夏の太陽が燦々と輝き、海の向こうにある空には入道雲。季節の変わり目にあった長い雨期を抜けて、この国は夏本番を迎えようとしていた。
この国の夏らしい情景の空を鳶が気持ちよさそうに鳴きながら、上昇気流に舞っている。
「気持ちよさそうだなぁ」
広葉樹の葉が重なりできあがった日陰に、大きな岩があって、その上に座した少年は愛用の釣り竿を手に渓流釣りを満喫していた。せせらぎの音と共に、自然が生み出す涼を肌に感じ、このところの気温上昇に火照る体を癒していく。
「空を飛びたいなら、空戦機動を教えてやろうか?」
少年の右隣、岩から降りた川岸に長身の男が立っている。同じく釣り竿を手にして、覚えたばかりの渓流釣りを、愉しんでいるようで上機嫌だ。
「別に空を飛びたいわけじゃないぞ、ダーン。それに僕だって、刻印を発動した時は飛べるし」
少年は黒髪を掻き上げながら応え、視線を隣の男におろす。物珍しい蒼髪が黒褐色の瞳に映えた。
「そうなのか? この前やり合ったときはそんな素振りなかったが……カイはまだ力を温存していたのか?」
ダーンの言葉に、若い忍者の頭領――不知火カイは言葉に詰まった。
「そ、そういう……わけじゃ……ないんだけどね」
「その背だけ伸びたヘタレ忍者は、高ぇところが苦手なんで、ビビってやんですよ。この国じゃ、馬鹿と煙は高いところが好きって言葉があるんですがねぇ……馬鹿もヘタレには敵わなかったらしいですわ」
ダーン達の会話に割り込む、毒を孕む鈴のような声音。彼らの目の前の渓流を挟んで対岸に、少し広めの川岸があり、そこで石を積んでかまどを作り、火をおこしている女性達がいた。
その内の一人、最も背の低い可憐な少女のものだ。
「カースーミーぃ」
カイは恨めしそうに、その少女――鳳凰院カスミを睨めつける。カスミは、いつもの巫女服ではなく、濡れてもいいように藍色ワンピースの水着に薄手の上衣を羽織っていた。鼠径部までむきだしの白く細い脚が、夏の日光を照り返して眩しい。
「は? なに睨めまわすように見てるんですかねぇ、この終身童貞忍者は。わっちの脚を拝めるのには、拝観料が必要なんですが、知らねーんですかい」
「んあっ? てめぇの脚なんか何が楽しくて見るんだよ? 幼児春画は御法度って知ら……ッがぁ!」
カイの罵倒は、あらぬ方向から飛んできた鉄扇が、彼の側頭部をぶちのめすことで、事切れた。
「これ、カイ坊! 妾の妹にそのような愚劣な言葉をかけるでない」
カイの側頭部から跳ね返ってきた鉄扇を片手で掴み取りながら、すみれ色の髪をした女性が叱りつける。開いた鉄扇の影に、薄ら笑いを隠してだが。
「シズメさん、いきなり頭に鉄扇投げつけるのはちょっとかわいそうじゃ……っていうか、今のどうやってるんだろう?」
シズメと呼ばれたすみれ色の髪をした女性、その隣には、野外調理の下ごしらえに勤しむ蒼い髪の少女、ステファニー・ティファ・メレイ・アークの姿がある。彼女達は、カイ達とは渓流を挟んで対面にいるが、先ほど投じられた鉄扇は、まるでブーメランのように弧を描いてカイの頭を直撃していた。その物理法則で説明できない現象に、ステファニーは興味津々のようだ。
「いやいやステフ、あのバカ弟子には、この程度の躾がちょうどよいのじゃ。あー、この鉄扇は星沁の機構があるからのー」
かんらかんらと笑い、その女性、鳳凰院シズメはステファニーに言葉を返しながら、水着姿の胸を両手で抱き上げた。上下分かれた藤色の小さな布地は、豊満な胸をなんとか包んでいる。
隣にいるステファニーは、料理もあるので、桜をモチーフにした水着姿の上にパーカーを着込んでいた。その後方から――
「それよりもさ、ダーン達の釣果も期待してるんだけどぉ?」
ダーン達から見てステファニー達のさらに向こう側、薪を手斧で割っている銀髪の少女が、男性陣に向けて辛辣に問いかけてくる。
『今のところ、さしたる成果はないようだな。やはりルナフィスよ、ここは私が友釣りの奥義を指南して……』
