ステファニーとダーンが、セフィリアと会っている頃――
金髪ツインテールの少女リリスは、魔神アガレスとの激しい戦闘の最中にあった。
昏き瘴気と紫電のきらめきが激しく交錯する。
外界と遮断された固有の空間内に、大気が膨張してプラズマ崩壊する轟音が反響し、ぶつかり合う強大な力は、互いに反発しながらしのぎを削っていた。
「まったく――とんでもないのぉ……」
禍々しい瘴気を放つ呪いの剣を振るいながら、魔神アガレスは言葉を漏らしていた。
「……お爺ちゃん、強いね。とても強い……」
紫電の走る巨大な刀身を振り、アガレスの攻撃を弾きながらリリスは僅かに感嘆しているようだ。
「ふぉっふぉっふぉ……。その言葉、嫌みではないかの?」
弾き返されるままに、その反動を利用して宙を舞い、アガレスは大きく間合いを切る。そこにあえてリリスは追撃せずに、大剣を大地に突き立て肩をそびやかした。
「イヤミね……。さすがにそういう余裕はないかな。でも、わかってるよね?」
リリスの問いかけに、アガレスはニヤッと口元を大きく歪ませる。いや、剣を交えて数分、彼はずっと楽しそうに破顔していたのだった。
刃を打ち合う度に、腕にのしかかる初めて知る負荷。一振りで数多の強力な呪詛を相手に刻みつける斬撃、その全てを理不尽とも言える剣戟で無力化される屈辱。
それらは、この魔神にとってあまりにも新鮮な手応えだった。
「クカカカッ! わかっておるともさ。確か、リリスといったかや? 認めようぞ、その力と超常をな。そして、このままでは儂の勝ち目などチリほどもないことものう」
アガレスは、再び呪いの剣を上段に構えて、軸足で大地を強く蹴り出す。昏い瘴気が帯をひいて、剣先が音速を遙かに超えてリリスに迫った。
「そこまでわかってて、それでも挑んでくるの?」
紫電を迸らせながら、白刃が漆黒の闇を打ち払う。怪訝に問いかけるリリスは、その緋色に輝く瞳で見ていた。対峙する老人が、微かな愉悦すら浮かべている。
「挑むか……。そうじゃなぁ、この場合は、挑むと言うのが正しかろうな。そうじゃ、儂はヌシに挑み続けるつもりじゃよ、リリスよ」
弾かれた闇を剣に収束させて、アガレスはさらにあらゆる太刀筋で激しくリリスへ剣戟をかける。
大気が打ち合う轟音に震え、衝突し合う魔力と闘気、漆黒の闇と蒼紫の閃光が、二人の周囲に充満する全てをきしませていた。
大気中の分子は崩壊しプラズマとなり、大地は度々削られて土砂を巻き上げる。さらに、空間そのものが、その場に存在する二人のエネルギーに耐えきれず、何度も歪んでいた。
この場が大地はおろか空間すら崩壊しかねないが、それを抑えているのは、最初にリリスが張った具象結界の働きによるものだ。
あらゆる崩壊が、この結界内では即時に修繕されている。おそらくは、二人の戦闘で生まれるエネルギーそのものを、結界内で集積し、そのエネルギーを転用して崩壊した空間などの修繕に用いているのだろう。
そんな超高次元な戦闘の最中、リリスは怪訝に思っていた。
目の前のアガレスという魔神は、確かに強い。
彼が手にしている禍々しい剣は、なるほど、強力かつ悪趣味なほどの悪意を持った剣だ。
だが、その剣に発動している魔法が真に標的としているのは――
一振りであらゆる災禍を相手に刻みつけるという魔剣。その斬撃からリリスは、明確な殺気を感じなかった。
確かに、アガレスは魔剣の呪いを斬撃の度に放ってくるし、それ自体は厄介で、数多の悪意を幾重にも編み込んだものだ。まともに食らえば、リリスの中にある神魂は死滅し、その後も数世代にわたり転生することが困難になるだろう。
しかしそれは神魂に限ってのことだ。
奇妙なことに、編み込まれた呪詛は神魂にしか作用しないもので、人間としてのリリスにはどうやら影響ないのではないかと思われた。
――どういうつもりなのかな?
