タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

上陸

公開日時: 2021年4月27日(火) 17:54
更新日時: 2021年4月28日(水) 16:44
文字数:5,268

 飛行艇ファルコンⅡは、荒れ狂う海上を西へ進む。


 そこは本来なら、大きな湾になった静かな海が広がっていたが、ダーンの放った蒼閃烈波の影響で、大きく波がうねっていた。


「水深がかなりあったから、もっと外洋だと思っていたけどわりと陸地が近いんだね」


 パイロット席のエルが正面の景色を見ながら、隣の席に座る人影へと語りかける。


「はい。今飛行している下の湾は、この国の湾でも最も深いところです。それと、正面に見える高い山が、この国の最高峰ですわ」


 コクピットエリアの左右二つに並ぶ座席、その左側に座した女性は、長い黒髪を手櫛で弄びながら、丁寧な言葉でエルに応じている。


「って! ちょっとまって。なんでカレリアがいるのよ?」


 最後尾列のシートから、機体右側の窓際に座るステファニーの驚く声。その左隣には、先程彼女に脛を蹴られたダーンが座っている。そのダーンのさらに左隣に座るルナフィスは、こっそりと見えないところで手を繋いでいるステファニー達二人に気付かないふりをして、窓の外を眺めていた。


「あら、お姉様気付いてなかったのですか。今回は私も上陸して、次の精霊王をお探しするつもりでしたのに」


 カレリアは座席から首だけ後ろを向いて、おっとりとした声でステファニーに応える。


『まあ、他の乗員に気を配っている余裕がありませんでしたからねぇ』


『うるさい……』


 ソルブライトの秘話状態で囁く念話に、ステファニーも少し羞恥心を感じながら悪態の念を放つ。


「それなんだが、いいのか? 水の精霊王である貴女がステフを直接助けてしまっても」


 ダーンのその懸念は、ステファニーも聞いてみたいところだ。精霊王との契約を仲介する神器、ソルブライトの話では、ソルブライトや精霊王は契約の手助けをしないものだと聞いている。


「ええ。私はお姉様の妹ですから特別です。と言うよりも、契約が済んだ精霊王は基本的に契約者の味方ですよ、ダーン」


 カレリアは愉しそうな声色で姉の恋人の名を呼ぶ。最初に出会った頃は、その呼び名も『ダーン様』と随分着飾ったものだったが、最近は普通に呼び捨てにして気さくな感じだった。これは、ダーンが姉の恋人として、さらにその騎士としての立場になったことで、彼女としてはより親近感が増したからだろう。その割に姉に対しては『お姉様』なのは、もはや彼女の性癖としか言い様がない。


「カレリアは、次の精霊王を知っているのかい?」


 ダーンも、カレリアに対しては呼び捨てに呼ぶようになった。これは、他の女性陣に対しても同様なのだが、今の彼は仲間の女性達を呼び捨てもしくは愛称で呼ぶようにしている。かつては、よほど親しくなければ『さん』付けだったのだが、特務隊に編入した際に、女性達からそのようにするように言いくるめられたのだ。


 曰く、王女たるステファニーを愛称で呼ぶくせに、他には余所余所しいのは如何なものか……と。


「私も詳しくは知りませんわ。というよりも、元々火の精霊王は、姿形、その名前すら時代によって変化させてきた存在なんです」


「姿や名前が変わる精霊王ね……。確かにそういうことならカレリアが一緒に来てくれるのはありがたいけど」


 カレリアの言葉にステファニーは思案顔で俯く。左手を軽く握り、曲げた指の背で顎先や唇を触れる仕草は、熟考する際の彼女の癖だ。


 存在が不確定な精霊王を探すとなれば、同じ精霊王たるカレリアがいてくれた方がいいだろう。人間よりも高次の存在でもある精霊王は、種族としては女神でもある。そんな高次の存在を感知できるのもまた、同じ位に位置する存在だろうからだ。


