ダーン達が王宮へ帰還すると、スレームを中心として、最先端の医療スタッフが待ち構えており、すぐにステファニーの検査を開始した。その際、神器ソルブライトがステファニーの傍らにあって、医療スタッフにあらゆる身体的データを提供している。
「しばらくは、医療チームに任せるしかなかろう。ご苦労だったな、ダーン、そしてルナフィス」
集中治療室の前まで娘に同行してきた国王リドルは、共にいたダーン達に労いの言葉をかける。
「申し訳ありません。結局無事に救出とは……」
「いや、言うなよダーン」
ダーンの自責を、リドルは穏やかに制止する。
「この件に関しては、俺も同罪だ。娘が危険にさらされる可能性を認識しておきながら、あの勝負にこだわってしまったのだからな」
そう言いつつもリドルは、両の拳を骨が軋む程に固く握りしめる。
「陛下……」
「それにな。お前は俺に勝ったんだから、もう少し胸を張れよ。今や、お前はアークにとって最重要人物になっているからなぁ」
「へ? 何故です?」
リドルの言葉に唖然として問い返すダーン。その彼にリドルは、少し意地の悪い顔で話を続ける。
「お前を敵にすれば、いかに我が王国といえども勝ち目はないからな。俺に勝つというのはそういうことでもある」
世界中の軍隊を総動員しても、閃光の王リドルには勝てないというのは、実は諸国の首脳陣には既知の事実である。そのリドルを一人で倒した男ともなれば、その重要度は計り知れない。
当然のことながらアーク王国は、リドルを倒したという事実は隠蔽しつつ、ダーンを王女の騎士としての地位を保証し、味方に引きこむだろう。
「いや、しかし俺は所詮アテネの傭兵隊の一人だし、アテネはそもそも同盟国ですよ」
「たとえ最も信頼できる同盟国アテネであっても、ウチの大臣どもは絶対に帰したくないだろうなぁ。とまあ、それは半分冗談だ」
「半分?」
「そうだ、半分だ。既にアテネ国王から、お前の処遇について書簡をもらっていてな。端的に言うと、傭兵隊は現時点をもって解雇だ。さらに、お前がアークにおいて国籍を得られるように戸籍情報、そしてアテネ国王からは、我がアーク王国軍特務隊への推薦状も届いている」
したり顔で話すリドルに、ダーンは顔の筋肉をひきつらせて絶句する。
「あー、ちなみにこれらの書簡は、お前自身がアテネ国王から俺のところに届けてくれたものだぞ」
リドルは、懐から細いチェーンがついた親指大の黒い物体を取り出した。それは金属製の円筒で、表面にアーク王家の象徴たる《桜花の紋章》が掘り込められている。
「そ、それは……」
ダーンにも、リドルが取り出したものには思い当たるものがある。そう、ダーンがアテネ国王から託された《記録媒体》だ。
「ハッハッハ! 七年前、お前とステフが何やら約束していたのは、俺もラバートも知っていたからな。あの変態国王も、人を見る目は確かだ。こうなることは予測済みだったろうさ」
楽しそうに笑いながら、実はとっくにアテネとアークの国王間でダーンの処遇を決められていたことを明かすリドル。それを前に、なんとなく悔しい思いと感謝がごちゃごちゃになりながら、ダーンは苦笑いしか出来なかった。
☆
黒い石板の欠片、その一つを手にした老人は、大きく長い溜め息をつく。柔らかなソファーの座面に身体を埋めながら、まだ若い魔神のことを想いふけっていた。
老人のいる居室は、精緻な装飾を施された調度品が、調和を保って配されており、その部屋の主がただならぬ地位の者であることを証しながらも、ある程度の節度がうかがえる。腰高の窓からは、魔界の黒い空が覗け、時折稲光が室内を照らしていた。
そこは魔界の魔神が住まう場所。魔界東方の大侯爵、魔神アガレスの居城であった。
「おじいちゃんのところにも届いたんだ」
大魔神の住む場所に、似つかわしくない鈴のような少女の声。その声を聞き、アガレスは顔を上げると――
「おおー! 戻ったかリリス。待ちわびたぞぉ」
破顔して金髪ツインテールの少女を大歓迎した。
「もー、私が向こうに戻っていたのって、たったの三時間よ」
「いやー、今回はアーク王国じゃろ? あそこの茶菓子が楽しみでのぅ」
「うーん……これで魔界東方に恐るるものなしと謳われた魔神なのよねぇ」
「そーんなもんは、まわりが勝手に吹聴しとるだけじゃて」
