漆黒の軍服を精悍に着こなしたその男は、筆舌しがたい心持ちのまま、遠巻きに会場の中心を眺めている。
その軍服は、アーク王国軍の将校が着るもので、本日支給されたばかりの新品だ。
「こんな所にいたの、兄様」
背後から凜とした少女の声。何年も聞き慣れたはずのその少女の声を耳にし、その男――サジヴァルド・デルマイーユは胸の奥に小さな痛みを感じずにいられなかった。
「ルナフィス……ふむ。よく似合っている、さすがだな」
「へ? あ……その、ありがとう兄様。なんか、兄様からそんな台詞聞くとはちょっと思わなかったな……あははっ」
「そうか? しかし、こんな端にいてはせっかくの華も台無しだ。姫達のところへ行くといい」
サジヴァルド達がいるのは、会場の入り口近くで、人はほとんどいない。紅い薔薇をモチーフにした瀟洒で可憐なドレス姿のルナフィスに、そのような人目につかない場所は似合わない。
「う……うーん。なんか目立つのはちょっとね……。恥ずかしいし」
少し俯いてはにかむルナフィスに、兄は口元を柔らかく緩めて、彼女の手を取る。
「来たまえ」
「ちょっ……兄様?」
呆気にとられるルナフィスは、サジヴァルドが少し強引に手を引くのに合わせて歩き出す。少し高めのヒールで僅かに苦戦しつつ、なるべく姿勢を崩さないのは、ルナフィスなりの女としてのプライドか、その立ち振る舞いと可憐さに周囲の目が彼女に集まり始めた。
――め、目立ってる……
視線をあちこちから感じ、湧き上がってくる羞恥に、ルナフィスは肌の色を暖かくした。
「おや? これはこれは……」
会場の中心を占めていた人々の内、最初にルナフィスに気が付いた金髪優男が、感嘆の吐息を漏らしていた。
「な、なによ……」
ケーニッヒの視線に気付いて少したじろぐルナフィスに、彼は優しく笑いかけて話しかける。
「この場には、至高の桜花が咲き誇るばかりかと思ったけど、まさか並び立つ薔薇があるとは思わなかったよ」
「む……気障ったらしい上にわかりにくい」
「こういうのは、少しくらいわかりにくい方が丁度いいじゃないか?」
「知らない」
「では、ハッキリと言わせてもらおうか。――とても綺麗だよ、ルナフィス。年甲斐もなく、一目でときめいてしまったよ」
その言葉の直後、銀髪の少女はその場でフリーズした。
「ケーニッヒ、我が妹をあまりからかうな」
苦笑いしながらサジヴァルドが口を開くと、ケーニッヒは和やかに彼へと手を差し出す。
二人は軽く握手をして、語り出した。
「ご無沙汰しております、デルマイーユ侯」
「フッ……その貴族的な立場は過去のものだ、ミューゼル卿」
ルナフィスは、二人のやりとりを見ながら、ケーニッヒと兄が昔から面識があるようだと考えていた。いつの間にか月神の力を操るようになった兄と、異界の魔神すら舌を巻く魔術の天才ケーニッヒ。
奇妙な取り合わせだが、共通するのは『魔法に長けている』ということだろう。
もっとも、兄はいまやかつてのように魔法を扱わないようだし、ケーニッヒも使っているのは、古代神の力に由来する特殊なものだ。
「んもう……私の知らないこと多すぎない?」
ルナフィスが少しむくれるのに、ケーニッヒ達は苦笑いしながらなだめるように会話を続ける。
「その……まあ、ボクも魔法に関しての研究をしてきているからね。君のお兄さんとは少し面識があるんだよ」
「う、うむ。と言ってもしばらく前のことだ。魔導の研究とその対処方法は、私にとっても重要だったからな」
「それよ、それ。兄様は、魔導の影響で精神を狂わせていたとか、本体の魂を月影石に封じていたとかはさっき聞いたけど、ずっと前から魔への対処を考えていたの? しかも、なんかアーク王国のスレーム会長だって知ってるみたいだったし」
ステファニーを拉致してくるという依頼を受けたほんの一週間程度前、兄はアーク王国とまったく繋がりがないようだった。むしろ、敵対するアメリア・ゴート帝国と魔神グレモリーから、その依頼を受けていたのだ。
そして、その依頼の途中に、ステファニーに返り討ちにあったと思っていたのに、再び姿を現したときには、かつての毒々しさはなく、精悍な顔つきで、しかも神聖な力を操るようになっていた。
ルナフィス自身、命を落とすかという重症を負い、その後もステファニーが魔神に攫われたという切羽詰まった事態であったため、これまで追求しなかったが、サジヴァルドはあまりにも変わりすぎて、妹としてもどこから突っ込めばいいか困惑するほどだ。
「元々、魔竜戦争終結時に、アーク王国と魔竜人残党は協定を結んでいてな。その内容に、魔からの脱却について、協力して研究するという項目があったのだ」
「魔竜人は、肉体そのものを持たないからね。魔導と魂の因果関係が深すぎて、悪意ある魔は、彼らの精神を著しく汚染することがわかっていたんだ」
ケーニッヒ達がさらに説明するに、戦後のアーク王国は、魔竜人の敗残兵やその集団をできる限り厚遇した。当然、人類全体としては、大きな損失とともに消えぬ怨嗟を植え付けた戦争だったから、大っぴらな支援は出来なかったが。
