タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

腕の中にある少女

公開日時: 2020年10月20日(火) 12:10
文字数:3,462

 抱き寄せたその肩は、予想以上にきやしやだった。


 繊細に扱わなければ粉々に壊れてしまいそうだ。


 胸板の外から響いてくる嗚咽は、その高い声質の割に重く響く。


 それはどんな罵倒を浴びせられるよりも痛恨の思いを抱かせてくる。



 もうどのくらいの時間、こうやって彼女を抱き寄せているのだろうか。



 実際にはそれほど長い時間ではない。


 なのに、ダーンにとってはこの時間がとても長かった。


 これまでの人生で、このように涙する女性を抱きとめていた経験などない。


 女性は時に傷つきやすく繊細であるとはよく言うが……。


 まさに今、それを腕の中の実体験として認識している。


 始めはせきを切ったように声をあげて泣いていた彼女も、段々落ち着いてきた。


 時折しゃくり上げながらも、その嗚咽は徐々に小さくなっていく。



 その姿はまるで――子供のようだ……。



 出会う前、彼女のことは『魔竜をたった一人で撃破した女傑』としか認識していなかった。


 その認識は、任務前に聞いたアテネのラバート王の話や、昨日会ったアーク王立科学研究所長スレームからもたらされた情報からできあがったものだ。


 そして、実際に出会ってみると――


 高威力の大型拳銃を使いこなす射撃の名手。

 数種のサイキックを自在に操るサイキッカー。


 やはり優秀な銃士としての彼女を目の当たりにした。


 さらに、その容姿はとても美しかった。


 それは朴念仁と散々な言われようだった自分でも、つい魅せられそうになる程のものだ。


 さらに、こちらの不手際があったため、出会っていきなり平手打ちも食らった。


 その後の会話も、随分と容赦のないやりとりだった気もする。


 そんな彼女に対して、ふと疑問に感じていたこと。



 ――はたして彼女は本当に魔竜を一人で撃退したのだろうか?



 たしかに、彼女は並の傭兵や騎士達よりも高い戦闘レベルを誇っている。


 だが、決して魔竜のような圧倒的なレベルの戦闘能力には至っていない。


 一体、どのようにして魔竜を撃退したのか、機会があったら聞いてみたいところだが。


 もう一つ……そのこととは別に、心に奇妙なひっかかりもあった。


 それは、彼女の言動とその振る舞いから感じるイメージと、アーク王国軍特務隊《大佐殿》という肩書きとのギャップだ。


 時折彼女は、女性経験の全くないこちらを子供扱いしたりして、大人の女が年下の男をいいようにあしらっているように感じさせる。


 そうかと思えば、ちょっとしたことで少女のような恥じらいを見せるところがあった。


 朴念仁ともう既に自他共に認めつつある自分だが――あ、認めちまった。


 いや、流石にあれほど耳まで紅潮するような仕草を見れば、彼女が恥じらっていることぐらいわかる。


 その姿は、なんというか――


 自分と同年代のホーチィニやエル達以上に純真なイメージを感じさせた。


 しかし、彼女は王国軍の大佐という地位にあるという。


 あまり詳しいことは知らないが、軍の階級として、新兵そこそこの者がその地位にあるはずない。


 当然、軍でなんらかの功績があってこその今の地位だろう。



 さらに、彼女のこう品にも何となく大人の女のイメージを抱かせる。


 今は洗髪料の香りしか感じないが、彼女は出会ったとき甘酸っぱい香りを纏っていた。


 肌が触れあうくらいの距離に近付かなくては気付かない程の微かな香り。


 あれはきっと香水のものだろう。


 先ほど彼女が化粧品などをバッグにしまっていた際にちらりと視界に入った香水の瓶。


 ピンク色の透明な液体の入ったあの瓶は、養母のミリュウが使っていたものに似ている。


 昔、その香水を養母の化粧箱からくすねた金髪ツインテールが、やたらとその身に吹き付けたことがあった。


 その結果、猛烈に下品な臭気を放ち、ツインテールは終日家に入れてもらえずにいたのだが。


 養母曰く、香りを纏うには自分に適した品と適量を知らなければならないとのこと。


 それは、大人の女にのみ許された『至高のたしなみ』だとか。


 ステフから感じた香りのイメージは、自然に微かな魅力を感じさせるものだ。


 その辺が彼女から大人の女を感じさせるのかもしれない。


 おそらく彼女の年齢は自分よりもいくつか上なのだろう。


 あのスレームという女性が、女に年齢を聞くなど紳士にあるまじき行為だとか言っていたし。

 本人に「ズバリ、あなたの年齢は?」などと問いかけるのもどうかと思うので推測でしかないが。


 そんな彼女が、今は幼い子供のように怯えて泣いている。


 その姿は、今まで感じていた『女傑』のイメージを破壊し、『護るべき対象』というイメージをダーンに実感させていた。



 その実感は、彼に新たな決意をさせるきっかけとなる。



 彼女に対し、ダーンはその決意を告げようと、今まさに言葉をつむごうとしたところで――




「……汗くさい……っ……」




 ステフは、しゃくり上げる息づかいの合間にぽつりと悪態を吐いた。


 未だ涙を溜めた琥珀の瞳がダーンを睨め上げている。

 

