タキオン・ソード

~Tachyon Sword~
駿河防人
駿河防人

ご機嫌な馬の尻尾と揺れる情景

公開日時: 2020年10月21日(水) 07:01
文字数:2,761

 目の前でご機嫌な『馬の尻尾』が揺れながら鼻歌を歌っている。


 革製のづなを両手で握りしめつつ、ダーンは思わず苦笑いを噛みしめた。


 上下に揺れる視界には森のあおが風に揺れる姿が映り、森林特有の香りがすがすがしく鼻を通る。


 そして、その森のすがすがしい香りに混じって、時折微かに彼の鼻腔をくすぐる甘酸っぱい香りがあった。


「うわっ……あはっ……ホントよく揺れるー」


 鼻歌を歌いやめて『馬の尻尾』が鞍の上で妙にはしゃいでいる。


「ステフ……あんまりはしゃぐと落ちるぞ」


 ダーンが後ろから注意するが、振り返った彼女は、


「だぁって、初めてなんだもん、馬に乗るの」


と言葉と共に輝く笑顔を返してきた。


 その笑顔の威力たるや凄まじいものだった。


 さしものダーンも思わず赤面して視線をそらせつつ、


「だ……だからってそんなにはしゃぐなよ、遊び行くわけじゃないし……。というか、軍人のくせに一人で乗馬できないって……あッ、コラ、ちゃんとグリップ握ってろって」


「大丈夫、大丈夫。バランス感覚だけはいいのよ、あたし。乗馬は出来ないけど、バイクは乗れるもん。それに、万が一落馬しそうになったら、ダーンが格好良く抱きとめてくれるし」


「あのなあ……あんまり安定してないんだから無茶クチャ言うなって」


 ぼやくダーンは革製の鞍のほとんど端に座っていた。


 あぶみにも足を入れているが、馬の背というものは後方の方が激しく揺れるものだ。


 乗馬に慣れていない彼女を乗せるため、大きめの鞍を用意し、馬も荷物運搬用の大型種を借りたわけだが、本来乗馬は一人でするものである。


 あぶみは一人分だし、鞍の前端に小さなグリップが突き出ているのみ。


 ステフは鞍の上でこのグリップに捕まり、跨いだ馬の背を鐙のない足で挟んでバランスをとっていた。


 ダーンは、子供の頃から馬術を一通り習っている。


 だから馬具がない裸の馬に乗ることも出来るのだが、今日はそれよりも難しいと感じていた。


 狭く窮屈な馬上――


 無邪気にはしゃぐステフが、目の前で長い髪を揺らし、短いスカートをはいたおしりをこちらの膝の間に無防備に密着させてくる。



 その上、ダーンの視界には、彼女の頭や肩越しについ入ってくる情景があった。



 馬上は、馬がゆっくり歩いていても随分と上下に揺れるものだ。


 そんな馬上ではしゃぐステフは、随分と楽しげで、まるで森にピクニックにでも向かおうかという子供のようだった。

 

 しかし、彼女は充分すぎるほどに発育した女性だ。


 ダーンは、『たゆん、たゆんっ』するその情景に、つい視線をやってしまう自分に自己嫌悪に近い思いを抱いていた。


 ここでふと、昨日の昼頃、アーク王立科学研究所の長スレームが言っていたことを実感として思い出す。


 それは、ステフを捜索中のことだった。


 人狼戦士ディンとの初遭遇戦の直後、レイナー号から騒ぎを聞きつけ駆けつけたスレーム。捜索対象のステフについて、ほとんど情報を持っていなかったダーンは、スレームにステフについて尋ねた時のことである。


 その時のスレームとのやり取りと言葉――。




     ☆




「恐ろしい魔力を持った《魔竜人》を、一個艦隊が行動不能に陥るような火力を用いて罠に掛け、戦艦数隻を轟沈させるような一撃で翻弄、最後は彼女の最大の武器と我が研究所の最新鋭兵器を有効活用し、これを葬りました。

