琥珀の瞳に、紅茶の湯面が揺らいで映っていた。
ステファニーは、のぞき込んだカップの中身を口に含み、普段口にする『最高の紅茶』とさえ比較しなければ充分美味しいその紅茶を嚥下する。
隣には、ミリュウと名乗った栗色の髪とエメラルドの瞳が魅力的な大人の女性が座っていた。
紅茶の香りに混ざって、微かに甘酸っぱい香水の香りが漂い、優しく少女の嗅覚を撫でる。
嫌みを感じさせない程度の微かな香りを纏うその女性は、王宮育ちのステファニーから見ても、気品と女性らしい愛嬌を兼ね備えている美女だ。
――しかも…………
少女は、チラリと横目にミリュウを見やれば……途端にエメラルドの視線と目が合ってしまう。
ここについた後、簡単な自己紹介をお互いにしたのだが、ステファニーがたどたどしく自己紹介をしたところ――
「なにこの可愛い生き物は! ねえ、レビン! 私、この子持って帰っていい? いいわよね!」
いきなり抱きつかれて、お持ち帰り宣言されてしまった。
そのままの勢いで、あわやアーク王国第一王女誘拐事件とまでなりかけたが、居合わせた金髪ツインテールの少女が、強引に割り込んで、さらに父のリドルも半ば困惑しながら引き剥がしてくれたので助かったが……。
――そういえば…………。
ステファニーは、正面居座る金髪ツインテールの少女に視線を持って行く。
彼女も少しぶっきらぼうに自己紹介をしてくれた。
リリス・エルロ・アルドナーグ――ミリュウとレビンの娘ということだったが。
なるほど、確かに金髪はレビン、そのエメラルドの瞳はミリュウの遺伝だろう。
そのリリスは、ずっと不機嫌のままストローでオレンジジュースをすすっていたり、目の前のショートケーキを、フォークで弄んでいたりしていた。
ステファニーとは、一切口をきいてくれない雰囲気で、視線は合わそうともしてくれない。
明らかに嫌われているようだ。
――あたし、何か悪いことしたのかな?
王宮暮らしのため、同年代の友人に乏しいステファニーは、当然人付き合いは上手くはない。
だが、王宮を訪れた客人達には、そこそこ愛嬌がよく気に入られることが多いし、このように露骨に嫌われたのは初めてだった。
「それで……いつから私の養子になるの?」
一人思い悩んでいたところに、ミリュウの場違いな言葉が耳に入って、ステファニーは飲んでいた紅茶で咽せてしまう。
「だーかーらーぁ! おめぇの娘にくれてやるって、誰が言った、誰がッ」
リドルのうんざりといった感じの声。
「え? だって、ステフちゃん、ウチに来るんでしょう? この後」
ミリュウの半ば困惑した言葉に、夫であるレビンも溜め息。
――というか、いつの間に愛称で?
ステファニーを『ステフ』と愛称で呼ぶのは、家族とスレームくらいのものだ。
「それは一時的なもんだって、さっきから説明してんだろうが、このド天然女! レビン、てめぇ、黙ってないでこの嫁をなんとかしろッ」
「いや……付き合い長いんだからわかるだろ? ミリュウが一度夢見状態入ったら、しばらく戻ってこないし、周囲の言葉は都合のいいように合成されて理解するから……はっきり言って無駄だぜ」
さらにレビンは「元々レイナーを気に入っていたし、見た目はその彼女の生き写し、しかもあの頃のレイナーよか幼いんじゃなあ」などと言っているが、ステファニーにはその言葉の意味が半分も理解できない。
ミリュウ・ファース・アルドナーグ、そう彼女は名乗っていたが――本来の名前は違うはずだ。
ステファニーが両親から教わった知識では、彼女の本当の名は『ミリュウ・ファース・ウル・レアン』のはずだった。
彼女が先ほど言ったとおり、ステファニーの母、レイナーの魔竜戦争期での戦友であり、かけがえのない親友とも、母は言っていた。
その本当の名が示す意味は、魔竜戦争により国が崩壊した北の国、レアン王国の王女。
さらに、レビンはアーク王家の直系、むしろ戦争前は第一王子だった男だ。
――何なの、このアルドナーグ家って。
アーク王家とレアン王家、その家督を継ぐべき二人が結婚し貿易商を営んでいるとは。
そうなると、目の前に座る金髪ツインテールの少女は、現在のレアン自治州が王政復古を唱えだしたら、真っ先に王女に祭り上げられる立場ではないだろうか。
アテネ王国は、現時点で跡継ぎの王子が生まれている上、国土も安定しているため、しばらく安寧だ。
でも、レアン自治州は違う。
王家は衰退し、王国制の終焉から十数年。
国は貿易商人達が結集し、自治州として復興したようだが、現代の世界はその殆どが王国制を敷いている。
周辺の国々と対等に付き合うには、今のままでは駄目な状態だ。
そこに、万が一にも、旧レアン王家の血筋と世界でも有数の理力先進国アテネ王家の血筋を受け継いだものがレアンに戻れば、かの自治州の世界的な立場は一気に回復するだろう。
王国制を復活させられる上、いきなりアテネとは親戚の固い絆で結ばれるのだから。
しかも、この娘は女の子だから、今自治州を収めている者達の嫡子が嫁にめとれば、世界的にも地位を保証された国王になることだろう。
そう考えた奴らが、真っ先にこの子を我が物にと付け狙う可能性も否定できない。
――それにしても…………
ステファニーは改めて思案する。
何故、レビンもミリュウも王家を捨てられたのだろうか?
二人とも、故郷の王位を継承する立場にあった。
魔竜戦争が世界をめちゃめちゃにし、戦後の不安定な時期に、それまで王位継承権一位だった者が、おいそれとその責任から逃れられるものではない。
そう、王位は権利ではなく責任だ。
逃れたくても、その責任を放棄してはならないのだ。
――ずるい。
よく事情の知らないこととはいえ、ステファニーがミリュウ達に一番初めに芽生えた感情は、その一言だ。
そんな少女の想いとは関係なく、四英雄達の英雄らしくない言い争いはしばらくつづくのだった。
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