アリオスの東に広がる森林に覆われた丘陵を馬に揺られること二時間弱、ダーンとステフの二人は途中短い休憩を挟みつつも目的地にたどり着いていた。
目的地の遺跡は、約二千年前の古代神殿である。
その神殿の用途や、それを築いた文明については一切明らかになっていない。
一時期、アテネの考古学者が必死になって検証したこともあったが、結局いつ頃作られたかといった大まかなことしかわからなかったという。
現在は、この遺跡を調査しようという物好きもいなくなってしまったが。
遺跡は、丘陵地帯の盆地に広がっていて、周囲の森林に隠されるように残されていた――
かつてこの地を発見した考古学者達によって、遺跡付近の木々は伐採されていて、今は森林の中にぽっかりとむき出しの状態である。
風化した大理石がほとんど瓦礫と化して、牧草地のような草原に無惨に転がっていた。
また、遺跡の奥に位置する構造物は比較的形を残しており、古代人が描いた壁画や、祭事に使われたと思しき道具などが発見され、その地が神殿であったことを物語っている。
その神殿の最奥、地殻変動で隆起した丘陵の岩壁に、自然に出来たと思われる洞窟が伸びていた。
洞窟の壁面は大理石で補強されていて、その奥に大理石の祭壇が発見されているが、その祭壇こそが、今回ステフが調査するべき対象だ。
ダーンとステフの二人は、神殿施設の脇に広がる草原にぽつりと立っていた広葉樹の枝に乗ってきた馬を繋いだ後、歩いて遺跡を進み、洞窟を入り口から百メライ(メートル)ほど進んだその祭壇の前までやって来ていた。
「ここを調べるのが君の目的か……。正直言うと、俺にはこれの価値がさっぱりわからないんだが。……考古学が趣味?」
洞窟の外の大理石と違い、あまり風化していない白亜の大理石で出来た祭壇を眺めて、ダーンは問いかける。
「別に、あたしは考古学に興味があってここに来たわけじゃないわ」
半円状に高さ二メライ位、幅三メートル位の洞窟一杯に大理石で作られた祭壇を、手に持つ理力ライトの光に照らしつつステフは応じた。
祭壇は、洞窟の行き止まりに作られており、洞窟の壁面のカーブに合わせて、台形に切り出された大理石を積み合わせて外枠がアーチ状に形成されている。
アーチの内側には、左右対称に階段状の棚が作られ、棚の上には神官のような姿の人を象ったものや架空の獣を象った大理石の彫刻がいくつもはめ合わされていた。
さらに、左右V字型に並んだ彫刻の棚の間、白亜の壁面には一人の女性の姿が浮き彫りにされており、恐らく、この女性が信仰の対象たる女神か何かだろう。
その女神と思しき女性のかなりグラマラスな肢体を半目で見つつ、ステフはさらに、
「ダーンは魔竜戦争のこと、どこまで知っているの?」
と唐突に尋ねる。
「また、いきなりの質問だなぁ……」
ぼやきながら、ダーンはどう答えようか思案した。
魔竜戦争自体は、一般的な知識として誰もが知っている。
二十三年前に勃発した人類と魔竜の戦争。
一時は人類滅亡の危機とまで噂されたほど、人類側は追い込まれたが、アーク王国を中心とする討伐軍が大規模で組織的な反攻作戦を展開し、結果人類が勝利した大戦だ。
しかしながら、人類の勝利の背景には《四英雄》の活躍が隠されており、そのことはほとんど知られていない事実だった。
その英雄の内、レビン・カルド・アルドナーグとミリュウ・ファース・ウル・レアンを育ての親に持つダーンは、《四英雄》の武勇伝をある程度知ってはいるが、果たして、ステフはそのことを聞いてきているのだろうか?
