後方から金属同士の打ち合う音が断続的に響いて、ナスカの鼓膜を打っていた。
長剣を正中に構える彼の前には、右手に大型の戦斧を悠然と構える人狼が、攻撃を仕掛ける隙を覗っている。
ナスカは抑えきれない焦燥を感じていた。
眼前の人狼の戦闘能力は、魔竜に匹敵するものだろう。
本来なら、ダーンと二人で前衛を組み、中距離からホーチィニの鞭で撹乱しつつ、エルの弓で死角からの長距離攻撃によるダメージを与えて、前衛が致命傷を加えるといった集団戦法をとりたい相手だ。
それでも、眼前の敵に対しては、ナスカ一人で何とか対処し、倒せないまでも凌ぐことは出来るだろう。
――問題は、後方のダーン達だ。
数の上で三対十三。
人狼と対峙していて隙を見せるわけにもいかないので、振り返って目視で確認できないが――
気配で察するに先ほど一体は倒したようで、今は三対十二のようだが……。
数の差以上に、かなり不利な戦況だ。
敵の金属生命体か自動人形のような兵士達はすべて剣を持った近接戦闘タイプ。
よって、ダーン一人で前衛に徹し、近距離戦の苦手な弓兵のエルやホーチィニに敵を接近させないように立ち回らねばならない。
――ダーン一人だけだったら、かえって林の地形を上手く利用して戦えるんだろうが……。
後方の戦況を把握して、せめてもの指示を出したいところだが、眼前の人狼にそんな隙を見せれば、あっという間にこちらがやられてしまうだろう。
「グフフフッ……後ろの方が気になる様子ですが、そろそろ仕掛けさせてもらいますぞ」
人狼は戦斧を右下段に構えつつ、腰を落とした。
「チッ……」
舌打ちしつつ、ナスカも腰を落とし、敵の攻撃に対処することが出来るように意識を人狼に集中する。
ここはダーン達を信用して目の前の敵に全力で対処するしかない。
次の瞬間、黒い巨体がナスカの眼前に向け猛然と迫っていた。
☆
――この状況は非常に危険だ。
蒼髪の剣士が対応しきれない金属兵達を鞭で打ち付けながら、ホーチィニは嫌な汗が背中に伝うのを感じていた。
この金属兵達は、自分の鞭が翻弄し、前線で奮闘してくれている蒼髪剣士と、時折女弓兵の援護攻撃が上手く連携していれば、なんとかなるだろう。
最大の危険を背負っているのは、やはりナスカの方だ。
背後では、重々しい金属を打つ音とナスカの気勢を込めた声が響き、鞭を翻す動きを全身でとる際、視界に捉えた背後の戦況は、あまり芳しくない。
ナスカがあの若さで傭兵隊長の地位にあるのは、実戦の成果が誰よりもあるからだ。
知り合ってから三年間、未熟な自分の修行を兼ねて彼の傭兵稼業の仕事に同行し、魔竜戦争の頃から発生し始めた魔物が頻繁に出没する場所に赴き、数多くの魔物を駆除してきた。
一緒に戦ってきた自分は知っている。駆除依頼のあった魔物をナスカが撃破したその数は、目の前で金属兵と切り結ぶ颯刹流剣法の使い手ダーンよりもはるかに多いと。
そんな手練れであるナスカだったが、超重量兵器である巨大な戦斧を片手で小型戦斧の様にコンパクトに振り、巧みな連撃で攻撃してくる人狼が相手では、ほぼ防戦一方であった。
時折、敵の攻撃後の隙を突いてナスカの剣が人狼の身体を捉えているが、さしたるダメージを与えていないようだ。
このままだと……いずれはナスカも対処しきれなくなる――いや、人間としての彼が対処しきれなくなると言い換えるべきか。
人の力で対処できなくなれば――彼は使うことだろう……《神龍の血脈》としての力を。
人に生まれた身にとって過ぎた力、勝利に酔えるがためにその身を蝕む禁断の美酒に手を出してしまう。
それは剣士として、強敵を屠る優越を求めるからではない。
あの《駄目男》は、本当に馬鹿だから……。
剣士としての強さだとか、傭兵隊長としての貫禄だとか、そういう男達が求めそうなことにほとんど興味はない。
自惚れというならばその方がどれだけマシなのだろうか。
ナスカは危機に瀕した私の前でこそ常に勝利を求める……そういうタイプの救いようのない馬鹿だ。
この場に私がいるために。
絶対に負けられない状況だから。
――アイツはきっと勝利する……どんな無茶をしてでも必ず勝つ。
そう考え至って、ホーチィニはその脳裏に、白金に燃える人影と、赤い鉄の匂い、脳を揺らすほどの爆音を思い出す。
戦闘中だというのに一瞬、芽生えた悪寒に身体が竦みかけて、慌てて右手に握る鞭の柄に力を込め直す。
――あの頃とは違うんだ!