「はいはい、兄様は黙ってて」
『ぬぅぅうッ。私も上陸するべきだった』
銀髪の少女ルナフィスは、ここから三百カリ・メライ(キロメートル)離れた外洋上の船内にいる兄と、念話で会話していた。彼女の耳にしたイヤリングが、兄・サジヴァルドと霊子的に繋がっていて、そこには距離の概念はないらしい。
まあ、本人が悔しがるように、この場に意識のみがあって肉体はなく、ルナフィスが体験するものを共有しているに過ぎないので、釣りについても、彼女がやる気なければ、釣りの奥義もなにもない。
「くっ……目の前であんなに騒がれたら、せっかくのいい釣り場も台無しだってーの」
カイは悪態をついて竿を操り、せせらぎを奏でる瀬の方にオトリ鮎を誘導する。そう、この釣り方は、釣り糸の先にはじめから魚がついていた。鮎の友釣りというもので、渓流の岩場にむした苔を食む鮎は、縄張りを持つ習性がある。この縄張りに別の鮎が侵入してくると、追い払うために、体当たりをして攻撃するらしい。
この習性を利用して、オトリ鮎という鮎の腹部から針を吊らせて、釣り糸の先につなぎ、わざと他の鮎の縄張りに入れて、攻撃してきた鮎を釣り針に引っ掛けるのだ。
この釣りは、この国の夏場に流行るもので、カイは幼少の頃に父親にこれを習って以来、趣味としてハマっているらしい。
「それもそうだな。なんなら他の場所に移動するか?」
そのダーンの提案に、カイは首を横に振る。
「一応、あんな女でも、ウチの巫女だからさ。守護者の僕が離れるわけにもいかないんだ。それに――」
その瞬間、カイの持つ竿が強くしなる。
「アタリがきたしね」
鮎二匹分の強い引きを愉しみながら、カイはニヤリと笑ってみせた。
☆
アーク王家直轄特務隊がアスカ皇国に上陸してから、既に三日が経過していた。
上陸の際にあったいざこざは、焔の一族が神官、鳳凰院シズメがその場に現れて、ダーンとカイの衝突を仲介したことでおさまった。その後は、アーク王国の王女であることを明かしたステファニーとカレリアが、シズメとカスミそして焔の一族が頭領カイとの交渉をその場で行い、結果、飛行艇にいたメンバーのみ上陸を許可されたのだ。
もっとも、アスカ皇国では焔の一族が管轄する領地のみ立入りを許可されただけで、他の部族の領地には別に、その地の部族の長に交渉して許可を得る必要があった。
ともあれ、アスカ皇国に上陸したステファニーたちは、海岸線のすぐそばに設けられた駅から、カイ達と共に汽車で移動し、焔の里に辿り着いた。
汽車に乗る前、アーク王立研究所のメンバーでもあるステファニーとカレリアが、蒸気機関車に猛烈な興味を抱いて、機関士を質問攻めにし、二人の美少女に囲まれた機関士が鼻の下を伸ばして、結果発車時刻の遅れを出したが、それはまた別のおはなしである。
なお、焔の里への道中、激しい剣戟戦を繰り広げたばかりのダーンとカイは、二人で何やら短い会話をしただけで、あっさり意気投合していた。
焔の里に着いたばかりには、他にも色々とあったが、そんなわけで、ダーンとカイの二人は、現在仲良く渓流釣りに勤しんでいるというわけだ。
そして、今回焔の里から少し離れた山間の渓流に、直轄特務隊のメンバーが連れ出され、野外調理や川遊びに来ている。実はこれにも理由があった。
「これで、本当にこの地の星沁というものに私たちも慣れるのかな?」
艶やかな黒い髪を三つ編みにして、若葉色を基調としたワンピースの水着にパーカーを羽織るのは、司祭のホーチィニだ。彼女も、軽金属製のテーブル上にまな板を置き、食材を切り分けている。そのホーチィニの問いかけに、黒いセパレートタイプの水着を着て、金髪をポニーテールにしたエル・ビナシスが応じる。
「精霊とのチャンネルは全然開けないから、困っているんだけど、星沁に馴染んだら開けるのかしら」
「焔の神々は、わっちらの祈祷でお姉さん方を認めておいでだから、あとは星沁そのものに慣れるだけでいいです。そのためには、こうやって自然に触れ合っていた方が近道なんです。でも、金髪のお姉さんが言う精霊ってのは、アスカにはない考え方ですから、なんとも言えないですよ」