 だが、カレリアの姉であるステファニーとしては、妹が同行することで危険にさらされるのではと心配になってしまう。


「ステフ、カレリアは水の精霊王でもあるんだぜ。こと水系統のサイキックじゃ君よりもはるかに強力なものを使いこなせるし、いざとなれば……」


「あたしより強いことくらいわかってるわよッ。でも、そういう理屈じゃないの、気持ちの問題よ」


 少し苛立つように、ダーンの言葉を途中で遮って声を上げるステファニー。繋いでいたその手に、思わず力がこもる。


「まあ、これだけ達人が同行してるんだし、大丈夫じゃない? なんなら私がカレリアの護衛を受け持つわ」


 少し見かねて、窓の外を見ていたルナフィスが助け船のように言う。


「ルナフィス……んーまあ、どのみち今さらアルゼティルス号には戻れないから、仕方がないわね」


「あと……」


 ルナフィスが少し意地悪な顔をして、ステファニーに視線を向ける。


「うおっ?」


 そして、ステファニーとルナフィスに挟まれる形で座っていたダーンが素っ頓狂な声を上げた。


「こっちの手は私が担当するわ」


 ダーンの左手をしっかりと指を絡める形で握ったルナフィスは、その右手を持ち上げてステファニーに見せつける。


「べ、別にいいけどぉ」


 言葉とは裏腹に、ステファニーの左踵がダーンの右足の甲に踏み落とされるのだった。





     ☆





 飛行艇ファルコンⅡは、海上を低空飛行して間もなく陸地に辿り着こうとしていた。


「わぁ、風光明媚なところね」


 飛行艇の窓から眼下に広がる光景を眺めていたステファニーが嘆息する。


 琥珀の瞳に映っているのは、大きな湾内の半島にある砂浜と、その向こうにあるひときわ高い山の景色だ。砂浜は奥行きがあって、長さもかなりあり、さらに内陸側には砂浜に沿って、松の木が数え切れないほどならんでいた。


 湾内に流れる大きな河川が西側にあり、その土砂が海流に運ばれて、砂嘴さしを形成しているのだ。


「これは確かにいいな」


 三人分並んだ座席の真ん中にいるダーンも、ステファニー側の窓から外の景色を見る。


「へー、どれどれ……」


「お、おいルナフィス」


 ステファニーとはターンを挟んで反対側のルナフィスも、ステファニー側の窓を覗き込もうと身を乗り出す。当然、間に挟まれているダーンの方に華奢な躰を無遠慮にあずけるような形になるわけで――


「ちょっとぉ……ルナフィスぅ」


 ルナフィスの大胆な行動に、ステファニーが唇を尖らせた。


「んー何? あー、コレのこと?」


 わざとらしく、乗り出した躰をダーンの胸板に押しつけるルナフィス。襲ってきた柔らかさと鼻腔を微かに擽る薔薇の芳香に、蒼髪の剣士は平常心をかき乱されつつあった。


 この時ふと、出航前にアークで過ごした数日間のことをターンは思い出す。ステファニーやリリス、それにホーチィニやエル達でルナフィスもショッピングを楽しんだことがあった。

 その際、ダーンはナスカと二人で荷物持ちをさせられ、アチコチ引きずり回されたのだ。その時の買い物に、ステファニーが勧めたオーダーメイドの香水店で、確かルナフィスが薔薇の香りを気に入っていたが、その時の香水を今も嗜んでいるらしい。


「あー! コラぁ!」


 軽く抱きつく形になったルナフィスとダーンに、青筋を立てる勢いのステファニー。間に挟まれたダーンにいたっては、硬直状態で困惑するしかない。


「はいはい、このぐらいでムキにならないでよ。どうせ減るもんでもないし、いいじゃない」


 意地悪く笑ってみせて、さらにダーンに体重をかけるルナフィス。


「う……。ルナフィス、流石に悪乗りしすぎだと……」


「コソコソと手なんか繋いだりしてイチャイチャしてるから悪いのよ」


「うぐっ」


 嗜めようとしたダーンの言葉を、すぐに制するルナフィス。


「うー……むーーーっ」


 むくれて軽く唸るステファニーは、繋いだままのダーンの右手を思わず胸に抱き寄せてしまう。結果、手の甲を包み込む柔らかさの恩恵を受けるダーン。


「ヒュー、大胆ね」


「お、おいステフ……」


 ステファニーの行動に、ルナフィスが軽く驚き、ダーンが諫めようとするが。


「なによッこのくらい。いつも散々勝手に揉んでくるクセにぃッ」


 ここまで感情の高ぶりが何度かあったせいか、聡明であるはずの少女は、ダーン達が思う以上に見境がなくなっていた。流石のルナフィスも、コレには赤面して申し訳なさそうにダーンの顔を仰ぎ見る。


「やれやれ……だな」


 肩をすくめて言葉を洩らすダーン、その脳裏に少し厳格な思念波がたたき込まれる。


『我が妹の前で不純な異性交遊はやめろと言ってあったはずだがな?』


「ゲッ……兄様」


 慌ててダーンの胸板から離れるルナフィス。その耳に付けたイヤリングが、ルナフィスの兄・サジヴァルドとの交信を可能にしている。そのサジヴァルドは、今も潜水艦アルゼティルスの艦内にいた。


『まったく最近の若い者は……コホン、まあいい。今見えている海岸線のことだが――』


 憮然としたサジヴァルドだったが、ルナフィスを通じて同じ景色が見えているのか、その地形の成り立ちなどを解説し始めた。湾内に流れる大きな河川と、海底から隆起した大地、海流の流れなどから生まれた砂嘴。地殻変動と火山活動で生まれたこの国の象徴とも言うべき美しい山、その景観がいくつかの重要な文化と信仰を生み出したことなど。


