ステファニーの頸部に、睡眠薬が流し込まれるその瞬間、注射器が粉々に吹き飛んだ。
「なにッ」
驚愕し、視線を手元から正面に向ける漆黒の騎士。その視線の先には、蒼髪の少年が、血みどろになりながらも、立ち上がっていた。
注射器を破壊したのは、彼が投じた大理石の破片のようだ。
「貴様、まだ立ち上がれるのか」
「ステフを離せ、この野郎!」
ダメージのせいで、力が入らず膝がガクガクと笑うなか、長剣で体を支え、気力で立ち続けるダーン。それでも、その体に再び闘気が立ちのぼる。
「少年……その闘気は……。これ以上やり合えば、貴様は自滅するかもしれぬ……だが、面白い!」
漆黒の騎士は、ステファニーの腕を放し、軽くその体を前に押し出す。
「え? なんで?」
呆気なく解放されたステファニーが、拍子抜けして疑問調の声を上げる中、漆黒の騎士は大理石の床に突き刺さった大剣を握る。
「巻き込まれぬよう離れていただこうか、姫。さて少年……、名を聞いておこうか?」
「……こういうときは、まず自分からっていうのが常套句だったよな?」
蒼い闘気を膨らませて、ダーンは剣を正中に構えた。頭部から出血していたが、既に止まって、その血糊は乾きつつある。
「その闘気を制御し始めたか、やるな。私の名は、ジーンだ。ジーン・エマール・ド・アルゼティルス。お前は?」
「ダーンだ。ダーン・フォン・アルドナーグ」
「そうか、アルドナーグか。レビンが育てたわけか、フハハッ! 私の邪魔をしてくれたのだから、貴様は自滅する前に、完膚なきまでに叩きのめしてやろう」
漆黒の騎士・ジーンは、白い燐光を放つ大剣を構えると、爆発的な加速でダーンに迫った。その漆黒の弾丸に対して、ダーンも蒼閃の刃で迎え撃つ。
金属のぶつかり合う甲高い音と、闘気同士がぶつかってスパークする轟音。漆黒の甲冑と濃紺の騎士服が、月明かりよりも明るいその衝突の光に照らされる。
「クククッ……素晴らしい! 素晴らしいぞダーン。その際限なく溢れる無限の闘気、蒼穹の神眼。いつぞや耳にした闘神王の伝承のとおりだ!」
激しい剣戟を打ち合いながら、ジーンは、愉悦に満ちた声で言葉を吐き出す。
「何の話だッ」
一方、ダーンは体格差などからくる間合いの差に四苦八苦しながらも、大剣への対処をしつつ、小回りのきく小さな体の特性を活かすように立ち回っていた。
先程とは違い、ダーンは意識が混濁することなく闘っている。あいかわらず、子供のものとは思えない、凄まじい規模の闘気を全身から溢れさせていたが、それに呑まれることなく、かろうじて自我を保っていた。
「ダーン……凄い」
剣の闘いについては素人のステファニーだったが、目の前の剣戟戦が、超高次元のものであることくらい、彼女にもわかっていた。漆黒の騎士との打ち合いも、ほぼ互角のように感じられる。
『……これは、いけませんね』
そんななか、セフィリアが念話で不吉な言葉を伝えてきた。
「え……それはどういう……?」
『このまま、ダーンの闘気が膨らみ続ければ――』
セフィリアの呟きにドキリとするステファニーに、セフィリアが説明しようとしたところで、その異変は始まった。
「うぐううううう!」
突然、剣戟戦中のダーンがうめき声を上げる。それでも、その斬撃の激しさは衰えないが、明らかに苦しみだしていた。
「……やはり……まだ至らないか。その若さではな……」
対戦相手のジーンが、ふと憐憫の視線を向ける。
「ぐうう……ま、まだだ」
ダーンは、朦朧とする意識の中で、必死に自らの闘気を制御しようと躍起になっていた。湧き上がる闘気は、とめどなく爆発的に溢れ、もはや自分の意志ではその放出を止められない。
本来、強大な闘気は、戦闘の優劣を決める上で有利にはたらくものだが、この場合は逆だった。
何故なら、ダーンの闘気は、彼のまだ幼い肉体には扱いきれるものでもなく、その反動に耐えられるものではなかったからだ。
身の丈に合わない力は、自らに対して牙を剥く。
「クッ……暴走が始まる……。可哀想だが、ここまでだなダーン。……ならばせめて剣士として散れ!」
ジーンは、瞬間的に大剣へ大量の闘気を込めた。するとその剣が白い輝きから、昏い闇の色へと瞬時に変わる。いや。剣の色が変わったのではない。その剣の周囲に限定して発生した、重力場が、剣の周囲の光すらもねじ曲げた結果だ。
大剣の刃には、重力場の内側でジーンの強大な闘気がどんどん圧縮されていく。そう、重力場を利用した闘気エネルギーの圧縮、いや、縮退化である。
大技を放つ直前、力をため僅かに硬直したジーンに対して、荒れ狂う闘気を強引に長剣に乗せて、ダーンが剣戟を放つが――
「タキオニック・ドライブ!」
ジーンの言葉と共に、漆黒の甲冑姿がダーンの視界から消える。
「ぐはっ!」
そして、次にジーンの姿が現れたのは、ダーンの左側に立ち、その横っ腹を横蹴りで吹き飛ばす瞬間だった。
さらに、間合いが開いたところで――!
