アーク王宮の迎賓室では、その日昼間のパーティーが開かれていた。
もっとも、前日夜に敵国アメリアゴート帝国から宣戦布告を受けたばかりで、流石に派手さはない。少しだけ贅沢な昼食会という程度のもので、国王リドルが招いた来賓に、ささやかではあるがもてなしをするという名目である。
「騎士ダーン、なかなか似合っているじゃないか」
ケーニッヒが、会場に入ったダーンを先に待ち構える形で声をかける。そのダーンは、紫紺の絹地に金の肩章や飾緒が飾り付けられた騎士服を身に付けていた。それは、アーク王国においては、王家専属の騎士のみが着ることが許される特別な軍服である。
「なんというか、こういうのは苦手なんだけどなぁ……」
少し照れくさそうに鼻先をかくダーン。
「何を言っているんだい。今日の主役は実質君だよ、ダーン。それと、騎士の称号とともにアーク国籍を取得したみたいだね。これで君も晴れてアーク国民、しかも爵位持ちというわけだ」
「国籍の移動は、俺の知らない間にすんでたらしいけどな。アテネ国王と密かにそういう話になっていたらしい」
アテネ王国にて育ったダーンにとっては、当然アテネに郷土愛のようなものはあるのだが、何故かこの話を聞いたとき悪い気分ではなかった。というのも、アテネ王国籍は、あくまでもアルドナーグ家の養子として、与えられたものだったからだ。
今回は、ダーン自身がアルドナーグの姓のまま、一人の国民として正式に登録されたもので、さらに面映ゆいながら、アーク王国騎士の爵位すら付いている。これは、非公表ながら、アーク王国第一王女の窮地を救った事への功績が認められたからでもある。
「貴族制を廃止していく段階で、爵位というのも変な話だが、俺を倒しておいて王座につかないんだ、このくらいは嫌がらせしてやらんとなぁ」
ダーンの後から、リドルが笑いながら話してきた。
ダーンとケーニッヒは軽く一礼し、会話を続ける。
「やはり、嫌がらせですか、そうですか」
一礼のあと、少しやさぐれて言葉をはくダーン。
「まあな、ステフの隣にいる以上、少しは箔を付けとかないと、色々面倒なんだよ。特に、ウチの元老院がな、格式がどうのこうのと喧しいのさ」
うんざりといった感じでリドルは言う。その元老院の男達は、このパーティーには参加していないようだ。
「そういえば、ステフはまだ来ていないようですね」
ダーンが会場内の人々を見回すと、何人か知った顔があるが、ステファニー、さらにルナフィスの姿もない。
「支度に手間取っていると聞いたぞ。なんでも、随分と気合い入れて着飾っているようだがな」
にまーっと含みのある笑みで、ダーンを見ながら言うリドル。その意図に気が付き、ケーニッヒもニヤニヤとダーンを生暖かい目で眺めた。
「ほほう? それはそれは。もしかして、今朝あたりに、誰さんかと何があったのかなぁ~?」
ケーニッヒの言葉に少し動揺し、視線をあらぬ方向へ向けるダーン。さらにそこへ、薄紅のドレスを纏った第二王女カレリアが近付いてくる。
「それは気になりますわ。今朝、私が見たのは未遂……って、これは皆様に黙っておく約束でした」
わざとらしく言い直して、頬を真っ赤に染めるカレリア。薄紅の絹地で仕立てられたパーティードレス、そのスカートが、彼女の動きに合わせて悪戯に揺れる。
「おおっと! 目撃者がいるのかい。カレリア様、一体何を見られたのですか?」
「私の口からは言えません……あ、いえ、何も見てませんよ、ええ」
ケーニッヒの問いかけに、悪ノリしては、つい答えそうになるカレリア。二人を怨めしそうに見ながら、ダーンは耳まで赤くなっていた。
「くはははっ! 若さゆえのあやまち大いに結構。――それで、お前の方はどうなんだ? 輸魂の影響は、やはりあるのか?」
リドルの耳打ちに、ダーンは少し自嘲気味に肩をすくめた。
「詳しくはわかりませんが……おそらく超弦加速は出来ません」
「そうか。正直言うと、微妙な気分だ。俺を超えるヤツが現れたと、嬉しいような悔しいような気分だった。それが一晩で夢と消えるか」
「たったの一日しかもちませんでしたね、最強の座は」
ダーンの言葉に、ケーニッヒとリドルが顔を示し合わせて、軽く頷きあう。
「最強の座は、未だに君のものだろう、ダーン・エリン」
「そうだな。俺は一度お前に負けたが、その後再戦してないし、俺が知る限り、お前を倒したヤツなぞいないのだ。もっと胸を張れよ、ダーン」
ケーニッヒとリドルの少し強引な言葉は、その実正しい認識でもある。実質的な力を大きく衰退させたとはいえ、昨日からダーンは、未だに誰にも敗れてはいないのだ。現時点で、最強の男だったリドルを倒したという事実だけが、今のダーンの外から見た評価だ。
これは、単に剣士達の自己満足に留まる問題ではなかった。
リドルを倒したという事実は、戦略級の兵器を所持することに匹敵する戦力なのだ。昨日の宣戦布告を受け、世界大戦の様相を呈したこの世界において、ダーンの存在がアークとアテネの同盟国側にあるということは、大きな戦略的優位なのである。
故に、リドルもケーニッヒもダーンに期待し、そしての強さを否定はしない。そのことは、ダーンにもしっかりと理解できていた。