「あー、はいはい。ちゃんと買ってきたわよ。今回は王家御用達のいちごミルフィーユ」
リリスは手にしていた白い箱を開けてみせる。中には、薄いパイ生地を何層も重ね、芳醇ないちごと生クリーム、そして白い粉砂糖がアクセントとなった菓子が四つ入っていた。
「おほー! 素晴らしきかな。早速、茶の湯を用意せねばの」
アガレスはいそいそ立ち上がり、執務机の方へ向かうと、机上の鈴を鳴らす。
鈴の音を聞き、隣室から給仕係と思しき少女が入室してきた。
「アガレス様、御用でしょうか?」
エプロンドレスを優雅に着こなし、長く伸びた紅い髪をツインテールにしたその少女は、アガレスとリリスの姿を認め、少し大げさな動きで深く一礼する。その所作で、彼女のエプロンドレスの胸元も揺れ動いた。
「む。……リアラ、それわざとやってるでしょ?」
ムッとして、リリスは給仕の少女を見据える。
「はい? いかがいたしまして、リリス様」
リアラと呼ばれた給仕の少女は、小首を傾げると同時に、右手の人差し指を自らの右頬に当てて、左腕で自らの胸を持ち上げるように抱えるポーズをとった。
「特盛りッ」
年甲斐もなく大魔神がテンションを上げる。
「ぬあぁぁあっ! ムカつく! その理不尽な脂肪の塊、ムカつくッ」
リリスが地団駄を踏む前で、リアラは両手で胸元を抱え直し、怪訝な顔でさらに応じてくる。
「その……どこかお加減がよろしくないのでしょうか? ムカつくと言うと、やはり胃でしょうか?」
心配そうな顔で、リアラはリリスに近付くと、右手でリリスの腹部を擦ろうとするが――
「ちょっと! どこ触ってるのよ?」
「いえ、胃の調子が悪いのかもと」
「そこは胸よッ」
「え? こ、これは失礼しました! お腹の肉にしては若干肉厚と思いましたが、感触的にはてっきり腹部の上の方と勘違いしました――でもぉ……」
深々と一礼して、非礼を詫びるリアラだったが、自分の胸と腹部を触って感触の違いを確かめては、首を傾げた。
「アンタねぇ……」
「やはりおかしいですわ。リリス様のお胸には、このような手応えがまるでなくて……。後学のために、もう一度確認をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「いい度胸じゃないの。ふ……ふふっ……」
リリスのツインテールが紫電でスパークしつつ浮き上がっていく。
『やれやれ……やめんか、リリスよ。それにリアラもだ』
リリスの後方から室内に入ってきた、神狼ナイトハルトが二人に釘を刺す。
「あらまあ……ナイトハルト様に叱られては致し方ありませんね……。さて、お茶の御用意をいたしますわ」
リアラは一礼すると、給仕用のミニキッチンへと歩いて行く。どうやら、主人のアガレスに言われるまでもなく、お茶の用意を頼まれるとわかっていたようだ。
「むー。言われっぱなしで気に入らないぃー! もう、どうして魔界の給仕係って、みんな性格悪いのよ? ナイトのバーカ」
リリスが不機嫌のまま、足元にうずくまって休み始めた神狼に軽く八つ当たりする。
『そこで何故、我に矛先を向けるのだ?』
「ふーんだ。それで……おじいちゃん、さっきの話の続きだけど、えーと、しないほうがいいかなぁ?」
リリスの切り返しに、アガレスは軽く笑みを浮かべて、手にしていた石版の欠片をリリスに掲げてみせる。
「いずれにしても、これの話題はヌシらにせぬわけにはいかぬじゃろうて。そうじゃな……茶を楽しみながら、昔話を交えて話すとしようかの。リアラにも関わりのある話じゃし、リリスもしっかりとリアラの分まで、茶菓子を用意していることだしのう」
アガレスは、含みのある言い方をしながら、リリスの方を仰ぎ見る。
「べっつに……。お茶入れるのあの子だしぃ。それなのにあの子の分用意しないのは、不公平だしぃ」
少し顔を赤らめつつ、あらぬ方を向いて言い訳じみたことを言うリリス。一方、ミニキッチンの方では、珍しく陶器の食器が耳障りな音を立てていた。
『仲がいいのか悪いのか……』
溜め息を鼻から抜けさせる神狼が、足元にて念話でぼやくのを聞き、リリスはとりあえず神狼の腹部をつま先で軽く蹴って、妙な憂さを晴らすしかなかった。
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