タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

偽りの月夜に蝶は舞い……

公開日時: 2020年11月30日(月) 08:04
文字数:3,657

 リンザー・グレモリーが、ステファニー達を自分の具象結界に取り込んでしまった頃――


 アーク王宮の地下、王家の訓練場にて、ケーニッヒ・ミューゼルは表情を強ばらせていた。


 眼前で繰り広げられている戦闘は、およそ人やその武器が生む闘争とはまるで次元が違い、神話の一幕を眺めているようでもある。そんな得難い経験を前に、彼は後ろ髪引かれる思いで、防護結界の維持に務める。


「やられましたね……。まさか、この事態を予測して、国内に潜入していたわけではないのでしょうけど……」


 ケーニッヒの異変に気が付いたスレームが声をかけるが、彼女の表情も険しいものであった。


「会長も気付きましたか。いやはや、ホントにやられましたよ。まさかリドル陛下のお膝元で、白昼堂々と姫を狙うとはね。しかも、魔力の秘匿の仕方も巧かった。もしかしたら、帝国の理力技術を応用したのかな」


 そう、二人ともステファニー達がリンザーの襲撃を受けたことを、即時に察知していた。


「そのようですね。もっとも、帝国あちらさんだって、まさか第一王女を本当に攫ってくるとは思わず、技術提供をしているのでしょうけど」


 スレームは言葉を返しつつ、手元の端末にて、配下の部隊に指示書を打ちこんでいる。


「姫の身柄が、ゴート帝国に拘束されようものなら、あの国は次の日にはこの地上から消えている。それを一番よく知っているはずだからねぇ……」


 ケーニッヒの言葉に、スレームも無言で首肯する。明確に敵対しているアークとゴートであるが、未だに戦火を交えないのは、様々に理由があった。その一つに、アーク国王リドルの存在があげられる。


 まともにやり合えば、兵力差はほぼ互角の両国だが、リドルがその気になれば、軍隊なぞいくらあっても意味を成さない。その神槍をもって一人攻め込めば、ものの数分で、全ての戦力を無力化し敵国を滅亡に追い込むことだろう。


 そして、そのような戦争のあり方を最も嫌うのもまた、リドル本人なのである。彼は、一人の強大な権力者が、国や人々を動かし全てを支配することをよしとはしない。だからこそ、アーク王国を少しずつ改革し、半民主化施策を推進してきた。


 それに反抗して、アーク王国から離反した貴族階級達が、今のゴート帝国の中核である。そのゴート帝国の建国理念は、強大な力を持つものこそが、人々を牽引していくというもの。


 相反する理念を掲げるリドルが、ゴート帝国を一人で殲滅できるとは、なんとも皮肉な話である。彼がゴート帝国を一人で滅亡させてしまったら、それこそ彼の理想を自ら否定し、ゴート帝国の理念を歴史的には正しいと証明するすることになるのだ。


 故に、リドルは自らが陣頭で戦争に参加することはしない。


 たが、リドルとて人の親である。


 愛娘が拐かされたとなれば、話は変わってくる。烈火のごとく怒り狂い、帝国の全てを焦土と変えるくらいはするだろう。


「しかし、気になるな。そこまでわかっていながら、何故帝国は、あの悪魔の女と与してるんだろう? 何か弱みでも握られているのか、それとも、国の存亡をかけてまでする価値があったのか」


 ケーニッヒの問いかけに、スレームはしばらく黙考する。それに焦れて、ケーニッヒは再びダーン達の方に視線を戻した。


 一方――


 ケーニッヒとスレームの会話を聞いていた面々も、ステファニー達に何が起きたのか、会話内容から察しているようだ。だが、彼らもまたすぐには動けなかった。


 ナスカはリーガルとの訓練戦闘で、かなり疲弊しているし、リーガルも同じである。ホーチィニはナスカの介抱もあるし、そもそも単独での戦闘は不向きだ。

 

 ステファニーの実妹であるカレリアを含め、女神二人もここから動けない。防護結界の維持に、その力を注いでいるからだ。


 この防護結界を少しでも緩めてしまえば、溢れ出したエネルギーは、この惑星の形を変える程に、甚大な破壊をもたらすことだろう。


 もちろん、天使二人も同様の理由である。


「やはり……あの情報が漏れたようですね」


 ポツリとスレームが意味深に呟く。ケーニッヒにも、その意味は理解できていた。


「そうなるよね。超弦加速装置の理論ならば、リンザーはもとより、ゴート帝国だって、危険な賭に挑んでも欲しいものかもしれない」


 かつて、ステファニーが辿り着いてしまった科学の境地『超弦加速装置』の原理。それを実用化すれば、世界のパワーバランスが一変する。アークの至宝と揶揄される少女は、まさに『至宝』だった。


 これまで、『至宝』の情報はあらゆる手を尽くして秘匿してきた。しかし、七年前に大魔神・アガレスが施した策は、そろそろ魔界の魔神達の情報網を誤魔化すには、限界を迎えているかもしれない。


 そうなると、この世界と異界のあらゆる勢力が、彼女の知能を狙っていることになる。



――あるいは、だからかな?



