タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

爆轟の刻1

公開日時: 2020年11月29日(日) 10:24
文字数:5,095

 長剣を握ったままの右腕が、フィールドの芝の上に鈍い音をたてて落ちる。


「……うう……ぐぅぅッ」


 激痛にうめき声を上げて、一度は立ち上がったダーンだったが。


 右肩から先が斬りおとされ、大量に鮮血が噴き出る。左肩を複雑骨折しているため、傷口を押さえることすらままならず、その場で両膝をつく形で崩れ落ちた。


 先程まで溢れていた蒼い闘気は、一気に消沈し、後に残されたのは、無残な姿の敗残者だ。


『……早急に止血をしなければ。もはや、勝負はありました』


 ソルブライトの意気消沈した低い声が、念話としてダーンの脳に響いてくる。その言葉を聞くまでもなく、自分が敗北し、それどころか戦闘不能状態であることも、今後は利き腕を失い、隻腕となることも理解していた。


 そう、利き腕を失ったのだ。


 その事実は、剣士たるダーンの全てを奪われたようなものだった。


 あるいは、アーク王国の超科学をもってすれば、切り離された腕を繋ぐことや、それこそ新たに機械の腕にでもしてもらえば、先ほど大活躍だった改造人間の船長のように、再び傭兵として戦うことができるかも知れないが――



――終わった……のか……



 全身を蝕む痛み以上に、彼の身には深い絶望が蝕んでいく。



――これで、終わりなのか……



 七年前の月夜、嘘に濡れた黒い髪と、真実を称えた琥珀の瞳が、彼の脳裏に鮮烈に浮かび上がる。



――あの約束は、果たせないのか……



 初夏の肌寒い風が一変して、灼熱の轟炎にあぶられる感覚が、鮮明に蘇る。



――何のために、ここまで……



 対峙するは、強大な存在感を放つ、漆黒の騎士。

 感情を抱かせない冷徹な言葉。

 圧倒的なまでの実力差。



――何のために……?



 彼の思考が惑い始める。いや、思考と記憶、そして今感じている痛覚とかつて感じた灼熱、あらゆる因子が、過去と現在の別なくごちゃごちゃに混濁し、混沌とする。



――俺は……?



 混沌とした意識の中、今度は胸の奥に妙な熱を感じ始めていた。それは、元からあった熱――ずっと燻り続けていた彼の《あこがれ》だ。



――あの男から……



 失いかけていた光が、蒼穹の瞳に再び灯る。



――いや、アイツを脅かす全てから……アイツを護るために……!



 胸の奥にある《焔》が、力強い鼓動を生む。



――どんな困難があろうとも、アイツの隣に在るために……誰にも負けない俺の剣を!



 封じられた記憶が放たれる。

 爆轟の刻に、胸に刻んだ彼の覚悟が蘇る。





     ☆





 ダーンを戦闘不能状態に追い込んだリドルは、闘気を失ったダーンを一瞥した後、無言で背後を振り返る。


 その視線の先には、観覧席に座ったナスカが、鬼の形相で睨んできていた。また、先ほどから、万が一のために防護結界を張る精霊王達も、青ざめた表情でこちらを見つめている。


 背後のダーンが首に掛けていた、神器・ソルブライトから、止血をしなければならない旨の念話が聞こえてきたが、リドルは特に興味もない素振りで、その場を離れようとした。


「陛下……」


 歩いて行く先、観覧席の中から、スレームがリドルに語りかけてくる。その声は、少し堅く重苦しい。


「ん……ああ。スレーム、一応医療チームを手配しろ。だが、止血だけでよい。どのみち、あのような腕を繋ぎ直したところで、大して使い物にならんさ」


 嘲るように言い放つリドルに、ナスカが奥歯を軋ませる。


 そのそばにて、防御結界を形成しているケーニッヒは、何食わぬ顔のまま、結界を維持し続けていた。それを見て、リドルが口角を吊り上げる。



 この場において、苦々しい顔をしていない者が二人いた。未だに結界を維持し続けるケーニッヒと、神槍を未だに顕現しているリドルだ。


 そう、両者は未だに、とは思っていない。


 彼らは知っていた。


 彼奴あやつは、このまま終わる男ではないと。



「待てよ、クソ親父が!」



 押し殺した声が、リドルの背後でする。同時に、大地が揺るぐ程のエネルギーが立ち上る。


「そんなナリになってよくもまあ、俺を呼び止められるものだな、少年。で、何か用か?」


 リドルは振り向かずに、嘲るような声色で応じた。


「クソ親父のアンタを倒して、ステフは俺が連れ出してやるッ。――国の利権だの何だの知ったことか。ステフはいい女だッ! 俺が剣を捧げる最高のなぁああああああ――ッ!!」


