長剣を握ったままの右腕が、フィールドの芝の上に鈍い音をたてて落ちる。
「……うう……ぐぅぅッ」
激痛にうめき声を上げて、一度は立ち上がったダーンだったが。
右肩から先が斬りおとされ、大量に鮮血が噴き出る。左肩を複雑骨折しているため、傷口を押さえることすらままならず、その場で両膝をつく形で崩れ落ちた。
先程まで溢れていた蒼い闘気は、一気に消沈し、後に残されたのは、無残な姿の敗残者だ。
『……早急に止血をしなければ。もはや、勝負はありました』
ソルブライトの意気消沈した低い声が、念話としてダーンの脳に響いてくる。その言葉を聞くまでもなく、自分が敗北し、それどころか戦闘不能状態であることも、今後は利き腕を失い、隻腕となることも理解していた。
そう、利き腕を失ったのだ。
その事実は、剣士たるダーンの全てを奪われたようなものだった。
あるいは、アーク王国の超科学をもってすれば、切り離された腕を繋ぐことや、それこそ新たに機械の腕にでもしてもらえば、先ほど大活躍だった改造人間の船長のように、再び傭兵として戦うことができるかも知れないが――
――終わった……のか……
全身を蝕む痛み以上に、彼の身には深い絶望が蝕んでいく。
――これで、終わりなのか……
七年前の月夜、嘘に濡れた黒い髪と、真実を称えた琥珀の瞳が、彼の脳裏に鮮烈に浮かび上がる。
――あの約束は、果たせないのか……
初夏の肌寒い風が一変して、灼熱の轟炎にあぶられる感覚が、鮮明に蘇る。
――何のために、ここまで……
対峙するは、強大な存在感を放つ、漆黒の騎士。
感情を抱かせない冷徹な言葉。
圧倒的なまでの実力差。
――何のために……?
彼の思考が惑い始める。いや、思考と記憶、そして今感じている痛覚とかつて感じた灼熱、あらゆる因子が、過去と現在の別なくごちゃごちゃに混濁し、混沌とする。
――俺は……?
混沌とした意識の中、今度は胸の奥に妙な熱を感じ始めていた。それは、元からあった熱――ずっと燻り続けていた彼の《焔》だ。
――あの男から……
失いかけていた光が、蒼穹の瞳に再び灯る。
――いや、アイツを脅かす全てから……アイツを護るために……!
胸の奥にある《焔》が、力強い鼓動を生む。
――どんな困難があろうとも、アイツの隣に在るために……誰にも負けない俺の剣を!
封じられた記憶が放たれる。
爆轟の刻に、胸に刻んだ彼の覚悟が蘇る。
☆
ダーンを戦闘不能状態に追い込んだリドルは、闘気を失ったダーンを一瞥した後、無言で背後を振り返る。
その視線の先には、観覧席に座ったナスカが、鬼の形相で睨んできていた。また、先ほどから、万が一のために防護結界を張る精霊王達も、青ざめた表情でこちらを見つめている。
背後のダーンが首に掛けていた、神器・ソルブライトから、止血をしなければならない旨の念話が聞こえてきたが、リドルは特に興味もない素振りで、その場を離れようとした。
「陛下……」
歩いて行く先、観覧席の中から、スレームがリドルに語りかけてくる。その声は、少し堅く重苦しい。
「ん……ああ。スレーム、一応医療チームを手配しろ。だが、止血だけでよい。どのみち、あのような腕を繋ぎ直したところで、大して使い物にならんさ」
嘲るように言い放つリドルに、ナスカが奥歯を軋ませる。
そのそばにて、防御結界を形成しているケーニッヒは、何食わぬ顔のまま、結界を維持し続けていた。それを見て、リドルが口角を吊り上げる。
この場において、苦々しい顔をしていない者が二人いた。未だに結界を維持し続けるケーニッヒと、神槍を未だに顕現しているリドルだ。
そう、両者は未だに、終わったとは思っていない。
彼らは知っていた。
彼奴は、このまま終わる男ではないと。
「待てよ、クソ親父が!」
押し殺した声が、リドルの背後でする。同時に、大地が揺るぐ程のエネルギーが立ち上る。
「そんなナリになってよくもまあ、俺を呼び止められるものだな、少年。で、何か用か?」
リドルは振り向かずに、嘲るような声色で応じた。
「クソ親父のアンタを倒して、ステフは俺が連れ出してやるッ。――国の利権だの何だの知ったことか。ステフはいい女だッ! 俺が剣を捧げる最高のなぁああああああ――ッ!!」