大剣の刃に凝縮していたエネルギーが、その突き出しと共に放たれた。
《奥義・重核轟閻衝》
昏き重力波に包まれた爆縮状態の闘気エネルギーが、亜光速の速度でダーンへと迫る!
躱せるはずがなかった。
迫ってきている破壊エネルギーは、亜光速の速度だ。本来なら、それを認識する暇もなく吹き飛ばされている。
だが――
ダーンはこの瞬間、ジーンの攻撃を認識していた。それどころか、まるで時が停止しているかのような感覚で、太刀筋もほとんど止まって見えている。
――なんだ? これは……
停止しているかのような空間で、ダーンだけが自在に動く。
躱せないはずの一撃を躱し、そのまま、長剣を両手で上段に構えた。
時が僅かに動き出し、わざを放ったジーンの瞳が驚愕の色を浮かべるその先で、ダーンは上段に構えた剣を袈裟斬りにおとした。
ダーンの放った斬撃は、その太刀筋から蒼い閃光を半円状に放つ。闘気エネルギーが剣に収束され、衝撃波と共にそれは漆黒の甲冑へと向かっていった――その斬撃は、亜光速の速度にまで至る!
闘神の領域に踏み込んだその一撃を、対するジーンは、かろうじて大剣で受け止めた。しかし、その威力をなかなか相殺出来ず、そのまま後方へ押されていく。漆黒の甲冑、その踵が大理石の床を引っ掻いて、二本の溝を彫りつける。
「ぬううううッ」
唸るジーンは、最大の闘気を大剣に込めて、ダーンの一撃を押し返そうとする。力と力、闘気と闘気のエネルギーがぶつかり合い、そのあおりを受けて、周囲の空間は引き裂かれた。
「きゃあッ!」
その余波が、離れていたステファニーのところまで及んで、発生したプラズマがフィラメント状に伸びて、ステファニーの目前に迫る。だが、跳んできたプラズマのフィラメントは、ステファニーの周囲に出来た桜色の光膜に阻まれて消失した。
『ふう……なんとかなりましたが……』
セフィリアの安堵する念話。
「かあああああッ!」
ジーンが一際大きく気合いを込めて、瞬間、その闘気で大地が揺れた。
大剣で受け止めていた斬撃のエネルギーを、斬り捌くようにして、上空へと逸らす。アテネの夜空を、蒼白い閃光が奔って消えた。その軌道には、引き裂かれた大気の分子がプラズマ化して、しばらく夜空は雲のない雷鳴で轟く。
「はあッ……はあッ……な、なんてヤツだ。その歳でタキオニック・ドライブの速度に対応するとは……」
ジーンの言葉に、即座にステファニーが反応を示した。
「タキオニック……って、まさか、貴方も?」
「……かつて、アルゼティルス王国で開発された、超弦加速装置の紛いものだ。不安定な上に、一度使用すると数時間冷却しなければ使えない」
ジーンはステファニーの疑問に律儀に答え、視線を大剣に落とす。剣の中に埋め込まれた黒い真珠のような宝玉が、見る見るうちに赤く変色して赤熱し始めた。
そして――
ジーンの大剣、その白刃がびしりと亀裂が生じ、物打ち部分から砕けて折れた。
「信じられんな。あのような子供が安物の剣でコイツを折るとは……。だが……代償は大きかったな、ダーン」
折れた大剣から、視線をダーンのいた方向に移すジーン。ステファニーもそれに倣うと、その視界には、呆然と立ち尽くす蒼髪の少年の姿があった。
「だ、ダーン?」
動きを止めてしまったダーンに、おそるおそるステファニーが声をかけたその瞬間、彼の体が蒼い焔を噴き上げた。
膨大な熱量が、バルコニーの一角を、焦がし始める。
「う……そ……。いや……イヤぁぁぁあ!」
煌々と噴き上がる焔に為す術なく、ステファニーが月夜の帳に悲痛な叫びを上げた。
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