タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

琥珀の追憶26

公開日時: 2020年11月21日(土) 17:51
文字数:3,485

       

 ゆさゆさと揺れる感覚。少し遠慮がちであるもしっかりと掴んでくる掌の熱とともに、『目を覚ませ』というメッセージと、そこはかとなく不器用な優しさが伝わってくる。


「う……ん……ふぁ……」


 少女は鼻と口の両方からふわりと抜けるような吐息をもらして、まぶたをひらいた。気怠さが微かに残るが、不思議と気分も良い。

 ふと、上半身を起こそうとしたところで、自分の背中から右肩にかけて誰かの腕がその背を支えていることに気が付いた。


「ステフ、大丈夫か?」


 蒼い髪の少年が、心配と安堵を中途半端に混ぜ込んだ表情で、こちらをのぞき込んでいる。

と、いうよりも――



――近いッ!



 吐息が鼻にかかるくらいのすぐそばに、ダーンの顔があって、寝起きの瞬間としては、過去最大の衝撃を味わうステファニー。全身が妙に強張り、顔が一気に熱くなっていった。


「あ……や……ちか……」


 寝起きでただでさえ呂律が回りにくいのに、少女的には初体験の衝撃で、色々と焼き付いてまともな言葉が口を出ない。そんな状態に、ダーンの方はというと、意識が回復したように見えて、ステファニーが実は意識が混濁している状況なのではと勘違いし、剣士として救護訓練を受けた知識をフル動員していた。


 ステファニーの首筋に手を当て脈を確認しては、呼吸の状況を確認するため、耳を彼女の口元に接近させ――


「きゃあーッ!」


 少女の金切り声に、ゴキッという痛々しい音が混じる。しっかりと覚醒しきったステファニーが、暴れ際に右の肘鉄をダーンの顎に打ち込んでいた。


 あまりにも見事にクリーンヒットしたため、剣士として肉体を鍛えあげた少年も、たまらず白目をむくと、そのままステファニーを抱えたまま一緒に崩れ落ちた。


 折り重なるように岩床へ倒れる少年少女に、端から見守っていたリリスが呆れるように溜め息を深くつく。


「あ……痛ッ!」


 ダーンの身体の上に覆い被さるように倒れたステファニーが、さらに小さく悲鳴を上げる。それを耳にして、少し顔色を険しくし、リリスが駆け寄った。


「どうしたの?」


 リリスがかけた声に、ステファニーは軽く笑顔で返そうとするが、左足首に走る痛みのせいでうまく笑顔にならない。自分の手で押さえてみると、足首の表面上は痛くもないし、靴下に血も滲んでいないが、少しでも動かそうとするとズキンと痛みが突き上げてくる。


「う……。酷いじゃ……ないか」


 不意の肘鉄に、意識を刈られていたダーンが呻いて軽い抗議を訴え始めたが……。


「ダーンお兄ちゃん、有罪!」


 金髪ツインテールが、非難の視線を投げつけて容赦なくその言葉を封じていた。なんとなく理不尽さを感じつつも、その場にしゅんとなる青髪の少年。が、すぐに自分の胸から身体をうまく起こせないステファニーの異常に気が付いた。


「ステフ、足を痛めたのか?」


 腹筋だけで、少女の半身と自分の上体を起こしてみせて、そのままその足首に触れようとするダーン。


「あ……ひゃ……」


 軽々と身体を起こしてくる少年の胸板の感触とその逞しさに、痛みを忘れて舞い上がりそうになるステファニー。彼女は、ダーンが自分の足に触れてくるのを拒む余裕もなく、気の抜けた声が唇から漏れていた。


 地底湖の水面をそよがせてきた涼風が、少女の火照った頬を軽く撫でる。


「うーん? 腫れたり熱を持ったりはないから、軽い捻挫かな。とにかく一度戻って、母さんにみてもらった方が……あ!」


 ステファニーの足首を調べていたダーンが、ステファニーの胸元に視線を持っていって、急に素っ頓狂な声を上げた。


「な、な、何よ?」


 すぐそばで声を上げられ、軽く驚くステファニー、その胸元には――。


「あ。それ、もしかして月影石じゃないかな?」


 リリスの言葉に、ステファニーも自身の胸元を見下ろすと、プラチナのネックレスとそのペンダントヘッドには、緋色の石がはまっていた。


 色合いは全く違うが、形や大きさは、ステファニーが持ってきた『原石』と同じであった。


「これって……まさか、さっきの?」


 ステファニーがダーンの方をうかがうと、ダーンも複雑な心情のまま頷いていた。


「夢……じゃなかったようだな。って、リリスはいなかったからわからないか」


「え? 何のことなの? と、いうか、月影石なんだけどね、二人が何故か気を失っちゃって、その後いきなり光り始めて、気付いたら台座になかったのよ。てっきり、なくなってしまったんだと思っていたけど。って、何でネックレスにまでなってるのかなぁ?」