その滅茶苦茶な言葉は、吠えるような雄叫びとなって、リドルの耳朶を打つ。リドルがゆっくりと背後を振り返ると――
蒼き闘気を煌々と噴き上がらせて、蒼髪の少年が立ち上がっていた。その凄まじい闘気は、周囲の空間を歪め、支える大地は、僅かな地響きを奏で始めている。
蒼穹の瞳は、その奥に明らかに神秘的な輝きを持っていた。
「神眼か……。フッ……フハハッ。いいぞ、そうだ! それだ、ダーン・エリン!! よくぞ吠えた! ようやく目が覚めたなぁッ!」
ダーンの闘気にあてられて、リドルも闘気を湧き上がらせる。全身から、紅い闘気が噴き上がって、こちらも周囲の空間を歪め始める。
「さて、精霊王の皆様。ここからがボクらの意地の見せ所だね。しくじると、この国どころかアーク大陸そのものが跡形もなく吹き飛ぶよ」
金髪の優男が、妙なハイテンションで話すのを、二人の精霊王が苦笑している。ドームの内側に、神気に満ちた防護壁が強度を増して、外部からの可視性を保ちつつも、彼らの闘いのフィールドを隔絶させた。
「ようやく、俺の名を呼んだなッ! 閃光の王・リドル」
これまで、『少年』としか呼ばれてこなかったダーンは、皮肉を込めて言う。その彼の右肩には、噴き上がる闘気に吸い寄せられるように、切り落とされた右腕が強引に引き寄せられていて、細胞が活性化し結合を始めていた。
『……フフッ……アハハハ! ありがとうございます、リドル。ついに、私の闘神王が目覚めました!』
ソルブライトが、歓喜して感情的になっていた。その念を受けて、リドルはさらに凄みのある笑みを浮かべる。
「懐かしいな、ダーン。この爆轟の闘気は七年ぶりだな」
槍を構え直すリドルの言葉を受けて、ダーンの脳裏にその記憶は蘇る。
☆
それは、七年前の事だった。
その日、アテネ王宮の晩餐会にて、ダーンはステファニーと共に、彼の人生であまりにも重い出会いをする。
アテネ王宮の白亜のバルコニーにて、ステファニーと様々な会話を交わした直後。
晩餐会場の方で、残った来賓がパニックに陥っていた。
会場のどこかで、小さな爆発が連続で発生し、バルコニーの出入口付近で猛々しい轟炎が上がる。
「なっ、何が?」
ステファニーが、不安を露わにダーンの元へ駆け寄る。
ダーンも、警戒心を露わに周囲の状況を確認する。
「騒がせてすまないが……。アーク王国の第一王女ステファニーだな? 悪いが一緒に来てもらおうか」
突如、炎の向こう側から冷徹な男の声が響く。
「誰だッ?」
ダーンの鋭い詰問と同じくして、このテラスを警備していたアテネ王宮の衛兵が二人、抜剣して、声のした方向に詰め寄る。
「ふん……そのような問いかけで名乗る襲撃者などいるわけがないだろう、少年」
炎の壁をものともせず、その向こう側からゆっくりと歩いてくる黒き影――いや、漆黒の甲冑を纏った騎士風の男が現れた。
「不審者を発見、直ちに排除します」
二人の衛兵が、即座に危険人物と判断し、漆黒の騎士に襲いかかる。
「な……なんだ、今のは?」
甲高い金属音が連続で夜の帳に響いて消える。一瞬にして、二人の衛兵がその場で倒れ、衛兵が手にしていた直刃の長剣一本、宙に舞ってダーン達の目の前に落下した。
結果を見れば、漆黒の騎士が、王国の衛兵二人を返り討ちにしたことがわかる。だが、その動きが一瞬すぎて、全く見えなかったのだ。
「コイツ、ヤバいぞ。ステフ、なんとか逃げる術を……」
ダーンは、目の前に落ちていた衛兵の剣を拾い上げつつ、ステファニーを背後に匿う。しかし、その場はかなりの高さがあるバルコニーテラスで、飛び降りたら無事では済まない。唯一の退路は、炎の壁で覆われてしまっている。
「少年、少しは剣術を囓っているようだが……」
漆黒の騎士が、僅かに光を纏う大剣を右片手に提げて視線をダーンへと向けた。圧倒的な存在感が、殺気を伴ってダーンの身体を打ちつける。
「ううッ」
心臓が締め付けられるかのような感覚。ダーンは、呻くしかなかったが、それでも構えた長剣を下ろすことはなかった。
漆黒の騎士が大理石の床を、金属製の靴底でコツコツと音をたて歩んでくる。
長い銀髪、整った精悍な顔つき、手にした大剣は、白い輝きを纏って、並の武器ではないことが如実に判る。
その背後には紅蓮の炎が巻き上がっていた。
先程まで楽しげな晩餐の会場だったのが、一変して、まるで地獄絵図だ。
