒と赤を基調とした、アーク王国軍の軍服である。
精悍な顔つきは変わらないが、その軍服のせいか、纏う雰囲気に荒々しい気配と、眼光の鋭さを感じたナスカ。
「レオか……」
リドルも含み笑うように、かつての大戦で戦友だった男のことを呼ぶ。
「丁度いい機会だからな、ナスカよ。既にスレームから『今後のことについて』ある程度のことは聞いていよう。ならば、俺はお前に手加減せんぞ。お前に、真の戦士としての矜持を叩き込んでやろう」
含むことがある言い方で、ナスカを挑発するリーガルに、ナスカは戦慄する。以前、握手を交わした際に互いに殺気を放ったが、その時とは比べものにならない迫力があったのだ。
これが初対面のダーンも、リーガルにただ寄らぬ雰囲気を感じていた。ただ、これまで出会ってきた強者とは何かが違う。圧倒的な存在感はそれこそリドルにも迫ろうかという規模だが、不自然な感覚。
――この男、闘気や活力といった生命力の躍動を感じない。
「……なんだ? この気配は……」
つい漏れ出たダーンの疑問に、リーガルは鼻から抜ける笑みを、そしてリドルからは苦笑が浮かんでいた。
「アンタ、生身の人間じゃないな?」
ダーンと同じく不自然さを感じ、とある《技術》を思い当たったナスカの追及に、リーガルは静かに首肯する。少し青ざめたホーチィニがナスカのそばに寄って、彼の腕を抱くようにし、祖母のスレームから聞かされていた知識を口にした。
「戦闘型改造人間……」
それは、かつての魔竜戦争時代、圧倒的な強さを誇る魔竜達に対抗すべく、アーク王国軍が開発した技術。生身の人間に、理力科学技術の粋を極めたテクノロジーを埋め込み、人には到達できない戦闘力を得るものだ。
「けどよ、あれは禁止されたんじゃなかったか?」
ナスカの言葉に、リドルが溜め息をつくと、
「ああ、俺が禁止した。だが、その前に実験台になったヤツがいたのだ。それがそこの馬鹿野郎だよ」
当時、未だ王子の身分だったリドルが、『悪夢のテクノロジー』と公然と罵ったことは、公式の記録にも残されている。
「フッ……馬鹿野郎で結構。たとえこの身が人ならざるものへと堕ちようとも、俺はこの国を護ると誓ったのだ。誰に認めてもらう必要もない。これが俺の生き様よ」
リーガルの強固な意志を宿らす言葉に、リドル以外の全員が絶句する。
「へっ……これが魔竜戦争を勝ち抜いた戦士の矜持かよ。ゾクゾクするじゃねーか」
ナスカはリーガルに相対し、視線を研ぎ澄ました。その身から抑えきれない竜の闘気がゆらりと立ちこめる。
「……無理しちゃ駄目よ、ナスカ」
一応、ホーチィニが諌める言葉をかけるが、溜め息交じりでまるで諦めが入った声色だ。英雄とは語られずとも、かつての戦争の立て役者には間違いないリーガル。その名を父親から聞かされていたこともあり、このように挑発されれば、ナスカが闘争心を抑えられるわけがない。
「あー……まあ、以前と比べりゃ格段に龍闘気も使えるようになってるからな。無理はしねーが、本気は出すぜ」
「もうっ……好きにすれば。そのかわり、怪我したら……わかってるわよね?」
「お、おう。鞭打ちは嫌だからなぁ、気を付けるわ。……って、ダーンの方は……」
ホーチィニの上目遣いの忠告に、吃りつつ応じたナスカは、ことの発端であるダーンへと言葉を向けるが……。
「ナスカ、こっちは気にしなくていい。――陛下、至らぬ身ではありますが、ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
ダーンはリドルを睨むようにしつつ、丁寧な言葉で稽古の相手を申し込む。
「……いいだろう、少年。貴様がどの程度にまで成長したのか、俺が見定めてやろう」
リドルは僅かに笑みを浮かべて、すぐにそれを消した。その瞬間に口の中で「ヤツの代わりに」という音が飲み込まれている。
『ダーン、私を身につけていきなさい』
突如、強い口調でソルブライトがダーンに念話を送ってきた。怪訝な顔をして、ダーンが手の中の緋色の宝玉に視線を落とす。
「どういうことだ?」
いつもの調子とは違い、なんとなく強ばっている神器の念は、そのままダーンを責めるかのような口調を続ける。
『どうもこうもありません。たとえ稽古と建前があろうとも、リドルと相対するならば、貴方だけではどうしようもないでしょう』
「……言われなくてもわかっているが、だからと言って、君を身につけてれば何か変わるのか?」
既にリドルとの実力差を認識しているダーンではあったが、他から指摘されれば当然面白くはない。
『もちろんです。私はリドルの戦いをレイナーと共に見てきたのです。何かしらのアドバイスは出来るでしょう。それに……いざとなれば……』
「ん? なんだ?」
『いいえ、それはその時になったら話しましょう。さて……今は貴方との間に秘話回線を作りました。この状態なら他のものには聞こえません』
『なるほど。ステフだけじゃなくて、俺とも秘話が出来たんだな、やっぱり』
ソルブライトとステファニーが以前していたような秘話状態と知り、会話を念話に切り替えつつ、ダーンはふと《契約》における自分の立場について、僅かな疑問が生じた。
そんな疑問を置き去りにさせるように、ソルブライトは会話を止めない。
『はい。こうして触れていれば回線を開けますし、一度開けば、今後は触れていなくても秘話回線を使えます。さていいですか、ダーン。今のリドルは、まだ本気ではありません。あのように娘のことで怒っているように見せてますが、怒りは半分。しっかりと頭の中は冷えてます。これからやる稽古とやらは、彼にしてみれば《子供相手の戯れ》というつもりでしょう』
『言ってくれるね……そんなに子供扱いなのか』
アテネにおいては、颯刹流剣法を極めた達人にして、プロの傭兵、今に至っては神界の剣術である《闘神剣》を使いこなす自分に対し、実力が上とは言え子供扱いとは。流石に、苛立ちを覚えるダーンだったが――
『ええ、その通りです。彼の本気は、絶対に出させてはなりません。戯れ事のうちに、なるべくダメージを受けないように負けなさい』
さらに辛辣にソルブライトが応じてきた。
『負けることが前提かよ』
『ダーン、貴方に本気になった天使長カリアスを倒す自信がありますか?』
いきなり闘神剣の師である天使長の名前を引き出され、ダーンは息を呑む。ここで《剣聖》の名が出てくると言うことは、つまり……。
『……無理……だな』
『そういうことです。もう、おわかりでしょう? カリアスを倒した男とは誰なのかを』
『ああ。わかっているさ。だけどな……』
ダーンの胸の奥で、何かが燻っている。じりじりと熱を蓄えつつも、不完全燃焼で煙る気分の悪さ。その燻りが、さらに煙たさを増しつつも、だんだん熱を上げている。
「このままじゃ、やはり帰れないからなッ」
念話にすることを失念し、ダーンは先程とは真逆の言葉を吐き出していた。
彼には珍しく、感情剥き出しの怒気を孕んで忌々しげに。
蒼穹の瞳、その奥に抑え付けられてきた激情の炎が燻り続け、昏い光を宿していた。
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