 リリスの言葉に、ダーンとステファニーはお互いの顔を見合わせて、すぐに気恥ずかしさから視線を逸らす。それを見ていたリリスは、我慢しきれずむくれて、


「いつまで足を触ってるの? そこはかとなくいやらしいんですけど!」


 ツインテールを逆立たせる勢いに、二人は背筋を跳ね伸ばし、サッと離れるしかなかった。





     ☆






 ステファニーとダーン二人に、気を失っていた際に意識の共有らしき現象と、精神世界での一幕を話されて聞いたリリスは、顎に手を当て黙考する素振りをする。


「リリス? やっぱり、信じられないかなぁ、こんな突拍子もない話」


 リリスが黙っていることから、話して聞かせたステファニーが、いたたまれない気分のままに自嘲する。


「あ。うん、そうじゃなくて。元々、月影石の話もここの伝承もオカルトだから、何が起きても今さらだよ」


 リリスは、取り繕うように言って、不意に意地悪な表情に切り替えると……。


「でも、あんな風に抱き合って、二人とも同じ夢見たなんて……やっぱり、いやらしね。不純だよ、国際不純異性交遊の罪で告訴するわ」


 リリスの視線と、実際に存在はしない犯罪名にたじろぎつつ、ダーンとステファニーは苦笑いを浮かべるしかない。


「と、とにかくだな! 当初の目的は達成されたんだ。あんまり長居して危険がないとも言えないから、早く帰ろう」


 少女達の間にいる形のダーンは、いたたまれなさを押しのけるかのように、声を張り上げて帰宅を提案する。


「そうねー」


 ダーンに哀れむような視線を投げかけつつ、さらにリリスは、


「じゃあ、ダーンお兄ちゃん、ステフをおんぶしていってね」


と、爆弾発言。


「なッ……」


 リリスの提案に、ダーンとステファニーが絶句し、さらに顔を赤らめて動揺を露わにする。


「その足じゃ、ステフも歩けないでしょ? 男手は一人しかいないし、このままここにいても風邪をひくだけよ。早くしてちょーだい」


 金髪ツインテールの少女が、一切の反論を許さないかのように言葉を付け加えてきた。


「う……うん。わかったわ……その、ダーン……よ、よろしくお願いします」


 顔を真っ赤に火照らせながら、ステファニーはダーンの方にすり寄って行き、ダーンも「お、おう」と、随分堅い返事をして、ぎこちなく背中を向けるのだった。


 




     ☆






 ダーン達がいる場所から、地底湖を挟んで対岸側に、僅かにできた岩場の岸がある。その狭い岩床に老人と銀狼が、暗がりに身を隠して子供達のやりとりを見守っていた。


『やれやれ……』


 銀狼が溜め息交じりの念話を飛ばすのを、老人――いや、老魔神が破顔して笑い声を抑えていた。


『ああしていると、リリスも年相応の娘じゃな。それにしても……あの二人も、何やら因縁があるようじゃて。アークの王女は《超弦加速タキオニツク・アクセル》の理論に至る天才、そして、あの少年……ふむ……底が見えぬの』


 アガレスは伸びたあごひげを右手でなでつけつつ、念話にて銀狼に話しかける。銀狼は老魔神の言葉に興味をそそられたのか、首を振り返って仰ぎ見た。


『底……か? 我には、あの少年にも剣士としての高い資質があると見ていたが、なるほど……底か。それはどういった意味なのだ、大魔神よ?』


『そうじゃな……。儂にも上手く言葉にしにくいがのぅ――器が測れぬとでも言い換えるべきか。まあ、勘のようなものじゃが、あの少年からは得体の知れない気配を感じるのじゃよ。今は、闘気や存在感もさほどでもないうえに、リリスと比較すれば塵に等しいが……』


 アガレスの歯切れが悪い言葉、しかし、銀狼もその言葉を否定しようとは思わなかった。むしろ、それとなく察してもいた。リリスがこの時代に《雷神王》として生まれたことと、あの少女の存在、《森羅万象の理》が予言。それら存在が示す可能性として、遙か太古の神話が再び蘇ろうとしているのかも知れないと。


『フフッ……闘神王か。ならば、その闘気に底はないと言えるが……果たして本物か?』


 ナイトハルトの含みを持った言に、アガレスは首を傾げたが、やがて少年達が地底湖のあたりから移動を開始すると、肩をすくめて何も言わずにその場をあとにし、月明かりの届かない闇へと紛れるように去って行った。

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