ケーニッヒ達が維持していた結界の中では、物理上あり得ない事が起こっていた。
超弦加速状態の二人が、その激突時に光速を突破し、空間内の質量が桁違いに増加する。時間と空間の法則を超越した斬り合いは、瞬間に無数の攻防を生んでいた。
それは、端から見れば、無数のダーンと無数のリドルが、同時に斬り合いをする、『大軍対大軍』の戦争としても間違いではない。
当事者は、意識も感覚も時間を超越しているため、その天文学的数字になる斬り合いを、全て自分のものとして認識していた。さらにその肉体は、加速のために量子化しており、無数に見える彼らの姿は、全て本物だが、意志とエネルギーをもった虚像と捉えることもできる。
これほどまでに高度化した戦闘は、単に肉体を破壊すれば相手を倒せるという、簡単なものではなかった。
この戦闘では、お互いの存在を証明する全て、生命力・肉体の構成量子・意志や精神、そして闘気のエネルギー、その他あらゆる概念がぶつかり合いしのぎを削る。
相手よりも確実な存在性を持ち、相手よりも高位のエネルギーで、相手よりも高位の意志で、相手の存在の全てを否定してこそ勝利となるのだ。
「くっ……強い!」
斬り合いを一度止めて、フィールド中央に再び二人が停止して向き合うと、ダーンは吐き出すように言う。いや、むしろ胃の内容物を、本当に吐き出したくなった。
自己を量子状態にして、質量と時間の呪縛から解き放れた加速状態は、自己の存在定義を、強力な精神力で行っている。この闘いを継続すればするほど、その精神は削られていき、この瞬間のように戦闘を停止して肉体を実体化した際に、その反動がその肉体を襲うのだ。
未だ格上のリドルとの戦闘で、ダーンは相応のダメージを負い、いまにも膝を突きたくなる疲労感に耐えていた。
「フハハッ! 思っていたよりもやるな、ダーン。しかし、まだまだ俺は力を抑えているのだがな。そろそろ、全力でいこうと思うが、覚悟はいいか? なんなら、遺言を聞いてやっても良いぞ」
リドルは涼しい顔で、神槍を軽く振り回して挑発する。実際、リドルにはまだまだ余裕があったし、それは対戦しているダーンが一番よくわかっていた。
「遺言なんてない。死んでからのことなんか、今この場で考えるほど野暮なものか! だけど、今しかアンタに聞いてもらえなさそうだから、言っておくぜ」
「ほう……何だ?」
「勝てばこの国をくれるとか、そういうところが国王って生き物の傲慢なところだな! 国民の期待やら意志やらはどうなる? ステフのこともそうだ。大方、娘のためにと、押しつけがましいことを色々とやっているんだろう? あー、傲慢だな、本当に!」
自らを鼓舞するかのように、世界最大の権力者への罵倒をかまして、闘志を燃やすダーン。
「ハッ! 俺にそこまで不躾にモノを吐いたヤツは貴様が初めてだ! 傲慢な愛か……そうだ、その通りだよ小僧。で? だったら貴様はどうするって言うんだ、おい?」
黒曜石の瞳から鋭い視線が、蒼穹の神眼を射貫く。
「むかつくんだよ、そういうのは! だから俺がアンタからアイツを奪ってやる! 国なんかどうでもいい、好きに栄えるなり滅ぶなりしろッ。だが、ステフはオレが連れていく! だから、アンタはここで死ね!」
感情的に――そう、ダーンは激情に駆られて言いたいように言葉を吐く。それは、ともすれば前後のつながりも無いような、支離滅裂な言い様だったが、目の前の男には、彼の想いはしっかりと届いていた。
「貴様も充分傲慢だろうがッ! クソ小僧が!」
愛娘を奪おうという男の言葉に、父親たるリドルが吼え、その闘気が一気に膨らむと、彼の左耳に付けられていた銀のピアスが弾け飛ぶ。それは、この地上を破壊しかねないリドルの全力を抑えるためのもので、『封環』と呼ばれる神器であった。
全力全開の闘気と殺意を剥き出しにして、二人の男がぶつかり合う。
やがてリドルの周囲から、漆黒の空間が生まれて、既存の空間を塗りかえるように広がり始めた。漆黒のその空間は、大気こそあるが、宇宙空間のような無重力で、大地は消え失せどこまでも闇が広がる虚無の世界だ。
その虚無の闇に、おのれの闘気で光を纏うダーンとリドルが、空間に足を着けて立つように対峙する。
『本気になりましたね、リドル。これは、具象結界 《覇王の虚無》という、彼の独自の結界です。フフ……結界の中に別の結界とは、外の彼らはきっとひどい目にあっているでしょうね』
ソルブライトが、皮肉っぽい笑いをもらして念話にする。
「つまらんことを気にするな、ソルブライト。あの男やスレームが、このくらいなんとか出来ないはずはなかろう。それよりも、今の相方を心配したらどうだ?」
ダーンと自分の闘気が押し競り合う中、リドルはソルブライトをも挑発した。