「え? あの……ステフ?」


 たじろぐダーン。


 確かに昼間からずっと戦闘やら何やらで汗をかき、宿に着いてからもその汗を流すような暇はなかった。


「まだそんなに非道いわけじゃないけど……っ……シャワー……っ……浴びてきなさいよ……」


 しゃくり上げに息を詰まらせながらステフは言いつける。


 そのまま彼女は、室内のシャワー室入り口の扉を指さしていた。





     ☆





 一人になった室内で、ステフは床に落ちた毛布を拾い上げてベッドの方に歩いて行く。



 ――不覚……!



 未だしゃくり上げてくる横隔膜の勝手な動きを戒めるように、大きく息を吸い込む。


 そして瞳に残っていた涙をナイトガウンの袖で拭き取った。


 そのままベッドの上に腰掛けたところで、視線の先、ソファーの向こうの扉からシャワーの流れる音が漏れ出す。


 閉じられた扉の向こう側では、ダーンがシャワーを浴びているはずだ。


 汗を流してこいと言った後、ダーンは少し狼狽していた。


 シャワーを浴びている隙に再度襲撃があった場合的確に対処できなくなるなどと言ってもいた。


 しかし、


   すぐの襲撃は可能性が低いことと

   万が一の場合、懐にしまい込んだ《衝撃銃》で持ちこたえられること


 を伝え、さらに


   優秀な護衛なら衛生面にも気を遣うべきだ


 と若干の悪態を込めて言うと、バツの悪い顔をしつつ従ってくれた。


 その際、「妙なこと考えて服を着ないで出てきたら風穴空けるわよ」と釘を刺すことは忘れていない。

 

 朴念仁は慌てて手荷物のバッグから着替えを取り出し、シャワー室に入っていったが……。



 ――あのままのムードはちょっとヤバかった……。



 妙な胸の高鳴りを覚えつつあった自分自身に釘刺ししたようなものだった。


 先ほどのアレは、深夜、宿の一室で抱き合う年頃の男女二人、そんなシチュエーションであったのは間違いない。


 本当は汗の臭いなど別に嫌でも何でもなかった。


 むしろ肩を抱かれている安心感みたいなものに、ついそのまま流されそうなっていた。


 それをなんとか悪態で誤魔化しただけだったのだ。


 それにしても、ちょっと気まずい状況だ。


 あの瞬間、これまで張り詰めていたものが限界に達していた。


 就寝の挨拶をした彼が扉の向こうに消えようとした姿を瞳に捉えて、つい堪えられなくなってしまったのも確かだ。


 でもまさか、自分があんな風に泣きながら抱きつくなんて。


 しかも、まるで「今夜は一人にしないで」みたいな意思表示を思いっきりしてしまうこととなるとは。


 あの時の自分はなんてことをしてくれたのだ。


 それが馬鹿げた後悔というのもわかっている。


 だが、今後を考えると現在の自分以外の誰かに悪態を吐きたくなってくるのだ。


 思えば、まだ半日も経たないうちに二度も彼に抱きついてしまった。


 一度目は、心音を確かめるとか咄嗟にいい言葉がひらめいた――本来サイキックの波長に心音は関係ない――が。


 二度目の今回は思いっきり泣きじゃくって、五分近くは抱きついていたと思うし誤魔化しようがない。


 まあ、つい抱きつきたくなってしまった衝動は、一度目も二度目も同じようなものだったのだが……。



 ――こうなったら…………。


 なかったことにしてしまおう。


 ――いくらなんでも無理よね。


 記憶操作のサイキックで、部分的な記憶を消去なり改ざんする。


 ――わぁお! ナイスアイデア……って、そんな便利な能力あるわけない。


 逆転の発想……ベッドで全裸待機。


 ――阿呆かあたし……っていうかそれを避けたんでしょうが。


 もう面倒だから射殺。


 ――合理的ね、採用。……冗談よ。


 高度な理性的対応、つまりは……、


 ――素直になること……ね。


 ステフは大きく深呼吸。


 そして、意を決し立ち上がる。


 彼女は、シャワー室の扉の側に立て掛けられた赤鞘に収まる長剣に手を伸ばしていた。

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