 魔竜人だった兄がいったいいつの間にそのような知己を得たのかと訝るルナフィスだったが、解説を聞き入っていたのか、ダーンの手を握りぱなしになっていた。


「いつの間にかダーンだけ恵まれてねーか、おい?」


 後ろの座席からの妙な気配に、小声でホーチィニに耳打ちするナスカ。その恋人ホーチィニは、穏やかに微笑を浮かべて、ナスカの手の甲をつねってやる。


「ナスカは私がいるから、それだけでとても恵まれている……。異論は認めない」


 悲鳴を上げそうなのを堪えつつ、ナスカは苦笑い。


「はぁー……いいなぁ、みんな青春してるわ……」


 コクピットのエルは、背後の雰囲気を察して一人溜め息をつき、隣のカレリアも肩をすくめる。そのはしばみ色の瞳には、近づきつつある白い砂浜が映っていた。

 

 アーク王国第二王女、そして水の精霊王でもある彼女もまた、この地で自らの身に起こる事態を未だに知り得なかったのだ。





     ☆




 

 飛行艇ファルコンⅡの着陸は、極めて安定したものだった。操縦していたエル・ビナシスの技術もさることながら、最新鋭の機体は高度な姿勢制御システムを搭載しており、さらに魔力等による妨害工作に対抗出来るよう、理力機構以外の技術も組み込まれている。そのおかげで、理力機関に悪影響を及ぼすこの国の《星沁》にも影響されなかったのだ。


「さて、着陸は出来たけど……なかなか熱い歓迎を受けそうね」


 窓から外の状況を確認しながら、ステファニーは呟く。見える範囲でも、数百名の武装した兵士達が遠巻きに機体を取り囲んでいた。


「砂浜か……足場が悪いから歩兵は不利だな。でも、こちらは剣を扱う全員が空戦機動フライ・コンバットを使える。ファルコンⅡの機体を盾に、ステフ達は遠距離からの援護をしてくれれば、なんとかなりそうだが……」

 

 ダーンはそこで言葉を途切れさせる。海中でのこともあり、こうやって兵士達に囲まれると、つい戦闘を想定してしまうが、彼らはこの国に戦うために来たわけではなかった。  


「海の中と違って、今は声を上げれば相手に届くわ。交渉を前提に……」


 ダーンが言葉を途切れさせた意図を察して、ステファニーが外の兵士達との交渉を前提に動けないかと話し始めた時だった。


『我々はアスカ皇国を守護する《ほむらの一族》だ! 国籍不明の飛行艇の乗員に告ぐ! 君たちは完全に包囲されている! 大人しく降りてこい!』


 機体の外から大声量で響いてくる若い男……いや、少年の声。何らかの方法で拡声しているのだろうが、それにしても随分と若い声だ。


「あいつか?」


 窓の外、少し離れた砂浜に一人の少年が仁王立ちしていた。


 声の若さ通り、見た目はやはり少年だ。背の高さはそこそこあるようだが、体格は細身で顔つきも幼さを残していた。推測するに、15歳程度だろうか。黒い髪は短く刈り上げていて、頭頂部はツンツンと逆立っている。身につけている装束は、この国独特の衣服のようだ。


 そして、腰元に二本の刀剣を差している。


 鞘から推察するに、その刀剣は細身であるがゆるやかに湾曲した形状で、切断力に優れていることが予想できた。


 この刀剣に関しては、ダーンも知識がある。これは、《カタナ》と呼ばれる、この国独特の技術で打たれたものだ。斬撃の鋭さはもちろん、その細身からは想像しがたい強度としなやかさを誇っていた。


「子供よね? 一人で前に出てるけど……」


「油断できないぞ。物腰が年の割に落ち着いてる。刀も少し小振りなものを二本差しだけど、あれを自在に操れるなら間違いなく強敵だ」


 ルナフィスの言葉にダーンが警告を発する。少しムッとするルナフィスだったが、改めて外の少年を観察し、確かにダーンの言うとおりかもしれないと冷静に分析しなおす。


「どうするよ、ステフ?」


 実戦部隊としては、この場で最も立場が上のナスカだが、部隊長のステファニーがいる以上、彼女の方針を最優先する立場でもある。


「あちらが一人で前に出た以上、こちらも……」


「じゃあ、それは副官の俺の仕事だな。ちょっと行ってくる」


「へ? ちょ、ちょっとダーンまっ――」

 

 ステファニーが制止する暇を与えず、ダーンは素早くハッチを開くと、その身を外に躍り出させていた。

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