紫電を放つ神剣を相手の斬撃に切り結ばせながら、リリスは対峙する魔神の思惑を探っている。単純に相手の攻撃を剣で受け止めているわけではなく、斬撃からさらに発展して迫る呪詛の波動を、超常の剣戟で徹底的に破壊しつつ。
「……やるのう、リリスよ。今の呪詛は通常剣などでは断てぬ代物だったんじゃが」
あらゆる刃筋をもって呪いの斬撃を打ち込む翁の魔神は、楽しそうな声で言う。
アガレスの言う通り、リリスはその剣で通常の剣では斬ることのできない『事象』までをもあっさりと斬っていた。それこそが、彼女が振るう超常の剣の真価でもあるのだが。
「この剣はタキオン・ソードよ。お爺ちゃん……いえ、魔神アガレス……奇妙な呪詛はもちろん、この場にない……隣り合う虚無にあるはずの貴方の魔神魂ですらも、この剣なら斬れるわ」
リリスの言葉に、アガレスはさらに凶悪な笑みを露わにした。
「ふぉっふぉっ……ならば、今すぐにでも斬ってみせい! 遠慮はいらぬぞ」
アガレスの挑発、それに呼応してか、近くで静観していた銀の神狼ナイトハルトが低く唸った。明らかに不機嫌に――
『何をためらっておるのだ? お主ならばたやすく滅せられる相手であろうに』
神狼からの念話に、リリスは少しだけ苛立った。
『うるさいよ駄犬。そんなことよりも、この魔神のこと教えなさいよ。なんか敵意が弱くない?』
アガレスの魔剣を強めに弾き、その勢いのまま右足で相手を蹴り飛ばすリリス。紫電を伴ったその蹴りに、軽く呻いてアガレスの身体は数メライ(メートル)ほど後方に吹き飛んでいく。
『……実際、詳しくは知らぬ』
「はあ? なによそれ」
念話で話していたのに、つい声になってリリスの呆れかえった言葉が出る。
『仕方がなかろう。我とて、あちらにはここ数年の記憶でしかない。それに、東方のアガレス領は、我のいる北方大陸からは離れておる。東方の大公爵としての武勇伝は伝え聞くが、本来の奴のことなど知りようもない』
若干歯切れの悪い調子で、銀狼からの念話が届く。
「ふぉっふぉっふぉ……何やらそこな神狼と内緒話かの? どうでもよいが、そろそろ儂も疲れてきたわ。次で終わりにしてしまおうかと思うのじゃが」
弾き飛ばされて、リリスから離れた形のアガレスは、言葉とともに魔剣を正中に構えて魔力を放つ。これまでにない濃密かつ莫大な魔力が魔剣の刀身に集積され始めた。
「ちょっと、気になることがあるんだけど?」
リリスは神剣を構え直しながらも、アガレスに問いかけるが。
「そんなものは、ここで息絶えれば気にする必要はなくなるぞぇ」
アガレスは聞く耳もたずといった雰囲気で、さらに魔剣への魔力を増大させる。
『リリスよ、ここで躊躇するな。いかに強大な雷神王の転生体とはいえ、主は未だ発展途上だ。異界で屈指の実力を誇る魔神相手に、手心を加えていては、その首が飛ぶぞ』
神狼は念話で警告しつつ、その身をリリスのそばに寄せてきた。あるいは、少女の幼い身体を、身を挺して守護しようとも見えるが……。
「わかったわ、ナイト。ええ……勝負を決しようか、魔神アガレス」
どこか悲哀を感じさせるトーンで言い、リリスは神剣に莫大な力をこめた。瞬間、紫電が煌めき、神剣の刀身は蒼紫の閃光を放ち始める。
「……その前に一つだけ聞いておこうかの、若き闘いの女神よ。主の神魂、その神名はなんと申すか?」
アガレスの問いに、リリスは答える。
「六大神王の一柱、《雷神王ルドゥラ》よ」
「……是非もなしかや。まさかとは思うたが、《神王》とはの。なるほど、その神剣がタキオン・ソードというのも合点がいったわ。……相手にとって不足なしじゃ」
一瞬、魔神アガレスは、その身に纏う禍々しい魔の気配とは似つかない、好々爺とも思える笑いを浮かべた。その笑みが消えた直後――
昏き波動を放つ魔の奔流が、物理上の限界に近い速度に跳ね上がった魔剣の切っ先とともにリリスの身に迫るのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!