そのように考えているダーンの胸中を見透かすように、ステフが彼の方に視線を向けて口を開く。
「アルドナーグ家の人間なんだもの、《四英雄》のことは当然知っているでしょ?」
なんとなく先手を差されたようで、ダーンがあっけにとられるのをステフが見て笑みを漏らす。
そんな彼女の仕草に、少しばかりの悔しさと、そんな悔しさなどなかったことになってしまう、ほんのりと甘い鼓動に戸惑いながら、彼は話に応じた。
「まあ……な。とはいっても、実は他の二人はあまり知らないんだが。親父は……養父のレビンはあまりそういうことまでは話さなかったからなあ」
「そう……。ま、この事はウチの国でも機密事項だからあまり詳しくは言えないけど、残り二人はアーク王国の国籍よ」
「アークの国民……」
ステフの話を聞いて、ダーンはふと、《灼髪の天使長》に勝利した人間がアークにいるという話を思い出していた。
カリアス自身の口からは、その人間について教えてもらえなかったが、闘いの知識を共有した時から、その戦闘については朧気に知識として知っている。
人智をはるかに超えた戦闘能力を誇る槍の使い手。
そして、天使長カリアスが最も感服した人間の男。
「そしてね……アークの英雄の一人、《蒼の聖女》と謳われた人が使っていた神界の神器が、ここに封じられている……っていう情報があるのよ。あたしの目的は、その神器の回収よ」
「神器?」
「そう……。それはこの世界の活力の源を制御できる。……その力で、かつて魔竜達がこの世界に侵入してきた際の境界回廊を封じたもの。今のあたし達にはどうしても必要なものなのよ」
ステフは祭壇に近づいて細かな部分を調べながら、さらに彼女の本来の目的についてダーンに説明をし始めた。
☆
ダーン達が遺跡にたどり着いた頃、アリオスのガーランド親子が経営する宿では、銀髪の少女が柄の長いほうきを手に客室の掃除をしていた。
「なにやってんだろ……私」
ぼやくルナフィスが現在掃除しているのは、彼女が昨夜襲撃したはずの部屋、つまりはステフが借りている部屋だった。
昨夜遅くに、この宿の女将ミランダ・ガーランドに呼び止められて、結局一階に部屋を用意されて一泊してしまった。
ミランダは約束通り、自分がこの宿に宿泊したことをあの二人には一切言わずに、さらに宿泊料や飲食代すらも請求しないつもりらしい。
流石に、それでは立つ瀬ないからと、宿の客室掃除や簡単な台所作業を手伝う形で宿泊代がわりにする旨をミランダに申し向けたところ、彼女は少し面を喰らったような面持ちのまま快諾してくれた。
宿泊料自体は、ルナフィスもある程度の路銀を持ち合わせており、正規の三倍以上を請求されても充分支払えるのだが……。
ノムを助けたことに対するミランダの厚意を無下にも出来ないからと思い、彼女はこのような形を選んでいた――でも、だからといって……。
「自分が襲った相手の部屋を掃除だなんて、なんか間抜けだわ」
ほうきの柄の部分に右頬を当て、溜め息交じりに呟いて自嘲する。
ルナフィスは、自分が襲撃した部屋だけでなく、この宿のほぼ全ての客室を掃除することとなっていたが、やはりこの部屋だけは妙な気持ちにさせられた。
さらに、彼女は上を見上げて、屋根に設けられた天窓を視界に捉える。
その窓は、昨夜蒼髪の剣士ダーン・エリンがガラスを割りステフを救うために突入してきた場所だったが、現在はガラスも修復されていて、少し歪んでいた窓枠すら綺麗に元通りになっていた。
ルナフィスがこの部屋の掃除を始める前に、ミランダが修繕したようだ。
あの女将は一切の道具も新しいガラスすらも持たないで一人部屋に入っていき、ルナフィスが廊下で待つ間にあっさりと直してしまっていたが、その作業時間は一分にも満たないものだった。
昨夜、ルナフィスに宿泊を勧めてきたときのように、固有時間加速を用いて作業したかもしれないが、それにしても導具や材料なしに修繕など出来はしない。
彼女は一体何者なのだろうか?
その謎を知ってみたいというのもルナフィスがこの宿にとどまった理由の一つである。
見た目は明らかに人間であるし、《魔竜人》や異界の神のように魔法を使っているようにも見えないが、サイキックのような特別な力があるのは確かだ。
いや、ただそれだけではない。
宿泊客であるあの二人に襲撃をかけたルナフィスを危ぶむことなく、むしろ強引に引き留めて泊まらせた彼女には、うまく言えないが、圧倒的な包容力のようなものを感じる。
「ルナお姉ちゃん、こっちは終わったよー」
ミランダのことについて色々と思案していたルナフィスに、シャワー室の方から元気な声が聞こえてきた。
声の主は、共に客室の掃除をしていたこの宿の子供、ノム・ガーランドだ。
「あー、うん。……って、いきなり愛称で呼ぶな」
ルナフィスは言い捨てながら、シャワー室の方に移動し、中に顔を覗かせる。
「え? ああ、そうか……それはごめん。でも、『ルナフィスお姉ちゃん』って呼んでいたら舌かみそうだから、やっぱり『ルナお姉ちゃん』って呼ばせてよ」
シャワー室の中で一瞬きょとんとしたノムだったが、片目を瞑って愛想よくお願いしてくる。
「…………べつに……まあ、いいけど……」
悪戯っぽい仕草のノムに悪い気もしないルナフィスは、若干恥ずかしそうにしながら承諾してしまった。
「よかった。それよりルナお姉ちゃん、ボク凄いモノ見ちゃったよ」
「何よ?」
「これこれ」
ニタニタと笑うノムは、シャワー室の狭い脱衣場に設けられた物干しに、小さなピンチハンガーで吊されていたモノを指し示す。
その指先が指し示すモノ――
何枚かの絹生地を複雑に縫製し、見事な立体を形成させた女性用の『とある肌着』を視線に捉え、ルナフィスは眉根をつり上げた。
「このッ……エロガキ! 余分なことしてないで、サッサと夕食の買い物に行きなさいよッ。ミランダは別の用事とかで、アンタが買い出しに行く手はずなんでしょ」
「へーい」
舌を出しておどけるノムは、頭の後ろに手を組んで枕にするようにしながら、シャワー室を出ていく。
その姿が視界から消えるのを待って、ルナフィスはそぉーと、吊されたソレの小さなタグに視線を走らせる。
「トップ……きゅっ……九十のアンダー六十五って……私と十以上違う…………」
愕然とするルナフィスは、さらにむなしい思いを胸に抱きつつ、部屋の掃除に従事することとなった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!