アーク王国王立科学研究所製の特殊な樹脂を使った戦闘用鞭――祖母が半ば偏った趣向を抱きつつ自分用に制作して、その扱い方をみっちりと身体に覚えさせてくれた武器だ。
祖母がコレを造って私に持ってきたとき、「気になる男を躾けて束縛するために必要なのよん」って言っていたが……。
半信半疑で身につけた『マクベイン鞭術』は、確かに今自分の力になってくれている。
あの馬鹿と戦場でも並び立っていられるように……。
私がアイツの力になって、戦場で、これ以上無理させないように……。
――無茶なんかさせない! その前に、何とかこちらが援護しなければ……。だから、いつまでもあなたたちの相手なんかしてられないの!
正面に展開する金属兵に鋭い視線を向けつつ、宮廷司祭は長鞭を唸らせ、その攻撃の激しさを増していった。
☆
長剣を構成する金属が鈍い悲鳴を上げていた。
ナスカは、敵の巨大な戦斧による攻撃を完全に受け止めるのではなく、その破壊の軌道をずらすように剣で捌いているが、相手は、大の大人が三人がかりでようやく持ち上げられそうな大型の戦斧だ。
さすがに『東洋の特殊な技術』で鍛えられた彼の剣が悲鳴を上げる。
それと同時に、その剣を振るう腕の筋肉や体幹部の筋肉に、軽視できない負担が掛かっていた。
特に、長剣を握る右手は痺れかけていて、握力を失う程ではないが、握った剣先の感覚が朧気になりつつある。
人狼と十数回切り結んで、ナスカは自己の身体に蓄積していく細かいダメージに舌打ちしていた。
――本っ当にやっかいな相手だぜ……!
攻撃を躱しながらも、さっきから何度かこちらの剣が人狼の身体に届いている。
だが、右手で巨大な戦斧を振るう人狼にさしたるダメージはなかった。
人狼の持つ戦斧は、どう見ても両手で扱う武器であるのだが、ヤツはその人智を超えた怪力に任せて右手一本で細かな攻撃を仕掛けてくる。
人狼が大した大振りをしないので、攻撃後の隙は僅かであり、さらに、左手が空いているため迂闊に懐に飛び込もうものなら、左の豪腕が強烈な一撃を見舞ってくるだろう。
おかげでこちらは、身を躱しながらの攻撃になり、相手から自分の重心が逃げていく状態での斬撃のため、剣に充分な威力を込められない。
しかも人狼の体表を覆う黒い剛毛が、まるで鎖帷子のようにこちらの刃を無効化していた。
人狼に効果的な一撃を加えるには、繰り出してくるあの巨大な戦斧を大きく弾いてヤツの体勢を大きく崩し、その隙を突いて体重の乗った強烈な剣戟を行うしかない。
そのためには……。
――使うか?