 結界の中で、時空を変質させるほどの力で闘うリドル。彼がこのように簡単に姫を危険にさらす状況を作り出したのは何故か。彼ほどの先見の明があれば、この事態は予測できたはず。それなのに、今回は、どちらかといえば娘の安全確保よりも優先して、ダーンとの対峙に臨んでいる風がある。


 今後、あらゆる勢力が狙ってこようとも、すぐ隣で少女を護ることが出来る最強の騎士を育て上げるために。


 リドルも、あるいは危険な賭に挑んでいるのではないか?


 そんなことを考えつつ、金髪優男はもう一人、赤みのかかった銀髪の少女が無事であることを強く願うのだった。





     ☆




 

 負傷し血を失っていくルナフィスは、急激に体温が低下し、身体は微かに震えていた。


 胸元の傷は深く、純白だったドレスを深紅に染めていく……。

 呼吸は、いくら吸っても息苦しさが消えず、胸のどこかでゴボゴボと嫌な水音が響いていた。

 

 仰向けに倒れ、偽りの夜空に浮かぶ丸い月を眺めながら、少女は熱を失っていく自身の体の冷たさに恐怖する。その絶望に溢れる緋色の瞳に、汚らわしい雄の荒ぶる姿が映り込んでいた。


「い……や……」


 血泡の混じる悲痛な声で、少女は拒絶を露わにする。それすらも、繁殖と雌を蹂躙することが存在理由と言わんばかりの雄の野獣にとっては、興奮をそそる嬌声に聞こえていた。


 亜人共のリーダー格と思われる個体が、ルナフィスの身体を睨めまわす。豚の鼻をした顔に、卑猥な笑みを浮かべ、紫の肌を僅かに覆う腰布の下、欲望の権現がそそり立ってその存在を鼓舞していた。


 失血と、具象結界に満ちるリンザーの魔力のせいで、まともに動くこともできず、ルナフィスは、目の前の亜人から漂ってくる悪臭に、顔を歪める。


 もう、目の前の光景を見たくはない。このまま、舌をかみ切って――と、覚悟を決めた時、彼女は最期にこんな醜い亜人ではなく、せめて好きだった月を網膜に焼き付けようと、偽りの夜天に視線を向けた。


 銀の満月が、リンザーの創り出した偽りの夜に煌々と光をおとしている。



――あれ……なんで?



 少女はふと気が付く。


 リンザーがこの具象結界を展開した瞬間、周囲はに変質したはずだ。


 それが、いつの間にか、綺麗な銀の月が夜空に存在していた。


 魔に満ちる夜の闇を、銀の清廉な光が切り裂いている!


 さらに、仰向けで倒れたルナフィスの身体にも、異変が起きる。


「う……あ……つい……?」


 呻くように、ルナフィスが漏らしたのは、「熱い」という感覚。ドレスの胸元あたりで、突如火傷しそうなほどの熱が生まれていた。


 血で濡れるドレスの胸元には、シークレットポケットがあり、その中で何かが熱を放っている。やがて、ソレはドレスの生地を破り、外へと飛び出し、彼女の胸の上に滞空する。


 赤い血に濡れた緋色の宝玉。


 それは、昨日湖上で闘ったあの禍禍しい緋色の魔人に埋め込まれていて、戦闘後ルナフィスが拾った不思議な魔石だった。


 ルナフィスの血をある程度吸った石は、突如、白銀の光を放ちルナフィスを照らす。


「あ……あぁ……」


 暖かい銀の光は、懐かしい感覚すら覚えるもので、その安心感の中、ルナフィスは胸の痛みがやわらいでいくのを認識していた。


 さらに、白銀の光は、変質して無数に舞う銀の蝶となり、倒れた少女を包み込む。


 やがて銀の光を放つ蝶の大群は、一つに集まって、ルナフィスを抱き抱える人の姿に変容していった。


 そして――


「もう……大丈夫だ」


 白銀のオーラを纏う人影が懐かしい、そう……とても懐かしい声で優しく彼女に語りかける。


 その灰の瞳は、かつての彼の瞳とは色は違えど、その光は幼い頃に見た優しいもの。

 顔も魔力で汚れて醜くゆがんだ表情ではなく、落ち着き、整った顔立ち……むしろ眉目秀麗だ。


 なによりも――口元に、毛嫌いしていた牙はない。


 しかし、彼は彼女にとって最も近しい男で間違いなかった。


「にい……さま……?」


 ルナフィスの瞳に涙がにじむ。


「まだ……私を、兄と呼んでくれるのか……ルナフィス」





 情けなさと打ち震えるような喜びを押し隠した、涙声に近い男の言葉。


 ルナフィスを両腕に抱き上げた男、サジヴァルド・デルマイーユは、あふれる様々な想いを飲み込んで、鋭い視線を彼らをとり囲む亜人たちに向けるのだった。

 最強のオッサン列伝、最後の一人、その名は――

 サジヴァルド・デルマイーユ!


 遂に復活!!!


 皆様覚えておいでですかね? 飛行船ハイジャックでステフを狙った、あの変態吸血鬼を。

あ、はい、イラストのとおり、滅茶苦茶いい男になって帰ってきました。そのあたりの経緯は後のストーリーで明らかに。


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