「ありがとうございます、陛下。そして、ケーニッヒも」
『ふふふ。その通りですよダーン。もっと胸を張ってこちらのお姫様をちゃんとエスコートして下さい』
不意に、ダーン達に念話が届き、王室用の出入り口の方に視線を向けると、念話を送ってきた主を胸にした女性が迎賓室に足を踏み入れるところだった。
桜色の絹地に白と若葉色を組み合わせたレースで飾り付けたドレス、銀をまぶした蒼い髪は綺麗に結い上げられて、これも桜をモチーフにした髪飾りで纏められている。足は赤いヒールを履きこなし、彼女が室内に入っただけで、その場にいた全ての人の目が、彼女へと集まっていた。
彼女こそ、アーク王国第一王女、ステファニー・ティファ・メレイ・アークである。
迎賓室に咲き誇る桜花のごとく、少女は優雅に一礼をして皆の視線に答えてみせた。その美しさと可憐さに、会場の老若男女全てが、呆然と見蕩れてしまう中、ゆっくりとダーンの元へと歩いて行く。
「これは……ちょっと驚いたなぁ。ダーン、是非ともここは男を見せて欲しいところだね」
ステファニーのあまりの艶やかな着こなしに、金髪優男風情のケーニッヒはあっけにとられつつも、ダーンを焚きつける。
「あ……うん、そうだな」
ダーンも少し浮ついた声で応じ、その場から数歩前に出て、歩いてくるステファニーを迎える。
「どう、ダーン……何か言うことは?」
ダーンの前に立って、まず一言目。ステファニーは微笑を称えたままダーンに問いかける。
「完璧に似合っているよ、ステフ」
自信たっぷりなステファニーに、ダーンは半ば苦笑いして答えるが。
「それだけ?」
首を傾げて、上目遣いにさらに問いかけるステファニー。琥珀の瞳が艶めかしく揺れて、蒼穹の瞳を引き寄せる。
「う……か……完璧に、綺麗で可愛いな……あーチクショウ……」
なんだか敗北感をたっぷりと味わうこととなったダーンに、ステファニーは明らかに勝ち誇って満面の笑みを浮かべた。
「参ったか!」
「……はあ。参りました。完璧だよ、ステフ。だから、ここはせめて騎士としての面目躍如をしておきたいね」
そう言って、ダーンは右手を差し出した。
「ふふん。素直で宜しいこと。ちょうど、一曲始まるところみたいだから、この七年でどこまで上達したのか確かめてあげるわ」
ダーンの差し出たした手に自分の左手をのせ、ステファニーは優雅に軽く腰を落とす。それは、ダンスに応じる合図だ。
やがて、迎賓室に楽士達が奏でる華やかなメロディーが流れ始めるのだった。
☆
濃紺の騎士服と桜色のドレスが、優雅にすれ違っては重なって、楽士の奏でる音色に合わせて戯れる。互いの手を取り合い、視線を交わし、時に肩を寄せては、離れてそして抱き合うように。
いつの間にか、多くの人々が二人のダンスを眺めるように輪となっていた。
「おーおー。この日のために鬼のようなしごきに耐えたかいがあったなぁ」
人々の輪の外、並べられた料理を適度につまみながら、ナスカ・レト・アルドナーグがニヤニヤと笑いながらぼやく。
「鬼は余計よナスカお兄ちゃん」
隣に立つ金髪ツインテールが、少しドスのきいた声で言う。その足元で、宴席であるのに入室を特別に許された神狼が寝そべっている。
「へぇ……この日のためにという部分は否定はしねぇんだな、リリス」
「むぅ……」
少しむくれて、目の前のローストビーフをフォークで串刺しにするリリス。山吹色の瀟洒なドレスを纏ったその姿を半目で眺めて、ナスカは厚手に切り分けられたローストビーフを足元の神狼へと与えてやる。
神狼ナイトハルトは、頭を起こし大きな口を開けて、そのローストビーフを受けとり、旨そうに食べていた。
「あー、もう。甘やかさないでよね」
勝手に料理を食べさせられるところを見咎めて、リリスが口を尖らせた。
「いいじゃねーかよ、別に。異界の方じゃ、逆にお前の方が面倒見てもらってるんだろ? 少しは兄貴としてお礼をしないとな」
ナスカの言葉に、リリスは驚いて喉をつまらせる。ナスカは、テーブルのミネラルウォーターを妹に手渡しながら、苦笑いした。
「ケフン……い、いつから?」
喉のつかえが取れて涙目のまま問いかけるリリスに、ナスカは肩をすくめて、
「わりと最近だな。龍闘気に慣れてきて、感覚が鋭くなってきてるからなぁ。お前達の念話もたまに聞こえちゃうんだよ」
『フン……そんなことだろうとは思っていたが、短期間で随分と実力を高めておるな、ナスカ・レト・アルドナーグ』
「おう。まだまだこれからだがな」
神狼の念話に声を出して応じ、ナスカはニヤリと笑ってみせる。
「うー。なんか腹立たしい。私が知らないうちにお兄ちゃん達も強くなるし、異界のこともバレてるし、ステフはおっぱい大っきくなるし!」
「今、関係ないの混じってなかったか?」
「うるさいなぁ。昔は同じくらいだったのに」
『やれやれ……』
神狼の念話に溜め息が混じるなか、アルドナーグ兄妹は、どこか吹っ切れた気分で蒼い髪の二人を眺めるのだった。
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