 その滅茶苦茶な言葉は、吠えるような雄叫びとなって、リドルの耳朶を打つ。リドルがゆっくりと背後を振り返ると――


 蒼き闘気を煌々と噴き上がらせて、蒼髪の少年が立ち上がっていた。その凄まじい闘気は、周囲の空間を歪め、支える大地は、僅かな地響きを奏で始めている。


 蒼穹の瞳は、その奥に明らかに神秘的な輝きを持っていた。


「神眼か……。フッ……フハハッ。いいぞ、そうだ! それだ、ダーン・エリン!! よくぞ吠えた! ようやく目が覚めたなぁッ!」


 ダーンの闘気にあてられて、リドルも闘気を湧き上がらせる。全身から、紅い闘気が噴き上がって、こちらも周囲の空間を歪め始める。


「さて、精霊王の皆様。ここからがボクらの意地の見せ所だね。しくじると、この国どころかアーク大陸そのものが跡形もなく吹き飛ぶよ」


 金髪の優男が、妙なハイテンションで話すのを、二人の精霊王が苦笑している。ドームの内側に、神気に満ちた防護壁が強度を増して、外部からの可視性を保ちつつも、彼らの闘いのフィールドを隔絶させた。


「ようやく、俺の名を呼んだなッ! 閃光の王・リドル」


 これまで、『少年』としか呼ばれてこなかったダーンは、皮肉を込めて言う。その彼の右肩には、噴き上がる闘気に吸い寄せられるように、切り落とされた右腕が強引に引き寄せられていて、細胞が活性化し結合を始めていた。


『……フフッ……アハハハ! ありがとうございます、リドル。ついに、私の闘神王が目覚めました!』


 ソルブライトが、歓喜して感情的になっていた。その念を受けて、リドルはさらに凄みのある笑みを浮かべる。


「懐かしいな、ダーン。この爆轟の闘気は七年ぶりだな」


 槍を構え直すリドルの言葉を受けて、ダーンの脳裏にその記憶は蘇る。





     ☆





 それは、七年前の事だった。


 その日、アテネ王宮の晩餐会にて、ダーンはステファニーと共に、彼の人生であまりにも重い出会いをする。


  

 アテネ王宮の白亜のバルコニーにて、ステファニーと様々な会話を交わした直後。


 晩餐会場の方で、残った来賓がパニックに陥っていた。


 会場のどこかで、小さな爆発が連続で発生し、バルコニーの出入口付近で猛々しい轟炎が上がる。


「なっ、何が?」


 ステファニーが、不安を露わにダーンの元へ駆け寄る。

 ダーンも、警戒心を露わに周囲の状況を確認する。


「騒がせてすまないが……。アーク王国の第一王女ステファニーだな? 悪いが一緒に来てもらおうか」


 突如、炎の向こう側から冷徹な男の声が響く。


「誰だッ?」


 ダーンの鋭い詰問と同じくして、このテラスを警備していたアテネ王宮の衛兵が二人、抜剣して、声のした方向に詰め寄る。


「ふん……そのような問いかけで名乗る襲撃者などいるわけがないだろう、少年」


 炎の壁をものともせず、その向こう側からゆっくりと歩いてくる黒き影――いや、漆黒の甲冑を纏った騎士風の男が現れた。


「不審者を発見、直ちに排除します」


 二人の衛兵が、即座に危険人物と判断し、漆黒の騎士に襲いかかる。


「な……なんだ、今のは?」


 甲高い金属音が連続で夜の帳に響いて消える。一瞬にして、二人の衛兵がその場で倒れ、衛兵が手にしていた直刃の長剣一本、宙に舞ってダーン達の目の前に落下した。


 結果を見れば、漆黒の騎士が、王国の衛兵二人を返り討ちにしたことがわかる。だが、その動きが一瞬すぎて、全く見えなかったのだ。


「コイツ、ヤバいぞ。ステフ、なんとか逃げる術を……」


 ダーンは、目の前に落ちていた衛兵の剣を拾い上げつつ、ステファニーを背後に匿う。しかし、その場はかなりの高さがあるバルコニーテラスで、飛び降りたら無事では済まない。唯一の退路は、炎の壁で覆われてしまっている。