焔の巫女、カスミがホーチィニとエルの間に入るようにして、二人の疑問に答えてくれた。ホーチィニとエルは、二人顔を見合わせて瞳を瞬かせる。一瞬間をおいて、十七歳の二人は間に入ってきた十四歳の少女に思わず抱き寄せ合っていた。
「可愛いーっ」
「やっぱカスミちゃんホント天使だよ」
「なっ……なっ……何を……やめ……あうう」
二人の胸に頭を挟まれるような格好になったカスミは、突然包まれた柔らかさとぬくもり、そして二人の女性が微かに纏わせている香りを感じて、顔を火照らせながら困惑した。
「あれ、いいなー。オレも子供になれたらなー」
渓流の下流の方から歩いてきた、元傭兵隊長のナスカ・レト・アルドナーグが、己の欲望のままに対岸の情景を羨ましがる。彼もやはり釣り竿を手にしていた。
「いや、あれは女の子同士だから成立するんであって、僕たち男じゃダメだろ」
ジト目でナスカを見据えるカイ。
「カイ……ナスカの言うことをまともに捉えてると疲れるぞ。彼は自分の欲望に素直なんだ」
ダーンが嗜めるように言うが――
「今のお前がそれ言うかねぇ……お姫様の巨乳を揉みまくってるって話じゃねーか?」
意地の悪い視線をダーンに送るナスカ。飛行艇の中でのステファニーの愚痴を聞いていたらしい。途端に旗色が悪くなる蒼髪の剣士に、忍者少年は三白眼を向ける。
「あの巨乳を揉みまくってるって……ダーン、うらやまけしからん。というか、冷静な顔して変態剣士だったんだな」
「ち、違う。これには深い事情があってだな……」
「揉みまくってることは否定しないんだ。くっそー、羨ましいッ! 僕も大っきなおっぱい揉みたいッ」
ダーンを半ば本気で羨ましがり、最後には女性陣に聞こえない程度の声量で欲望を打ち明けるカイだったが、この時、彼は背後の気配に気付いていなかった。彼の背後から、少し涼しげな香りが漂う。
「あの……その……カイさんはそんなに大きな胸が好きなんですか?」
背後からの女性の声に、カイは飛び上がらんばかりに驚いた。気まずそうな顔で後ろを振り返ると、背後にはいつの間にか長い黒髪の少女が、水色セパレートタイプの水着姿で立っていた。
双子の姉と同じく豊満な胸を隠すように、前が開いた白いパーカーの合わせ目を両手で手繰り寄せている。そのせいか、腕などで胸が寄せ上げられて、よりその谷間が扇情的になってしまっていたが、どうやら本人は気付いていないようだ。
「カ……カレリアさん。ち、違います……その今のは言葉の弾みで……。僕はそこまで必死な巨乳好きじゃ……」
水着姿の胸を隠している姿が、なんとなく拒絶されているように感じて、カイは動揺しながらなんとか否定するが……。
「うぅ……あのぉ……やっぱり、大きいのはお嫌いなんですか?」
何故か肩を落とすカレリア。俯いたはしばみの瞳に少し涙が滲む。
「あっ……いや、そそそんなわけじゃ……うー……はい、大っきいおっぱい大好きです、エロくてごめんなさい」
観念したかのように、カイは自らの性的嗜好を吐露しつつ、釣り竿を投げ出してその場に土下座する。その放り出した釣り竿を、カイのいる岩場の直近まで来ていたカレリアの視線が追って、つい彼女はそれを地面に落ちる前に拾い取ろうとした。
空中を舞う釣り竿にカレリアの手が伸びて、それと同時に彼女の体が岩場の方にさらに近づく。その気配を感じて、土下座していたカイが頭を起こし、前を向いたところで――
柔らかな奇跡が少年忍者の顔を包んだ!
「なーにやってんですかね、アレ?」
竿が落ちる軽い音の直後に、異国の女性の悲鳴を耳にしながら、幼なじみの少年が今感じている柔らかさと同じようなものに挟まれている焔の巫女は、理不尽な不機嫌を味わっていたのだった。
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