「なんてことを……。会場にいたみんな……無防備で武器なんか持ってなかったのに……。あなたは、剣を持つ者として恥ずかしくないの?」
ステファニーは自己の勇気を振り絞って、ダーンの背後から体を出し、目の前にゆっくりと迫る漆黒の剣士を糾弾する。
そのステファニーをかばって、ダーンがさらに一歩前に出て、長剣を正中に構えた。
「気丈なことだ……。一応弁解しておくが、誰も殺してはいない。最初の爆発は音と光だけ派手に出るやつだ。ご来賓の皆様には早急にご退場いただいた後、窓際の方に《炎の障壁》を放ったのさ。姫……お前を逃がさないためにな……」
漆黒の剣士は、肩を竦めてゆっくりと言い放ち、右手に持つ大剣の切っ先を、ダーンへと向ける。
凄まじい殺気がダーンを射貫いた。
それは、その後ろに立つステファニーでさえ、心臓が一瞬止まりかけるほどだ。
「グッ……」
苦しそうなうめきを漏らすダーンだったが、構えた長剣を下げることはなかった。
蒼穹の瞳に闘志を宿したまま、漆黒の剣士を睨み続ける。
しかし――――
その場から切り込んでいくことができなかった。
目の前に悠然と立ちはだかる漆黒の剣士は、まるで巨大な壁のように感じる。
絶望的なまでの、圧倒的な実力差。
それほどまでに凄まじい闘気が、漆黒の剣士から立ち上っていたのだ。
「フッ……大したものだな、少年。見た目ではせいぜい十をこえた程度だろうに、この私の殺気を受けても気を失うことなく、逃げ出しもせずに剣を向けているとは。だが、お前ほどの剣士ならば理解しているだろう……絶望的な力の差を」
少しだけ表情を和らげて告げてきたが、その殺気は全く衰えていない。
むしろこれは、完全な脅迫だ。
ダーンは、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
「ねえ……もういいわ……。アイツはあたしに用があるみたいなの。だいぶ派手にやってくれたけど、幸い死人は出てないみたいだし、これ以上アテネの人々に迷惑をかけられない。だから、ね、お願い……ここは退いて」
ステファニーは剣を構え続けるダーンに、背後からそって抱きしめて訴える。
その黒髪からほのかに立ち上る洗髪料の香りが、ダーンの鼻腔を擽った。
それが高めた闘争心を諫めようとするが、ダーンは、それに逆らうように両手で剣を握りなおした。
「ダメだ! ……ここでの滞在中、お前の身の安全は俺が守ると約束した。それに、炎の向こうにはナスカや騎士団もいるはずだ。少しの時間だけでも持ちこたえれば、救援が来る」
「でも、いくらあなたでも、アイツの相手は無理よ」
「王女様が簡単に諦めんなよッ……そんなんじゃ、『凄くいい女』になるっていうのも、眉唾物だぞ」
漆黒の剣士を見据えながら、軽口を叩くダーン。
その彼に、さらに諫めようと声を掛けようとしたステファニーは、抱きついていた彼の背中から一度離れ、二人の間に割って入ろうとするが……。
突如、少女の身体に横方向の力が加わる。
ダーンが、回り込もうとした少女の身体を左腕で薙ぐように、横へと押し出したのだ。
直後、空を裂く轟音と共に、白い燐光を放つ大剣がダーンの頭上に迫っていた。
耳を劈く金属の轟音。
「う……ぐぅ……」
咄嗟に長剣を頭上に振り上げていたダーンは、打ち下ろされた斬撃の重さに呻く。その両手と両腕に、とてつもない負荷がかかり、鋭い痛みが走るほどだ。
「フフ……よく止めたな、少年」
漆黒の騎士は、口角を上げてダーンを褒めあげるが、その鋭い殺気は揺らぐことがない。明らかに、わざと防御出来るように、ダーンの振り上げていた剣に打ちつけたのだ。
「くっ……くっそ!」
腕にかかる負荷に耐えつつ、ダーンは全身に力を込める。すると、胸の奥で熱いモノが湧き上がるのを感じた。
「なんだ? 貴様……」
瞬間、漆黒の騎士の態度が変わった。
一度、大剣を強く押し込んで、ダーンがそれをなんとか押し返す反動を利用し、後方へ跳んで間合いをきる。
一方――
蒼髪の少年剣士、その全身からは、少年のモノとは思えない規模の闘気が立ち上っていた。
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