「少年、少しは剣術を囓っているようだが……」


 漆黒の騎士が、僅かに光を纏う大剣を右片手に提げて視線をダーンへと向けた。圧倒的な存在感が、殺気を伴ってダーンの身体を打ちつける。


「ううッ」


 心臓が締め付けられるかのような感覚。ダーンは、呻くしかなかったが、それでも構えた長剣を下ろすことはなかった。


 漆黒の騎士が大理石の床を、金属製の靴底でコツコツと音をたて歩んでくる。


 長い銀髪、整った精悍な顔つき、手にした大剣は、白い輝きを纏って、並の武器ではないことが如実に判る。


 その背後には紅蓮の炎が巻き上がっていた。




 先程まで楽しげな晩餐の会場だったのが、一変して、まるで地獄絵図だ。


「なんてことを……。会場にいたみんな……無防備で武器なんか持ってなかったのに……。あなたは、剣を持つ者として恥ずかしくないの?」


 ステファニーは自己の勇気を振り絞って、ダーンの背後から体を出し、目の前にゆっくりと迫る漆黒の剣士を糾弾する。


 そのステファニーをかばって、ダーンがさらに一歩前に出て、長剣を正中に構えた。


「気丈なことだ……。一応弁解しておくが、誰も殺してはいない。最初の爆発は音と光だけ派手に出るやつだ。ご来賓の皆様には早急にご退場いただいた後、窓際の方に《炎の障壁ファイヤーウォール》を放ったのさ。姫……お前を逃がさないためにな……」


 漆黒の剣士は、肩を竦めてゆっくりと言い放ち、右手に持つ大剣の切っ先を、ダーンへと向ける。


 凄まじい殺気がダーンを射貫いた。


 それは、その後ろに立つステファニーでさえ、心臓が一瞬止まりかけるほどだ。


「グッ……」


 苦しそうなうめきを漏らすダーンだったが、構えた長剣を下げることはなかった。


 そうきゆうの瞳に闘志を宿したまま、漆黒の剣士を睨み続ける。


 しかし――――


 その場から切り込んでいくことができなかった。


 目の前に悠然と立ちはだかる漆黒の剣士は、まるで巨大な壁のように感じる。


 絶望的なまでの、圧倒的な実力差。


 それほどまでに凄まじい闘気が、漆黒の剣士から立ち上っていたのだ。


「フッ……大したものだな、少年。見た目ではせいぜいとおをこえた程度だろうに、この私の殺気を受けても気を失うことなく、逃げ出しもせずに剣を向けているとは。だが、お前ほどの剣士ならば理解しているだろう……絶望的な力の差を」


 少しだけ表情を和らげて告げてきたが、その殺気は全く衰えていない。


 むしろこれは、完全な脅迫だ。


 ダーンは、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。


「ねえ……もういいわ……。アイツはあたしに用があるみたいなの。だいぶ派手にやってくれたけど、幸い死人は出てないみたいだし、これ以上アテネの人々に迷惑をかけられない。だから、ね、お願い……ここは退いて」


 ステファニーは剣を構え続けるダーンに、背後からそって抱きしめて訴える。


 その黒髪からほのかに立ち上る洗髪料の香りが、ダーンの鼻腔をくすぐった。

 それが高めた闘争心をいさめようとするが、ダーンは、それに逆らうように両手で剣を握りなおした。


「ダメだ! ……ここでの滞在中、お前の身の安全は俺が守ると約束した。それに、炎の向こうにはナスカや騎士団もいるはずだ。少しの時間だけでも持ちこたえれば、救援が来る」


「でも、いくらあなたでも、アイツの相手は無理よ」


「王女様が簡単に諦めんなよッ……そんなんじゃ、『凄くいい女』になるっていうのも、眉唾物だぞ」

 

 漆黒の剣士を見据えながら、軽口を叩くダーン。


 その彼に、さらに諫めようと声を掛けようとしたステファニーは、抱きついていた彼の背中から一度離れ、二人の間に割って入ろうとするが……。


 突如、少女の身体に横方向の力が加わる。


 ダーンが、回り込もうとした少女の身体を左腕でぐように、横へと押し出したのだ。


 直後、空を裂く轟音と共に、白い燐光を放つ大剣がダーンの頭上に迫っていた。


 耳を劈く金属の轟音。


「う……ぐぅ……」


 咄嗟に長剣を頭上に振り上げていたダーンは、打ち下ろされた斬撃の重さに呻く。その両手と両腕に、とてつもない負荷がかかり、鋭い痛みが走るほどだ。


「フフ……よく止めたな、少年」


 漆黒の騎士は、口角を上げてダーンを褒めあげるが、その鋭い殺気は揺らぐことがない。明らかに、わざと防御出来るように、ダーンの振り上げていた剣に打ちつけたのだ。


「くっ……くっそ!」


 腕にかかる負荷に耐えつつ、ダーンは全身に力を込める。すると、胸の奥で熱いモノが湧き上がるのを感じた。


「なんだ? 貴様……」


 瞬間、漆黒の騎士の態度が変わった。


 一度、大剣を強く押し込んで、ダーンがそれをなんとか押し返す反動を利用し、後方へ跳んで間合いをきる。


 一方――


 蒼髪の少年剣士、その全身からは、少年のモノとは思えない規模の闘気が立ち上っていた。

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