 さすがに驚きました……私も最近は、彼女のその身に隠す凶器の成長には畏怖すら覚えていたのですが」


「凶器?」


 ダーンの短い疑問に、スレームは微笑を絶やさずに応じる。


「ええ、見る者の心すら揺さぶるような」



「……精神攻撃の類いか」



 魔竜すら貶めるほどのその凶器について――目を閉じ思案するダーンだったが。スレームはその彼から視線を外して、遠い空を見やると、口の中でひとり呟いていた。


「ある意味、貴方の言葉こそ、私の精神を擽ります……」




     ☆





 今になって考えると、あの時自分はスレームから完全にからかわれていたとわかる。


――『見る者の心すら揺さぶるような』とはうまいこと言うなあ……『凶器』ってのは言い過ぎ……いやまて…………今朝、俺も窒息しかけたから、やっぱ『凶器』か?


 まあ、「彼女の特徴は?」と聞かれて、「巨乳です」とは、あの妖艶な女性でも流石に答えないだろうが……。


 そう言えば、ナスカはスレームの言葉を聞いて妙な反応をしていた。


 あのようなふざけた言い方で、瞬時に胸の大きい女性とわかるとは……。


 流石アテネ一の『巨乳崇拝者』だ。



――いや別に凄いとも何とも思わないし、むしろこんな考察をしていること自体、自分は既にダメなような気もするが……。



「あはははッ……揺れる揺れる。すっごい揺れるー」


 下から突き上げてくるような馬の背の動きに、童心に返ったようにはしゃぎまくるステフ。


 その彼女を後ろから眺めていたダーンは、つい思ったことが漏れ出してしまう。



「ああ、確かに……何というか………………けしからん」



 発言の直後に、ダーンは硬直して嫌な汗を滲ませた。


「はい?」


 ダーンがつい漏らしてしまった発言の最後言葉に対し、無邪気な疑問調の声をあげるステフ。


 ダーンは軽く咳払いをし、


「いや、何でもない。本当に何でもないから、お願いだ……聞かなかったことにしてくれ。……と言うか、その髪型は馬に乗るからなのか?」


 苦し紛れに話題を変える。


 すると、ステフは自分の結い上げた髪を揺らしてこちらを振り返り、少し嬉しそうな笑顔になった。


「うん、そうよ。ポニーテールは乗馬の基本でしょ」


「知るか!」


「違うの? まあ、半分冗談だけど……。あたし、結構ポニーテール好きだし、動きやすいのよ、これ」


「ふーん……そうなのか」


 ダーンはあまり興味なさそうに応じるが、直後、ステフが笑顔から急に不機嫌そうに半目で睨め上げてきた。



「…………それだけ?」



 ステフは低いトーンの声で言った後すぐにぷいっと前を向き直ってしまう。


 テール部分の長い髪が、ダーン胸の前で揺れて風になびいた。


 結い上げているからこそ露わとなった目の前のうなじの艶やかさ。


 それに一瞬目を奪われるダーンに、ともすれば軽快で躍動的なイメージも覚えさせる。


 こういうときは、何て表現するべきなのだろうか?


 ダーンは、単純な知識として、こういうときは女性の髪型を褒めるべきだとは知っている。


 知っているのだが……実践したことなど一度もない。



――何なんだ、昨日から……ことあるごとに妙な初陣を飾りまくりじゃないか俺。



 誰に言うわけでもなく悪態を飲みこむダーン。

 

 取り敢えず、今朝の目覚めの瞬間から彼女に感じていたイメージと合致する単語を口にした。


「その……可憐だ」


「ふぇ?」


 聞き耳を立てつつ少しだけ期待していたステフが、不意打ちを食らったような気の抜けた息を漏らしてしまう。


 そして、剥き出しのうなじやら耳やらが途端に朱に染め上がっていくのを、ダーンは少しだけ怪訝な表情で見つめていた。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート