屈強の剣士二人を簡単に萎縮させたスレームの姿を視界に捉えながら、ふとダーンは思案していた。
ホーチィニは、スレームに対して「お婆さま」と呼び、以前少々話に聞いた限りでも、確かにアーク王立科学研究所の所長たるこの女性は、宮廷司祭の祖母に当たるという。
だが、実際に会ってみた感想として、十七歳になるホーチィニの祖母というには、あまりにも若すぎる容姿だ。
――なにか複雑な戸籍上の関係で、祖母ということになるのだろうか?
そう推理するも、ダーン自身その考えには無理があるような気がしていた。
スレームの容姿は、明らかに二十代のものなのだ。
――きっと、深く考えちゃいけないんだろうな……よし。……考えないようにしよう。
そもそも女性のことについては、どうも考えるのが苦手なのだからと、ダーンは思い至り、彼女が洩らした情報、アークの《大佐殿》がアリオスの街にいる可能性について考え始める。
――って、これも女性のことじゃないか……。
なぜか、引っ込み思案になりつつも、ダーンは、エルやホーチィニの方に向き直り、今後の方針について「とにかくアリオスに行ってみようか」と提案する。
女性二人は無言で首肯し、各々手荷物を整え始めるが――
「ちょっと待て」
スレームになにやら言い諭されていたカリアスが、ダーンに待ったを掛けてきた。
さらに、ダーンの方にアイスブルーの相貌を向けて言う。
「お前はしばらくの間ここに残ってもらうぞ、ダーン」
「何故です?」
先ほど命を救われたとはいえ、いきなり現れた部外者に任務中の行動を制限される覚えはない。
視線と言葉にはっきりとした嫌悪を織り交ぜるダーン。
「そもそも、私はお前に用があってここに来たのだ、ダーン。それに、今のままのお前では、このまま先に進んでも単なるお荷物だろう」
カリアスはダーンの嫌悪など素知らぬ顔で、逆に嫌みを返す。
それに真っ先に反応したのは、嫌みを言われたダーン自身ではなく、傭兵隊長のほうだ。
「おいおい、いくらなんでもそいつは言い過ぎじゃねーか」
「いえ、ナスカ。あながち言い過ぎではないですよ……」
ナスカの反論に、スレームが追い打ちを掛けた。
「……俺が足手まといになると?」
押し殺した声で少し睨むように申し向けるダーンに対し、カリアスは涼しげに応じる。
「そうだ。……剣士として中途半端な今のままではな」
「ぐッ……。確かに、俺の剣は貴方には及ばないかも知れないが、一体貴方は何者なんですか?」
苦し紛れに尋ねるダーンに、その場の全員が一瞬きょとんとし、それから思い出したように各々が「そういえば」と息を漏らす。
カリアスが名乗りを上げたとき、ダーンは意識を失っていたのだから、知らないのも当然だった。
「カリアス・エリンだそうだぜ、その男は」
耳打ちしてくるナスカの言葉に、ダーンは狐につつまされたように目を丸くした。
「フフフ……わざわざ『剣聖』とまで謳われた男がこの場に来て、貴方に用があると言うのだから、決して捨てたものでもないでしょう。……カリアスも意地が悪いですねぇ。彼に教える気になったからここに来たのでしょうに」
スレームが微笑を混ぜて言うと、カリアスは自嘲気味に軽く鼻で笑う。
「実はなダーン、お前が習得した剣術……颯刹流剣法は、もともと剣術としては未完成のものだ。だから、お前の剣が中途半端なのは仕方がないとも言えよう」
その剣術の創始者と目される男が、自らの残した剣術を中途半端と言い放った。
これまで、その剣術を信じ厳しい訓練に耐えて、身につけてきたダーンにとっては、目の前の男に疑心暗鬼にならない方がおかしい。
「何を言い出すかと思えば! ……颯刹流剣法は、アテネ、いや、ユーロン地方全体でも、剣術の源流にして最高峰の剣術として……」
ダーンは反論の途中で言葉を飲み込んだ。
アイスブルーの視線に一瞥されただけで、筆舌しがたいプレッシャーがかけられたのだ。
「それは……並の人間が扱うレベルでの話だ。そのレベルでは、お前も達人クラスの実力と言えるだろう。だが、先の様に人智の及ばない者が相手となれば、お前の実力では通じないことは十分理解できただろう。
こちらの世界でも、アークとゴートのいざこざで、魔竜共がきな臭い動きを見せ始めているようだ。言いたいことはわかるかね?」
「あ……」
威圧的な視線と声。
カリアスの言葉の意味と、先ほど人狼との一戦でナスカが見せた戦闘とその裏で討ち取られそうになっていた自分自身。
ダーンはこれ以上反論することはできなかった。
「詳しい話は後でしてやる。……ナスカ、かまわないな?」
「一応、オレたち国王陛下からの任務中だぜ。あんまり悠長にはしていられないんだが……」
カリアスの提案が何なのかを察していたナスカが、時間的な猶予がない旨を申し立てているが、かといって、特にカリアスの提案に反対といった風でもなかった。
本当に、時間的な心配だけといった感じだ。
それに対し、カリアスは軽く笑みをこぼす。
「なあに、半日もあれば充分さ。ただ……私が鍛えたからといって、そいつがモノになるかは保証できないがな」
カリアスの言葉に、ナスカはニヤリと表情を崩した。
「……いいぜ。ダーン、オレたちは《レイナー号》の救援に向かった騎士団と接触して、『ファルコン』の回収要請なんかの手続きをしておく。そうすれば、ちょうどアリオスで夜にでも合流できるだろう…………一皮剥けてこい」
ナスカの言葉に、ダーンは釈然としないままだったが、俯き口の中で小さく「わかった」と答えていた。
☆
ナスカ率いる傭兵隊は、ダーンとカリアスの二人を残しスレームと一緒に《レイナー号》が着水している湖畔へと出発する。
ナスカ達の姿が森の木々で見えなくなると、赤髪の剣士カリアスはダーンに対して、少し移動すると伝え、湖のある方向とは反対の方角の、森林に入り込む形で歩き始めた。
色々と釈然としない思いを抱えながらも、ダーンは無言でカリアスの後に続き歩き始める。
「ダーン、お前は信仰術や魔法についてどの程度知っている?」
人はおろか獣の通過した痕跡すらない、ひんやりとした森にカリアスの声が反響する。
「ほとんど知りませんね」
自分でも子供っぽいメンタリティと思いつつも、ダーンは目の前を歩く赤髪の剣士に棘のこもった言い方をしてしまう。
そんなダーンとは裏腹に、カリアスは気にもとめていない……いや。むしろダーン以上に子供っぽいメンタリティであったかもしれない。
神界の守護者、その最高位にある男は、表情に出さなかったが、自身でも信じられないほどに胸が高鳴っていた。
背後から嫌々ながらもついてくる男、蒼髪の少年が内包する可能性と、その魂に未だ燻る無限の闘気の気配。
先程の起死回生の一撃は、未完成であるものの、教えられてもいない神代の一撃だったのだ。
この少年に、闘神剣の基礎をたたき込んでしまったら、一体どこまで化けるのだろうか?
――彼奴をあるいは超えるやもしれん。
灼髪の天使長は、あるいは過度な期待かもしれない想いを秘めて、蒼髪の剣士の修練を始めるのだった。
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