「余裕をみせやがって!」
ダーンはさらに闘気を高めて、リドルへと剣戟を撃ち込む。その数は、数千億にも及ぶが――
「余裕なんだよ、小僧」
リドルは、神槍を連続で突き出し、穂先で超光速の斬撃を全て打ち崩す。瞬間的に、数億の星々が虚無の空間に浮かんで消えた。
彼らの斬撃や刺突は、超光速に達する凄まじい威力を持っている。そのエネルギーは、質量にすれば、惑星レベルの規模になるものだ。
この虚無の空間には、それら質量を物質と変換して処理する性質がある。それ故に、彼らの攻撃は、空間に乱れ飛ぶ星々の煌めきとなって、ぶつかり合うこととなった。
その壮絶な闘いは、結界の外から見ていた者達を、大いに驚嘆させた。
「星々が生まれては砕け散る闘いか……とんでもないな。と、いうか……ホントにヤバい! スレーム会長、是非とも陛下の信頼に応えて、なんとかしてくれませんか」
泣き言を言うケーニッヒ。その軽口は、言葉の割に重苦しい。そして、それに相手をしていたスレームも、顔色は今一つ芳しくなかった。
「まさか、封環まで解くなんて……。陛下の悪いクセが出ましたね。こうなると、私達ではこの戦闘は止まりません。……困りましたね」
スレームの言葉に、その場の誰もが硬直する。結界の維持をしている者全員が感じていたのは、彼らの戦闘を続ければ、絶望的な状況に陥るということだった。
このままでは、二人の内一人が命を落とすことになるだけでなく、中のエネルギーが大きすぎるため、結界そのものが吹き飛んで、エネルギーが外に溢れ出してしまう。
そうなれば、本当にこの世界が終焉を迎える。
神王級の二人が全力でぶつかるその戦場は、この小さな訓練場の空間内に、新たな小宇宙を形成していた。これが、防護結界の外に出てしまえば、恒星系クラスの質量に換算されるエネルギーが、この小さな空間内に凝縮して存在することになってしまう。
その際には、さぞかし強烈なブラックホールを、この場に生じさせることになるだろう。
こうなると、防護結界が吹き飛ぶ前に、中の二人を空間ごと、どこか遠くの宇宙へ転移させるしかないが――この場の全員の力を結集しても、これだけの質量の塊を転移させるのは、せいぜい成層圏程度の距離までだ。
どのみち惑星ごと無に帰すことになる。
「支えきれる目算だったのだがな……」
緋色の神剣を掲げるカリアスは、愕然としたまま悔恨にも近い言葉を吐く。それを耳にしつつ、副官のアーディア・レヴァムも驚きに瞳を震わせていた。
「信じられません……人間とは、齢四十ともなれば、肉体的に劣っていくものですよね? どうして、あの男は……」
神魂を持つダーンはともかくとして、リドルは紛れもなく人間だ。それも完全な人間である。いや、唯一無二の完全な人間だからこそ、奇跡的な戦闘力を得ることができた、という話だったが、それは彼が二十歳の若さで、肉体の全盛期だった頃の分析結果だ。
人間である以上、肉体の老化からは、逃れる術はないはずなのだ。
それなのに――
「私と闘った二十三年前よりも、彼奴は強くなっている……それも、格段に!」
かつて、カリアスはリドルと一度闘っている。それは魔竜戦争の末期に、リドルが神界へと単独で攻め込んできたときのことだ。
リドルが、神界の女神を妻に娶りたいと言い出し、それを渋った主神デウス・ラーに宣戦布告、彼一人で神界に殴り込み、強引に奪いに来た。
当時、神界は騒然となった。
人間の男が、神槍とはいえ槍一つの単独で攻め込んできて、守護天使をことごとくうち破り、最上層まで駆け上がってきたからだ。
――まあ、主神は随分と愉しそうだったが……
当時を思い出し、カリアスは迂闊にも口元を緩めてしまう。
その主神を守護する最後の天使として、カリアスはリドルと対峙した。
リドルの戦闘能力は凄まじく、今のように左耳の封印を解いた後は、神界全体が鳴動した程の闘気だった。
カリアスは、奥の手である『とある古代神』の神魂を解放し、彼に神王級の戦闘を仕掛けたが、結果的に一歩及ばず敗北を帰した。
「今では、あと一歩どころか、全く勝てる気がせぬな……。そのヤツに食いついていけるほど、ダーンは強くなったか……複雑な気分だよ」
複雑なと言いつつ、ダーンの師でもあるカリアスは、緩めた口元がさらに綻ぶ。
「ふふっ……嬉しいくせに」
副官のアーディアがからかう。
「ふん……さてな。それにしても、ダーンのヤツ、いつもはなにかと冷めた態度のくせに、今日はやたらと猛っているな」
「……火が点くととんでもなく熱くなるのは、師と同じね」
意地悪にスレームのような台詞を言うアーディアに、カリアスは憮然としたまま少し顔を赤らめていた。
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