タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

琥珀の追憶9

公開日時: 2020年11月18日(水) 05:59
文字数:2,653

 満月まであと二日──じゆうさんづきが、南から銀の光を照らしている。


 満月の次に美しいとも言われるその月は、夜の闇を明るく照らしてくれていた。


 アルドナーグ邸から南、オリン海の海岸線、月の銀光が少年少女の影を浜辺におとしている。


 白く波を砕く音が、背後の森林の闇で反射して、少女の鼓膜を揺らしていた。


 初夏とはいえ、やはり夜になると風は少し冷たく、まして浜風ならばなおのことだが、少女――ステファニー・ティファ・メレイ・アークは、そんなことはお構いなしに上機嫌だ。


「なんだかなー」


 一歩後方を歩く蒼髪の少年剣士がぼやく。


「ん? どーしたの、ダーン」


 少年の不用意なぼやきが聞こえたらしく、漆黒の髪を風に揺らして、少女が振り返る。


 ふわりと広がった髪が艶やかに月の銀光を散りばめ、琥珀の瞳が輝いているかのように少年の方に向けられた。


 蒼穹ダーン琥珀ステフ──


 瞳があった瞬間、蒼穹のゆらぎは琥珀の輝きに圧倒されるかのように、つい視線をそらしてしまった。

 

「……なんでらすかなぁ?」


 口の中で消えてしまいそうな小さな愚痴は、ダーンには届かなかったが……。彼の隣にいたリリスは、めざとくステファニーの不機嫌と後悔をかき混ぜたような視線に気がついていた。


「そんなに気になってるなら、素直になれば?」


 リリスも誰にも聞こえないような声でぼやき、吐息だけが夜の浜風に微かな白い帯をひかせる。


「と、とにかく。ここが鍾乳洞 《神龍の寝所》の入り口だ」


 バツの悪さを誤魔化すように、少し声を強めて、ダーンは浜辺北側の岩場の一角を指示して言い放った。


 ダーンの指先が示す先には、岩場にぽっかりと空いた洞窟の入り口と、その周りにはいくつかの露天商のテントが、夜風に舞わないように畳まれて固定されていた。


 洞窟の入り口は、大きさは高さ幅とも三メライ(メートル)程度の大きさで、入り口の上には、銅板に『神龍の寝所』と彫刻されて飾られている。


 なるほど、ちょっとした観光地らしいたたずまいだが、少し寂しい感じがしていた。


 ステファニーが、ちょっと微妙な表情でその光景を見つめていると、リリスが諦観したように「もうとっくにお客の足が遠退いてるのよねー」とぼやく。そのぼやきに興味を持ったステファニーに、リリスは軽く肩をすくめると、ステフに簡単に経緯を話し始める。


 リリスの話では、この鍾乳洞は、とある探検家が私財をなげうって、二年ほどの歳月を費やし発掘したモノなのだそうだ。


 その探検家は、単に自分の知的好奇心を満たすためだけに、その発掘を行ったわけだが、彼の協力者達が、折角の成果を無駄にしたくないと、観光施設として体裁を調えたのだという。


 公開当時は、ものめずらしい広大な鍾乳洞ということで注目を浴びたが、数年後には、探検家自身が新たな発掘先に出かけ、その協力者も半ば強引に連れて行かれてしまったことから、この鍾乳洞は、国に払い下げられて運営することになってしまった。


 当然これ以上の発掘はされず、一度見れば十分なモノであったことと、国営であることから、客足を呼び込もうという気概に欠ける施設運営が仇となり、今ではだいぶ寂れてしまったというわけである。


 他に、同じ探検家が発掘し同じような運命をたどったような遺跡などが、アテネの北にあるアリオスという街の近くにもあるようだが……。

 

 そんな鍾乳洞へと、ダーンを先頭に三人の少年少女は足を踏み入れていった。







     ☆





 



 三人の少年少女達が夜の鍾乳洞へと足を踏み入れていく──その様を月明かりの中見つめる影が一つ、鍾乳洞の入口からは死角になる岬の高台にあった。


 その姿は、一言で表すなら『黒』だ。


 満月に近い今宵の月は、砂浜の砂に紛れた貝殻の破片ですら淡く光らせる。にもかかわらず、その姿──黒い甲冑を纏った男は闇の中に紛れている。


 影そのものと言えるくらいに、漆黒の甲冑は周囲の光を吸い尽くしているかのようだった。


「まさか……このような時間に子供達だけで来るとはな……」


 誰に告げるのでもなく、顔を覆う漆黒の兜の中で籠もる独り言は、半ば溜め息交じりにも感じられた。


 実際、黒い甲冑の男は呆れかえっていて、つい感想が漏れ出てしまったのだが。


 しばらくして、少年達が鍾乳洞の入口から内部へ姿を消していくまで見届けると、男は音もなく振り返る。


 男の背後には、夜風に枝葉を揺らす森林があったが、その手前の空間の一点を見つめた。


 ただ見つめているのではない。

 

 視線に『真実』を穿つよう意思をこめて、殺気に至らないまでも、その対象を恫喝するかのような眼差しだった。



「ヒヒヒッ……恐ろしい男よなぁ」



 何もない森林と男の間の空間から、嗄れた男の声が響いてくる。


 その声の響きと共に、空間がたわんで揺れて、ひび割れていくと、ドス黒い瘴気が空間のひびから滲み出し──

 その瘴気と共に、異様なある生き物の背に乗った老人が空間の歪みをくぐって現れた。


 老人が乗っている異様な生き物──それは四肢をのそのそと這わせて歩く、堅い鱗を持つ爬虫類だ。


 その爬虫類は、種としては存在していても不思議はないものだったが、その個体は見るものを畏怖させる程に凶悪。黒い鱗に返り血のようなまだら模様、発達した牙を持つ巨大な顎《あぎと》。紅い双眸が魔力の光を灯らせている。


 体長十メライはあろうかという、巨大なワニだった。








 巨大なワニの背で、老人は嗄れた笑いを未だに漏らしていたが、その耳障りさは並の人間が聞けば精神を汚やす程である。それ程までに、その老人は悪意に満ちたドス黒い魔力を持っていた。


 しかし、黒い甲冑の男は、押し寄せる淀んだ魔力を涼風を受け流すかのように、僅かに表情を強ばらせた程度で、老人を見据える。


「アガレスだったか……貴公が言うターゲットは、あの黒髪の少女で間違いないな?」


 黒い甲冑の男の言葉に、老人──《魔神アガレス》はのどを鳴らして笑み首肯する。


「クカカッ……ジーンとやら、儂の魔力波動を前に涼しい顔をするとは、ぬしはやはり只の人ではあるまいて。この地上……鬼神の如き戦士がおると聞いてたが、それはぬしのことかや?」


「さてな……。貴公の魔力に屈っしない程度に剣の覚えはあるが、鬼神と呼ばれた覚えはない。貴公のいうのは別の男だろうな」


 ジーンと呼ばれた黒い甲冑の男は、自嘲気味に魔神に応じると振り返って再び鍾乳洞の方へと視線を戻す。


 今回の『ターゲットの少女』が入っていった鍾乳洞の入り口が、間もなく南中する月の明かりに晒されると……。岩石に含まれた石灰分が微かに光を散らすきらめきに、ジーンは僅かに眩しさを感じ目を細めるのだった。

 

 

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