ナスカは身体の奥底で燻る熱い力の塊を感じる。
抑制していた力の鼓動が、今にも爆発的に全身を脈動させていこうとする。
そして元々、並の人間の数倍であった彼の知覚神経が、更に尋常ではないレベルに研ぎ澄まされていった。
この間にも繰り返されていた人狼との斬り合いが非道く緩い速度に感じ始める……と、その瞬間に、彼の鋭くなった嗅覚が捉えた――
背後の戦場で、勇ましく鞭を振るう宮廷司祭の髪、三つ編みにした艶やかさから流れてきた洗髪料のラベンダーの香り。
嗅覚を優しく撫でるような柔らかな香りに、昂ぶりつつあった何もかもが安らぎを得ていく。
――約束したんだったな、そういえば……。
口元を綻ばせて、ナスカは一度間合いをとるために大きく後方に飛び退いた。
そのナスカの動きとその表情に、怪訝な顔をした人狼の動きが静止する。
「どうされたのですか? てっきり本気で打ち込んでくるのかと期待したのですが」
人狼の言葉に、ナスカは一瞬大きく瞳を開いて、そして肩を竦ませてみせる。
「やれやれ……最初っから本気だぜオレは……。まあ、ちょっとばかし後先考えずに行こうかなとは考えたんだけどもよ。それやると、二度と口もきいてくれなさそうなんでな」
ナスカは一度言葉を切り、肩越しに背後の戦場を顎先で示した。
そのナスカの仕草に、戦闘中の僅かな合間であるのに、人狼は視線を一度だけ宮廷司祭の背中に向ける。
ナスカは、その人狼の付き合いの良さに、若干笑みを漏らしつつも言葉を続ける。
「折角、最近は鋼鉄の護りも徐々に緩くなりかけて、もうちょっとで攻略完了!
その後は新たな自分に気付かせてやる素敵でこのオレですら白昼堂々と口に出来ないエロイベント満載って予定なのに、その……もったいないだろ?」
ちょっと頬を赤らめて緩んだ表情で語るナスカの後方で――
金属兵六体くらいが派手に吹っ飛ばされ、「ちょッ……ホーチィニさん、オレまで吹っ飛ばす気ですかッ」とかいうダーンの金切り声が挙がっていたが、ナスカはあえて気にしなかった。
「ふむ……思っていたよりも愉快なお方ですな。しかし、見てみたいものですな……《神龍の血脈》が使うその力を。ですから、申し訳ありませんが私はこれより全力で参りますぞ」
人狼が口にした《神龍の血脈》という言葉に、ナスカの眉根がピクリ動いて反応する。
その言葉を知っているということは、こちらの身体の状況について、ある程度知己があるということだ。
――《神龍の血脈》
それは、二十三年前の戦争に起因する。
その戦争の名は《魔竜戦争》。
人類が初めて経験した人ならざる者と死闘を繰り返した戦争。
この世界とは別の世界から、組織的に侵攻してきた超高度生命体――《魔竜》。
高度な知性と、強大な体躯、そして絶大な戦闘能力を持つドラゴンの総称。
彼らは、彼らの住む世界《竜界》からこの世界への《穴》を穿ち、こちらに征服を目的として突如攻め込んできた。
魔竜達の圧倒的な戦力と、各先進国家への同時侵攻により世界は攪乱・蹂躙され、魔竜の侵攻からわずか四ヶ月で人類は滅亡の危機にまで瀕した。
そんな最中、混乱する世界各国との情報流通を回復させ、各国軍隊をまとめ上げて一大反抗作戦を展開した国家があった。
それが、最も高度な文明力を誇っている《アーク王国》である。
戦争末期、アーク王国は、魔竜に対抗できる強力な兵器を開発し、各戦線に投入、さらに各国との連携を保って魔竜軍の優勢を覆し、二年に及ぶこの戦争を人類の勝利へと導いた。
しかし、人類が魔竜に勝利できた要因はこんな表向きのものだけではない。