「そこから、どうして月の女神の権能を持つことになるのよ?」
ルナフィスの鋭い指摘に、サジヴァルドが苦笑いする。
「そのへんの経緯は、今は答えられない。すまないな、ルナフィス」
「どうして?」
「大事な約束を守るためだ」
サジヴァルドは優しいが確固たる口調で言う。そのように言われてしまっては、ルナフィスも無理に追及はできなかった。
一瞬、会場の瀟洒な世界から隔絶したかのように、暗澹たる静寂が彼らの間に落ちる。
「何を難しい話してるのよ」
そこへ、雅な音を奏でる少女の声。この会場の主役たるアーク王国第一王女ステファニーが、ルナフィス達の側に来ていた。彼女の騎士となったダーンもすぐ後ろにいて、ルナフィスの姿を認めるや、瞳に感嘆の色を浮かべる。
「ステフ……その、こっちの話なんだけど」
「ん? そういえば、そちらの男の人は初めてお会いするわね。どちら様かしら」
ルナフィスの側に立つサジヴァルドに気付き、ステファニーが問いかけると、ダーンとルナフィスはハッとして、少し顔を青くした。
サジヴァルドは、ステファニーが飛行船レイナー号に乗っていたときのハイジャック事件で、その犯人と同一人物でもあるのだ。
「サジヴァルド・デルマイーユと申します、マクベイン大佐殿、以後お見知りおきを」
軍服姿のサジヴァルドは姿勢を正して、軍人らしく答える。ステファニーがパーティードレス姿で、場所が場所だけに、さすがに敬礼まではしなかったが、愚直な軍将校といったイメージが、ステファニーの第一印象だった。
「軍の人か……少佐さん? ……って、あれ?」
アーク王国軍の軍服に階級章は紛れもなく本物の少佐だが、なにか違和感を覚えるステファニー。この場で、自分のことを大佐殿と呼ぶのは、確かに王女であることを知らない軍人だけだが、王宮のこの会場にいるということは、王家直属の軍人だけだ。
そして、さすがに王家直属の軍人全てを知っているわけではないが、少佐級ともなれば、ステファニーが知らないわけがないが、デルマイーユという名は覚えがない――
「いやいや! 覚えあるわよ。ルナフィスの苗字じゃない。――ということは……」
「その……私の兄よ」
うつむき加減に目線を逸らしたルナフィスから、擦れそうな声で真実が告げられた。
☆
サジヴァルドの生存を知ったステファニーは、驚きはしたものの騒ぎ立てることはなく、まず最初にルナフィスに顔を寄せ耳打ちをしていた。
「……ホントにこの人が、あの変態吸血鬼なの? 全くの別人じゃない。というか、すっごく格好いい大人の男の人って感じなんだけど」
ステファニーの耳打ちに、ルナフィスはなんともいえない気分になる。あの変態吸血鬼といわれてた男も兄であり、目の前のすごく格好いい大人の男も兄のことで、ここで頭を抱えて恥を偲べばいいのか、胸を張ればいいのか悩むところだ。
「その……どうも聞いたところだと、ステフのことを襲った兄様は、本体が抜け落ちた抜け殻みたいなものだったようなの。私もさっき聞かされて知ったんだけど」
「え? それじゃあ、やっぱり別人ってこと?」
「それが……記憶は共有してるみたいなの。昨日、ステフのおっぱい狙って理力爆弾で返り討ちにあったとかいう記憶のことで、スレーム会長と話してたし」
「あちゃぁ……それってまさに黒歴史じゃない。あたしならまともに人前に出る勇気なくなるわ」
「ホントそれよね。我が兄ながら、肝の据わっているというかなんというか」
「でもさ……ぶっちゃけいい男よね」
「そ、それは……うん」
「あ、ルナフィスが赤くなった」
ステファニー達がこそこそと耳打ちしあう前で、当事者のサジヴァルドが少し居心地悪く苦笑いを浮かべる。その隣までダーンが歩み寄ってきて、彼に手を差し出した。
「昨日は色々と手助けをしていただき、ありがとうございました」
「うむ。ダーン・エリン、これからもよろしく頼むぞ。一応、同じ部署のようだからな」
握手を交わして、サジヴァルドはダーンの肩を軽く叩いた。
「例の直轄特務隊の所属ということですか」
ここに来る直前、ナスカとリーガルから聞かされた話を思い出すダーン。どうやら、ナスカがアーク王国に来たりしたのは、その直轄特務隊という新結成される軍事組織に由来するようだ。
「ああ。詳しくはまた後ほどだ。それとな、お前には一つ頼みがあるのだが、良いだろうか」
「何でしょう? 可能なことならば、お請けしますが」
「このあと、私と一緒にアテネ王国の北部、国境付近の森林地帯まで跳んでもらいたい」
アテネ王国の北部、そこにはアリオスという湖があり、その周辺は広大な森林地帯となっている。その森林には――
「……わかりました。ディンの墓標までご案内します」
サジヴァルドの意図を汲んだダーンは、快く彼の依頼を受諾するのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!