少し時間はかかったが、ステフによるダーンの治療が終わった。
彼の腕は傷跡すら残さず、完璧に治っている。
それをちょっと誇らしげに見つめ、彼の腕を放すと――
ステフはもう一度割れた天窓を見上げた。
金属製の窓枠は本来跳ね上げ式で、内側から開け閉めが出来るようになっているが……。
そのガラスは割れ落ちて、冷たい夜風が吹き下ろしてきている。
そんなステフの姿を見て、ダーンは口を開いた。
「オレの部屋に移動してくれないか」
その言葉に、ステフは心臓が躍り跳ねる思いをする。
――まさか……誘ってくるなんて!
すっかり湯冷めしたはずの身体が、芯から熱を帯び始める。
――心なしか…………いやいや…………ホントにヤバイって、この熱は。
そんな風に、思いっきり動揺してしまったステフだが……。
それが外に出さないように必死に取り繕い、流し目で蒼髪の剣士を見つめる。
「そんな風に誘ってくるコトも、ボディーガードのお仕事内容なのかしら」
――うまく言えた!
視線の焦点は、主にダーンの髪の毛の上の方にあっていたけれど……。
「え?」
ステフの言っている意味がよく掴めないのか、ダーンは疑問調の声を漏らした。
「――何でもないわ」
応じつつ、ステフは口の中で小さく「この朴念仁……」と悪態を吐く。
「あの、とにかく、こんな状態じゃあ寝られないだろうし、俺の借りた部屋を使ってくれ。俺は、そうだな……一応用心して警戒に戻るから」
「また、屋根に登る気?」
「ああ。もしくは、この部屋に俺が代わりにいてもいいが……」
「それはダメ……」
「何故?」
「女性の部屋には、いちいち説明しなくても気を遣うものよ、ったく!」
シャワー室に洗った下着類が干されている。
とは流石に説明できないが……。
女性の部屋には色々見られたくないものがあると察して欲しいところだ。
当然、ダーンは彼女のそんな思いなど気がつきはしない。
「それと……屋根の上にいたとして、次に襲われたときもまたガラス割って入るつもり。明日ミランダさんに謝る際なんて説明する気よ」
「うっ……いや、その……」
「どうせベッドが恋しくないなら、せめて廊下のドアあたりで座っててよ。鍵は信用して開けとくから」
「りょ……了解」
ダーンが若干たじろぎつつ答えた。
☆
ステフは貴重品などを小さなバックに入れて、ダーンの部屋に移る準備をし始める。
ダーンには、部屋のクローゼットにあった予備の毛布を手渡した。
身支度を調え、一緒に廊下へ出ると、ステフは一応自分の部屋に鍵をかける。
さらに部屋を出てすぐ、数歩移動すれば、ダーンの借りている部屋の入り口ドアだ。
ダーンが自分の部屋のドアを解錠すると、ステフはダーンの脇を抜けて、躊躇うことなく無遠慮に入室していく。
「あんまり、真新しい感じがしないわね……あたしがいた部屋とかわんないじゃない」
ダーンの部屋に入り、室内を一通り流し見てステフは言い捨てる。
同じ二階、隣り合うその部屋の間取りは、ステフの部屋とほとんど変わらないものだった。
「それじゃあ、俺はこちらで見張っているつもりだから、安心して眠ってくれ」
何となく傍若無人な彼女に、ダーンは軽い溜め息を織り交ぜながら告げてくる。
その声に、部屋の中央付近まで入り込んでいたステフの肩がびくりと強張った。
そのまま、ダーンの方を振り返り、すこし俯き加減で「あ……あのッ」と口を開く。
左手に毛布を抱え、右手でドアを閉めかけていたダーンは、ステフがまだ何か言いたげなのかと怪訝な表情をしていた。
「……まだ何かあるのか?」
尋ねてくるダーンに、ステフは慌てて首を横に振る。
彼女は、簡単な化粧品などの小物と貴重品が入ったバッグを両手で提げて持っていた。
気がつけば、俯いたまま肩をわなわなと震わせている。
その姿は、ダーンからしてみれば、怒りを堪えているような状況にも感じられたが……。
「ステフ?」
「なんでもない……ああ、そうね……ちゃんと言っとかないと」
そう絞り出すように言葉を紡ぎ、ステフは持っていたバッグをベッドの方に投げ出した。
そして、ゆっくりダーンのもとに近付いていく。
またひっぱたかれるのだろうかと、及び腰になるダーン。
その目の前にたどり着いたステフは、視線を下げたまま、
「ありがとう……助けに来てくれて……」
その言葉に、ダーンは正直胸を撫で下ろしつつ、
「もっと上手く護衛できるように頑張るよ」
ダーンの優しい声にステフは顔を上げた。
交わされる視線。
一瞬、その琥珀の瞳が何かを訴えようとし、ダーンはまたも首を傾げる。
「うん……その、おやすみ……ね……」
ステフは弱々しく就寝の挨拶をし、再び俯いてしまった。
「ああ、お休みステフ」
ダーンが挨拶を短く交わすも、やはりステフの様子が少しおかしい。
ダーンは若干の怪訝を感じたが、廊下側に立つ彼はドアを閉めようとする。
「ステフ?」
問いかけるダーンの声、そのドアを持つ右手にステフの両手が添えられていた。
そして、ダーンは愕然とする。
――震えている。
俯いたステフは、何も言わずに――
いや声が漏れそうになるのを必死に押さえ込んで、肩を小刻みにふるわせていたのだ。
ダーンの右手に添えられた両手もカタカタと震えている。
視線を落とせば、その両膝も震えていて……。
ドアを開いたまま硬直したダーンの耳に、しばらくしてその声が飛び込んできた。
「怖い……」
小さく、震える声。
俯く彼女の表情は、身長差のあるダーンからは覗うことが出来ない。
その視界に、彼女の足下の床、その板目に数滴の滴が落下した光を捉えた。
先ほどまで、こちらを茶化したり言い詰めたりとして、随分と威勢のよすぎる彼女だったが。
考えてみれば、彼女は敵から襲われた直後だった。
ダーンは自分の迂闊さに歯がみする。
王国軍の大佐という地位にあり、魔竜をも撃退したという噂の女傑。
しかし、度重なる襲撃を受けて、彼女のその精神が平気であると保証できるものではない。
「その……」
ダーンは言いかけて、やはりかける言葉が思い浮かばなかった。
こういった場面に差し掛かった経験はない。
まして傷ついた女性をどう慰めればいいのか。
その解答は、彼自身の知識にも、あの天使長の闘いの知識にもなかったのだ。
だから自分は『アテネ一の朴念仁』などと言われてしまうのだろう。
そんな風に自己嫌悪を感じ始めるダーン。
そして、ステフは両手をダーンの右腕から離し、彼の胸元に添えると、俯いたまま掠れた声で言う。
「ごめん……やっぱもう限界みたい……な……なさ……け……ないったら」
その後は言葉にならなかった。
堰を切ったようにあふれ出す嗚咽と涙。
取り敢えず、ダーンは室内に入り、後ろ手でドアを閉めた。
泣きじゃくるステフから胸に抱きつかれて、足下に手にした毛布が落下する。
少し逡巡した後――
ダーンは嗚咽する彼女の肩を両腕でそっと抱きしめていた。
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