世界各国の軍隊がアーク王国主導のもと反攻作戦を展開する影で、各国とアーク王国との連携の足がかりを築き、魔竜軍の主要な軍師や幹部を次々と撃破した者たち。
《閃光の王》
《蒼の聖女》
《稲妻の姫君》
《竜殺修士》
この《四英雄》と呼ばれ、ほとんどの人々が知ることもなく、公式記録や歴史書にも記載されなかった英雄達は、魔竜達の中でも《魔力》を所有した者、魔竜人達との闘いを主とした。
竜の巨体以上に厄介な力を持つそれらに対抗するため、彼ら四英雄はある存在との《契約》を行うことでその力を得ることとなる。
その《ある存在》こそ、《神龍》と呼ばれる、魔竜達とは異なる種族、異なる世界、異なる理に属した太古の神々たる龍達だった。
契約した四英雄はそれぞれ
《閃光の王》は《熾龍・アーサー》
《蒼の聖女》は《蒼龍・ラムール》
《稲妻の姫君》は《金龍・ファース》
《竜殺修士》は《白龍・カルド》
と霊的な融合を行い、その結果、人の域を超える肉体と装備、神がかり的な力を得たという。
そしてナスカは、四英雄のリーダー格《竜殺修士》レビン・カルド・アルドナーグと《稲妻の姫君》ミリュウ・ファース・ウル・レアンの間にできた第一子だった。
《神龍の血脈》とは、神龍と融合した人間の子孫を表す言葉である。
特に《白龍・カルド》は当時現存した神龍中最強のと言われ、その龍闘気は触れるものすべてを爆発的に破壊する性質を持っていた。
ナスカは、二柱の神龍の内白龍の方の血が濃いらしく、先天的に爆発的な龍闘気を持っているため、とても危うい存在であった。
ここまでは、ナスカ自身も承知済みのことだが、さて、目の前の人狼は一体、どこで知り得た情報なのか。
そんな風に訝るナスカの眼前で、人狼はにやりと口角をつり上げる……。
人狼は大きく息を吸い込み、全身の筋肉を一度隆起させると、右手で握っていた戦斧のグリップを左手に持ち替えた。
――左利きなのか……いや、違う!
両手で長剣を構えたナスカの眼前に、戦斧を両手で構えた人狼が突進する。
「チイッ」
苦々しく舌打ちし、腰を落とし構えるナスカに対し、人狼は木々を揺らす程の大きな咆哮を挙げて、グリップを左手で握り、右手でヘッドの付け根を握った戦斧を右肩の上に大きく掲げる。
そして間合いに素早く入った瞬間、ナスカに向かってその戦斧をたたき落とした。
その際、右手で戦斧の長いポールをしごくように下へスライドさせ、落とした瞬間には右手が左手の上のグリップ部分を握りしめている。
長モノ兵器の扱いとしては常套手段だが、こうすることで、ヘッドの重い長大な戦斧の先端部が更に加速し振り下ろされるのだ。
今までで最大最速の一撃がナスカの頭上に迫った! ――が、ナスカもその攻撃は予測できていた。
彼は、無理にその一撃を受けることなく、振り下ろされようとする一瞬前に、右へ全力で飛び退いている。
予測していたよりも戦斧の振り下ろされる速度が速かったが、こういう重量兵器の一撃は、思いっきり撃てばその狙いや軌道を自由に変更できない。
だから振り下ろされる直前にこちらが動いてしまっても、敵は元いた自分の位置にしか攻撃できず、逆に攻撃の後の隙は最大になるのだ。
左肩の数セグ・メライ(センチ・メートル)外を戦斧のブレードが通過――
右に飛んだ先の地面にナスカの右足が着く……と同時に地面を蹴って、渾身の突きを人狼の左脇に入れようと剣を構えたところで…………。
爆音と共に、ナスカの左側の大地がはじけ飛んだ。
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